イギリス、ロンドンでも有数の高級住宅街ハムステッド。その一角に、まるで小城と言った外観の大きな屋敷があった。
一目で男を虜にする美貌に、女性も羨む抜群のスタイル。腰下まで届く長いプラチナブロンドの髪が陽の光でキラキラと煌めく。
肩にストールをかけ、四つの塔に囲まれた広い敷地の庭で優雅に午後のお茶会を楽しむ彼女こそ、アリス・ルイーズ・オブ・ナヴァール。またはプリンセス・アリスの名で知られる、この邸宅の主だ。
「相変わらず不作法な登場ですわね。アレクサンドル」
「貴様がそれを言えた義理か。この覗き魔≠゚」
公爵家の令嬢らしく気品に溢れた様で、稲妻をまとい突如現れた黒髪の客人を出迎えるアリス。
賢人議会が『電光石火』と名付けた神速の権能。この権能を使う人物は、アリスのよく知る男だった。
男の名はアレクサンドル・ガスコイン――今から十二年前、若干十六歳で堕天使レミエルに勝利し、その権能を簒奪した神殺し。コーンウォールに拠点を構え、自らが盟主を務める魔術結社『王立工廠』を率い、イギリスに君臨する魔王だ。その気品めいた若き風貌から『黒王子』などと呼ばれていた。
「貴様に確認したいことがある」
「行き成りやってきてそれですか? レディに対して口の利き方がなっていませんわね。他の尋ね方があるのではなくて?」
今では旧知の間柄と言ってもいいほど幼い頃からアレクと付き合いのあるアリスは、相手がカンピオーネといえど遠慮はない。それは、アレクという男を誰よりも熟知しているからだ。
あれから十二年だ。気付けば、出会った頃は少女だったアリスも今年で二十四歳。年月が経つのは本当に早いものだとアリスは懐かしむ。しかし実際のところアレクとの関係は、昔話に花を咲かせ懐かしむような話ではなかった。
賢人議会は古くはヴォバン侯爵の悪行に振り回された過去があり、そもそも議会が今のようなカタチになったのは、カンピオーネの脅威から国と女王を守るためだったと言われている。そうした因縁もあって、イギリスの賢人議会はカンピオーネに対する疑念が強い。アリスが特別顧問を務める『賢人議会』と、アレクが盟主を担う『王立工廠』が対立関係にあるのもそのためだ。
ロンドンに近いコーンウォールに王立工廠が拠点を構えているのも、単純に賢人議会への嫌がらせという意味合いが強かった。
ようするに宿敵関係。『天』の位を極めた魔女であり『白き巫女姫』の名で知られるプリンセス・アリスにとって、アレクサンドル・ガスコインは旧知の間柄であっても決して恋人や友人にはなれないライバル関係にあった。
しかし、ライバルと言っても殴り合いの喧嘩をする訳ではない。カンピオーネに力で対抗するのはバカのすることだ。アレクが本気になったら、賢人議会が総力を挙げても勝ち目はない。だからアリスは智慧で彼と対峙する。
交渉と駆け引きを使い、利用し、騙し、利害が一致すれば協力し、カンピオーネという脅威から組織を――国を守る。
それがアリスの戦い方。彼女が学んだカンピオーネとの付き合い方だった。
「先日、日本で七人目が発見された」
アリスの話を無視して、自分勝手に話を進めるアレク。これもいつものことだ。
慣れた様子でアリスはアレクの話に耳を傾けながらも、決してまともに相手をしようとはしない。
こうして相手を自分のペースに乗せ、交渉を上手く運ぼうとするのは、いつもの彼の手だとわかっているからだ。
「ウルスラグナの権能を簒奪された彼のことでしたら、既に賢人議会がレポートをまとめて公開していますが?」
「そちらではない。四年前、噂になった男の方だ」
さらっと話を受け流そうとするアリスに、アレクはそうはさせるかと話を引き戻す。
アリスもアレクが草薙護堂のことでなく、正木太老のことを言っていることはわかっていての反応だった。
正直、彼が何故ここにきたかも察しがついているのだ。
