事件から三日。関係者には箝口令が敷かれているとは言っても、実際に被害者が出ている以上、噂や憶測を止める事は出来ない。
クリフ・クリーズが謎の大怪我を負い、その事件の熱も冷めないうちに男子生徒が四人……またも休学する事となった。
しかも、その男子生徒達が剣士やセレスを敵視していたと言う話もあり、今回も太老絡みの事件として生徒達の間で噂されていた。
以前にマリアが口にした『二人に何かあれば、ハヴォニワの姫と黄金機師が黙っていない』と言う話も、その噂の信憑性をより高める結果に繋がっていたと言える。
「どうしてアイツ等を止めなかったんだ! これじゃ、次は俺達が――」
「そう言うお前だって止めなかっただろうが! 俺だけの所為にするんじゃねえ!」
これに一番危機感を抱いたのは、クリフや休学する事となった男子生徒達と同じ、学院に在籍する男性聖機師達だ。
太老絡みの事件は学院と国も口を噤み、何かあったとしても自分達を守ってくれないことを彼等は知った。
教師や生徒会すら迂闊に手出しが出来ないはずの男性聖機師より、優位な立場を明らかにした太老。
彼がハヴォニワやシトレイユで行ってきた数々の功績を知っている彼等は、次に粛正されるのは自分達ではないか、と生まれて初めての恐れを抱いていた。
「どうする!? こうなったら、マサキ卿に頭を下げて――」
「そんな事をしたら学院中の笑いものだ! それにマサキ卿に声を掛けた連中は尽く相手にされず、結果はクリフさんの二の舞だ!」
「目を付けられたら終わりって事か……。それじゃあ、このまま大人しくしていた方が……」
「……どちらにせよ、俺達はよく思われていないのは確実だ」
「それじゃあ、どうすれば……」
お通夜ムードと言った感じで顔を青ざめ、良い案も浮かばずに頭を抱える男子生徒達。
普段から『革命』や『理想』を口にしていても、一番権力に固執しているのは彼等、男性聖機師だ。
享受している特権を失う事を、これまで何もせずに得てきた既得権益を損なう事を彼等は誰よりも危惧していた。
ダグマイアの作った思想集団に所属している男子生徒は、何も貴族や聖機師を無くしたいと考えている訳では無い。寧ろ、その逆だ。彼等は何者にも屈しない強い力を、今以上の権力を欲していた。
様々な特権を与えられてはいても、男性聖機師には同じくらい厳しい制約が設けられている。一定の義務さえ果たせば自由な恋愛と婚姻が許されている女性聖機師と違い、国によって管理され、その自由すら与えられていないのが男性聖機師だ。
だからこそダグマイアの言葉に賛同し、彼等は理想のために立ち上がる事を決意した。
「このままじゃ、理想どころじゃない……。やっぱり、俺達だけじゃ無理だったんだ」
「だからって、どうしろってんだ!」
国の政策によって籠の鳥と化している自分達の現状に不満を抱き、無能な為政者達を排斥し、本物の強者によって治められる理想の国――自分達に都合の良い理想の社会を作ろうと彼等は考えていた。
だが、それもダグマイアに続いてクリフがやられた事で、完全に計画は頓挫している状態にあった。
「やっと、お前達にも分かってきたようだな。マサキ卿の怖さが――」
「だが、気付くのが遅い」
『アランさん!』
『ニールさん!』
ダグマイア、そしてクリフと同じメンバーの中核を為す人物――アランとニールの登場に、希望を見出したかのように歓喜の声を上げる男子生徒達。
しかしその二人と一緒に現れた人物の顔を見て、男子生徒達は束の間の喜びから一転、悪い夢でも見たかのように表情を強張らせた。
アランとニール、二人の共通の友人であるダグマイアが聖武会の一件以来はじめて、メンバーの前に姿を見せたからだ。
「皆、最初に謝罪させて欲しい。これまでの事、本当にすまなかった」
アランとニールの二人を連れて現れたかと思えば、全員に深々と頭を下げるダグマイア。その行動に驚いたのは男子生徒達だった。
メスト家と言えば、シトレイユを代表する大貴族。その嫡子であり、尻尾付きの有能な男性聖機師として知られるダグマイアは、この学院の生徒達の憧れであり、カリスマ的存在だった。
それ故にダグマイアの不祥事は大きな話題を呼び、生徒達を大きく失望させる結果へと繋がったのだ。
あの噂があったとはいえ、ダグマイアが大貴族の跡取りで有能な聖機師である事に変わりはない。事実、生徒会に所属し、この聖地に置いて男の中で太老に次ぐ権力と影響力を持っているのは間違い無く彼だった。
常識的に考えれば、そんな立場にあるダグマイアが自分達に頭を下げてくるとは男子生徒達も思ってはいなかった。
