セシリアは頬をリスのように膨らませ、浜辺から別館へと続く並木道を歩いていた。
「全く一夏さんの鈍感さには呆れますわ」
彼女が不機嫌な原因は言うまでもなく、一夏にあった。
一夏にサンオイルを塗ってもらうところまではよかったのだが、その後が問題だった。
いつの間にやら何かのサービスと勘違いした女子が列をなし、『織斑くんにサンオイルを塗ってもらえるコーナー』とかどうとか、いつものパターンの騒ぎに発展していた。
「はあ……。やはり、大勢の目がある場所では問題がありますわね」
勇気を出して一歩踏み込んだ行動を取っても、これだけ大勢が一緒にいる場では一夏とふたりきりになることは難しい。かといって一夏の部屋に押しかけようにも、そこは鬼の潜む寝所だ。
虎穴に入らずんば虎児を得ず――というが、相手が相手だけにリスクが余りに高すぎる。
「でも、一夏さんと約束は取り付けましたし……」
そう、幸いなことに、あの一回のお願いは全く無駄にはならなかった。
さすがに一夏も悪いと思ったのか、この穴埋めは後で必ずするとセシリアに約束したのだ。
一夏が律儀な性格をしていることはセシリアも知っている。だから、何かしらの見返りはある物と期待をしていた。
ただ、相手はあの一夏だ。それがぬか喜びに終わる可能性も否定は出来ない。しかし、そこは恋する乙女。例えそうであったとしても、一夏とふたりだけの約束というのは、セシリアにとって大きな意味を持つことだった。
「あら?」
ふと、セシリアの足が止まる。並木道の途中、箒がひとりで佇んでいた。
その視線は、何やら下を向いている。気になって、箒の背中から覗き込むように地面を見るセシリア。
そこには何故か、白いウサミミが土からひょっこりと顔をだしていた。
「なんですの? これ?」
「……なんでもない。私は何も見てない」
「あ、箒さん」
セシリアから逃げるようにスタスタと、その場を立ち去る箒。
そんな箒の挙動不審な態度に首をかしげるも、セシリアは目の前のウサミミが気になって、今一度視線をそちらに向ける。
よく見ると、ウサミミの横には『引っ張ってください』と張り紙がされていた。
明らかに罠とわかるような胡散臭さだ。
「……なんのトラップでしょうか?」
気にはなるが、自分で引っ張る気にはなれない。
どうしたものかと腕を組んで悩むセシリア。そんな時だ。彼女の足下から少女の声が聞こえてきた。
「引っ張ってくださいね。ふむ」
IS学園指定の紺のスクール水着に身を包んだ桜花の姿がそこにあった。
突然の桜花の登場に、目を丸くして驚くセシリア。しかし彼女の驚きは、そこで終わらなかった。
桜花はなんの躊躇いもなくウサミミをガシッと右手で掴み、片手で地面から引き抜いたのだ。
「あ、あなたは!? そんな躊躇いもなく!」
「あ、セシリアお姉ちゃん。こんにちは」
「あ、こちらこそ、こんにちは……じゃ、ありませんわ!」
「いや、引き抜いてくれって書いてたし……」
「それでも、こんなあからさまなトラップらしき物を、なんの確認もせず――」
桜花の手には、さっき引き抜いたウサミミが握られていた。
カジノなどに行くと、よくバニーガールが頭につけてるアレだ。
ウサミミ自体に害は特になさそうだが、問題はそこではなかった。
「な、なんの音ですの?」
キィィィンと、飛行機が近付いてくるような甲高いジェット音が周囲に響く。
不審な音に驚き、セシリアはキョロキョロと周囲を見渡し、辺りを警戒した。
「あ、上」
と、桜花の言葉に従い、セシリアが上を見た瞬間。
――ドカ――ン!
