【Side:太老】
「ここがキャイアの家か」
「そう言えば、太老様はキャイア・フランと面識があったんでしたっけ?」
「ああ、うん。ワウはキャイアの事を知ってるの?」
「まあ、人並みには。一方的に知ってるって言った方が正しいですけど」
ナウアにアルバムを見せてもらったりして、キャイアの事は知っていたと話すワウ。意外と娘馬鹿な人物のようだ。
後はラシャラの護衛機師としても有名で、聖地学院でも指折りの実力を持つ女性聖機師という事で、噂程度には耳にしているという話だった。
「そう言えば、マリア様に聞きましたよ。剣を持ったキャイアに素手で勝った事があるとか」
「ああ、あれね……。でも、あれはな」
ワウの話ではかなり凄いみたいだけど、キャイアがどの程度の実力者か、俺はよく知らないんだよな。
聖機師としての実力は見た事が無いし、ワウの言うように勘違いから剣を向けられた事はあるけどアレは事故みたいな物だし、ちゃんとした実力が今一つよく分からない。
ラシャラの護衛機師を務めるくらいだからユキネと同じくらいかな、と予想は付けているのだがアレでユキネは結構強いしな。
キャイアに素手で勝った事を凄いと褒めてくれるワウを見て、まあそれなりに実力はあるのだろうと考える事にした。
ちなみにワウの強さは聖機師としては中の上、上の下と言ったところらしい。これでも聖機工としては優秀な方なのだとか。
基本的に聖機工を志すような人物は聖機師としての資質が低い事が多いらしく、尻尾付の聖機師としても有能な資質を持つ聖機工というのはかなり少ないそうだ。
それならば、とユキネやコノヱの訓練に参加してみないかとワウを誘って見た事があるのだが、
『あんな規格外な人達と一緒にしないでくださいよ!?』
と断固拒否された事があった。余程、嫌だったらしい。そのワウの反応からも、俺の周囲の女性達が相当の実力者だという事だけは分かった。
まあ、考えてみるとユキネもコノヱもハヴォニワで一、二と謳われるほど有能な女性聖機師って話だしな。
ああ、ちなみに水穂は例外中の例外だ。生身で聖機人を相手できるほどの武術の達人を、この世界の平均的な人間の枠組みに入れてはいけない。『瀬戸の盾』を相手にするなら、聖地の女神か本物の鬼や悪魔くらい連れて来ないと無理だ。
いや、まあ……その鬼や女神すら、水穂を本気で怒らせて無事ではいられない訳なんだけどな。
「太老様。どうやら、呼び鈴も壊れているようです」
「ええ……。てか、本当に放置状態なんだな……」
「随分と使われてないって話ですからね」
マリエルも、さすがにこの屋敷の荒れ具合は予想外の物だったらしい。ワウもここまでとは思っていなかったらしく、少し呆れ気味だ。
見た感じブロック造りのそこそこ大きな屋敷だし、屋敷を管理する使用人くらいいても不思議じゃないと思うのだが、そうしたのも全く居ないそうだ。
だからこそ秘密の会談には打って付けの場所というワウの話だったが、さすがにこれは……お化け屋敷と言っても差し支えない。
「誰も住まなくなってしまって、勿体ないって事で全部引き払ったらしいですよ。元々、使用人も年老いたお婆さんが一人と村娘が二人しか居なかったそうですし」
「この屋敷に使用人が三人!?」
「ええ、まあ……」
ワウの話では、フラン家はシトレイユ皇国の爵位こそ賜ってはいるものの、それほど裕福な家系では無かったそうだ。
そこに加えて聖機工でもあったナウアの私的研究費や、将来のためにと娘二人を通わせていた貴族学院の授業料など、以前からフラン家の財政は厳しかったという話だった。
キャイアがラシャラの護衛機師になったのも、もう一人の姉が聖地学院で教師をするようになったのも、そんな家庭の事情を考慮した結果でもあると聞かされて、なんだか世知辛い物を感じずにはいられなかった。
「……ああ見えて、キャイアも苦労してるんだな」
「太老様。玄関の扉は開いているようです」
「開いてるって……鍵が壊れてるだけじゃ」
「ええ、まあ……その通りなのですが……」
マリエルの手元を見て、冷や汗が溢れる。回すと取れるドアノブって時点で、ボロイなんてレベルの話では無かった。
「ナウアさんは先に着いてるんだろう? ワウ」
「ええ、そのはずですが……」
なら、お邪魔させてもらおう、と言って扉を開け放った時だった。
「――え?」
――ヒュンッ!