「賢人議会――いや、貴様の個人的な繋がりか? 何か、その男と密約を結んだな」
異世界の伝道師外伝/異界の魔王 第11話『宿敵』
作者 193
やはり――とアリスは彼が何を確認しにきたのか、その言葉ですべてを察した。
正木太老とプリンセス・アリスの関係を疑ってきたのだ。
鼻の利く男だ。恐らく例の物件から、そのことを嗅ぎつけてきたのだろうとアリスは見当をつける。
「憶測で物を言うのはどうかと思いますわよ?」
「惚けても無駄だ。あの男が拠点としているマンション。あれを手配したのは貴様だとわかっている」
こうなってはアレクは満足のいく回答が得られるまで引き下がる気はないだろう。
だが、いつかは来るだろうとアリスも覚悟はしていた。
あの密約を交わした時点で、こうなることはわかっていただからだ。
「どうせ貴様のことだ。物的証拠を残すような真似はしていないのだろうが、これだけ状況証拠が揃っていれば誰でも貴様のことを真っ先に疑うぞ。……いや、それが狙いか? 賢人議会との関係を示唆させることで、他の組織を牽制するのが狙いか」
「……なんのことかしら?」
「どうせ、それも俺へのあてつけのつもりだろう。カンピオーネを擁しているとなれば、王立工廠への牽制にもなるからな。貴様の考えそうなことだ」
こう言うところがアレクのやり難いところだった。
大半のカンピオーネは知略を駆使することはあるが、基本的には些事に拘らない剛胆な性格の人物が多い。悪く言えば大雑把、直感や本能を一番の拠り所とする謂わば古代の『戦士』や『英雄』のような人物ばかり。しかし、アレクサンドル・ガスコインは違う。
勘が鋭く疑り深い。そして嫌味なほどに頭が回る。変に慎重で細かいことばかりを気にし、納得の行かないことや気になったことは、答えが出るまで調べないと気の済まない性格をしている。他のカンピオーネとアレクが大きく違うのはこういうところだ。
ここらが潮時かとアリスは観念した。実力行使に出られた場合、自分の方が不利だと理解してのことだ。
アリス個人に手を出せずとも、嫌がらせの一つや二つはしてくるだろう。そうすれば、無用な混乱を招くことになる。
「はあ……残念ですが、私もあの方には直接お会いしたことはありませんの」
「あの方には――ということは、誰か代理の者と取り引きをしたのだな。なるほど、その身体はそう言う訳か」
フンッと鼻を鳴らせながら、足下から頭の先まで微動だにしないアリスの肢体を、射貫くような鋭い目で見詰めるアレク。邪な視線と言うよりは、観察や確認に近い。
普通の人間なら気付かなかったかもしれないが、アレクとアリスの関係は十二年も続いている。ここに本来あるはずのない″g茶のカップや、彼女の所作に目を配っていれば自然と違和感に気付く。
「あら、ちゃんと気付いていたのですね?」
「貴様との付き合いは長いからな。いつからだ?」
アリスが『白き巫女姫』と呼ばれるようになったのは、魔女や巫女のなかでも一部しか使えない稀少な力、万里谷祐理よりも遥かに強力な精神感応を所持しているからだ。
気配だけでなく感情や相手の考えていることまで漠然と読み取る力。霊視や予知に通じ、神々との交信をも可能とする膨大な霊力を、彼女はその身に宿していた。
その力は魂にまで干渉し、自身の霊体の分身をも造り出すことが出来る。生まれ持ち身体の弱かったアリスは人前に出るときはその能力を使い、健康な人間であるかのように振る舞い周囲を欺いてきた。
そして六年前――アレクと共闘することになった神との戦いで無理をした結果、アリスはベッドから満足に起き上がることも出来ない寝たきりの身体になってしまったのだ。こうして部屋から出ることなど、到底できる身体ではなかった。
しかし、今の彼女は幽体≠ナはなく生身≠ナアレクの前に座っていた。
「三年前ですわ。親切な方が貴重な霊薬をわけてくださって、こうして以前よりも元気になりました」
