【Side:キャイア】

「はあ……」

 ため息ばかりが溢れる。学舎へと続く遊歩道脇のベンチに腰掛け、またいつものように考え事に耽っていた。
 鍛錬にも全く身が入らず、仕事の最中もあの白と黒の聖機人の事ばかりが頭を過ぎる。
 私の惨敗だった。毎日、剣の鍛錬を怠った事は無い。ラシャラ様の護衛機師に選ばれるだけの実力は自分でも備わっていると自負していた。
 だけどその自信が、あの一戦で脆くも崩れ去った。上には上が居る事くらい理解しているつもりだったが、それでもアレは桁が違い過ぎた。
 聖機師としての資質もそうだが、技術の面に置いても相手は私の遥か上を行っていた。

 相手の方が強かっただけ――答えは単純だが、だからと言ってそれで全てを納得できる訳ではない。
 ラシャラ様の護衛機師という身でありながら、何も出来なかった自分が嫌になる。
 ミツキさんがいなかったら、あそこにワウがいなかったら、ラシャラ様は敵の手に落ちていた。最悪、殺されていたかもしれない。
 ましてや、強い亜法波にあてられて気を失うなど……聖機師として一番恥ずかしい負け方だった。

 ――誰かを言い訳にするでない。答えは御主の中にしかないのじゃからな

 以前、ラシャラ様に言われた言葉が頭を過ぎる。
 ダグマイアの事にしてもそうだ。聖武会の一件、あれは本当にエメラの独断だったのか?
 それとも、ダグマイアが裏で糸を引いていて、噂通りに彼女を身代わりにしたのか?
 ずっと気に掛かっているのに、その事を直接、彼に問い質す勇気すらない。

「私、何やってるんだろう……」

 やる事為す事、全て空回りばかりだ。
 真っ青な空を仰ぎながら、私はまた一つ大きなため息を溢した。そんな時だ。

「良い天気ですね」
「え?」

 見知らぬ女性に声を掛けられた。見た感じ、姉さんと同じくらい。
 二十代前半。いや、落ち着いた物腰から察するに、二十代半ばから後半と言ったところかもしれない。
 胸元に白いスカーフ。紺の上着にズボンと、姉さんと同じ武芸科の教師が好んで着る動きやすい格好をしていた。
 身形やその物腰からも、ただの職員とは思えない。見た事の無い先生ではあるが、この春から赴任した新しい教師の方かと私は考えた。

「何か悩みがあるみたいですけど? よかったら相談に乗りましょうか?」
「えっと……あなたは?」
「あ、ごめんなさい。自己紹介が先でしたね」

 ごめんなさい、と微笑むその姿は、同じ女性の私から見てもドキッとするくらい綺麗な笑顔だった。

「私はこの春から教鞭を執るため学院に赴任してきた、カレンと言います」
「カレン先生……」
「それで? あなたの名前は教えてもらえないのかしら?」
「あ、すみません。私は――キャイア・フランです」

 思わず見とれていたなどと言えるはずもなかった。
 その鋭い瞳で見つめられると、どこまでも吸い込まれそうな気持ちになる。
 どこか、引き込まれる女性だった。一つだけはっきりと言える事は――

(この人、かなり強い。姉さんと同じ……それ以上かも)

 立ち居振る舞いを見ればある程度、武術の心得があるかどうか分かるものだが、目の前の女性は桁が違う。
 半分は直感のようなものだ。肌をピリピリと刺す危機感。私の本能が、彼女とだけは戦うなと警告を知らせていた。

「それで? 何を悩んでいたのかしら?」
「それは……」
「立ち入った事を訊いてしまったのならごめんなさい。ただ、ずっとベンチでため息ばかりを溢しているあなたを見て、少し放って置けなかったのよ」
「うっ……すみません」

 確かに場所を弁えない行動だったと自分でも過ちを認めた。
 こんな道の往来でため息ばかりを溢していれば、人目を引くのは当然だ。
 最悪、ラシャラ様の評判を落とす行為にも繋がりかねない。従者として、恥ずべき失敗だった。