異世界の伝道師 第227話『雇用契約』
作者 193
「ダグマイア、上手く行ったようだな」
「お前達が協力してくれたお陰だ。アラン、ニール」
アランとニールを使って注目を集め、真っ先に謝罪をしたのも全ては計算の上だった。
まずは誰が味方を自覚させ、正木太老という圧倒的な力を誇示する共通の敵を認識させる事で、意思の統一を図ったダグマイアの計画は上手く行った。
こうなる事を予測し、男子生徒達の行動を放置してタイミングを見計らっていたのだ。
全ては、再び思想集団をダグマイア・メストの名の下で纏め上げるために考えられた策略だった。
「しかし、彼等に上手く言ったものだ。下手をすれば、『男性聖機師の存在意義を脅かしかねない悪魔の理想』か」
「だけど、ダグマイアの言う事にも一理ある。彼の理想は甘く、とても魅力的に映るのも事実だ。特に一般人にとってはね」
ニールとアランが話す太老の掲げている理想と、彼等の目指している理想では、同じ理想であってもその意味は大きく違っていた。
太老は確かに『革命』や『理想』を実現してきた人物だが、その代わりに数多くの貴族を粛正してきた英雄だ。
彼が理想としている社会は、努力をした者が認められ、実力に見合った評価を正当に受けられる社会だ。
だが、そんな社会になれば無能な貴族だけでなく、男性聖機師も今までのような特権を享受するのは難しくなる。一般人には受け入れられても、生まれながらにして権力を欲しいままにしている権力者には受け入れ難い社会だ。
事実、ハヴォニワやシトレイユでも、貴族達の強い反抗を招いたのはそのためだった。
「確かに青臭い理想だが……奴には、その理想を現実にするだけの力がある」
青臭い理想と比喩しつつも、その力だけはダグマイアも認めていた。
周囲が甘い理想と笑うような話でも、それを現実にする力を持つ者が現れれば話は別だ。
行動によって常に結果をだしてきた太老は、まさに本物の英雄と呼ばれるに相応しい力を世界に示していた。
「だが、俺は奴を認める訳にはいかない」
常に自分の先を行く太老は、ダグマイアにとって理想をカタチにした人物であり、そして同時に決して認められない相手でもあった。
有能な男性聖機師であることは、ダグマイアがメスト家の跡継ぎとして父親に唯一誇る事が出来る自慢だった。
しかし太老は聖機師をこの世界に必要な物とはしつつも、特に重要な物とは考えていなかった。その事は今回の事件からも明らかだ。
それはダグマイアにとって生き方の根幹を揺るがされかねない、自身を否定されたと感じるくらいに屈辱的な事だった。
「しかし、具体的にどうするつもりなんだ? 正攻法でどうにかなるような相手ではないぞ」
ニールの言う事は尤もだった。正攻法でどうにかなる相手なら、これほど頭を悩ませたりはしない。
ただ聖機師としての資質に優れていると言うだけではなく、影響力、経験、知略と度量。
あらゆる点に置いて、自分達が正木太老より劣っている事は彼等も自覚していた。
「大貴族や大商会の代表という立場も関係しているが、奴の圧倒的な影響力の根幹にあるのは聖機師の資質だ」
「それはそうだが、だからと言ってどうするつもりだ? 戦いを挑んだところで結果は見えている。それは聖武会の一件からも明らかだ」
ダグマイアの言葉に、アランが疑問を持つのは当然だ。聖機師の資質は努力だけで、どうにかなるような簡単な問題ではなかった。
そして太老との差は実力だけでなく、資質の面でも歴然としている。その事は、ダグマイアが一番よく理解しているはずだった。
勝てないと分かっていて、相手の得意とする土俵で勝負をするのは勇気ではなく無謀だ。
しかしそれでも、ダグマイアは聖機師として太老を倒す事に拘りを見せていた。
「だからこそ、聖機師の奴を倒す事が出来れば、流れを一気に変える事が出来る」
「……それはそうだが、そんな事が可能なのか?」
「可能かではなく、やるしかない。出来なければ、我々は終わりだ」
ダグマイアの決意は買うが、アランはその言葉に半信半疑だった。
聖機師のプライド。結果より過程を重んじるのは、ダグマイアがまだ聖機師である事に拘っている証拠だ。
だが、ダグマイア自身が口にしたように失敗すればそこで終わりだ。確かに効果的な方法ではあるが、一番危険な賭でもあった。
口にするのは簡単だが、それだけでは幾ら友人とはいえ、ダグマイアを支持する事は出来ない。
この計画には自分達だけでなく、理想に賛同した男性聖機師全員の将来が懸かっているからだ。