「なるほど、そうして今度は病弱な振りを続け、周囲を欺いていたと言う訳か」
「正確にはあなたを――ですけど」
健康になってもアリスは以前と同じように病弱な振りを続けていた。それはアレクを欺くためだ。
そこまでしてアレクに身体のことを知られたくなかった理由。それは、どんな薬や治療でも効果のなかったあの身体を快復させるに至った霊薬の出所を、彼に探られたくなかったからだ。
薬の出所がバレれば、アリスは密約を違えることになる。それを恐れてのことだった。
「今そうしているということは隠す気が……いや、必要がなくなったということか」
「そろそろ来る頃とわかっていましたからね。それに、あの方が表舞台に姿を現したのであれば、これ以上は隠す理由もありませんので」
アリスが交わした約束は、太老が自分から表舞台に姿を現すまでの間、太老に関する情報の隠蔽に協力することだった。
そしてもう一つ、その人物がアリスに取り引きを持ち掛けたのはプリンセス・アリスの名を利用するためだ。
彼女は謂わば、現地協力者。社交界に顔が広いアリスの人脈を利用することで得た情報を、異世界で待つ太老に伝えることが一番の目的だった。
そしてそれこそ、アレクが太老とアリスの関係を知り、ここにやってきた理由でもある。
太老達が探っていた情報。それはアレクにとって、無視できる内容ではなかったからだ。
「ならば話してもらおうか。この俺を三年もの間、騙していたんだ。俺には話を聞く権利があるはずだ」
「そう言えば、私が密約の内容を話すと? それとも聞く権利があると言うのは、六年前のことを気にして私の身体を気遣ってくれていたのかしら? もし、そうなら考えなくもないのですけど……」
「誰が貴様のことなど……」
「そこは嘘でも『そうだ』と肯定するところですわよ。相変わらず女性の扱いがなっていませんわね」
アレクは基本的に女子供に甘い。決して善人ではないが、冷酷にもなれない半端な男。マメな性格の割に女性の扱いが下手で、更に言えばデリカシーに欠ける。
その癖、周囲の自分への評価を気にし、他のカンピオーネと一緒にされるのを酷く嫌う。ようするに見栄っ張りなのだ。
だから英国紳士を気取る彼には、自分を害することが出来ない。アリスにはそのことがよくわかっていた。
「そう言えばあなたには以前、私と交わした盟約を無視し、勝手な行動を始めたことがありましたね。ああ、それが六年前のあの事件でしたか」
「ぐっ……あれはその場の状況に応じて、臨機応変に対応しただけのことだ」
「あなたはいつもそうです。常識人を気取っている割には周囲の迷惑を顧みず、周りに一切の相談もなく勝手に自己完結して行方を眩ましたかと思えば、騒ぎを大きくして面倒を引き起こす。秘密主義と言う点で、あなたに何かを言われるのは甚だ心外としか言えませんわね。それ以前にも――」
こうなったら、アレクに勝ち目はない。アリスの独壇場だった。
アレクは体面を非常に気にする男だ。自分は他のカンピオーネとは違う。常識人だという自負が彼にはある。
そんなアレクの弱い部分を的確にアリスは言葉で突く。平静を装ってはいるが、内心は痛いところを突かれて困っているはずだ。
「――でも、ここはあなたの顔を立てて一つだけ教えて差し上げますわ」
その思い掛けない魔女の提案に、アレクは眉間にしわを寄せ怪訝な表情を浮かべた。
話を有利に進めているのに、こうして提案をしてくるということは何か裏があると考えたからだ。
アリスはうそつき≠ネ女だ。周囲を欺くことに関しては、彼女の右に出る人物をアレクは知らない。それだけに言葉のすべてを鵜呑みにすることは出来ない。
しかし少しでも情報が欲しいアレクに、彼女の話を聞き流すという選択肢はなかった。
「これは忠告です。いつもの調子で他人の持ち物にちょっかいをだせば、痛い目を見ることになりますわよ」
――誰がそんな真似をするか!
