神話という箱庭より抜け出し、自由気ままに地上を流離う神々。彼等の行く先には、必ずと言っていいほど災厄が付き纏う。
洪水、嵐、地震――そして疫病。
その属性に応じて彼等は行く先々で人々に大きな災いをもたらし、世界に大きな影響を与える。
そんな神々を人は『まつろわぬ神』と呼び、恐れた。
「停電も、まつろわぬ神の仕業ってわけね……」
ハアと、ため息を漏らす少女。後で束ねられた二本の栗色の髪が、少女の動きに合わせ尻尾のように左右に揺れる。
闇の浸食は徐々に範囲を広げ、今や街をすっぽりと覆ってしまい月どころか星一つ見えなくなっていた。
この現象がまつろわぬ神が引き起こした災厄だと知るのは、魔導の知識に精通した裏の関係者だけだ。
魔術を知らない一般人には、ただの事故か天災程度にしか認識されない。それだけで、この少女が一般人でないことを証明していた。
「お兄ちゃんを迎えに行って、その後は久し振りにデートする予定だったのに!」
薄暗い夜の繁華街に、幼い少女が一人いるのは悪い意味でよく目立つ。
何事――と言った様子で、少女の方を振り返る通行人達。
声を掛けようか迷っている人、関わり合いになりたくないと見なかった振りをする人、様々だ。
「ううん、この元凶をどうにかするか、お兄ちゃんを捜しに行くか」
そんな人々の心情など知らず、どうしたものかと少女は悩む。
神を倒せるのはカンピオーネだけ。それが、この世界の常識だ。しかし倒せる倒せない以前に、少女には神をどうこうするつもりはなかった。
彼女の目的は神を倒すことでも、正義の味方の真似事をすることでもない。探し物をすることだ。
そんな注目を浴びるような真似をすれば、今後の動きが取り辛くなる。それでは本末転倒だ。
故に少女は最初の選択肢をバッサリと切り捨てる。残された選択肢は後の一つだけ。
「お嬢ちゃん、一人? ご両親は一緒じゃないのかな?」
不意に声を掛けられて、少女は振り返る。そこには制服姿の婦人警官が立っていた。
「あ、お構いなく。ここで待ち合わせしてるから大丈夫です」
両親とは言ってないが、待ち合わせしていることは事実だ。嘘は言っていない。
心配して声を掛けてくれた婦人警官に、少女は慣れた様子で笑顔を浮かべ対応する。
この見た目だ。気になって声を掛けてくる人も少なくない。その気遣いは素直に嬉しいと思うが、今は余り詮索されたくない事情が少女にはある。
「困ったことがあったら声を掛けてね」
と言って立ち去っていく警官の背を見送り、少女はほっと息を吐いた。
まだ目立つ行動は取りたくない。それだけに大人しく引き下がってくれて助かったと少女は安堵する。
今、少女は人でごった返す駅前にいた。
あらゆる光を呑み込む深淵の闇。恐らく、闇や夜に関係する神が顕現しているのだろうと推測する。
まつろわぬ神が生み出したこの闇のなかでは、すべての照明と火は光を失う。
この闇の影響で都市部を走る電車は運行停止に陥り、エンジンに火の点らない車も動かなくなっていた。
そのことにより交通機関は麻痺状態。帰宅途中に足止めを食らった学生やサラリーマンで、駅前は溢れ返っていると言う訳だ。
「どこの世界でも傍迷惑な存在よね。神様って……」
某知り合いの神様を思い浮かべ、身も蓋もない感想を述べる少女。それはどこか実感の籠った言葉だった。
だが少女にはそれ以上に、もっと気掛かりなことがあった。
下手をすれば、まつろわぬ神以上に迷惑な存在。
天災を引き起こす天才とも言える存在が、こうしている今も野放しになっているのだ。
「うん。この世界のためにも、お兄ちゃんを早く見つけないと!」
使命感に燃えた少女は両拳を胸の前に引き寄せ、「おおっ!」と気合いを入れる。
放っておくと世界規模……いや、宇宙規模の騒動を引き起こしかねない人物だ。放置は出来ない。
――他所様の世界に迷惑をかけられない!