「どうやら、訊いてはいけない質問だったみたいね。ごめんなさい」
「いえ……あの、こちらこそ、すみませんでした」

 謝るのはこちらの方だ。私自身、今のままではいけないと自覚していた。
 赤の他人にこんな風に心配をされて、ラシャラ様にも気付かれていないと思うほど私は鈍感ではない。
 主にまで心配をさせる従者など他にいない。私のやっている事は、従者としての心構えがどうかと言う以前の問題だ。
 でも、それが分かっていても、心の部分ではどうにもならなかった。

「それじゃあ、お詫びに――私と御茶でもしない?」
「え?」

 予想もしなかった突然の御茶の誘い。気付けば自然と首を縦に振っていた。

【Side out】





異世界の伝道師 第209話『太老の贈り物』
作者 193






【Side:太老】

「ここが剣士がお世話になってるって人の寮か。立派なところだな」
「う、うん……」

 立派な佇まいの独立寮が目の前に建っていた。マリアやラシャラの寮と比べても見劣りしない大きさだ。
 学院内に独立寮が与えられるくらいの人だから、さぞ由緒ある家柄の大貴族なのだと思う。
 寮の入り口に立てられた立て札には、『この先、グウィンデル領』の文字が記されていた。

 忘れてはならないのが王侯貴族や大貴族が住む独立寮には、もう一つの側面があると言う事だ。それが聖地に置ける大使館の役割だった。
 学生とはいえ、貴族の子息女や国を背負って立つ聖機師の卵達が通う学院だ。聖地は世界の雛型。中立地とはいえ、国同士のしがらみが全く無いと言う訳では無い。
 それが原因で、酷い時にはイジメや決闘なんて騒ぎにも発展する恐れがあるくらい、国同士の問題は厄介だと聞いている。
 そうした問題が発生した時、当事者の間で解決できない国際的な問題が持ち込まれるのが、この独立寮だった。
 王侯貴族や大貴族が皆、学院の生徒会に所属しているのは、そうした時の交渉役を務めるためでもある。言ってみれば、各国を代表する大使のような役割も兼ねていた。
 後は災害や事故に備え、緊急時の避難場に使われる。尤も、主な役割は本国と学院を繋ぐ連絡の窓口と言ったところだ。

「あれ? インターフォンは?」
「太老兄……。ここは異世界だよ? そんなのある訳が……」
「え? うちにはあるんだが?」
「……いや、ごめん。太老兄だもんな……。うん、常識なんて通用するはずが……」

 何やらブツブツと独り言を呟いている剣士。あれ? インターフォンって最初から無かったっけ?
 最近、ハヴォニワでの便利な生活に慣れすぎて、この世界の普通の生活水準が分からなくなってきていた。そう言う意味では、剣士の話は軽いカルチャーショックだ。
 ハヴォニワと他国を比べると、文化や風習だけでなく生活水準も大きく違う。水穂や俺が手を加えた所為で、ハヴォニワ都市部の生活レベルは近代の日本と比べても遜色のないレベルにまで達しているが、全ての国が同じとまではさすがに行かない。
 ハヴォニワ国内ですら、都市部から少し離れた片田舎にいけば、未だに水道すら完備されていないところで人々は生活を送っているくらいだ。
 俺がハヴォニワ以外で行った事がある国といえば、シトレイユくらいしか無いので、こうして他国の文化に触れるのはこれが初めての経験だった。

(まあ、地球でも進んでるところと後れているところはあるもんな……。他の国に浸透するにはまだまだ時間が掛かるか)

 人は便利な生活に自然と慣れていくものだ。
 水を汲む行為一つにしても、井戸から水を汲んでくるよりも蛇口を捻れば水が出て来る方が楽で良いに決まっている。
 この世界は便利なようでどこか中途半端な物が多く、中世の街並みに近代技術を持ってきたような不自然さが目立つ。
 恐らくは先史文明から伝わる技術に頼っているため、根本的な思想が抜け落ちているのが原因では無いかと俺は考えていた。
 技術があっても、本当の意味でそれを使いこなせていないのだ。自分達で設計した訳ではない、よく分からない技術を使っているのだから当然だ。

