あの事件から一週間。正史編纂委員会も今回の件は情報の隠蔽に苦労を強いられていた。
特にネットの監視が行き届かず、情報の拡散を止められずに頭を悩ませていたのだが、ある日を境に突然騒ぎが収まったそうだ。
見えざる手が働いたとしか思えない都合の良さに第三者の介入を疑った委員会だったが、それ以上のことは何もわからず終いだった。
とはいえ、事件の爪痕は未だに残っているものの街は平和そのものだ。
太陽が燦々と輝く青空を見れば、この街で僅か一月の間に神と魔王の戦いが二度もあったとは思えないほど、晴れ晴れとした天気に恵まれていた。
「お姉ちゃん、おはよう……」
「また、あなたはそんな格好で……顔を洗って早く着替えてきなさい」
「はーい」
パジャマ姿でうろうろとするひかりを見て、祐理は嘆息する。でも、あの事件でひかりが厳しい処分を受けずに済んだことは、祐理もほっとしていた。
勿論、護堂や太老の口添えがあったことが、ひかりが処分されなかった理由として大きいことは理解している。
周囲に迷惑を掛けたことは事実で、武蔵野を預かる媛巫女としてはひかりの行いを咎める立場にあるのだが、姉としてはひかりが無事だったことを喜んでいた。
それにあの日から、ひかりは少し変わったように祐理は思う。
家族への接し方や甘え方が自然になったというか、四年前からおかしくなっていた歯車が事件を境にようやく噛み合ったような感覚を祐理は得ていた。
そして、ひかりを変えた人物にも祐理は心当たりがあった。
「ひかり、今日も出掛けるの?」
「うん、今日は桜花さんと隣町に買い物に行くの。お姉ちゃんも一緒に行く?」
ひかりに最近出来た友達――平田桜花。祐理は少し複雑な表情を浮かべる。妹に友達が出来たというのに、祐理はそれを素直に喜べないでいた。
委員会はひかりが桜花や太老と仲良くすることを黙認する方向で動いている。祐理も太老や桜花なら問題はないと思いつつも、護堂との関係で少し戸惑っている部分があった。
先日は、ひかりを助けるために必要なことだったとはいえ口づけまで交し、今ではすっかり護堂の愛人として周囲に認知されつつある祐理だ。
それに委員会も草薙護堂への余計な干渉を避けるために、祐理を護堂の愛人として大々的に喧伝する作戦に出ていた。
祐理は委員会の話を承諾した覚えはないが、実のところ、そうせざるを得ない事情があった。
カンピオーネの雷名を聞き、護堂とお近づきになりたいと考えている呪術関係者は多く『娘を愛人に』と言い出す家まで出て来る騒ぎとなっていた。
そんなことをすればエリカは良い顔をしないだろうし、護堂の性格を考えれば色仕掛けは必ずしも得策とは言えない。
太老との関係が未だに築けていない状況である以上、護堂との関係が拗れることだけは避けたいと考えた委員会は、祐理に白羽の矢を立てたのだ。
祐理自身、本音を言えば嫌と断れるほど護堂のことを嫌っているわけではなかった。
好きか嫌いかで言えば、きっと好意を持っていると言える。友達のためだと叫び、ひかりのことで一生懸命に怒ってくれた護堂の顔が祐理の脳裏を過ぎる。
魔王らしくない、どこか放って置けない気持ちにさせる不思議な青年だった。
そんな護堂だから気になっているのだろう。委員会の要請を断るのは簡単だが、祐理は護堂との関係を断ち切れそうにない。
だからこそ、ひかりと太老の関係が深まることを祐理は危惧していた。
万が一、護堂と太老が争うようなことになれば、自分は護堂の味方が出来るのか? 太老と本当に戦えるのか?
