「あれを食らって無傷なんて……」
「ああ、あれ。食らってないからな」

 余りに規格外な太老の発言にエリカは一瞬思考を停止する。
 アテナを一時的に足止めしたこともある鋼の結界だ。それをあの一瞬で抜け出すなんて人間業ではない。

「あの一瞬で抜け出したって言うの!?」
「ちょっとした事情があって罠抜けは得意なんだ。あの程度の結界なら抜けようと思えば一秒も掛からない」

 太老は直接戦闘よりも、どちらかと言うとトラップや搦め手の方が得意としていた。
 伝説と恐れられる哲学士のトラップを、幼少の頃からその身に受けてきたのだ。
 幾らエリカが優秀な魔術師とはいえ、十六歳の少女が扱う程度の結界は太老にとって障害にもならなかった。

(まずい状況ね……)

 そんなこととは知らないエリカからすれば状況は最悪だった。
 相当に身体を酷使していたのだろう。『猪』を召喚し、最後の力を振り絞った護堂は気を失ったままだ。
 アテナとの連戦に加え、太老から受けたダメージが大きく眠りから覚める様子はない。
 それに例え目を覚ましたところで、残された化身では太老に通用しないだろう。
 しかし、彼女は知らなかった。こうして、まともな勝負になっただけでも奇跡的なのだと。

 ここに太老を知る者がいれば、この結果に驚き言葉を失っただろう。
 太老は全宇宙から見ても非常に希有で特殊な体質を持つ。人類にとって希望とも災厄ともなる厄介な能力を、その身に秘めていた。
 事象の起点となり物事をより混沌とした方へ導く才能。
 悪意には悪意を、善意には善意を――
 時には因果律をねじ曲げ、運命すら操り、無意識に希望と災厄を撒き散らす存在。
 それが『確率の天才』――生きた天災と呼ばれる太老の希有な能力だ。

 何がなんだかわからないまま些細な誤解から始まった戦いだ。そのため護堂に太老への個人的な敵意や悪意がなかったことも、この程度で済んだ要因なのかもしれないが、その結果、周囲への被害は甚大なものとなった。
 逆に言えば、この程度で済んだと言えるのかもしれないが、この破壊の爪痕が周知の物となれば護堂の悪評は更に広まることになるだろう。
 太老やアテナとの戦いが理由とはいえ、護堂がやったことに変わりは無いので破壊そのものを否定することも出来ない。とはいえ、そういう意味ではこの勝負は痛み分けだ。
 太老も本来であれば目立たちたくなかった。いや、目立つ行動は避けるべきだった。
 それが、ここまでやってしまった後では情報の隠蔽も難しい。遅かれ早かれ、太老の存在を巡って世界中の魔術関係者が行動を始めるだろう。本人が望む望まないに拘らず、もはやそれは避けられない。
 バカンスなどと呑気なことを言ってはいられない。のっぴきならない状況に陥ることは確実だ。

 それにこうなった原因は、護堂のカンピオーネの特性もある。
 ただ強いと言うだけでは神には勝てない。人は神に抗えない。それが自然の摂理だからだ。
 それを覆すということは、強さや経験だけでは不十分。それ以上に運命に抗い勝利を手繰り寄せるだけの強運、神の予想を超えた因果律さえねじ曲げる未知の力が必要だ。
 護堂は神の権能を持つという以外は、どこにでもいる普通の青年だ。しかし彼は神殺しとなった。
 運命に抗い、神の予想を超え、この世の摂理をねじ曲げた存在。それはある意味で『確率の天才』に通じる力でもある。

 互いの特性が相殺しあったと考えれば、これはある意味で当然の結果なのかもしれない。
 他のカンピオーネはともかく護堂の力は『破壊』の特性を持つ『確率の天才』の力に酷似している。これは太老にとって天敵とも言える力だ。
 九羅密美星(くらみつ・みほし)――『偶然』と『破壊』を司る確率の天才と関わって、太老は碌な目に遭ったことがない。

「さてと、どうするかな?」

 護堂とエリカを見て、太老はどうしたものかと考える。これ以上、二人と争うつもりは太老にはなかった。
 内心では、この破壊の爪痕を前に『この世界の人間って非常識だな』と、目の前の二人が聞いたら『お前が言うな!』と言わんばかりのことを考えながら、太老は護堂の力について考える。
 そもそも護堂が、こんな力を持っていたことすら太老は知らなかったのだ。
 ただの変質者と思っていただけに甘く見て手痛いしっぺ返しを食らうところだった。

(どうにかして、護堂だけでも……)