そうして異世界からきた少女『平田桜花』は、夜の街へと消えていった。
異世界の伝道師外伝/異界の魔王 第3話『最悪の出会い』
作者 193
万里谷祐理にとって、その日は最も波乱に満ちた長い一日となった。
――三ヶ月前イタリアで神殺しとなった八人目の年若きカンピオーネ、草薙護堂との出会い。
――若き王と共に海を渡ってきた神具『ゴルゴネイオン』を追い、日本に顕現した女神アテナとの接触。
運命に導かれるように神との戦いに関わることとなった万里谷祐理は現在、カンピオーネとまつろわぬ神の戦いに巻き込まれていた。
「あれが護堂さんの権能……」
戦いの舞台となっている浜離宮恩賜庭園より少し離れた場所から、護堂とアテナの戦いを見守る祐理。長く続いた戦いは終盤を迎えようとしていた。
闇夜を照らし出す太陽の光。東天より舞い降りし『白馬』の炎がアテナへと迫る。
祐理は、その神々しくも圧倒的な迫力に思わず息を呑んだ。
これがカンピオーネ。神殺しと呼ばれる者の戦いなのだと、彼女は戦慄する。
神とは本来、人に抗える存在ではない。それがどれほどの達人であろうと、人の身で神と張り合うなど到底不可能。
神と人の間には、経験や力だけではどうすることも出来ない絶対的な存在の壁がある。
人に神は倒せない。その不可能とも言える行為を成し遂げた者こそ、カンピオーネと呼ばれる勝者のなかの勝者なのだ。
あらゆる光を遮断する闇の障壁で『白馬』の一撃を受け止めるアテナ。
護堂が神より簒奪したウルスラグナの権能は十の化身を持つ勝利の力。そのなかで闇の女神を倒し得るのは、太陽の力を持つ『白馬』しかない。
この一撃を凌がれれば、護堂にアテナを倒し得る化身は残されていなかった。
しかし白き焔は闇の障壁に阻まれ、その輝きを徐々に失っていく。あと数秒と保たず『白馬』は力を失い消滅するだろう。
――妾の勝ちだ。
アテナが勝利を確信した――その時だった。
「貴様、その槍は――」
どこからともなく飛来する一本の槍。女神は驚愕する。護堂の手には先程飛んできた槍が握られていた。
自在にその姿を変え、決して朽ちることのない不滅の鋼。
エリカ・ブランデッリが聖ラファエロより継承せし、獅子の魔剣。
護堂の手にあるのは、獅子の魔剣が姿を変えた鋼の槍。『絶望の言霊』が宿った神殺しの槍だった。
「人間を舐めるな!」
護堂の手より投げ放たれた一筋の銀は、アテナの胸へと吸い込まれた。
◆
胸に槍の一撃を受けたアテナは体勢を崩し、白き焔に呑み込まれた。
幾ら、神殺しの呪詛が宿っているとはいえ人の魔術だ。普段の彼女になら通用しなかっただろう。
しかし護堂との戦いで力を消費し『白馬』へと意識を向けていたアテナに、槍の一撃に耐えられるだけの余力は残されていなかった。
女神の敗因は人間を甘くみたこと。
護堂にばかり目が行き、彼女――魔剣の所有者、エリカ・ブランデッリの存在に気付かなかったことだ。
「妾は負けたのか……」
白馬の衝突によって出来た大穴の中心に、一糸纏わぬ姿の銀髪の幼女が倒れていた。
「何をしている早くトドメをさせ……」
念願のゴルゴネイオンを手に入れ、嘗て『女王』と呼ばれた時代の齢と位を取り戻したまつろわぬアテナ≠フ姿はそこにはなかった。