ひかりと護堂、どちらを取るかと訊かれても答えの出せない迷いを祐理は抱えていた。
危惧しているようなことは起こらないで欲しいと願うが、『絶対』がないことは四年前の事件で彼女自身が一番よく理解している。
そんな姉の気持ちを知ってか知らずか、ひかりは無邪気な笑顔を祐理へと向け、
「お姉ちゃん、大丈夫だよ」
「え……」
一瞬、心を見透かされたかと思い、ドキッとする祐理。しかし、
「お姉ちゃんに似合う下着を見つけてくるから、一緒に頑張ろう!」
時々、妹がわからなくなる祐理だった。
異世界の伝道師外伝/異界の魔王 第22話『秘密の工房』
作者 193
「ううむ……」
無数の空間ディスプレイを前に、腕を組んで唸る太老。
仕事の方はなんとか一段落して、ヴォバンとの戦闘で得たデータを再検証していたのだが、そこで気になるものを太老は見つけた。
「絶対に自然に作られたものじゃないよな」
カンピオーネを生み出すと言われる簒奪の円環。そして、まつろわぬ神を顕現させるシステムに太老は疑問を抱いた。
調査ついでにと、カンピオーネについてよく知るためにデータの検証を行っていたのだが、明らかに不自然なデータが幾つも浮上してくる。
まつろわぬ神やカンピオーネはこういうものだと言われても、原因を追及したくなるのが哲学士の性だ。
自然に出来たものと言うよりは、まるで誰かがこうなるように意図的に作りだした仕組みのように太老には思えてならない。
しかし、そうなると問題はなんのために誰が、こんなものを作ったのかと言う点に行き着く。
「大先史文明の遺産? でもなあ……」
大先史文明とは、数十億年も前に栄えた太老達の世界に伝わる先史文明の総称だ。
ヒューマノイドタイプの宇宙人の多くは、その大先史文明の子孫だと言われている。
シード計画――種の保存と文明の発展のために宇宙に巻いた種が星に芽吹き、現在の銀河文明が築かれた。
とはいえ、こんな並行世界にまでシードが到達しているとは思えず、大先史文明の痕跡に都合良く遭遇するとも思えない。
「……わからん。情報が少なすぎるな」
伝説の哲学士から知識を継承しているとはいえ、わからないものはわからない。太老は切り替えが早かった。
取り敢えず、調査の一環として頭の片隅に留めておく。探し物と関係があるかは不明だが、なんとなく太老の直感が嫌な予感を訴えていた。
こうした方面には、太老の勘は本当に良く当たるのだ。
理不尽な生活を強いられた末に身に付けた危機察知能力。動物的な勘と言ってもいい。
「えっと……この間、起動したところだし、一応こっちのチェックもやっとくか」
手元のコンソールを目に留まらないほどの速さで叩き始める太老。チェックしているのは、マンションに設置した侵入者対策用のプログラムだ。
一時間ほど過ぎただろうか? 気になった箇所のチェックを一通り終えると、太老は首をポキポキと鳴らし両手を頭の後ろに回して「ううーん」と背筋を伸ばす。
ここ最近、机にかじりついて仕事をしていたこともあって、少し疲れが溜まっていた。
「そういや、今日は誰もいないんだっけ?」
いつものようにアテナは朝からフラフラと出掛けて家にはいない。
それに桜花はひかりと隣町に買い物に出掛けているので、夕方までは帰って来ない。
「俺一人か……」
ここ最近ずっと騒がしかったので、こうして一人になるのは久し振りだった。
ちょっと寂しく思いつつも偶にはゆっくりとするか、と太老は風呂へと向かう。
まだ、システムの電源がテストモードのままオンになっていることを忘れて――
◆
「ここだね。えっと部屋は最上階と……」
太老のマンションへ到着した恵那は、エントランスホールに設置されてる呼び出し用のインターフォンに手を掛けた。
慣れない手つきで慎重に部屋の番号を押す。実家は昔ながらの風情を残す日本家屋な上、東京に出て来てからは神社暮らしだったこともあって、余りこの手のハイテク機器に恵那は馴染みがなかった。
携帯電話も普段は電源を切っていることが多いため、余り役に立たない。親友の祐理も機械には疎いため、メール交換なども勿論したことがなかった。
「あれ? 十二階って一と二を押すだけでいいんだっけ?」
正確には『一二〇一号室』が正解なのだが、最上階としか覚えていなかったため恵那は首を傾げる。
だらだらと汗が噴き出し、取り敢えずなんとかなるかと恵那は適当にボタンを押した。
「あとは呼び出しボタンを押せば――」
コールボタンを押した瞬間、恵那の姿がシュパッとエントランスホールから消えた。
◆
折角入るなら大きい風呂がいいと考えた太老はマンションに備え付けの風呂ではなく、亜空間に設置した工房の湯船に浸かっていた。
全高一キロを超す大樹の枝をそのまま風呂桶にしたような巨大なお風呂を占拠し、持ち込んだ『皇家の酒』と好物のイワシの缶詰で一杯やりながら、浴場から見渡す壮大な景色を太老は楽しんでいた。
「こうしてのんびりするのも偶には良いな」
フフン〜と思わず鼻歌を口ずむほど上機嫌の太老。おっとっとと酒のお代わりを注ごうとした、その時。
「ん?」
異変を感じ取り、太老は反射的に空を見上げた。
光の輪が展開し、そこから人影が現れる。遠目ではっきりとしないが黒髪の女性のようだ。
そのまま真っ直ぐに落下してくる人影を見て、太老は瞠目した。
「ちょっ!」
慌てる太老。まさか女の子が空から降ってくるとは思わず、気付くのが遅れた。
咄嗟の判断で女性をなんとか受け止めるが、大きな水飛沫を上げ――太老も一緒に湯船に沈んでいった。
◆
「うわぁ……凄い、王様! 凄いよ!」
「ああ、うん。わかったから、ちょっと静かにしてくれ」
さっき空から浴場に降ってきた黒髪の美少女は万里谷祐理の親友、清秋院恵那だった。
浴場から見渡す景色に恵那は感動の声を上げる。
こんな不可思議な世界に飛ばされたというのに既に順応しているのだから、素晴らしい適応力だ。
「しまった。テストモードを切るのを忘れてた……」
風呂に浸かりながら空間ディスプレイを見詰め、太老は渋い顔を浮かべる。
テストモードにしていたとはいえ、通常の手段ではここに転送されるはずもないのだが、恵那の強運に驚くべきか?
