とある国、とある場所。廃棄されたと思しき壊れて動かなくなった機械の山が、『鋼の森』を形成していた。
その最奥に、これまた奇妙な建物があった。
外観はスクラップ工場のようにも見える施設。しかし建物のなかに一歩足を踏み入れれば、そこには現実とは思えない灰色の世界が広がっていた。
何百、何千という数のケーブルが大樹のツタのように張り巡らされ、鉄の根の上を機械仕掛けのリス達が走り回る。カタンと言う音と共に専用の出入り口から戻って来たリスがその手に持っているのは、廃棄された機械の一部と思しき鉄のボルト。それをカリカリとかじり、体内に取り込み分解していく。
彼等はこの森の住人。そして働き手。
彼等が分解して吸収・再構成した物質は、この森の主の手で別の機械へと生まれ変わる。
その主こそ、この建物の持ち主にして彼等を作った創造主。
ここは、指名手配中の天才科学者――篠ノ之束の秘密工房だった。
「あーうー」
ごろん、ごろん。ごろん、ごろん。
身体を小さく丸め、退屈そうにゴロゴロと鉄の床の上を左、右にと転がる女性。
真っ青なワンピースに白いエプロンと腰の大きなリボン。頭の上で異彩な存在感を放つ機械仕掛けのウサミミ。
アリスとウサギが混在したかのような、奇妙な格好をした彼女こそ、篠ノ之束。
この工房の主にしてISをこの世に生み出した天才科学者――その人だった。
「電話がない……」
自分も転がったまま、床に転がっている携帯電話に目をやる束。そろそろ電話がかかってくる頃かなーっと、ずっと待っている電話がかかってこない。彼女の横には退屈を紛らわせようとしたのだろう、暇潰しの
産物が幾つも転がっていた。
一日待ち、三日待ち、一週間経った頃には「あれ、私忘れられてないよね?」と少し不安になった束。
いや、幾らなんでも……と今日まで待ち続けた結果がこれだった。
「うううっ……! ちーちゃんも全然電話くれないしー。あれかな、あれかな? 新手の焦らしプレイとかかな? さすがの束さんも、こんなのは予想してないんだよ!」
束の忍耐力は、そろそろ限界に達しようとしていた。
今すぐにでも飛び出して行きかねない勢いで束は絶叫する。寧ろ、よく保った方だ。これだけの期間、大人しく待てたこと事態が奇跡と言っていい。それほどに束は飽きっぽく忍耐強くなかった。
目の下にほんのりと浮かぶ黒いクマが語るように、天才は思考をやめない。いや、やめられない。常に新しいことを考え、求め、実行に移す。『二十四時間戦えますか?』と訊かれれば、『一日三十五時間戦えます!』と答えられる女、それが彼女だ。
天才は考えることをやめない。立ち止まらない。待つくらいなら行動に移す。そんな彼女が心待ちにする電話。それがかかってこない。
こんな風に彼女の予定にない出来事が、ここ数年度々と起こっていた。
もうひとりの天才によって調和が乱れ、束の予定にないことが頻発していたのだ。
常にヒトと距離を取り、壁を作り、余り他人に興味を持たない束が、珍しく名前を覚え、興味を覚えた人間。
それが――正木太老だった。
「はっ!? もしかして、これもたっくんの陰謀!?」
たっくんこと太老の仕業ではないかと考える束。さすがは天才、鋭かった。
太老が別に直接どうこうしたわけではないが、太老が一夏と接触を持った時点ですべての歯車が狂い始めたことだけは確かだった。
束がここでこうしていること自体、太老の所為と言えなくはない。この秘密工房は再建すること、ここで数えて九十九回目。太老に興味を覚えた束が、なんのアクションも取らないはずもなく、正木の関連会社や工房にハッキングするといった行為に何度もこりずチャレンジをしていた。
結果は惨敗。九十九戦九十九敗。次で大台の百回だ。その度に反撃を食らい、工房を失い、各地を転々とすることに。
世界一の天才にして世界最高を自負するハッカーですら、『正木』の壁は厳しく険しかった。だが、彼女にとってそれは目標であり、退屈凌ぎにもなっていた。
――ちゃらら〜♪
その時だ。束の携帯電話が音を立てた。
ばきゅーんばきゅーん、と銃声が聞こえ、その音に混じって『タマぁとったらんか!』と、某ヤクザ映画の名台詞を繋げ合わせた奇妙かつ斬新な着信音が鳴り響く。
ピンとウサミミを立て、ズバーッとホームにダイブする走塁者のように、束はその見た目とは裏腹の素早い動きで携帯電話を掴み取った。
それもそのはず、待ちに待った電話がようやくかかってきたからだ。
相手が誰かはもうわかっている。この電話が鳴るのは、これが初めてのこと。でも、そろそろかかってくるだろうことは、天才こと束にはわかっていた。
もっとも予想より、かなり遅い電話ではあったが……。
「やあやあやあ! 久し振りだねぇ! ずっとずーっとず――――っと待ってたよ!」
