【Side:小蓮】
黄巾の賊に見つかり捕らえられそうになっていたところを颯爽と現れ、私を助けてくれた王子様。
それが、最近巷で噂の『天の御遣い』と謳われる正木太老との出会いだった。
噂には聞いていたけど、正直、天の御遣いの話は誇張された胡散臭い話くらいにしか思っていなかった。
でも、実際に太老の戦っているところを見せられて、少なくとも武に関しては文句の付け所がない噂以上の人物だと実感させられた。
私を助けてくれた時に見せた目にも留まらない素早い動きと、私を抱えて軽々と木の上に飛び上がった跳躍力。そして賊を相手に見せた戦闘力の高さは、ただ驚愕の一言だ。
もしかしたら、雪蓮姉様よりも強いかも知れない。そう思わせられるほどに、あの時の太老は圧倒的な力を見せていた。
「明命……周泰がアイツ等に捕まっちゃったの。私の所為で……私が我が儘を言ったから」
明命は、私の護衛をしてくれていた呉の大切な家族だ。
名前を『周泰』、字を『幼平』、真名を『明命』と言い、俊足で知られる呉の将の一人。融通が利かない生真面目さが玉に瑕だけど、大の猫好きで、長い黒髪がとてもよく似合う優しい女の子だ。
だから太老に力を貸してもらえれば、明命を助けられるかも知れない。私は藁にも縋る思いで事情を説明する事にした。
事の発端は、袁術から下された命令。荊州北部に集結している黄巾党の本隊を討伐せよ、という無茶な命令が始まりだった。
呉の兵力は、袁術によって河南全土に散り散りにされた旧臣を全て集めても一万足らず。とてもではないが、二十万を超す黄巾党本隊に太刀打ち出来るはずもない。
しかし袁術はその無茶を通し、呉の旧臣を呼び寄せても構わないという条件を下に、雪蓮姉様に黄巾党本隊を討伐するように命令した。
その命令に拒否権は無く、それならばと雪蓮姉様も呉の再建のために賭に出たのだ。
私がその事を知ったのは軍の編成が終わり、雪蓮姉様達が進軍を開始した後の事だった。
万が一の事態を想定して、私の護衛にと明命が遣わされなかったら、事が終わるまで私は知らずに過ごしていたはずだ。
明命の口を割らせるのは簡単だった。彼女の好きな物、苦手な物を私は熟知している。勿論、弱点もだ。明らかに様子のおかしい明命の口を割らせ、隠していたその内容を聞かされた時には凄く悲しい気持ちと怒りが湧いてきた。
姉様達が私の事を大切にしてくれている事、呉の未来の事を考えているのは分かる。
それでも私は孫呉の姫だ。呉の旧臣や姉様達が命を懸けて戦っているのに、私だけ子供だからと言う理由で知らせても貰えなかった事が悔しかった。
昔からそうだった。軍議や政務には絶対に私を関わらせてくれないし、どこに行くのも『危ないから』と言う理由でいつも留守番を言い付けられる。そして今回もそうだ。呉の再建の未来と姉様達の命が懸かっているという大切な局面でも、私は除け者、蚊帳の外だった。
それが悔しくて悲しくて、だから私は決めた。誰が何と言おうと、私も戦いに参加すると――
当然、姉様達から私の護衛を頼まれた明命は物凄く反対したけど、それでも私は自分の意思を曲げなかった。
結局、明命は根負けし私の護衛として付いて行くと言い、そうして私達は姉様達と合流するため黄巾党本隊を目指して出発した。
しかし、それが行けなかったのだと気付いた時には何もかもが遅かった。
出来るだけ早く追いつくために、私達は距離と時間を短縮するために敢えて険しい山越えの道を選んだ。だが、その選択がそもそもの間違いだった。
諸侯が集まる黄巾党本隊の直ぐ近くに到着しようかと言う時、本隊に合流しようとしていた黄巾党の別動部隊と遭遇し、明命は私を逃がすために自分が囮になってアイツ等に捕まってしまった。
幾ら明命が強くても多勢に無勢。私を護りながら大勢の賊を相手に敵うはずもない。
その後、明命のお陰でどうにか逃げ延びた私は隙を見て、明命を助け出そうとアイツ等の後を追った。
捕らえられている場所さえ分かれば、姉様達と連絡を取って助け出すつもりでいたからだ。
姉様達と連絡の取れない最悪の場合でも、なんとか隙をついて私だけの力で明命を助け出そうと考えていた。でも、それも甘い考えだった。
「それで、さっきみたいになったって訳か」
「うん……」