「そのためにも……叔父上には父上への取次ぎを頼んでみるつもりだ」
「ダグマイア……本気なのか?」
「本気だ。そうでもしなければ、奴に勝つなど夢のまた夢だ」
あれほど嫌って避けていた叔父のユライトに、自分から頼み事をするとダグマイアは言った。
聖機師である事に拘りを見せてはいても、今のままでは太老に勝てない事はダグマイア自身が一番よく理解していた。
力が足りないのであれば、どこかから補ってくるしかない。意地を張って勝てる相手では無いと考えた末の結論だった。
アランはダグマイアの心境の変化に驚きを隠せず、ニールもそんなダグマイアを見て、彼の決意を再確認した。
◆
シトレイユの大都市と比べれば、街とも呼べないほど小さな集落が点在する小国。
そんな集落の一つに、セレス・タイトの生まれ育った村があった。
村にマリエルの手配した侍従が到着したのは、聖地での事件から一週間経っての事だ。
「ハヅキを奉公に? それにマサキ卿とは……まさか、あの『ハヴォニワの英雄』や『天の御遣い』と呼ばれている」
「はい。その正木太老様です。勿論、無理にと言う訳ではありませんが、ご承諾頂けるのであれば、それなりの条件を提示させて頂くつもりです」
こんな小国の片田舎にまで、正木商会と太老の名は広まっていた。
最初『ハヴォニワの英雄』とまで呼ばれている人物から自分の娘に声が掛かった事に驚き、半信半疑と言った様子で訝しげな表情を浮かべていたハヅキの両親だったが、普通では考えられないような待遇の良さと提示された前金を見て、嘘や冗談では無いと確信した様子で前向きな考えを示した。
それが、昨晩の事だ。
「よかったな、ハヅキ。こんなに良い話はないぞ」
「確り、奉公してくるのよ」
翌日、両親に見送られながらハヅキは、ハヴォニワから来たという侍従の案内で生まれた頃からずっと過ごしてきた家を後にした。
一晩家族で相談をした末の結論ではあったが、しかしそこにはハヅキの意思はなかった。
育ててくれた親のため、家族のために子が働く。この国では貴族のところに奉公として、若い娘が連れて行かれるのは珍しい話ではなかったからだ。
親が子供を売る。嫌になる話ではあるが、お金に困って奉公にだされる子供も少なくない。契約金は前払いで親に渡され、奉公としてだされた子供はただ働き同然で契約の期間、貴族の屋敷で働かされる事になる。表向き人身売買≠ヘ禁止されているとは言っても、こうした年季奉公はどの国でも日常的に行われていた。
そうしなければ暮らしていけないほどに、厳しい生活を強いられている平民がまだ数多く居ると言う事だ。
その事を考えれば、まだハヅキに提示された条件は、それに比べてずっと良い物だと言えた。
本来の奉公契約に近い支度金を前金として貰えるばかりか、その上で毎月の給金も保障されている。契約は本人の意思で、二年置きに更新が可能。しかも更新をせずに辞めた場合でも、特にデメリットがある訳でもない。このような好条件は他に無い。
両親にしても娘の事が可愛くない訳では無いが、これからの生活や将来の事を考えると、出来るだけ条件の良いところに奉公にだしたいと言う気持ちはあった。
こんな小さな村では、金になりそうな仕事などあるはずも無かったからだ。
街に出稼ぎに出たところで、教養の無い田舎娘を雇ってくれるところなど高が知れている。それにセレスとの一件で、ハヅキは村の中でも浮いた存在となっていた。
内心ではセレスと一緒になってくれればと考えていた両親だったが、男性聖機師と平民の娘では身分が違いすぎる。今となっては叶わない夢だと両親も諦めていた。
セレスを幾ら想っても会う事は疎か、手紙を出す事すら許されない。このまま村に残っていても、ハヅキが辛い思いをするだけだ。
それならばいっそ条件の良いところにハヅキを奉公にだそう、というのが両親の考えだった。
ハヅキもそんな両親の考えが分かっているだけに、『嫌だ』と反対する事が出来なかった。
セレスの事を嫌いになった訳では無い。今でもセレスがいつか迎えに来てくれると信じて、村で待ち続けたいという想いはある。
それでも、両親の重荷になってまで村で待ち続ける事が本当に良い事なのかどうか、ハヅキは真剣に思い悩んでいた。
小さな村だ。セレスとの事が噂になるのも大して時間は掛からなかった。
その事で良くない噂をされているのはハヅキだけではない。彼女の両親も同じだったからだ。
このまま自分が村に居続ければ、両親まで謂われのない誹謗中傷を受ける事になる。