心の底から電話が来るのを待っていたと言った様子で、電話の向こうの人物が思わず引くくらいの歓喜の声を束はあげた。
正直、『もうかかってこないのでは?』と思っていたのだ。その喜びは本人が思っている以上に大きなものだった。
『……姉さん』
「うんうん、わかってるよ。欲しいんだよね? キミだけのオンリーワン。代用無きもの、専用機が。モチロン用意してあるよ。最高性能にして規格外仕様。そして、白と並び立つもの。その機体の名前は――」
――紅椿。
それが、妹のために用意した姉からの贈り物の名前だった。
異世界の伝道師外伝/一夏無用 第30話『天才と美女と幼女』
作者 193
ハワイ諸島沿岸沖六十キロの地点に、アメリカ軍の原子力空母の姿があった。
ここにアメリカ軍がいることは、一部の関係者しか知り得ない情報。とある極秘テストを行うために彼等はここにやってきていた。
何も遮るモノのない照りつける太陽の下、戦闘機の鎮座する甲板に、白いテーブルに冷たいトロピカルジュース、ビーチパラソルにデッキチェアと場に不釣り合いなものが並んで見える。
「――受諾。こちら、ナターシャ・ファイルスよ。何か用? イーリ」
『ご挨拶だな。態々、退屈してるだろうと思って連絡してやったってのに』
デッキチェアに寝そべりながら、鮮やかな金髪をした白い肌の美女――ナターシャ・ファイルスはプライベート・チャネルを開き、アクセスしてきた通信相手に面倒臭そうに返事をする。
ナターシャに『イーリ』と呼ばれた相手、彼女はアメリカの第三世代機『ファング・クエイク』の専属操縦者にして国家代表のイーリス・コーリング。
そんなナターシャの反応を予想していたのか、イーリスは通信越しにナターシャの反応を確かめるようにニヤニヤと笑っていた。
「一応この通信って緊急回線なんだけど? それがただの暇潰し?」
『えっと……ナタル?』
「上には、そう報告しておくわね。お疲れ様」
『ちょっと待てええええっ!』
軍内部、特に作戦行動中においてプライベート・チャネルは、緊急暗号通信と同じ意味を持つ。専用機持ちにとっては確かに便利な機能ではあるが、基本的には携帯電話のように気軽に使用していいモノではない。
反応を試されたことに苛立ったのか、それともこの焼けるような暑さが原因か、ナターシャは逆にイーリスの行動をたしなめるように爆弾を投げ返した。
「冗談よ」
『ナタルが言うと冗談に聞こえないんだが……』
「そう思うのなら、用件だけを伝えなさい。何か用事があったんでしょ?」
『はあ……』
口では敵わない。そう判断したイーリスは肩を落とし、今回は&奄ッを認めた。
ちょっとした出来心、悪戯のつもりだったのが、手痛いしっぺ返しを食らうところだった。
そんな軽口とやり取りが行えるくらいに、ふたりは気心の知れた同僚だった。
『実は妙な噂が基地内に回ってるんだよ』
「妙な噂?」
「織斑一夏――世界で唯一、男でISを動かせる青年の噂だよ」
イーリスの口からでた思わぬ名前に、ピクリと眉をひそめ僅かに反応するナターシャ。
『どうだ、話に食いついたろ。お前のお気に入りなんだろ? あの子』
「……知ってるってだけよ」
『部屋に写真を飾ってるのにか?』
「あ、あれは……折角もらった物だから飾らないと失礼だと思って」
『あはは、分かり易いな。ナタルは』
さっきの意趣返しとばかりにイーリスはナターシャをからかう。
あれは今から二年前。ナターシャは一度、ある任務を帯びて日本を訪れたことがあった。
その時、出会った少年との約束。それを今も彼女は忘れずに、その胸に抱き続けていた。
ただ、再会の時を楽しみにして――。
『――って話なんだよ』
「……それ、本当なの?」
『さあ? でも、嘘か本当か、結構な人数が乗り気らしくてな。上も本気みたいだぞ』
「まあ、上が気にするのは当然ね。でも、あの一夏が……」
『当然、ナタルは参戦するんだろう?』
「うっ……この話は保留よ。今度、変なことを言ったらタダじゃすまわないよ!」
『おおっ、怖い怖い』
これ以上ナターシャの機嫌を損ねたら危険と判断したのか、その言葉を最後にイーリスとの通信は途切れた。
この暑さの影響か、それともイーリスの冗談が効いたのか、ナターシャの白い肌がほんのりと赤みを帯びる。
少し不機嫌そうにジュースを手に取り、ストローを口にくわえると、ズズズと一気に緑色の液体を吸い込むナターシャ。
恥ずかしさと怒り、複雑な感情が入り交じった危険な空気を周囲に撒き散らす。
二次災害を恐れてか、誰一人今の彼女に近付こうと考える勇者はいなかった。
「一夏……あの約束覚えてる?」
その一言は、たった一人の男性に向けた恋文。
ナターシャの言葉はよく熟れた果実のように、芳醇な香りと甘い誘惑に満ちていた。
◆
