――話は少し遡る。

「何者じゃ? ここが何処か知っての狼藉か?」

 兵馬妖の侵攻を食い止めようと呂布達が戦闘を開始した頃、劉協のもとに怪しい風体の男が現れた。

「何者とはご挨拶ですね。陛下、いえ今は元陛下でしたか」

 肩まで伸びる長い黒髪に、真っ白な衣装を身に纏った優男。
 その男の風貌に劉協は身に覚えがあった。

「御主、まさか……」

 そう、それは数々の事件を裏で操ってきた黒幕、干吉だった。

「この騒ぎ、仕組んだのは御主か?」

 今、洛陽は主力となる兵の殆どが出張り、警備は手薄。住民の避難で騒がしくなっている。
 その隙を突き、この男は劉協の前に現れた。
 それが何を意味するのか、理解の出来ない劉協ではない。

「人聞きが悪い。私はただ張譲の願いを叶えてあげただけですよ」
「よくもぬけぬけと……」

 張譲の願いを叶えただけと言いながらも、その目的が今のこの状況を作り出すためにあったのは確実だ。
 普段、劉協の周りは選りすぐりの精鋭ばかりを集めた太老の親衛隊が固めている。
 それに宮中には太老の仕掛けた罠もあり、普通の方法で侵入するのは不可能。
 以前、左慈はそれで撤退を余儀なくされ、干吉もそのことを理解しているはずだ。

「暗殺が目的か?」
「まさか、張譲はどうかしりませんが、あなたの命などに私は興味ありませんよ」

 暗殺が目的ではないと、はっきり答える干吉。
 その態度からも嘘を言っていないことは誰の目にも明らかだった。
 だが、そうすると疑問が生じる。

「ならば何故、我を狙う? 皇帝の座は太老に譲り、ただの小娘にしか過ぎぬ我を」

 今更、自身を誘拐したところで意味があるとは劉協には思えなかった。
 太老に皇帝の座を禅譲し、今や劉協はこの国の皇帝ですらない。張譲が劉協を傀儡にしたてたあの頃とでは状況が全く違う。
 だからと言って身代金目的の誘拐など目の前の男がするとは思えず、その真意を劉協は計りかねていた。

「皇帝の地位など問題ではありません。あなたが必要なのです」
「わ、我が必要じゃと……」

 思わぬ告白に狼狽する劉協。しかし――

「すまぬが、我には心に決めた者が……」
「そっちの意味ではありませんっ!」

 玉砕だった。一瞬にしてフラれる干吉。緊張感の欠片もあったものではなかった。
 劉協のボケに調子を崩され、眉間にしわを寄せる干吉。
 歪んだ眼鏡を直し、どうにか平常心を装い、話を元に戻す。

「皇帝の血。その血筋が必要なのです」
「血筋じゃと……」
「そう、あなたの血です」
「……一体、何を言っておる?」

 干吉の言っていることは、劉協からすれば何一つ理解の出来ない話だった。
 血が必要と言われても、その言葉の真意がわからない。

「すぐに分かります。ただ、あなたが目覚めることは二度とないかもしれませんが」
「くっ! 誰か――」
「――縛!」

 助けを呼ぶため、声を上げようとする劉協だったが、その言葉が最後まで紡がれることはなかった。

「あ、ああ……」

 干吉の術によって身体の自由を奪われ、声一つ発することの出来ない劉協。
 目は虚ろな物へと変わり、全身から生気が失われていく。

「これで準備は整いました。あとは……」

 目的は果たしたとばかりに干吉は劉協を伴い、その場から姿を消した。





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第155話『小覇王』
作者 193








 その頃、呉では南方より攻めてきた五胡の軍勢と呉の主力が激しい戦いを繰り広げていた。
 返り血で全身を紅く染め、血に塗れた剣を拭いながら、孫策は腑に落ちない様子で戦場を見渡す。

「――妙ね。手応えが無さ過ぎる」

 敵の数は三十万。これは魏や西涼に攻めてきている敵の数とほぼ同数だ。
 一方、呉の兵は総数で二十万。数だけで見れば、決して楽な戦いとは言えない。
 しかし孫策は、それでもこの戦いの手応えのなさに違和感を感じていた。

「思った以上に、私自身が強くなっている。それもあるのだろうけど……」

 ――理由は他にある。孫策はそう感じていた。
 まるで何かに操られているかのような敵の動き。そして周瑜が立てた当初の予想より少ない%Gの数。
 だがそれ以上に、胸がざわつく。得体の知れない何かを感じていた。