轟音と共に空から飛来した高速の飛行物体が、もくもくと土煙をあげ、地面に深く突き刺さった。
「に、にんじん……?」
セシリアは空から降ってきた物体の正体に呆気にとられ、ポカンとした表情を浮かべる。
地面に突き刺さったのは、よく漫画などで目にするデフォルメされたにんじん=B
夏、海、ウサミミ、にんじん。よくわからない組み合わせに、セシリアの頭は混乱するばかりだった。
夢だとすれば、これほど奇妙な夢はない。
「あっはっはっ! 引っ掛かったね。いっくん、箒ちゃ……」
パカッと左右に割れたにんじんの中から、高らかな笑い声と共に登場する謎の女。
しかし、最後まで言葉を言い終える前に桜花と目が合い、ピタリと女の動きが止まった。
「……箒ちゃんは?」
「どこかに行ったよ?」
「……いっくんは?」
「たくさんの女子に囲まれて、お楽しみタイム中」
謎の女こと篠ノ之束は状況が呑み込めず、反射的に目の前にいた桜花に質問をした。
その質問に嘘偽りなく答える桜花。知り合いなのか、妙な空気がふたりの間に流れる。
――沈黙が場を支配した。
「ウサギ鍋」
先に沈黙を破ったのは、桜花の一言だった。
「た、束さんは食べても美味しくないんだよ!」
危険を察知し、頭のウサミミをピーンと真っ直ぐに立て、文字通り『脱兎のごとく』――束は人間離れした早さで、その場から走り去る。
「甘いよ。私から逃げられると思ったら大間違い!」
そんな束に軽々とついて行き、桜花は狩人のように容赦なく束を追い込んでいく。
ふたりの走り去った先からは、爆音と煙が上がっていた。
「今日も暑いわね」
別館から、バケツを持って現れる女性従業員。煙の上がっている先を一瞥するも、すぐに自分の仕事に戻る。
若干、遠い目をしていた。
「あれは……なんだったのでしょうか?」
日に焼けた地面に、パシャッと打ち水がまかれ、ゆらゆらと立ち上る陽炎。
セシリアの疑問は、その陽炎と共に夏の日差しに溶けて消えた。
異世界の伝道師外伝/一夏無用 第33話『織斑姉弟と幼馴染み』
作者 193
酷い目に遭った。さすがに全員は無理なので、ジャンケンで人数を限定させてもらったが、それでも午前中は何も出来ないまま時間が過ぎてしまった。
何をしに海にまできたのか、これではさっぱりわからん。サンオイルを塗るのが嫌ってわけじゃないんだ。そのくらいは別に頼まれれば、やらないことはない。でも、なんで女友達に頼まず、男の俺にそんなことを頼むのか理解に苦しむ。
(俺の反応を楽しんでるのか?)
ああ、十分考えられる理由だな。
昔から年上の女性に囲まれて、よくからかわれていた記憶が今でも鮮明に思い出される。あれは非常に辛かった。
今考えてみると、俺が女に苦手意識を持っているのって、合法幼女や千冬姉、あの苦い思い出が原因のような気がする。
やはり学園の女子は、もう少し恥じらいを身につけて欲しい。言っても無駄なんだろうが……。
「お前はどこにいても問題ばかり起こすな。誰に影響されたのやら……」
ビーチパラソルの下、日陰で涼みながら、俺の隣で盛大なため息を吐く千冬姉。
誰にというのは、おそらく太老さんのことを言っているのだろうが、その話は納得が行かない。俺が問題を起こしていると言うより、問題が向こうからやってくるんだ。
と、面と向かって反論出来ない我が身が情けなかった。
「で、どうだ?」
「えっと……何がだ?」
「その反応、やはりこの水着を選んで正解だったようだな」
「うっ……弟をからかって面白いのかよ」
実の姉とわかっていて反応してしまう男の性が情けない。千冬姉の水着は確かに似合っていた。モデル並か、それ以上と言っていいほど眩しい。
最初は黒のビキニに抵抗があったが、考えてみれば臨海学校中は部外者立ち入り禁止。男は俺しかいないのだから、そんな心配などあるはずもなかった。
第一、千冬姉に勝てる男がいるとは思えない。声を掛けたところで玉砕は確実だろう。命の危険すらあり得る。
(でも、やっぱりスタイルいいよな、千冬姉って。これで浮いた話の一つも無いんだから驚きだ。まあ、俺も他人のことは余り言えないけど。藪蛇になりそうだし、この手の話はやめとくか)
よく鍛えられているだけあって、無駄な贅肉が無く引き締まった身体をしている。その上、出るところはちゃんと出ているのだから、我が姉ながら驚くほどにスタイルがいい。IS学園の女子も美少女揃いではあるが、大人の魅力では完全に千冬姉に負けていた。
弟の俺ですら、ドキドキとさせられるくらいだ。他の男なら、この水着姿だけで悩殺だろう。太老さんにはなんとなく通用しない気もするけど……。あの人も千冬姉と一緒で好みのタイプがよくわからないんだよな。
合法幼女の件もあるからロリコンなのかとも思ったけど、周りの女性を見る限り他はそんなことないしな。
ストライクゾーンが広すぎるだけか。意外と五反田と話が合うかもしれないな。
「昼食はどうだった?」
「美味かったけど……千冬姉は食ってないのか?」
「いや、先に頂いた。お前は和食が好きだから、ここの食事はあってるだろう」
朝と昼は本館の一階に設けられた大食堂で、あらかじめ決められた時間の範囲内であれば、思い思い好きな時間に頂くことが出来る。三十種類を超す料理の中から自由に取って食べられる、所謂ビュッフェ形式の食事だ。俺のお気に入りは、地元の漁港で取れた魚や貝を使った海鮮丼だった。