 だが、哲学士の本分はそうした技術の組み合わせにある。マッドではあるが、『伝説』とまで言われた哲学士を仮にも師に持つ俺だ。
 こちらに来てから亜法技術に関する文献や資料には隈無く目を通させてもらったし、軍の工房に出入りしていたのも実際にそれをこの目で確かめ、知識として習得するためだ。
 哲学士と名乗るには未熟な俺だが、どう言った技術をどんな風に応用すれば、どんな使い方が出来るのか?
 その結果を知り、彼等には無い発想を持っている俺からしてみれば、この世界には無い新しい物を作り出す事など難しい話では無かった。

 それに水穂もああ見えて、銀河アカデミーの理事長を母親に持つ天才だ。
 本職と言う訳では無いが、その手の知識はそこらの科学者連中よりも博識だったりする。逆にそうでなければ、鬼姫の副官など務まるはずも無い。加えて言うなら商会に所属するグレースやシンシア、それにワウを始め、こちらの技術に精通した知識を持つ、有能な人材が揃っている事もハヴォニワの技術力が他国よりも優れている要因にあった。

「俺の後についてきて。カレンさんなら、寮の中に居ると思うから案内するよ」
「了解。あ、彼女達も一緒にいいかな?」
「あ、うん」

 後に控えている三人の侍従達を見て、剣士に確認を取った。
 他の侍従達は連絡係を兼ねて先に寮に帰って貰ったのだが、この侍従達は剣士を間違って襲撃してしまった事をまだ気にしているようで、『荷物持ちをさせて欲しい』と後をついてきたのだった。
 彼女達が手に持っているのは、ここの主への手土産だ。仮にも身内がお世話に成っている以上、手ぶらで何も無しと言う訳にはいかない。
 恩には恩を持って、礼には礼を持って接する。
 異世界に放り出され右も左も分からず困っていた剣士によくしてくれた恩人に対し感謝するのは、仮にも剣士の兄貴分を名乗る身として当然の事だ。

(寮の作りは、マリアのところと余り変わらないみたいだな)

 独立寮は景観を損なわないよう、聖地で作られた建物を基準としているため、どこの寮も外観はそれほど変わる物では無い。
 違うところといえば、生徒が独自に用意した設備や内装くらいのものだ。うちで言う商会用の設備や工房などが例に挙げられる。
 ハヴォニワはどちらかと言うと機能性を重視して目立たず控え目な物が多い一方、シトレイユは見た目重視の煌びやかな物が目立つ傾向にある。ラシャラの寮などはまだマシな方だ。ワウの工房を覗くついでに少し寮の方も見せてもらったが、シトレイユの皇と言う事でそれなりの物を揃えてはいるようだが、下品にならない程度に抑えている事が窺えた。
 剣士が暮らしているというグウィンデルの独立寮は、そんなハヴォニワとシトレイユを足して二で割ったような作りをしていた。
 見た目にはかなり気を遣っている事が窺える一方、過度な調度品は置かず、手入れのし易さ使い易さを重視した内装になっている。

「ここで待っててくれる? カレンさんを呼んでくるから」
「ああ、悪いな。じゃあ、遠慮無く待たせてもらうよ」

 三十畳は軽くありそうな広い応接間へと案内され、そこで剣士に待つようにと言われた。
 カレンと言うのが、剣士がお世話になっている人で間違いないだろう。名前から察するに、やはり女性と言う線は間違っていなかったようだ。
 余り、他人の家で勝手にウロウロとするのは良くない。どんな人かは気になるが、ここで大人しく剣士の帰りを待つ事にした。

【Side out】





【Side:剣士】

 てっきり、部屋に居るものとばかりに思ってたのに、カレンさんの姿は無かった。
 屋敷のどこにも姿が見えないところを見ると、どこかに出掛けたのは間違い無い。内心、太老兄に会わせなくて済んだ事にほっとした。
 どの道、いつかは紹介しないと行けない訳だし問題を先送りしただけに過ぎないが、少なくとも心構えをする時間だけは出来た。
 カレンさんと相談をして、今後の対応を考えてからでも遅くはない。そんな事を考えながら、太老兄を待たせている応接間に向かった時だ。