 しかしエリカからすれば、そんな太老の心情など知る由もない。
 太老を睨み付け気丈に振る舞ってはいるが、この状況が自分達にとって絶望的な状況であることを彼女は理解していた。
 眠る護堂を庇うように胸へ引き寄せ、エリカは決死の覚悟を決める。

「待て」

 そんな三人の間に割って入ったのは、アテナの一言だった。





異世界の伝道師外伝/異界の魔王 第5話『確率の天才』
作者 193






 護堂は周囲が口を揃えて言うように、大雑把で行き当たりばったりな人間だ。
 何がなんでも勝ちに行く狡猾さや勝負強さは誰もが認めるところではあるが、それ以外は基本的に成り行き任せ。戦いになれば周囲への配慮など微塵もない。
 幾ら正史編纂委員会の協力で周辺住民の避難は完了しているとはいえ、常識的な考えの持ち主が躊躇なく高層ビルを『猪』の標的に定めるはずもない。ローマのコロッセオやミラノのスフォルツェスコ城、更にはパレルモのフェリーチェ門と、彼の戦いの犠牲となった建築物は一つや二つではない。

 ――周囲への配慮がなさすぎます!

 ここに祐理がいれば、畏まりながらも顔を真っ赤にして護堂を糾弾したことだろう。
 まつろわぬ神とカンピオーネの違いは、話が通じるか通じないか、どちらの方が人類にとってマシな相手かでしかない。
 どちらにせよ、人は神と魔王に抗う術を持たないからだ。

「助けてもらったことには感謝する。しかし、ここは退いてもらいたい」

 その神であるアテナが人間に懇願するなど、本来であればありえないことだった。
 あのままなら『猪』の進路上にいたアテナは下敷きになっていた。だが、アテナはそれでも構わないと思っていた。
 それが勝者の特権なのだから、護堂に倒されるのならそれも運命と覚悟を決めていた。
 しかし、そうはならなかった。太老が『猪』の進路からアテナを救い出したからだ。

「ひんむかれたのに?」
「……? 戦いの結果だ。妾は気にしていない」

 一度は負けを認め、殺されることを覚悟した命だが、こうしてまた誰かに救われる。
 それもまた運命なのだろうと、アテナは今の状況を受け入れていた。
 しかし自分に土をつけた男を、誰かに横から奪われることだけは避けたかった。
 (いくさ)での借りは(いくさ)で返す。それは草薙護堂を宿敵と認め、戦いで雪辱を晴らすと決めた戦神の誓いでもあった。

「ふむ……」

 そんな思い掛けないアテナの仲裁に、太老はここらで手打ちにすべきかと考える。
 被害者が訴えないと言うのであれば、これ以上は太老としても事を荒立てるつもりはなかったからだ。
 なんの準備もなしに現地組織と接触すれば、この世界の住人でない太老は護堂以上に説明に困る。まさか『異世界から来ました』と正直に話すわけにもいかず、そんな胡散臭い奴を信用する輩はいないだろう。
 それに裸に剥かれ怪我まで負わされたというのに、加害者を気遣う辺り心優しい少女なのだろうと太老は勝手に勘違いした。

「それじゃあ、仕方ないか。うん、そこの女の子」
「……え?」
「若さを持て余すのはわかる。でも、幼女は愛でるものだ。次に手をだしたら、その時は容赦しない。そこで寝ている奴に、よーく言っておいてくれ!」

 なんのことかわからず、ポカンと呆気に取られるエリカ。
 彼女の決死の覚悟は、アテナの気まぐれと太老の勘違いで空振りに終わる。
 言うだけ言ってアテナを脇に抱えたまま、太老は走り去ってしまったからだ。

「助かったの?」

 困惑した表情で太老の背中を見送るエリカ。見逃してくれるというのなら今はそれでいい。
 でもまさかアテナを連れ去ってしまうとは、さすがの彼女も予想していなかった。

「色々と考えの整理がつかないけど……」

 未熟とはいえ、魔王の一人である護堂が破れたような相手だ。
 そんな怪物が相手では、赤銅黒十字の筆頭騎士『紅き悪魔(ディアヴォロ・ロッソ)』の称号を持つエリカでも勝ち目はない。
 魔王を倒せるのは同じ魔王か、まつろわぬ神だけ。アテナとの戦いで力を消耗していたとはいえ、並の人間にカンピオーネを気絶させるような真似は出来ない。それだけで太老が只者でないことは誰の目にも明らかだ。
 ましてや手負いとはいえ、あのアテナをあっさりと連れ去ったのだ。普通の人間に出来ることではない。