夜はまた宴会場の方で、地元の幸を中心に調理された新鮮な料理が振る舞われるらしい。
さすがはIS学園。学園の行事とは思えない豪華さだ。今から夜の食事が待ち遠しかった。
「まあ、魚介中心だしな。正直ここまでとは思ってなかったんで驚いたけど」
「当然だ。ここは一流の旅館にも劣らない上に、正木が支援を行っているからな」
「うっ……やっぱりか」
合法幼女がいるから、そんな予感がしてたんだが、やはり正木の系列旅館だったか。ってことは、あの女将さんも正木の関係者ってことか。学園みたいに従業員のなかにも、護衛の人達が紛れ込んでそうだな。
まあ、その方が確かに安心出来るけど……。
「考えてみろ。IS学園の生徒が利用する宿泊施設が、普通のところのはずないだろう?」
「いや、それを言ったら身も蓋もないんじゃ……」
「男のお前が一番のイレギュラーなんだ。少しは自覚しろ」
それを言われると辛かった。俺自身が一番そのことをよく理解しているからだ。
相変わらず、千冬姉の一言は容赦が無い。心配して言ってくれてるのだろうが、もうちょっとオブラートに包んで欲しい。
そんなことだから彼氏の一人も出来な――
「元気が有り余っているようだな。遠泳五十キロくらい問題ないな」
「いや、それ普通にきついから!」
顔に出やすい自分のことを忘れていた。
迂闊なことを考えないように気をつけないと。特に千冬姉の前では自殺行為だ。五十キロくらい出来なくはないだろうが、そんなことをしていたら自由時間が終わってしまう。ただでさえ、朝の蘭との一件や女子にサンオイルを塗らされたりと精神的にも疲れてるっていうのに、ほんと俺って海に何しにきたんだか……。
「一夏、一緒に泳ご……うっ、千冬さん」
「織斑先生と呼べ」
ギロリと千冬姉に睨まれ、蛇に睨まれたカエルのように萎縮する鈴。
まあ、気持ちはわかるぞ。千冬姉が苦手なのもあるだろうが、本気で怒った千冬姉は本当に怖いしな。
他の女子が近付いて来なかったのも、俺と千冬姉が一緒だから気を遣ってくれたのか、単純に千冬姉が怖かったのか、実際のところはよくわからん。
ただまあ、お陰でゆっくりと休憩は出来た。
「鈴ひとりか? 蘭も一緒じゃなかったのか?」
「昼食の後、桜花さんに連れられてどこかにいったわよ?」
「蘭も大変だな……」
「そこは同意するわ……」
蘭に同情しながらも、俺じゃなくてよかったと思う薄情な自分がいた。
ただ、相手はあの合法幼女だしな。気持ちはわかって欲しい。
さっき言った女に苦手意識を持ってるって話、大半はあの人が原因だと思うしな。
「それで一夏、よかったら一緒に……泳がない?」
チラチラと千冬姉の顔色を窺いながら、俺を誘ってくる鈴。そんなに千冬姉が苦手なのか。昔から、そこは全然変わらないよな。
まあ、仕方ないか。ここにいても、本当に遠泳させられかねないしな。それに俺も少しは泳いでおきたい。
「大分、腹もこなれたしな。一緒に遊ぶか。千冬姉はどうする?」
「私はいい、このあと仕事もあるしな。明日からは訓練だ。今日くらいは楽しんでこい」
自由時間を満喫しろと言ってくれているのだろうが、この様子だと明日からは相当厳しい訓練を課せられそうだ。
でもま、海に来たんだ。お言葉に甘えて、今日くらいは目一杯楽しむか。
◆
水が気持ちいい。こうして、海で泳ぐのは随分と久し振りな気がするな。
そう言えば、前に海にきたのって二年前の夏が最後だったっけ?
去年はなんだかんだで忙しくて海に来られなかった。
二年か。そう言えば、彼女ともあれから全然会ってない。メールで何回かやり取りをしたけど、結局はそれっきりだ。
元気にしてるといいな――サーシャ。
「一夏ってさ。千冬さんと仲良いよね」
「そりゃ、姉弟だしな」
何を当たり前のこと言ってるんだ?
姉と弟なんだから当然だ。仲が悪いよりは良い方がいいに決まってる。
「はあ……」
何故、そこでため息を吐く。
しかし、誘ってくれた鈴には感謝だな。やはり海にきたら泳がないと。
なんだかんだで全然泳げないままだったし、あのまま浜辺にいたら他の女子に捕まって、また色々と面倒なことになってたかもしれない。
「……何よ?」
「誘ってくれてありがとうな。声を掛けてくれたのが鈴で本当によかったよ」
「え? それって……」
幼馴染みだしな。それに鈴の場合、胸の分、余り女を意識しなくて助かる。
さっきは千冬姉がいたから自重したみたいだが、小学校の頃からこいつは水着になると俺に飛びついてくる癖があった。
そう言う意味でも、他の女子より緊張しないで済む。慣れってのは、やはり大事だよな。
「他の女子と一緒だと緊張してな。やっぱり、持つべきは幼馴染みだよな」
「ああ、そう言う意味ね……。そうよね、アンタはそういう奴よね」
水に顔を半分沈めて、鈴はブクブクと何かを呟いていた。
よく聞こえないが、一体どうしたんだ?
「一夏、向こうのブイまで競争よ! あたしが勝ったらこの間の件と含めて、きっちりと精算してもらうからね!」
「あ、こら! 卑怯だぞ、鈴!」
「ぼーっとしてるアンタが悪いのよ!」
この間の件って、やっぱりセシリア同様にあの保健室の件だよな?
――って、命令の上積みなんてされてたまるか!?
……TO BE CONTINUED
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