目の前をかすめる剣の切っ先。幼い頃から培ってきた鍛錬の賜物か、条件反射でギリギリのところで身体が仰け反る。
家に帰ってきて扉を開けるとそこには罠があった、なんて当たり前の日常生活だったしな。
柾木家での唯一の平穏はご飯時くらいだった。食事の最中に馬鹿騒ぎをすると、砂沙美やノイケが黙っていないからな。
阿重霞と魎呼はよくオカズの取り合いをして罰を受けてたっけ――と思い出に浸っている場合じゃない。
なんで、扉を開けると行き成り目の前に剣が? また刺客か、と思って直ぐ様身構えたのだが――
「かわされた――って、太老様!?」
「ん……キャイア?」
目の前には剣を構えたキャイアの姿があった。
いや、お約束と言えばお約束だけど、なんかキャイアと会う時っていつもこんな感じじゃないか?
さっきワウと昔話をしていたところで、また直ぐに剣で襲いかかられるとはデジャヴもいいところだ。
「キャイア。何の騒ぎ――」
「ナウア様! 太老様をお連れしました!」
「ワウ!?」
玄関正面の階段を上った先、玄関ホールを見渡せる二階の廊下に、見た目四十過ぎの体格のガッシリした男性の姿があった。
異世界の伝道師 第183話『秘密の商談』
作者 193
「……本当に申し訳ない。態々、このようなところまでご足労願ったというのに、娘がとんだ粗相を」
俺の目の前で、机に頭を擦りつけて謝罪しているこの人物が、ワウの師匠でありキャイアの父親。ナウア・フラン氏だ。
結局、キャイアの件は直ぐに誤解だと分かった。俺達の事を賊か何かだと勘違いしたらしく、相手を確かめもせずに剣を抜くそのそそっかしさは以前と全く変わり無かった。
欲を言えば以前の教訓を生かして少しは成長してて欲しかったのだが、そこは敢えて何も言うまい。
「うっかり、正木卿がこちらに来られるのを娘に話し忘れていた私にも責任はあります。どうか、寛大なご処置をお願いしたい!」
そんな重要な事をうっかり話し忘れないで欲しかった。お宅の娘さんは猪武者なんですから――
しかしそう考えると何となくではあるが、ワウの師匠でキャイアの父親と言われても違和感の無い人物だ。
キャイアのうっかり属性は、父親譲りの遺伝という事か。うむ、そう考えれば納得が行く。
道理で以前と比べてもキャイアに成長が見られない訳だ。遺伝による物なら仕方が無いな。
「まあ、幸い怪我もなかったですし……後で軽い罰を与える程度で十分かと」
何もお咎め無しとは行かないが、後でコノヱと同じ罰でも与えておけば十分だろう。
一応、ラシャラの護衛機師だしな。下手に問題を追及して、事を荒立てたくない。これ以上の面倒事は勘弁して欲しかった。
「そう言って頂けると助かります。このお詫びは後日必ず――」
余り期待はしていないけど、そこは素直に頷いておく事にした。相手にも面子という物があるしな。
それで当事者のキャイアはどうしているのか、って?