日本のとある田舎町。背面に山、前面に海が見える自然豊かな場所。
そんな町の海に面した一角に『花月荘』と呼ばれる、この町唯一の旅館があった。
「ふう……極楽、極楽」
海を一望出来る宿自慢の露天風呂に浸かり、ご満悦の表情を浮かべる少女――平田桜花
一夏が『合法幼女』と恐れる幼女が、そこにいた。
「あの……よかったんですか? 私までご一緒させて頂いて」
「いいも何も、温泉でゆっくり寛げるチャンスなのよ? 楽しまなかったら損でしょ?」
五反田蘭は遠慮がちに手を挙げて、手足をだらんと伸ばして気持ちよさげな表情を浮かべている桜花に、そう尋ねた。
昨日ようやく期末テストも終わり、今日から試験休みに入った矢先のこと、五反田食堂を訪ねてきた桜花が突然、「温泉に行くわよ!」と宣言したのが二時間ほど前。
現在の時刻は十時半を少し回ったところ、朝早くから荷物をまとめさせられ、拉致同然に蘭が連れてこられた先は海が見える旅館だった。
本当に温泉に来るとは思ってなかっただけに蘭は最初戸惑ったが、太老をはじめ正木関係者の突拍子もない行動は今にはじまったことではない。
余り深く考えても意味は無い。今は久し振りの温泉を楽しんで帰ろうと、蘭は気持ちを切り替えることにした。
こうした適応力の高さも、蘭が『正木』に染まってきている証拠と言えるのかもしれない。
『桜花様』
「ん、どうしたの?」
空間投影ディスプレイが開き、そこに太老の秘書と思しき女性の姿が映し出される。
寛ぎモード全開の桜花を見て眉をひそめるも、すぐに平常心を取り戻し、女性秘書は話を続けた。
『ハワイ沖にアメリカ軍の空母一隻と護衛艦三隻が確認されました』
「……空母?」
『例のアメリカとイスラエルが共同開発している第三世代機の試験稼働が目的と思われます』
「ということは、積み荷は『福音』か。さすが水穂お姉ちゃんからの情報。場所やタイミングまでドンピシャね」
『テストパイロットは、ナターシャ・ファイルスです』
「ナタルお姉ちゃん? ああ、なるほど。それで私にお使いを……。相変わらず、お兄ちゃんは身内に甘いよね」
ナターシャ・ファイルス、それは桜花もよく知る名前だった。
「あの……ナターシャさんって」
「ああ、蘭は知らなかったわね。彼女が日本に来たのは二年くらい前の話だし」
「随分と詳しいみたいですけど、お知り合いなんですか?」
「まあ、それなりにね」
それなりにという言葉は、この場合かなり詳しいと言っているのと同義だった。
ただ、それを一夏のことが好きな蘭に言うのは、少し躊躇われただけの話だ。
どうせ本人と会えば嫌でも理解することになる。その時でも遅くないと桜花は考えた。
『監視を続けますか?』
「お願い。例のアレが関係してた場合、回収しないといけなくなるしね。蘭、あなたの出番もあるかもしれないから、そのつもりでね」
「え、はい。もしかして、例のアレ絡みですか?」
「うん」
「ああ、なるほど。それで私をここに……」
ようやくここに連れて来られた理由がわかり、蘭は合点がいった様子で首を縦に振る。
出番が無いに越した事は無いが、最悪の場合は出撃の機会があるということだ。
蘭にしても、初めての実戦になるかもしれない今回の任務。不安が全くないと言う訳では無いが、一夏の力になりたいと心に決めた以上、避けては通れない道だということは蘭も自覚していた。
『了解しました。太老様には後で詳細をまとめて、ご報告しておきます』
「あれ? お兄ちゃんいないの? 朝はいたよね?」
『桜花様にお使いを頼まれた後、すぐに本国に戻られました。あちらの仕事が少し溜まっているそうで、こちらに戻られるのは一月先になるかと。重要な案件や緊急の場合を除き、すべてこちらで処理をして構わないと仰せつかっています』
「えっと……それって、私達に丸投げってこと?」
『はい』
太老が言う重要な案件や緊急の場合というのは、会社のことではない。裏の事情のことだ。
しかも緊急を要するような場面は滅多にないと言っていい。ようは、全部そっちでなんとかしてくれと言っているのと同じだった。
心底嫌そうな顔をする桜花。面倒事を丸投げされたようなものなのだから、それも当然だ。
しかも彼女は『正木』の実質的なナンバー2。太老が居ない時は、彼女が責任者として采配を振るわなければならない。
もっとも、会社自体は太老や桜花がいなくても問題はないのだが、どちらかと言うと厄介なのは裏の仕事の方だった。
「まあ、お兄ちゃんが出るよりはマシかな……。そっちの方が仕事が増えそうだし」
『そうですね……』
それは、酷く実感の籠もった言葉だった。
……TO BE CONTINUED
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m