【Side:太老】
タロウ・マサキ辺境伯。それが俺のハヴォニワでの立場だ。気付いたら平民から伯爵になっていて、果ては辺境伯なんて物に任命されていた。
辺境伯と言えば聞こえは良いが、実際のところは超が付くほどド田舎の辺境領主に過ぎない。
与えられたのは広大な未開拓地。今はそこに元公爵家の土地が併呑され、その全てが俺の領地という扱いになっている。
土地の面積だけなら小さな島ほどあるが、実際には山と森が領地の大半を占めており、街や村と呼べる集落の殆どは元公爵家の領地にあった物だ。
ハヴォニワから爵位と同時に賜った領地には元々人が殆ど住んでおらず、現在は広大な農地に姿を変えていた。
「――農業関係が特に順調ね。国内に流通している農作物の実に三割が太老くんの領地の物よ」
「タツミ達が頑張ってくれましたしね」
水穂の言うように、現在俺の領地は他に類を見ないほどの農作物の収穫高を記録している。領地収入の大半を占めるのが、この農作物の売り上げと言っても過言ではない。
商会が経営するファーストフード店などが商品を安定した価格で提供できているのは、この開拓で得た農作物を始めとする原材料の大量生産が背景にあった。
実はこれと並行して漁業や畜産など、他にも様々な取り組みが行われているのだが、やはりうちの領地で主要産業として先に名前に挙がってくる有名な物となれば、この広大な農地が代表格だ。
短期間でこれだけの大量生産が実現した背景には、開拓作業に貴重な聖機人を投入できた事と『ハヴォニワの三連星』の二つ名で知られるタツミ、ユキノ、ミナギの三人の女性聖機師の協力を得られたからに他ならない。
彼女達のお陰で最低でも半年から一年を予定していた開拓作業が、大幅に期間を短縮して短期間で実現できた事が大きかった。
何もかもを人の手に頼っていた頃に比べれば作業効率も雲泥の差だ。現在も、ようやく量産体制が整い始めた農業用工作機やタチコマを使って開拓は進められていた。
うちの領地を真似して、タチコマを作業機として導入する国や地域も増えているという話だ。
「視察地の絞り込みはこれで終わりね。後は――」
商会の仕事に区切りを付けた俺は、水穂の助力を得て視察の計画書作りに没頭していた。
大まかなスケジュールはある程度決まっているが、その最後の調整と確認を行っている訳だ。
先程、例に挙げた農地視察は今回の視察の目玉とも言うべき部分。他にも元公爵家の領地で進められている都市計画の視察も忘れてはならない。まだ工事中の箇所が殆どらしいが、国から派遣された聖機師と一早く導入されたタチコマの活躍もあって、以前とは比べ物にならないほどの発展を遂げていると言う話だ。
この計画には俺も少なからず関わっているので、どんな街になっているのか少し楽しみだったりする。
区画整理と並行して、以前は荒れ放題だった街道整備も進められているとの話だし、ハヴォニワの首都ほどとは言わないまでも少しずつではあるが領民の暮らしやすい環境が整いつつある、と報告を受けている。
正義感を振りかざすつもりはないが、あそこは俺の領地と言うだけでなくマリエル達の故郷でもある。
俺だって自分の故郷がそんな状態だったら良い気はしないし、間違い無く放っておけない。
マリエル、それにシンシアとグレース。ミツキやメイド隊の侍従達。大切な家族や仲間と呼べる人達の故郷なら、俺にとっても放って置く事の出来ない大切な場所だ。
普段、彼女達には感謝してもしきれないほどお世話になっているし、俺に出来る事があるのなら協力してやりたい。
それにせめて、人間らしい暮らしが出来るように環境を整えてやるのも、領地を預かる領主としての務めだと考えていた。
「あ、そうだ。太老くん」
「はい?」
「黙っていても直ぐに耳に入る事だと思うから、先に伝えて置くわね」
異世界の伝道師 第150話『立場の自覚』
作者 193
――婚姻と同じくして太老くんは大公を拝命し、現在の領地を中心とするハヴォニワ西部は大公国として独立権が認められる話になったわ
という嘘のような本当の話を水穂に聞かされた。