適当に押したボタンの組み合わせが、偶然にも転移装置を起動したのだ。
しかも、その転送先が太老の入っていた浴場だというのだから、もう奇跡的な確率だ。
「――って、何をしてる!?」
「え? ここってお風呂だよね?」
「いや、だから何故、服を脱ぐ必要が……」
「王様は服を着てお風呂に入るの?」
突然、服を脱ぎ始めた恵那を見て、額に手を当て眉間にしわを寄せる太老。話が噛み合っていなかった。
取り敢えず脱衣所の場所を教え、せめて湯着を着用するようにと恵那には注意する。
「なんなんだ……あの子。清秋院恵那とか言ってたけど、爺さんとの戦いの時にいた子だよな?」
一週間前の記憶を呼び起こす太老。とはいえ恵那はあの時、気絶して眠っていたので、こうして会話をするのは初めてだ。
恵那が何をしに尋ねてきたとか色々と気になる点はあるが、今はそれどころではないと太老は冷静に状況確認をする。
幸いアテナと桜花は出掛けているとはいえ、こんなところを見られでもしたら何を言われるかわかったものではない。
やっと仕事から解放されたところなのだ。どちらかというと、そちらの方が太老としては恐かった。
早めに恵那には帰ってもらわなくては――と考えいた、その時。
『あ、お兄ちゃん。そっちにいたんだ』
「お、桜花ちゃん!?」
急に目の前に空間ディスプレイが現れ、そこに桜花の顔が映っていたものだから太老は焦った。
まだ夕方までは時間がある。お昼を少し過ぎた辺りだ。なんで、こんな時間に――と太老は疑問に思う。
「ず、随分と早かったんだな」
『うん、買いたい物は買ったし、ひかりがどうせならお兄ちゃんと一緒に家で御飯を食べようって。もしかして、もう食べちゃった?』
「いや、まだだけど……」
『よかった。なら、ひかりと一緒に作っちゃうね。今日はお兄ちゃんの好きなイワシの良いのが手に入ったん……』
そこで桜花の表情が固まった。まさか――と硬い動きで後ろを振り返る太老。
「王様、腰紐が一人じゃ止められなくて手伝って欲しいんだけど」
裸に湯着を羽織っただけの半裸の恵那が、太老の後に立っていた。
これには太老も焦る。言い訳を考える間もなく、桜花の叫び声が浴場に響いた。
『お兄ちゃんのバカァ――ッ! 誰よ、その女の人! また、どこで拾ってきたのよ!?』
『桜花さん。どうかしたんです……か?』
『あっ!』
ひかりに内緒でこっそりと脱衣所で通信していたというのに、大声をだしてひかりに見つかってしまい、空間ディスプレイ越しに太老とも目が合う。
これには桜花も困った。どう答えるべきかと逡巡し、あたふたと桜花は取り乱す。
さっきまでの太老への怒りは、ひかりへの言い訳を考えるのに精一杯でどこかへ吹き飛んでいた。
「あ、ひかり!」
『恵那姉様!?』
ディスプレイ越しに奇妙なところで顔を合わせ、驚く恵那とひかり。
この状況をどう説明したものか、頭を抱える太老だった。
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