今回の会談は、結界工房と正木商会の技術提携を踏まえた重要な商談でもある。ナウアの娘とはいえ、部外者を同席させる訳にはいかないだろう。
さすがに、そのくらいの常識は俺にだってあるぞ。これでも組織のトップだ。立場は弱いけど……。
そうした事もあってキャイアにはマリエルや侍従と一緒に、ナウアの許可を貰って屋敷の簡単な修繕と掃除の方をお願いしていた。
今日はこの後、遅くまで話し合いが続く事になるだろうし、夜が更けてから山を下りるのは危険過ぎる。一晩はここで夜を明かす必要がある以上、せめて寝られる環境は整えておく必要性があった。
実際のところ、俺は別に毛布が一枚あればどんな環境でも寝られるのだが、どうにも綺麗好きのマリエルは納得の行かない様子で屋敷の大掃除が始まってしまったと言う訳だった。
「それでは、商談に入らせて貰っても構いませんか?」
「ええ。俺もそのつもりでここに来ていますし」
「では早速。ワウ、例の資料を――」
「はい。ナウア様」
部屋の照明が消され、ナウアの指示でワウが小型の投影機を操作して、机の上に次々に資料の立体映像を投影する。
今回、ナウアが商会に技術提携を要請するにあたって、結界工房からだせる技術と人員をプロモーションした資料だ。
当然、俺の方も水穂と相談して幾つかの資料を用意してあるが、そこに提示されていた物はこちらが予想していた物よりもかなり真に迫った具体的な内容の物だった。
その事からも、ナウアが本気で俺達との技術提携を結びたいと考えている事が窺える。
だとすれば、後は条件面での交渉と――
「なるほど。そちらが本気で交渉に臨んでいるという事はよく分かりました」
「それでは――」
「技術提携を結ぶ事に関しては、こちらも異論はありません。ただその前に一つだけ確認して置きたい事が」
「何でも質問なさってください」
「では、遠慮無く。この事を教会は知ってるんですか?」
実は一番知りたかったのはそこだった。結界工房と教会の関係。それは俺達が考えているような簡単な物では無い。
技術力では教会に次ぐとさえ言われる結界工房だ。ハヴォニワが技術大国と言われているのも、この結界工房が自国領内に存在する事に所以している。ハヴォニワを代表する交通手段の一つである高地間鉄道も、この結界工房の協力無くして完成は無かった。
俺の黄金の船『カリバーン』に使われている技術の幾つかも、この結界工房の技術が元になっている。中には教会も所有していない先史文明の遺産や資料も数多く結界工房には保管されているという話もあるくらいだ。
だからこそ教会も、結界工房を国家と対等の組織として扱いつつも、適度に牽制し監視するといった姿勢を取っていた。
しかしここで問題となるのが、正木商会と教会の関係だ。不仲とまでは行かないまでも、技術や機密情報の開示などを巡っては教会とは今でも水面下で交渉と言う名の争いが続いている。俺の屋敷や商会に送られてくるスパイのうち凡そ半数が教会からのモノ、といえば大体は察してもらえると思う。
そんな中で結界工房と正木商会が手を結ぶなんて話になれば、あの教会が黙っているとは到底思えない。
こちらが提供した技術や情報が、結界工房を通じて教会に漏れるといった可能性も十分に考えられた。
「いえ、教会はこの件に関与していません。全ては私の独断による物です」
「……それは結界工房の総意では無いと?」
「正確に言えばそうです。私の研究グループと賛同を得た工房の技師達からの要請という事になります」
結界工房といえど、一枚岩ではない。
そこで働く技師達の出身は様々で、結界工房で生まれ育った者も居れば、高地を始めエナの海の各国出身の技師も少なく無いという話だ。
ナウアもそれを言えば、シトレイユ出身の貴族の一人だ。当然、研究内容や出身地によって派閥も存在して、ナウアが代表を務めるチームは結界工房でも最大派閥と呼ばれる主流のチームらしいのだが、それ以外にも大小様々な研究グループがある。中には予想通り教会よりの派閥も存在するようだ。
「商会が教会に対して不信感をお持ちなのは承知の上で今回の話をお願いしています。信じて頂けるかは分かりませんが、我々は決してそちらの情報を漏らすような事は――」
「ああ、聞きたかったのはそれだけですから。別に疑っているとか、そう言うのじゃないんで」
「……は?」
教会が関与していれば断られるとでも思ったのだろうか、ポカンとした表情を浮かべるナウア。
まあ、正直それに関してはナウアが情報を漏らそうが漏らすまいが、こちらとしてはどちらでも良かった。
こうして秘密裏に商談を進めても、いつかは教会にバレる事になるだろうし、情報なんて全て隠しきれるモノだとは思っていない。
「そんな訳で無理に隠す必要は無いんで、堂々とやっちゃってください」
「正木卿……それはどう言う?」
「あの……ナウア様。深く考えるだけ無駄だと思いますよ。太老様、それ水穂さんの入れ知恵ですよね?」
「あ、やっぱり分かった?」