「蓮華! ここは任せるわ」
「え、ちょっと、お姉様!?」

 妹に戦場を託し、前線を離れる孫策。
 違和感の正体を確かめるため、孫策は信頼する友のもとへ走った。


   ◆


「雪蓮、何を考えている。前線を突然離れるなど!」
「いつもは前に出過ぎるなって言うくせに……」

 なんの前触れもなく本陣に戻ってきた孫策を怒鳴りつける周瑜。
 孫権が残って指揮しているからよいものの、兵の上に立ち指揮する者が戦いを放棄して戻ってくるなど許されるはずもない。
 だが、そんなことは孫策も理解しているはずだった。いつもであれば止めても戦いに出るほどだ。

「それとこれは話が別だ。状況を弁えろ」
「大丈夫よ。この程度の敵が相手なら蓮華だけでも十分よ」
「全くお前は……いや、何があった?」

 孫策の適当さに呆れながらも、長い付き合いから周瑜は何か事情があることを察する。
 気まぐれでいい加減な孫策だが、なんの理由もなく戦いを放棄して逃げ帰ってくるような臆病者ではない。
 孫策には妹の孫権にはない、予知めいた勘の鋭さのようなものが備わっている。
 今回も、その孫策の直感が関係しているのではないかと周瑜は考えていた。

「手応えがなさすぎるのよ」
「手応えがない?」

 三十万の敵を前にして手応えがないと言い切る孫策に、怪訝な表情を浮かべる周瑜。
 確かに呉の方が将の質、兵の練度で敵を上回っていると自負する周瑜だが、十万を超す兵力の差がある以上、決して楽な戦いではない。
 事実、戦いを優勢に進めてはいるが、すぐに決着がつくほど圧倒的な差ではなかった。
 なのに、それを手応えがないの一言で済ませる孫策の言葉を疑うのは当然だ。

「なんていうか、戦っていて違和感のようなものを感じるの。まるで人じゃないものと戦っているような……。一体、私達は何を¢且閧ノしているの?」

 だが、その曖昧な孫策の説明に、周瑜は何かに気付いた様子で驚く。
 前線にいた孫策の知るはずのない情報と、彼女の話は驚くほどに噛み合っていたからだ。

「その話、本当なのだな?」
「何よ、私が嘘を言ってるって言うの?」
「……操られている? だとすれば、やはり敵の狙いは……」

 ブツブツと思考の海に埋没する周瑜を見て、また始まったとばかりに孫策はため息を吐く。
 こうなると何を言っても、考えが纏まるまで反応がないことを知ってのことだ。

「で、何かわかったの?」
「……先程、報告があった。敵の主力が蜀に入ったそうだ。その数、二百万」
「に、二百万!? 冗談でしょ?」

 余りに非常識な数に、孫策は声を上げて驚く。

「残念ながら本当の話だ。敵の狙いは恐らく――」
「私達の足止め……。最初から狙いは益州だったってことね」

 周瑜の話に孫策は苦虫を噛み潰したように厳しい表情を浮かべる。
 呉に現れた敵の数は三十万。一方、蜀に現れた敵の数はその八倍近くに上る。
 蜀に現れた敵が本命だとすると、呉に現れた敵は陽動だったということになる。

「舐められたものね……」

 敵に裏を掻かれたこともそうだが、これだけの兵で自分達の足止めが出来ると思われた方に孫策は屈辱を感じていた。
 数の差もそうだが、この敵には戦う意志が、手応えが感じられない。
 何者かに意思を奪われ、操られているかのような動き。そんな敵を相手にするのは気持ちの良いものではなかった。

「冥琳、何か案は?」
「ないな。ここで戦力を割れば、折角優位に進めている戦いが不利になる」

 勝てないことはない。数の不利など、この状況を見れば問題にならない。
 孫策が孫権に前線の指揮を任せ、後ろに下がったのもそうした戦局を見極めてのことだ。

「確かに気にはなる。だが我々は、自分達の都合を優先しなくてはならない」

 少ない戦力を割り、被害を拡大するような真似は出来ないと周瑜は考えていた。
 敵の狙いが陽動とわかった以上、ここで無駄に戦力を減らすわけにはいかなかった。
 蜀で敵の侵攻が止まるとは限らない。その後は呉が狙われる可能性が高いからだ。

「なら、目の前の敵を片付けてからなら、文句はないってことね」
「何を……仮にも相手は三十万を超す大軍勢だ。それほどすぐには――」

 幾らなんでも無理だと考える周瑜。例え、ここの敵を全滅させたとしても、そこに掛かった時間や移動距離を考えれば、蜀に援軍をだしたところで間に合うはずもない。それが普通の考えだ。
 だが、孫策は諦めていなかった。