フローラが秘密裏に進めていたらしく、既に根回し済みで決定事項らしい。マリアとラシャラとの婚姻と時を同じくして大公を拝命し、ハヴォニワ西部の土地が全て俺の領土になると言う話だ。
二人との釣り合いを取るための処置と言う話だが、徐々に話がとんでもない方向に向いてきた。
平民から貴族になれただけでも驚きなのに、大公……それも国として独立って……幾らなんでも話が大きすぎる。
(でも、最低でも四年以上は先の話だしな……)
ラシャラの戴冠式と同じくして婚約発表を行うという話だが、結婚は学院の卒業後という話になっている。
下級課程は四年。上級課程二年が聖地での就学期間だ。
下級課程は王侯貴族やその護衛機師であれば二年短縮できると言う話だが、それでも四年の猶予がある。
水穂も帰る方法を懸命に探してくれているし、まだ結婚すると決まった訳ではない。あちらの世界に帰るという選択肢だって残されているし、この婚約だってラシャラの国内での立場を盤石にするための布石だったはずだ。
マリアとの婚約も一番の目的はハヴォニワとシトレイユの同盟締結にある。それは条件次第では、婚約解消だってありえると言う話だ。
マリアとラシャラの事が嫌いな訳ではない。俺だって、一応は柾木家の縁者に名を連ねる者だ。樹雷皇家に縁のある者として、政略結婚の重要性は理解しているつもりだ。
だがしかし、妹のように接してきた少女達をそう言う対象に見れるかどうか、と言う話になると別問題だった。
あの二人が好意を寄せ慕ってくれているのは分かっているが、それは決して男女の関係ではない。あくまで兄妹としてだ。
そもそも十二になったばかりの少女に恋愛感情など抱けるはずもない。俺はそんな特殊な性癖の持ち主では断じてない。
少女は愛でるモノ。可愛いモノは確かに好きだが、それは道徳や倫理の範囲に則った物であって、決して変な意味ではない。
「お兄様。どうかなさいましたか?」
「い、いや、何でもないよ!?」
「……そうですか?」
訝しげな表情を浮かべながら、腑に落ちないといった様子で首を傾げるマリア。
仕事に一息つけたところで『休憩がてら、御一緒に御茶でも如何ですか?』とマリアに誘われ、また一段と腕を上げたと思われるマリアの淹れてくれた紅茶と、マリエルが用意してくれたというクッキーを御茶請けに屋敷のテラスで午後のティータイムを楽しんでいた。
最近、仕事が忙しかった事もあり、こうしてマリアとゆっくりと御茶をする機会も無かった。久し振りにほっと落ち着ける一時だ。
(マリアが良い子なのは分かってるんだけどな……)
俺には勿体ないくらい良い子達だ。それに、マリアとラシャラとの婚約が必要な事だと言う事も理解している。
特にハヴォニワとシトレイユの同盟もそうだが、ラシャラの国内での立場が余り良くないのは俺も当事者として身にしみて体験済みだ。
シトレイユ皇は事故でヌイグルミ皇≠ノなってしまったし、その所為でシトレイユは皇が不在なところに加えてラシャラは為政者としては経験不足でまだ幼すぎる。大国であるが故の不自由さ。現在の国情に不安を抱き、反発を強くしている貴族も少なくない。
俺自身、その騒ぎに巻き込まれて命を狙われた事があるくらいだ。だからこそ、ラシャラとの婚約の話が持ち上がったのだ。
正直なところ、シトレイユという国がどうなろうと俺には関係の無い話だ。ハヴォニワのように恩がある訳でもない。
それにシトレイユ皇に関しては自業自得と思っているし、助けてやる義理も無い。しかし、ラシャラの問題は話が別だった。
困っている少女を見て見ぬフリなど、俺に出来るはずもない。ましてや、命の危険に晒されているとあっては尚更だ。
ラシャラもマリア同様、俺にとっては大切な妹のような存在≠セ。俺に出来る事があるのなら、少しでも彼女の力になってあげたい。
婚約の話だって所謂『虫除け』のような役目だと理解している。商会やハヴォニワの権威を使って立場を強化するという狙いもあるが、ラシャラに向けられる好奇の目や悪意を俺に向けさせるのが主な目的だ。
それは今のところ成功していると言って良い。ラシャラの即位や同盟に反発している反対派の貴族達からすれば、俺は祖国を乗っ取ろうとしている大悪党と言ったところで目の敵にされている。先日水穂が、遂に商会本部や屋敷に侵入を試みた愚か者の数が四桁の大台に上った、とか言っていた。