ナウアに教会が関与しているのかどうか聞きたかったのは、何も情報が漏れる事を恐れたからではない。
寧ろ逆で、結界工房と正木商会が手を結んだ。教会にその事実を知って欲しかったのだ。
それからすれば技術提携なんて、俺達にとってはオマケのようなものだ。
「技術提携は要請通りお受けします。その代わり、ナウアさんには一蓮托生。俺達の悪巧みに付き合ってもらいますよ」
状況が掴めず困惑した様子のナウアに俺は口元をニヤリと緩め、そう言い放った。
【Side out】
【Side:マリエル】
「はあ……。もう結構ですから大人しくしていて頂けますか?」
「ごめんなさい……」
キャイア様が片付けられたという部屋……いや惨状を目の当たりにして、私は深くため息を漏らした。
どうやったら片付ける前よりも散らかった部屋になるのか教えて欲しい。貴族の方なら自分で掃除や片付けをされた事が無くても不思議な話ではないが、しかしそれを差し引いても些か度が過ぎる不器用さだった。
それに聖地学院では花嫁修業も授業の一環に組み込まれているという話なのに、キャイア様はどうされているのだろうと本気で疑問に思ってしまったくらいだ。
「ううぅ……もう、ラシャラ様に会わせる顔も無いわ」
「先程の事を心配されているのでしたら事故のようなモノですし、そう深刻に心配なさらなくても大丈夫だと思いますよ?」
太老様の事だ。あの場で特に何も言わなかったという事は、キャイア様に重い罰を科すような真似はなさらないはずだ。
何もお咎め為しというのはさすがに無いとは思うが、精々コノヱ様と同じような罰が与えられて終わりが関の山だろう。
どちらがマシかは私には判断が付きかねるが、本来であれば極刑に処されても不思議ではない過ちを犯すところだったのだから、それでも優しい罰だと言える。
あの場にいた人間は誰一人、あの程度で太老様を暗殺できるとは思っても居なかった訳だが――
「一回目ならともかく、実はこれで二度目なのよ……」
キャイア様の話は、私が太老様にお仕えする以前の話だ。その話は実はマリア様からお聞きした事があった。
その時にも、そそっかしい方が居るものだ、と思ったが二度も勘違いから同じ人に斬り掛かるのだから筋金入りと言って良い。
まあ、二回とも相手が太老様だったのが不幸中の幸いだったのかもしれないが……。
一回目でも二回目でも、相手はあの太老様だ。キャイア様が心配されているような重い罰は間違い無くないと言いきれる。
あの方は悪意ある相手には徹底的に容赦の無いところがあるが、そうでない場合は些細な事を気にされる御方ではない。
命の危険に晒されていながら平然と、『いつもの事だから』なんて笑って仰れる御方だ。その優しさと器の大きさに助けられた者達も少なくない。私やここに居る侍従達もその一人だ。
「えっと……マリエルさんだっけ?」
「マリエルで結構ですよ。キャイア様」
「それじゃあ、マリエル。太老様とは付き合いが長いのよね?」
「キャイア様ほどでは無いと思いますが、まあそこそには……」
「私は面識があるとは言ってもそれほど親しい訳でも無かったし、第一印象がアレだったしね……。マリエルから見て、太老様ってどんな人?」
部屋の掃除をテキパキとこなしながら、キャイア様の話に耳を傾け受け答えをする。
太老様の事を訊かれてどんな方かと問われれば、一つしか答えようが無かった。
「太老様ですか? とてもお優しい方ですよ」
「えっと、そう言うのじゃなくて……。なんて言ったらいいのかしら? 普段の太老様とか、あなたしか知らないようなエピソードとか」
普段の太老様を知りたいと言われて、真っ先に思い出されたのは昨日のマッサージの件だった。
あれは今思い出しただけでも耳が真っ赤になる。後になると恥ずかしいやら残念やら、何とも言えない自己嫌悪に陥った。
だと言うのに太老様は、『マリエル、気持ちよかった?』と悪びれた様子も無く、真顔で聞いてくる始末。
勘違いした私も私だと思うが、それはあんまりです、と思わず訴えたくなったのは言うまでも無い話だった。
「えっと、マリエル?」
「あっ、はい! そうですね。とてもマッサージがお上手です」
「……マッサージ?」
「はい。キャイア様も一度お願いしてみては如何ですか?」
ポカンとした表情を浮かべるキャイア様。行き成りマッサージの話をされても困るだろう。私も少し頭が混乱していた。
「えっと……まだ仕事がありますので、この辺りで」
「ああ、ごめんなさい。変な事を聞いて……。それじゃあ、私は邪魔にならないようにそこら辺で大人しくしとくわ」
マッサージの件は思い出しただけでも身体が熱くなってくる。羞恥心を隠すように話も早々に切り上げて黙々と掃除をこなす。
キャイア様には悪いが、余り根掘り葉掘り訊かれたい話ではなかった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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