「だとすると、既に本隊に合流されている可能性が高いですね。先程の野営地には、それらしい女性の姿は見受けられませんでした」
「ふむ。ちょっと面倒な事になったな。捕らえたという事は、直ぐに殺されないと思うけど……」
太老と楽進と名乗った女性のやり取りに、私は胸に激しい痛みを感じる。それは不安と罪悪感からくる痛みだった。
二人の話では、もう直ぐ黄巾党本隊と諸侯軍の戦いが始まるという話だ。最悪の場合、その戦いに巻き込まれて明命が命を落とす危険だってある。それ以前に、もっと酷い目に遭わされている可能性だってあるのだ。
全ては私が我が儘を言ったから、明命の反対を押し切って姉様達に内緒で軽率な行動を取った結果だ。
「ひぐっ……シャオが悪いの……我が儘を……明命はダメって言ったのに……」
「あー、可愛い顔が涙と鼻水で台無しじゃないか。ほら、友達はちゃんと助けてやるから」
「太老様。そんな簡単に……」
「勿論、任務優先だけど、放っておけないだろう?」
気付けばボロボロと涙が零れていた。そんな私を見て、優しく頭を撫でながら『大丈夫だから』と慰めてくれる太老。
何の根拠もない慰めの言葉に過ぎないが、でもその一言は不思議と安心できた。
私の話を真剣に聞いて、真面目に取り合ってくれたのが太老だけだったからかもしれない。
太老の手の平は大きくて温かくて、そしてその言葉は沢山の優しさに満ちていた。
【Side out】
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第26話『大人の責任、子供の権利』
作者 193
【Side:太老】
とんでもない約束をしたものだと自分でも思う。でも、あんな話をされて泣かれたら、俺には放って置くなんて真似は出来なかった。
シャオがその護衛の女の子をどれだけ大切に想っているか分かるし、自分の所為で彼女が捕まったと思っているシャオからしてみれば、ここで俺が約束しなくても、きっと自分で助けに行くと言って聞かないだろう。
そうなる事が分かっていて、俺には目の前で泣いている少女を見捨てる事なんて出来なかった。
自分でも甘い考えだとは思うが、そこで見捨ててしまったら俺はきっと自分を許せない。後悔する事になるだろう。
それに、あちらの世界に居る家族や知り合い達も、俺がシャオを見捨てたと知れば絶対に許してはくれない。
泣いている女の子一人救えない、そんな後ろ向きな俺の行動を批難するに決まっている。
「と言う訳で、大変かと思うけど凪には人質の救出を頼む。真桜は工作部隊を率いて敵の撹乱とタイミングを見計らって火を放ってくれ。沙和は予定通り、その隙に乗じて城門の開放を」
「それは構いませんが、本当に太老様お一人でよろしいのですか?」
「そやで局長。確かに局長は化け物じみた強さしてるけど、さすがに一人は無茶とちゃうか?」
「沙和も少し心配なの……。確かに団長は鬼みたいに強くて幼女好きで女誑しだけど、さすがに一人は危険だと思うの」
凪の心配は確かに尤もだと思う。後、真桜と沙和、普段お前等が俺の事をどう思っているかよく分かった。後で覚えて置けよ。
捕らえられているのがシャオの友達だけとは限らない。その救出と護衛を考えると適任なのは凪とその部隊だ。
真桜の工作部隊なら火を放つくらい簡単だし、敵の撹乱には打って付けの手札を幾つも持っている。
中でも一番統率の取れた動きで定評のある沙和の部隊なら、危険で難しい任務ではあるが確実に成功させてくれると信じていた。
俺の仕事は彼女達が仕事をやり易いように、連中の注意を出来るだけ俺に向けさせる事だ。
別に俺一人が危ないと言う訳では無い。全員が危険な任務を負っていると言うのに、俺一人が安全な場所で護られている訳にもいかない。
それに、作戦に必要な人数に余裕がないのであれば、その負担をどこかに回すしかない。
シャオとの約束は俺の我が儘だ。それを団員達に課すつもりはなかった。
「まあ、精々目立つように暴れてやるさ」
俺一人の方が動きやすいのも事実。凪でも本気を出した俺の動きには付いてくる事が出来ない。
手加減抜きであれば、生体強化も受けていない並の人間には後れを取らない自信があった。
それに何でもアリ≠ナあれば、この程度の連中に負ける気はしない。