神力を使い果たし、妙齢の美女から幼き姿へと戻ったアテナに戦う力は残されていない。故に、勝者の権利を行使せよ、とアテナは護堂に迫る。それは戦いに敗れた者の定め。戦神としての最後の矜持だった。
護堂はそんなアテナの弱りきった姿を見て、なんとも言えない表情を浮かべる。
神殺しの本能はアテナを殺せと叫んでいた。アテナを殺せば、新たな権能を得ることが出来る。
しかし、護堂としては、これ以上アテナと争うつもりはなかった。
権能が欲しいわけじゃない。ただ、追い返せれば、それで十分と考えていたからだ。
「もう、終わりに――」
そう口にしようとした瞬間、何かの接近を感じ、護堂は身構える。
――地面に衝撃が走った。
「な、なんだっ!?」
まるでアテナを庇うように、空より舞い降りた一人の男。謎の男の登場に護堂は息を呑む。
彼のカンピオーネとしての直感が、目の前の男に対し警笛を鳴らしていた。
アテナと対峙した時でも、これほどのプレッシャーは感じなかった。
まつろわぬ神? いや、それとも違った何かを護堂は男から感じ取る。
「このロリコン野郎!」
――来るか!
と身構えた瞬間、男の発した言葉に場は凍り付く。
それはエリカと祐理、二人の少女にとって、どこか聞き覚えのある言葉だった。
◆
ロリータ・コンプレックス――略してロリコン。
その語源はウラジーミル・ナボコフの小説『ロリータ』に由来すると言われている。
未成熟な少女に恋愛感情や性的興奮を覚える幼児性愛者を指す言葉で、最近では日本のオタク文化の影響から色々な意味で広く知られるようになり、その対象は三次元に留まらず二次元の世界にも広がりを見せている。
必ずしも見た目と年齢が一致する必要はなく、昨今では何百年もの時を生きる『永遠の幼女』と呼ばれる吸血鬼少女など、外見と実年齢が一致しない成人しているのに見た目は幼女という所謂『合法ロリ』と呼ばれるものが――
「はっ!」
そこで、ようやく護堂は我に返る。
散々、魔王だの暴君だの破壊神だの言われてる護堂だが、面と向かって変態呼ばわりされたのは初めてだ。
いや、エリカの所為で『愛人を侍らせている色好みの魔王』などと一部で揶揄されてはいるが、幼女趣味まで持った覚えは一度もない。
というか人として、そこまで道を踏み外した覚えはなかった。
「ちょっと待て、言い掛かりだ! 俺はロリコンじゃない!」
「じゃあ、この状況をどう説明する!?」
護堂とアテナの決闘の場となった浜離宮恩賜庭園は、江戸時代から続く由緒正しき庭園だ。それが今や、見るも無惨な姿。
季節の花が咲き誇る花壇は見る影もなく、庭園の中心には巨大な隕石でも落ちた後のような爪痕がくっきりと残り、庭園の象徴とも言える樹齢二百年を超す松林は、そこにあった形跡を臭わせないほど見事に吹き飛んでしまっている。
「うっ、これは……」
これには護堂も反論の言葉を失う。これをやったのは他の誰でもない。護堂自身だったからだ。
しかし、だからと言って見ず知らずの人間に『ロリコン』呼ばわりされる謂われはない。
「確かにこれは俺がやった……が、そのこととロリコンは関係ないだろう!?」
「白々しい……何が関係ないだ。犯罪者は皆そう言うんだ!」
話の噛み合っているような噛み合っていない二人の会話を聞きながら、離れた場所から様子を窺っていた金髪の美少女エリカ・ブランデッリは出るタイミングを失い、どうしたものかと途方に暮れていた。
(あの男……何者かしら?)