「間に合わせてみせるわ」

 そう友に言い残し、再び戦場に歩みを進める孫策。彼女にもう迷いはなかった。

「あなた達に恨みはない。だけど同情もしない」

 五胡の進軍、その裏にあるものを孫策は既に感じ取っていた。
 それが彼等の真意でなく、ただ操られてのことだということも――

「だから――」

 しかし、だからと言って情に流されるような真似はしない。
 相手がなんであろうと、行く手を阻むのであれば排除するのみ。

「この国のため、そして未来のために――」

 それが――英雄、孫策のだした答え。

「死になさい」

 無慈悲な死刑宣告だった。


   ◆


 そこから先は、まさに一方的な殺戮だった。
 孫策が剣を振り下ろせば地面には大きな穴が空き、振るえば一瞬にして数百の兵が骸と化す。
 修羅と化した孫策の活躍に魅せられ、勢いづく呉の兵士達。
 強い絆と固い意思で結ばれた呉の精鋭の前に為す術なく、五胡の兵は数を減らしていく。

「明命、商会に使いを頼めるか?」
「はい。ですが、よろしいのですか?」

 戦いはまだ続いていると言う意味での問い掛けだったのだが、周瑜はそんな周泰の質問に首を横に振って答える。

「勝敗は決した。今の雪蓮を止められるものなど、この場に一人として存在せんよ」

 まるで亡き文台様を見ているようだ、と言葉を続ける周瑜。
 王としての器は孫権の方が孫策より上だと考えている周瑜だが、こと戦場にあっては孫策に敵うはずもないと考えていた。
 彼女は天才だ。戦うために生まれてきたと言ってもよいほどに――。戦場に立つ者は敵味方問わず誰もが、その強さと勇猛さに魅せられ、畏怖と敬意を抱く。
 だが、味方にすれば頼もしいが、敵にすれば、これほど容赦が無く恐ろしい相手はいなかった。

「扉を貸して欲しい。そう伝えればわかる」
「扉……ですか? わかりました」

 商会の地下に設置されたゲートの存在は、各国の代表と国家の中枢を担う一部の軍師にのみ知らされていた。
 国家の防衛にも関わる重要な問題でもあるため、曹操が各国の代表に知らせたためだ。
 勿論、誰でも使用出来ないことを説明した上で、管理は太老と多麻が行っているということで曹操は周囲を納得させていた。

 太老の計画――そのために必要と知らされれば、協力しないわけにはいかない。それにその秘密を自分達だけが独占できるという旨味も、彼女達にとっては大きかった。
 扉さえ利用すれば、いつでも洛陽に――太老に会いに行ける。これは秘密を共有しない相手に対し、優位に立てることを意味していた。
 呉でこのことを知っているのは孫権と周瑜の二人のみ。このことを孫策にだけは絶対に知られたくなかった周瑜だが、今回ばかりはそうも言っていられなかった。まさに苦渋の決断である。

「ああ、それと……出来れば多麻に伝言を頼む。これが終わったら覚悟をした方がいい。御遣い殿にそう伝えてくれ、と」
「か、覚悟ですか……。それって、まさか……」
「いつになく荒れているようだ。ああなっては、私も雪蓮を鎮められるかわからん」

 その一言で事情を察し、顔を赤くして姿を消す周泰。孫策は常人には理解しがたい癖というか、問題を抱えていた。

 ――(いくさ)の後の孫策には気を付けろ。

 呉に長く仕える者なら誰もが知っていることだが、余り外には知られていない。
 いつもはそんな時、周瑜が孫策の相手をしているのだが、丁度よいとばかりに今回は太老を生け贄に差し出すことを周瑜は密かに決めていた。
 それも、この国の将来を思ってのことだ。

「問題は敵の狙いか。あちらには諸葛亮もいる。気付いているとは思うが……」

 益州が他に比べて防備が薄く、攻めやすいことは周知の事実。だからと言って決して少なく無い総数九十万という兵力を捨て駒に使い、更に倍以上となる二百万の兵を蜀一つに集中するなど余りにも偏った戦略だ。
 だとすれば、そこまでして確実に達成したい目的があるのだと周瑜は考えた。
 状況から察するに、敵の狙いは蜀そのものにあると考える方が自然だ。ならば、蜀に何がある? 資源、財宝、領地……何れも違う。

「狙いは……北郷か」

 太老はある日を境に行方を眩ませ、消息を掴めていない。だとすれば、太老が狙いという線は消える。
 そのことから消去法で導かれる残された可能性。蜀に狙いを定めた理由として考えられるのは、北郷一刀――彼以外に考えられなかった。
 しかし、そうすると一刀を狙う敵の真意が見えて来ない。

「彼には何かあるのか? 私達の知らない何かが……」

 すべて憶測に過ぎない。結論を出そうにも、手持ちの情報だけでは少なすぎた。
 ただ、何かが起ころうとしている。そのことだけは確かだった。

雪蓮(あのこ)の勘はよく当たる。よくないことが起こらなければいいが……」

 世界の命運をかけた最後の戦い――その舞台が整いつつあった。





 ……TO BE CONTINUED



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