「後、太平要術の書は最優先確保対象だから。全員、それを忘れないでくれ」
広い城内のどこに太平要術の書があるか分からない。指揮官が確実に持っているとも限らないし、先程の任務を遂行しつつ見つけたら確保という流れに沿う事にした。
運が良ければ、真桜達の放った火で燃え尽きてくれるかもしれない。それで妖術が解ければ一番良いのだが、俺も妖術の専門家と言う訳では無いし今のところそれ以外に方法が無い。華佗を連れてくれば良かったと後悔するが、今更それを言っても仕方の無い事だ。贅沢を言ってはいられない。
取り敢えず、雛里は残してきて正解だった。
今回は迅速な行動と機動力が物を言うので、雛里には華琳のところで突入のタイミングを計る指揮を任せてきたのだ。
個人の能力任せのゲリラ的作戦なので、普通の戦い方と違って軍師に出番はない。後は、俺達の実力と運次第だ。
「……太老。シャオは?」
「後方に連絡要員として何人か残して行くし、彼等と一緒に居てもらうつもりだけど」
「でも……」
「今回は俺達にもシャオを護ってやれるほど余裕はない。それに何事も適材適所。シャオにはシャオにしか出来ない事があるだろう?」
「シャオにしか出来ない事……?」
「友達に『ごめんなさい』するんだろう? なら、シャオのために身を張って頑張ってくれた友達のためにもシャオが出来る事は一つしかない。シャオが元気な姿で出迎えてやる事。俺達が安心して帰ってこられる居場所を護って欲しい」
「うっ、太老……それって……」
何か言いたい様子だったが、俺がそう言うと顔を真っ赤にして言葉を詰まらせるシャオ。
何か様子が変だが、まあ大人しくなったならいいか。付いてくると我が儘を言われても困るし。
「それに、除け者にされたって言ってたけど、それは違うと思うぞ。皆、シャオの事が好きなんだよ」
「シャオの事が好き……それって太老も?」
「ん? 当たり前だろう? 出会って間もないけど、シャオが良い子だっていうのは分かる。俺は嫌いな奴の頼みを聞くほど酔狂な人間じゃないしな」
「ううぅ……」
益々顔を真っ赤にして俯くシャオ。まるで茹で蛸のようになっていた。
熱でもあるんじゃないだろうか?
話に聞く限り、随分と無茶な旅をしていたようだし、仲間が捕まって精神的な疲労も溜まっていたに違いない。
やはり、こんな状態のシャオを連れて行くなんて出来るはずもない。
「何も戦場に出て戦う事だけが全てじゃない。家族を、恋人を、大切な人を護りたい。そう想える人が居るっていうのは幸せな事なんだ。生きて帰りたい、って想いが強くなるからな。そう想われてるシャオも立派に役に立ってるさ。皆に頑張ろう、生きようって気力を与えてくれるんだから」
「……そんな風に考えた事なんてなかった」
「無理に背伸びをしなくても、出来るようになるまで誰かに頼っていいんだから、もっと気楽にしな。そうして学んだ事、経験した事を今度はシャオが子供達に教えてやればいい。お世話になった人達に恩返しするのでもいい。それでチャラだ」
「チャラ?」
「それで帳消しって事」
大人が子供を護るのは当然の責任だ。そして子供には大人に甘えて良い権利がある。
叱って貰った事、優しくして貰った事、遊び、学び、経験した事を大人になって次の世代に伝えていく。
無理に背伸びなどしないで、子供は子供らしくしているのが俺は一番だと考えていた。
そうした物は、焦らなくても自然と成長し身についていく物だ。
「太老にも出来ない事なんてあったの?」
「どんな過大評価してるのか知らないけど、周りに比べると俺は優秀って訳でもなかったしな。寧ろ、平均に毛の生えたレベルだったし。出来ない事なんて今でも一杯あるぞ」
「……そうなの?」
「ああ、だから気にするな。今は一杯甘えて沢山頼れ。シャオが困ってたら、俺がまた助けてやる」
この世界の住人からすれば、俺は反則技を使っているから凄く見えるのかも知れないが、そんなに凄い人物と言う訳では無い。
あちらの世界では、周りにもっと優秀な人物が大勢居た。それでも自分なりに努力してきたと俺は思っている。
俺は俺のしたい事をしているだけだが、その力で大切な人を救えるのなら力を振るう事に迷いはない。女の子一人にすら頼りにされないなんて、それはそれで情けない話だ。