その内の半分近くは、俺に差し向けられた暗殺者という話だ。
俺は嫌われ者には慣れているので一々そんな事を気にしてなどいないが、ラシャラは違う。
暗殺なんて話が平然と出て来る権力闘争の渦中に、十二の少女を一人にして置きたくはなかった。
虫除けでもなんでも、俺が敵視されるだけでラシャラに降りかかる危険が減るのなら万々歳だ。そのくらいのリスク、喜んで受けてやる。
ただ、問題があるとすれば――
「マリアは俺との婚約をどう思ってる?」
「……え?」
マリアとラシャラの気持ちだ。
何だかんだ理由を付けても、当事者の二人がどう思っているか、そこが重要な問題だ。
「嫌じゃない?」
「そ、そんな訳がありません! お兄様との結婚を嫌だなんて、そんな事は絶対にありえませんわ!」
「いや、結婚じゃなくて婚約≠ネんだけど……」
「と、とにかく、私はこの婚約を望んでおります。まだ自分でも(お兄様に)相応しいとは思えませんけど……それでも!」
身を乗り出して弁明するマリアの必死さに気圧され、椅子を引いて仰け反ってしまう。
マリアは責任感の強い娘だから、王族の義務とか責任を気にしているのかも知れない。
俺よりも、ずっと真剣に考えているのだろう。このハヴォニワの事を――
あれでフローラは為政者として有能な人物だ。性格に難はあるが、王としては優れた人物と言って間違い無い。
そんな母親を見て育ったマリアからしてみれば、まだ今の自分では『後継者に相応しく無い』とでも思っているのかもしれない。
俺から見れば、立派に王族の務めを果たせていると思うのだが、本人は納得行っていない様子だ。それは言葉や態度からも感じ取れた。
(余計な心配だったか。二人とも、小さくても立派に王家の人間なんだな)
マリアがこの婚約についてどれだけ真剣に考えているか、それが分かっただけも僥倖だ。
ラシャラも恐らくはマリアと同じ考えなのだろう。ならば、俺から言うべき事は何もない。
王族の責務を果たそうと真剣に国の事を考えている二人に対し、何も分からない段階で俺の我が儘を押しつける気にはなれない。
大公とか、自分の国だとか、正直全然ピンと来ない話ばかりだが、まだ大分先の話だ。
急に『大公だ』『自分の国だ』と言われて混乱したが、婚約イコール結婚と結びつけるのは早計だ。
それにこれ以上、藪を突いて蛇を出すような真似をしたくは無い。
フローラ辺りに知られれば、面白いように冷やかされる事は目に見えている。
二人とどう接していくかも、ゆっくり考えて行けばいい。そう考える事にした。
「それでは、私とお兄様を入れて全員で八人ですわね」
領地視察に赴くのは俺、マリア、その護衛にコノヱとユキネ。
後はマリエル、それにシンシアとグレース、ミツキの一家全員。合計八名に決まった。
他はメイド隊の侍従達が二十人ほど、身の回りの世話などで同行してくれる手はずとなっている。
マリエル一家はシンシアと以前に約束していた事もあるが、里帰りをするのに丁度良いと考えて誘ったのだ。
家族全員で首都に引っ越して来た訳だが、それでも自分達が暮らしていた村の様子が気にならないはずがない。
あそこには思い出が沢山詰まったマリエル達の家があるのだから――
元公爵の行った悪政の所為で食べる物にも困るくらい状況の悪かった街や村には、二年間の特例措置として税の免除も通達してある。
救援物資とその後の対策で少しはマシになっていると思うが、俺も実は気にはなっていた。
自分の領地で餓死者など出したくはない。
「……本当にカリバーン≠ナ行くの? マリアの船で行かない?」
「領地視察はお兄様の公務なのですよ?」
何を仰っているのですか、といった様子で当然のようにそう答えるマリア。『カリバーン』と言うのは俺の船、黄金の船の船名だ。
マリアが俺のためにハヴォニワ一の技師に製作を依頼し、軍と結界工房の協力を得て最先端技術の粋を集めて造らせたという特別製の船だ。
悪気が無いのは分かってるんだ。でも正直、金色と言うのは悪趣味極まり無いと思わないか? ピカピカ光ってるんだぜ?