そう考えたハヅキのだした結論は、両親の希望通り貴族の下に奉公に出る事だった。
「あの……これから、どこに?」
「街まで車で行って、そこから商会の船でハヴォニワに向かいます」
両親と別れを告げたハヅキは少し不安げな表情を浮かべ、案内の女性に行き先を尋ねた。
ハヴォニワと言われて、改めて自分が奉公する事になる屋敷の主の名前を思い出す。
ハヴォニワの大貴族『正木太老』――ハヅキからしてみれば、一生縁などあるはずもない雲の上の人物だった。
どうして、そんな人物に自分なんかが選ばれたのか、ハヅキには分からない。
ハヅキの両親が不思議に思ったように、その事はハヅキ自身が一番疑問に思っていた事だった。
「ご両親の事が心配ですか?」
「それは……」
「心配は要りませんよ。あの村の権利は既に商会が買い取っています。近々この国にも支部を作る予定でしたので、ご両親にもそちらから仕事を紹介させて頂くつもりです」
「……え? 村を買い取って?」
「はい。勿論、仕事の斡旋に関してはご両親が同意される事が前提ですが、お渡しした前金で当面は生活に不自由される事は無いと思いますし、毎月の給金の一部を仕送りにあてたとしても十分に生活は可能かと」
「え? そんなに頂けるんですか?」
「はい? 契約書をちゃんとご覧にならなかったのですか?」
ずっと考え事をしていて、どのくらい両親が前金をもらったのか、自分がどの程度給金を貰えるのか、ハヅキの頭には全く入っていなかった。
ハヅキが全く条件も確認せずに契約を交わしたのだと知り、てっきり説明を聞いていたと思っていた案内人は驚いた。
奉公契約の対象者は大半が未成年のため、保護者を交えて話をするが、雇用契約自体は本人と交わすのが普通だ。
両親に言われるままに契約書にサインをしたハヅキだったが、まさかそれを本人が把握していなかったとは案内人も思ってはいなかった。
「あの……私は買われたんじゃ?」
「なるほど……大体事情は呑み込めました。この辺りでは、まだそれが常識と。現地調達の職員には徹底させる必要がありますね……」
ハヅキがとんでもない誤解をしていると気付いた案内人は、事情を察して大きなため息を漏らす。
遂、この間まではハヴォニワでもよく見られた光景だったからだ。
「誤解の無いように言っておきますが、結ばれたのは正式な雇用契約です。通常の奉公契約と違い、毎月の給金もちゃんと支払われます。勤務中に怪我を負った際の保障など各種手当ての他、有給もありますよ。勿論、働きによっては昇給もあります」
「……え?」
「具体的には、このくらいですね。実際には三ヶ月の研修期間は二割カットされていますが……」
手慣れた様子で電卓を弾き、その数字をハヅキに見せる案内人。ハヅキはその数字を見て、目を丸くして驚いた。
前金の他にちゃんと毎月給金が貰えると言うだけでも驚きなのに、提示された額は二割カットしたとしても両親に仕送りをして生活をするに十分過ぎるほどの金額だったからだ。
「あの……本当にこんなに貰えるんですか?」
「勿論です。太老様はこうした事には厳しい御方ですから……正木太老様はご存じですよね?」
「はい……。でも、まだ信じられなくて……。どうして、私なんかを……」
「……あら? もしかして私、言ってませんでした?」
今頃になって、自分が一番大切な事を言い忘れていた事に気付く案内人。
先程までの毅然とした態度と違い、オロオロと『初めてのお使いなのに!』や『マリエル様に叱られる!』と慌てふためいていた。
遂にはハヅキの手を握って――
「この事はメイド長には言わないでください! お願いします!」
と泣きつく始末。
それもそのはず、ちゃんと事前に話をしていればハヅキの両親が不審に思う事も、ハヅキがこれほど不安に駆られる事も無かった。
しかも今回はメイド隊を統括するメイド長直々の命令であり、太老にも関係する重要な任務だった。
――このミスをマリエルに知られれば、最悪の場合『冥土の試練』送りになるかもしれない
と太老に関する事となると人が変わるメイド長の怖さを知る侍従であれば思い至って当然、極自然な反応だった。
「ハヅキ様が選ばれた理由でしたね。えっと、セレス・タイト様はご存じですよね?」
「セ……セレス!?」
予想もしなかった人物の名前がでて、これまでで一番の驚きの声を上げるハヅキだった。
……TO BE CONTINUED
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