「話し声が聞こえる? また、何かやってるのかな?」

 随分と楽しそうな談笑が、扉の向こうから聞こえてきた。侍従さん達と何かやっているのだろうか?
 他人の家なんだから、もうちょっと遠慮して欲しいものだけど太老兄はああ言う性格だし、そこは半ば諦めていた。
 取り敢えず、カレンさんは留守にしている事を伝えて今日のところは帰ってもらおう。
 そう考えて、扉を開いたところで思考が停止した。

「おっ、剣士遅かったな」
「あら? 剣士くん。あなたも、こっちにきて一杯やらない?」
「カレン先生……。未成年にお酒を勧めるのはどうかと」
「キャイアちゃん、こう言う席では固い事は言わない約束よ? それに、これがどういったお酒か知ってる?」
「い、いえ……高そうなお酒だとは思いますけど……」
「皇家の樹の実で作った果実酒よ! 果実酒! ああっ、まさかこのお酒がこんなところで飲めるなんて!」

 目を輝かせて酒瓶に頬ずりをするカレンさん。それを見て、俺はその場に両手両膝を付いて突っ伏した。
 カレンさんの浮かれようと言ったら無い。
 お酒に目がないのは知ってたけど、太老兄の持ってきたお土産の酒で既に出来上がっていた。
 俺の心配は一体なんだったんだろう……。太老兄と再会してから、心労ばかりが溜まっている気がする。

「皇家の樹の実のこと、よく知ってましたね?」
「……え?」

 目を丸くして、その場で固まるカレンさん。
 太老兄は何も考えて無いようにみえて、こちらがドキッとするようなところを平然と突いてくる事がある。
 余程、大好きなお酒を貰って嬉しかったのか、カレンさんらしくないミスをしてしまったようだ。

「そ、そう! 剣士くんに聞いてたんですよ! ねっ? 剣士くん!」
「え、は、はい」

 行き成り話を振られて困惑したが、慌ててカレンさんの話に合わせる。どうにもあのお酒の事を言っているらしかった。
 皇家の樹の実――どこかで聞いた事がある名前だと思っていたけど、それって前に太老兄に分けてもらったジュースの材料に使われていたのが、そんな名前だったと記憶していた。
 あれって確か、太老兄の中学の入学祝いにと瀬戸様から送られてきたんだっけ?
 でも凄く貴重な物で、大金を幾ら詰んでも滅多に口には出来ない物だって、姉ちゃん達が言ってたような?
 なんでこの世界にそんな物があるのか、とか色々と疑問はあったけど『太老兄だから』の一言で納得してしまっている自分がいた。

「そう言えば、剣士はこれの天然百パーセントジュース飲んだ事があったな」
「ジュース!? しかも天然百パーセント!?」

 何故か、カレンさんに物欲しそうな目で睨まれた。

(いや、そんな顔をされても本当に困るんですけど……)

 太老兄、頼むから余計な事を言わないで。後で色々と追及されるのは俺なんだから――
 と目で訴えるも、それは無駄な行為だった。
 太老兄に悪気は無い。悪気が無いの分かるんだけど、もう少し俺の立場も考えて欲しい。

「惑星何個分の価値が……いえ、それよりも……」

 俯きがちにブツブツと何かを呟いているカレンさんを見て、後の事を考えると恐かった。
 太老兄が帰った後、色々と質問される事は確かだ。その事を考えると、深いため息が漏れる。

「そんなにお酒が好きなら、また持ってきますよ。売れるほどは無いですけど、個人的にお裾分けするくらいなら十分に数はあるんで」
「……え? 良いんですか!? だって、これ……」
「剣士がお世話になっているんですから、そのくらい当然ですよ」
「ありがとう! 困った事があったら、いつでもお姉さんに相談してね!」

 目を輝かせて、太老兄の手を握りしめるカレンさん。
 これが酒の魔力か……。あっと言う間に懐柔されてしまった。

(もういいや、深く考えるのはよそう……)

 その後、夜遅くまで宴会は続いた。
 こちらの世界にきて一番賑やかだったと思える夜。そして、向こうの家の事を思い出す、懐かしい一日だった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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