「よかった。無事なようね」

 エリカは護堂の無事を確認し、ほっと安堵の息を吐く。『雄羊(おひつじ)』の力を使えば、瀕死の状態からでも回復するが、それには死ぬ前に自分の意思で発動しなければならず、幾ら護堂でも即死すれば命はない。
 今回はただ気絶しただけだが、相手がその気なら殺されていた可能性は高かった。

「わからないことだらけだけど問題はあの力ね……」

 エリカが注目したのは護堂を気絶させたハリセンや罠抜けの技術ではなく、人間を超越した太老の動きだった。
 神の権能を宿した『鳳』の超スピードについていける人間など明らかに異常だ。
 そんなことが可能なのは、黒王子(ブラックプリンス)の異名を持つイギリスの魔王くらいしか、エリカは思い当たらない。

「まさか……」

 エリカは一つの考えに行き着き、顔を青ざめる。
 そんな彼女の頭に横切ったのは男が護堂に放った最初の言葉だった。

 ――このロリコン野郎!

 どこかで聞いたことのある台詞。
 東欧の魔王と恐れられるカンピオーネに、ある男が放った言葉だ。
 もし、その考えが正しければ、アテナどころの騒ぎではない。

「本当に、あなたといると退屈しないわ。護堂」

 達観した様子でエリカは愛の言葉を囁く。
 無防備に眠る護堂の唇に、エリカはそっと自分の唇を重ねた。


   ◆


 その頃、少し離れた場所で戦いを見守っていた祐理は、へろへろと膝を落とし、その場に力無く座り込む。

「あの方は……」

 護堂とアテナの戦いに介入してきた男に、祐理は見覚えがあった。
 忘れられるはずがない。あの顔、あの声を忘れられるはずがなかった。
 その男は祐理にとって、命の恩人とも言える人物なのだから――


   ◆


 甘粕冬馬は、先程までアテナと護堂が激闘を繰り広げていた浜離宮恩賜庭園にいた。
 警察や自衛隊に協力を仰ぎ、この辺り一帯を封鎖するためだ。
 アテナとの戦いは草薙護堂の勝利で解決を見たが、正史編纂委員会の仕事は寧ろこれからだった。
 まつろわぬ神の顕現に加え、今回はカンピオーネが事件の解決にあたっている。浜離宮恩賜庭園の崩壊に、高層ビルの倒壊。更には首都高の落下など、すべてアテナとの戦いで護堂がやったことだ。
 これらの問題の後始末をするのも彼等、正史編纂委員会の仕事だった。

「はい、草薙護堂が勝利しました。ですが――」

 携帯電話で話す相手は甘粕の直属の上司、沙耶宮馨だ。
 事件は一応解決したものの更なる問題……火種を残すこととなった。
 アテナを連れ去った謎の男。この男にカンピオーネである護堂が倒されたとなれば、事態はよくない方向に想像が行く。
 これと同じような事件に甘粕は覚えがあったからだ。そう、四年前のあの事件。

『考えられるとしたら四年前の事件。あの方が遂に表舞台に現れたと考えるのが自然だろうね』
「やはり、七人目ですか」

 電話の向こうの上司も同じ考えと知り、甘粕は天を仰ぐ。
 まつろわぬ神の到来に加え、この国にカンピオーネが二人いるかもしれないという現実は、簡単には受け入れ難いものだった。
 ましてや、もう一人は四年前に東欧の魔王を倒し、ずっと姿を隠していた人物だ。
 四年間姿を隠していた理由も気になるが、その魔王と思しき男はアテナを連れ去っている。

「嫌な予感しかしませんね……」

 事件の臭いしかしない。それも神絡みの天災クラスの事件だ。
 百歩譲ってアテナを連れ去ったのが私的な理由だとしても、カンピオーネを倒すような人物が普通であるはずがない。
 絶対に騒動を起こす。下手をすれば日本だけでなく世界を股に掛けた大事件が起きる。

『取り敢えず、後始末の方をよろしく。調査も引き続き頼むよ』
「了解しました。では、そういうことで」

 電話の相手に頭を下げ、甘粕は電話を切る。
 遠くから庭園を眺める人物がいることに気付かず、彼は自分の仕事へと戻っていった。


   ◆


「これ、お兄ちゃんの仕業じゃ……ないよね?」

 ビルの屋上。ヒュウヒュウと吹く風の音に少女の声は掻き消される。
 兄と慕う人物を捜して、再び少女は夜の街へと消えていった。





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