一先ず、護堂が時間を稼いでるうちにエリカは男の正体を推察する。
問題はあの男の目的だ。正直、一般人とは思いがたいのだが、どうにも正体が掴めない。
カンピオーネとまつろわぬ神の戦いに割って入るなど、裏の関係者であれば考え難い愚行だ。
魔術関係者であれば、絶対この場に近付こうなどと考えないところだが、男は平然と護堂とアテナの間に割って入った。
(やはり、ただの一般人? でも、幾ら鈍くても……)
神や魔王に臆することなく立ち向かえる人間が果たしてどれだけいるだろう?
やはり魔術・呪術絡みの関係者かと考えるが、それにしては事情を知っている感じではない。
エリカは考えを保留し、いつでも援護に入れる体勢で、もう少し様子を見ることにした。
「なら、本人に聞くまでだ。お嬢ちゃんをこんな目に遭わせたのは誰だ?」
エリカは唖然とした。
まつろわぬ神を『お嬢ちゃん』呼ばわりするバカなど聞いたことがない。
やはり一般人だ。一般人のなかにも呪力に高い耐性を持つ人間は稀にいる。
あの男も、そうしたなかの一人なのだろうとエリカは推測を立てる。
(――まずい!)
このままではアテナに殺される。
騎士として一般人が目の前で殺されるのを黙って見ていることは出来ない。
そう思ったエリカは助けに入ろうとするが――
「そこにいる草薙護堂だ」
あっさりと男の質問に答えたアテナに驚き、エリカは隠れていた木の枝から転げ落ちる。
道行く人が石ころに興味を示さないように、神は人間になど興味を持たない。
声を掛けても相手にされないか、機嫌を損ねようものなら神罰が下るかのどちらかだ。
そうしてアテナが油断をしてくれていたからこそ、エリカも護堂の助けになることが出来た。
アテナほどの神を倒せたのは、彼女が人間を甘く見てくれていたからだ。
それなのに――
(なんなのよ、あの男は!)
エリカが困惑するのも無理はない。常識では考えられないことだ。
何がアテナの興味を惹いたのかわからないが、素直に質問に答えるほどには、あの男にアテナは興味を持ったということになる。
そんなエリカの困惑とは別のところで、護堂はピンチを迎えていた。
「やっぱり、お前が犯人か!」
「ちょっと待て、なんのことだ!?」
アテナの言うように、彼女を倒したのは護堂だ。
しかし、この庭園の被害のことならともかく、まつろわぬ神を倒して文句を言われるなんて理不尽この上ない。
放っておけば、世界に災厄をもたらす存在だ。感謝されこそすれ、本来であれば文句を言われる筋合いはない。
何故、怒鳴られているのかわからない護堂は酷く困惑した。
「幼女を怪我させて裸にひんむいておいて、よくそんなことが言えるな!」
「……え?」
それは誰の口から漏れた声か?
恐らく、その場にいる全員が男が何を言っているのか一瞬わからず、呆けたはずだ。
しかし考えてみて欲しい。怪我をした裸の幼女の前に、汗と土埃に塗れた怪しげな男が一人。
この状況を客観的に見て、事情を知らない第三者が見ればどう思うかを考えれば、すぐに答えはでるはずだ。
警察がここにいれば、捕まるのは間違いなく護堂の方だろう。
「ちょっと待ってくれ! それには理由が――」
ようやく何を誤解されているか気付いた護堂は、慌てて自分に掛けられた容疑を否認する。
だが、既に遅かった。状況証拠に加え、被害者である幼女の証言まである。
これだけ証拠が揃っていれば、十分に立証は可能だ。男でなくても護堂を犯罪者と誤解するだろう。
「問答無用だ! この幼女の敵め!」
「誤解だああっ!」
幼女を切っ掛けに誤解から生じる出会いもある。
それがカンピオーネとなった少年『草薙護堂』と、異世界からきた男『正木太老』の最初の出会いだった。
……TO BE CONTINUDE
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m