と、まるで盗人のように言われ、アレクは心の中でアリスの言葉に反論する。口に出さなかったのは、今は少しでも早くこの場を立ち去りたかったからだ。
これから数ヶ月後、まさかアリスの忠告が現実になろうとは、この時の彼は知る由もなかった。
◆
大都市・東京。初夏の夕下がり、ザアザアと降りしきる雨の音が街の雑音を掻き消し、灰色の雲が太陽の姿をすっぽりと覆い隠す。
普段は買い物客で賑わう繁華街も、この雨で今日は人通りが少ない。
梅雨も半ばを過ぎようとしている六月の終わり、この時期には珍しくない光景だった。
「この辺りのはずだが……」
雨風に身を打たれながら、大都市の空を舞う一人の少女。銀褐色のポニーテールがゆらゆらと尻尾のようになびき、弾かれた雨の雫がキラキラと煌めく姿は、御伽話に登場する湖の妖精をイメージさせる。
ミラノに拠点を構える魔術結社『青銅黒十字』に所属する少女は、若干十六歳にして大騎士の称号を得た天才だった。
同じくミラノに拠点を構える『赤銅黒十字』のエリカ・ブランデッリとは旧知の間柄で、宿敵関係にあることからも分かる通り、剣の実力、魔術の知識と才能は『紅き悪魔』とほぼ同格という逸材だ。
名は――リリアナ・クラニチャール。
その可憐な姿から『剣の妖精』の異名を持つ少女は、現代に生きる魔女の末裔でもあった。
「ここか……」
地上数十メートルの高さから、ゆっくりと地面に降り立つリリアナ。これは彼女が得意とする魔女の秘術の一つだ。
魔女がほうきに乗って空を飛ぶというのは、一般的にも広く知られている話だ。
その多くは近代になって創作された御伽話が元となっているが、魔女と空を結びつける伝承は古くから存在する。『ワルプギルスの夜』に代表される魔女達の集会の話では、魔女が空を飛びサバトに行く姿が逸話として語られている。
もっとも、魔女狩りの歴史を見れば分かる通り、その多くは魔女の烙印を押され裁かれた罪のない人々だ。
しかし、火のない所に煙は立たない。古の血を引く本物の魔女は古来より確かに存在した。
――では、魔女とは何か?
それを紐解くには、まず『魔女』と『魔術師』の違いを知る必要がある。
リリアナは魔女、エリカは魔術師。魔女の資質を持ち、魔女術の伝授を受けたかどうかが二人の違いを分ける。
魔女とは先天的な資質を開花させた者達のことを言い、その力は血によってのみ継承される。
魔術師のようにセンスと呪力さえあれば、誰でも努力次第で術を使えると言った類のものではない。
――では、その資質とは何か?
魔女の起源は古き神々の時代に遡る。大地母神に仕えた巫女、それが彼女達の本来の姿だ。
魔女の守り神とされる蛇は死と生命の循環を司る聖獣であり、地母神の象徴とも言える存在。古代において、護堂が死闘を演じたアテナもまた古き大地の女神――豊穣の神であった。魔女とは、そうした大地の神々に仕えた巫女だとされていた。
血の継承による異能力。それは魔術では再現が不可能な特別な力を指す。
霊視や予知、それにプリンセス・アリスが得意とする精神感応も、魔女や巫女が持つ力の一つだ。
そしてリリアナが得意とする飛翔術もまた、魔女だけに許された特権の一つだった。
「よし――」
何やら覚悟を決めた様子でマンションに足を踏み入れるリリアナ。
エントランスに備え付けられたインターフォンで目的の訪問先を呼び出す。
『はーい、どちらさま?』
インターフォン越しに聞こえてきたのは幼い少女の声だった。
……TO BE CONTINUDE
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