それはもう自己主張しまくりで、襲ってください狙ってくださいと言わんばかりの派手な外観。お忍びや隠密と言った行動に、あれほど向かない船は他に無いと思う。
まあ、今回の視察はお忍びではなく歴とした公務な訳だが、それでも黄金≠ヘない。
目立ちたくなくても目立ちまくる船。それが俺の船だ。
「お兄様に相応しい船となるとアレ以外にありませんし、下手な軍艦を護衛に付けるよりもあの船の方が安全ですのよ?」
「うん。それは分かってるんだけどね……。あれはちょっと目立ち過ぎるというか」
「お兄様の良いところは慎み深い事だと分かっていますが、余り謙虚すぎるのもどうかと思いますわ」
確かに、あの船の性能の高さは俺も理解しているつもりだ。
亜法攻撃を弾く船体に、動力には結界工房ご自慢の最新型の亜法結界炉が用いられ、搭載されている聖機人は最低でも俺とコノヱの専用機が二体、それにタチコマが十機とハヴォニワ正規軍の基準から考えても、旗艦クラスの戦力を備えている。
マリアの言うとおり、下手な軍艦に護衛してもらうよりも、ずっと安全だ。
とは言え、あの船はやはり目立ち過ぎだ。マリアの言葉とは逆に、俺的にはもっと謙虚にして欲しいくらいだった。
その辺りも王族と庶民の感覚の違いなのだろうか?
成金趣味と思われたくはない俺に、マリアは何かと言うと金飾を施した物を身につけさせようとする。
黄金の船然り、黄金の胸当て然り、果ては公務の礼装まで金飾が施されている始末。
そのため、最近は身の回りの物を準備する時は自分で揃えるか、マリアにではなくマリエルに一任する事にしていた。
マリエルに全部任せる有無を話すとマリアは不満そうだったが、この上、普段着一式まで金で統一されては堪った話では無い。
「いいですか? お兄様は貴族。それも聖機師であり、大商会の代表でもあります。その事をもっと自覚して――」
その後、貴族とは何たるか、大商会の代表とはどうあるべきか、とマリアの説教を延々と聞かされる羽目になったのは言うまでもない。
爵位を授かり一年半。一向に庶民感覚の抜けきらない俺だった。
【Side out】
【Side:マリア】
お兄様には困った物だ。普段からお兄様が質素倹約を心掛けている事は知っているが、それとこれとは話が別だ。
将来、国を治めようかという御方があの調子では困る。自己顕示欲の強いシトレイユ貴族の半分でもお兄様に物欲があれば、と常々思っていた。
出来れば普段着の方も、もう少し上等な物を着て頂きたいと思うのだが、それも全然聞き入れてもらえない。
説教臭くなってしまったが、これも少しでもご自身の立場を自覚して欲しいと願う、心配から来るモノだった。
王侯貴族が着飾るのは何も目立ちたいから、と言う訳ではない。そう言う人も中には居るのかも知れないが、主な理由は公の前に出て恥ずかしくない格好を、品格を疑われないようにするためだ。
王族など人の上に立ち模範を示す立場であれば尚更、第一印象で舐められるような事があっては困る。貴族社会では、そうした見栄や建て前と言うのが依然として重視されるのが常識だ。
そうした事を気にされないのがお兄様の良さである事は重々承知しているつもりだが、ご自身の立場と重要性を理解して、もう少し人の上に立つ者として相応しい身形と佇まいを心掛けて欲しいと考えていた。
「お兄様の考えも分かるのですが……聖地に赴く以上、これだけは譲れませんわね」
お兄様が普段余り着飾らない、贅沢をされないのは、全て民のためだ。
庶民の視点で、庶民の立場に立って彼等の生活を知る事で、政策にそれを活かそうとされているのは分かる。
その結果は確かに出ている。商会の活動にせよ、領地の運営にせよ、お兄様の行ってきた方策はハヴォニワの民に大きな利益として還元されている。
それ故に、国内でのお兄様の評価は高い。特に平民からの支持が高く、その人気の高さは歴史上、他に類を見ないほどだ。
私も民から大きな支持を受けているが、それも実際にはお兄様の協力無くしてはなし得なかったものだ。
「もう少しお兄様にはご自身の立場を自覚して頂かないと」
ハヴォニワだけの話であればいいが、聖地学院に入学されてからもずっとこの調子では困る。
そんな事で、お兄様が何も知らない者達に軽く見られるのは我慢が成らない。
だからこそ、何とかならないかと考え、お姉様(水穂)に相談を持ち掛けたのだが――
「うーん、確かにマリアちゃんの言う事にも一理あるわね」
「お姉様なら分かってくださると信じていました。ですから、お兄様にはもっと着飾って欲しいのです」
「でも、太老くんが今よりも格好良くなって目立ったら、もっと恋敵が増えるかも知れないわよ?」
「――!?」
その後、お兄様にもっと自覚を促すかどうかで激しく心を揺さぶられ、私は大いに頭を悩ませる結果となった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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