面倒事は嫌だが、だからと言って他人任せにするつもりはない。自分に課せられた義務と責任くらいは果たす。
そうした大切な事を教えてくれた人達が確かに俺にもいた。今度は、俺が教わった事を経験に習い伝える番と言うだけの話だ。
「うん! シャオ、太老を目標に頑張るね! そして一杯恩返しする!」
「その日を楽しみに待ってるよ」
それが、俺とシャオが交わした約束だった。
【Side out】
【Side:小蓮】
太老は、私が思っていたとおりの人だった。
とても強くて温かい人。私の話を子供の言っている事と聞き流さず、真面目に聞いてくれて真摯に向き合ってくれる。
この人なら信じられる。そう、私に思わせるだけの優しさと力強さを太老は持っていた。
(太老に『好き』って言われると凄く嬉しかった)
好き、と言ってもらえる度に、私の事を想って言ってくれている言葉を耳にする度に、まともに太老の顔が見られないほど、私の胸は激しく脈打っていた。
太老の言うように私達は出会って時間も経っていない。それでも、私は太老に心を奪われてしまったのだと気付いてしまった。
姉様達には凄く心配と迷惑を掛けてしまったし、私の我が儘の所為で明命を危険な目に遭わせてしまった。
その事を後悔していないと言ったら嘘になる。明命にもしもの事があったら、私は自分を許せないと思う。
それでも、太老とこうして出会えた事をどうしようもなく嬉しく感じている自分が居た。
自分でも最低な女だと思うけど、それでもやっぱり私は太老が好きなのだ。その気持ちに嘘は吐きたくない。
それにきっと太老なら――
(大丈夫。太老は約束を破らない。絶対に明命を助けてくれる)
何の根拠もない自信だが、私は太老の言葉を信じていた。その上で全てが終わったら、ちゃんとこの恩を太老に返したいと思う。
孫呉の女は受けた恩を忘れない。姉様達には物凄く怒られると思うけど、それでも私は一生を捧げてでも太老に尽くしたいと心に決めていた。
太老に言われた事、太老との約束もちゃんと守る。
勉強は好きじゃないけど、でも太老のためなら頑張れると思うから、太老に相応しい女性になるために精一杯頑張る。
いつか太老との間に子供が出来た時、私が経験した事、太老から教えてもらった事を子供達に伝えていきたい。
「局長! 諸侯の部隊が動いたみたいやで」
「どこだ?」
「あの趣味の悪い派手な牙門旗は袁紹のやな」
「どれどれ……うわ、随分と自己主張の強い旗だな……」
太老ともう一人、確か李典と呼ばれていた女性が、見晴らしの良い崖の上から何か筒状の物を覗き込んで遠くを見ていた。
確かに砂塵が宙を舞っているように見えなくはないが、時間は明け方近くまだ外は少し薄暗い。
距離も随分と離れているようだし、ここから旗印が見えるなんてどんな目をしているのか?
「ん? シャオも見てみるか?」
「え? これって……」
「ああ、使い方が分からないのか。ここを覗き込んで、そこの摘みを回して調整してやれば……」
「うわっ、凄い! 景色が迫ってくる!」
その筒から覗き込んだ風景は、自分の目で見るのとは全く別物の光景が広がっていた。
鷹の目を得たかのように、遥か地平線の彼方を見通す事が出来る不思議な筒。そこから覗き込んだ光景に魅せられ、私は思わず息を呑む。
砂塵の舞う方角を見ると、先程、太老と李典が話していた悪趣味な牙門旗の姿を見つける事が出来た。確かに袁紹の物のようだ。
天の御遣いが作ったという商会の噂は知っていたつもりでも、天の知識で作られた道具や技術とか、実のところ余り信じてはいなかった。
でも実際にこんな物を見せられてしまったら、その噂を信じずにはいられない。太老の興したという商会には、こんな物が沢山あるのだろうか?
「敵さんも気付いて部隊を展開し始めたな。袁紹が正面で敵を引き付けてくれている間に、俺達は予定通り作戦を実行するぞ」
太老の作戦決行の合図に、首を縦に振って答える兵士達。
私の想像を絶する戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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