グリニッジ賢人議会の前議長にして特別顧問、プリンセス・アリス。
媛巫女筆頭にして日本の呪術界を代表する四家の一つ清秋院の一人娘、清秋院恵那。
オリンポス十二神の一柱にして大地と冥界を支配する三相一体の女神、アテナ。
神より転生せし神祖の一人にして魔女達の女王、グィネヴィア。
そして『青い悪魔』こと零式と、その主――『悪魔王』の二つ名を持つ正木太老とその仲間、平田桜花。
(ううっ、なんだか私だけ場違いな雰囲気が……)
ひかりが畏縮するのも無理はない。これだけの面子が揃っていれば、まつろわぬ神だって警戒する。
事実、最悪の事態を想定してアイスマンの指示で王立工廠周辺には、密かに避難勧告が出されていた。
下手をすれば王立工廠だけでなくセント・アイブスが壊滅する。そう思わせるほどの非常事態だ。
魔術師達からすれば、触らぬ神に祟りなし。遠巻きに観察するだけでも危険な顔ぶれだった。
「太老様。私は昨日言いましたわよね? くれぐれも気を付けてください、と」
「うん、聞いた」
「なら、ど・う・し・て――ここにグィネヴィア様がいらっしゃるのですか? しかも仲良く一緒に朝食を取るようなことに?」
「いやあ、朝早く目が覚めたんで散歩がてら剣術の鍛錬をしようかと外に出たんだけど、そこで彼女にバッタリあってさ。態々訪ねてきてくれたのに追い返すのも可哀想だし、立ち話もなんだろう? だから取り敢えず朝食に誘ったんだ」
何もおかしいことはないだろう? と胸を張る太老を見て、アリスは頭を抱えた。
常識的な対応に見えて、どこかおかしい。しかし太老は至って真面目だった。
「それで、そのお話というのは……」
「ああ、『最後の王を共に探索しないか』って誘われた」
「まさか、快諾されたのですか!?」
交渉が決裂したのなら、ここにグィネヴィアが居るはずもない。だとすれば――
そのアリスの懸念を肯定するように、太老は「うん」と首を縦に振って頷いて見せた。
「え? 冗談ですよね?」
「いや、大真面目」
或いは――と考えていたが、まさかこんな風にあっさりと肯定されると思わず、アリスは唖然とする。
太老の目的は『最後の王』を見つけ出すことだ。その目的を考えれば、グィネヴィアと太老が手を結ぶことは十分にありえるとアリスは考えていた。
しかし、グィネヴィアは危険だ。これまでのことを考えるに、彼女が裏切らないという保証はない。いや、明らかに利用するつもりだろう。アレクはそれがわかっていて、グィネヴィアの誘いを断ったことがある。なのに、あれだけ注意を促したにも拘わらず、グィネヴィアを仲間に引き入れるなど正気の沙汰とは思えなかった。
「目的が一緒なら敵対する理由もないしな。互いの情報を共有した方が理に適ってるだろう?」
「ですが、彼女は危険です。情報だけ引き出して裏切る可能性も……」
「それに下手に動かれるよりは、目の届くところに置いておきたいって思惑もある。少なくとも利害が一致している間は裏切るつもりはないんだろう?」
太老にそう問われ、グィネヴィアは驚いた様子で目を丸くした。
グィネヴィアが黙って二人の話を聞いていたのは、太老の思惑を少しでも知りたくてだったが、こんな風にストレートに問われるとは思っていなかった。
グィネヴィアからすれば、それは注意というより警告に近い言葉に思えた。
他のカンピオーネとは違い、かなり変わった王だとは理解していたつもりだが、やはり一筋縄ではいかない相手だと理解する。
「ええ。グィネヴィアは約束を違えません。それにあなた様は……いえ、今ここで言うべきことではありませんね。我等の遠い裔たる巫女よ。あなたがグィネヴィアのことを警戒するのは当然と理解しています。ですが、今は目的を同じくする仲間。少しは仲良くして欲しいわ」
「それは小母様次第ですわ。アレクに出し抜かれて、次は太老様に取り入ろうとする辺り、まったく懲りておられない様子ですけど」
「フフッ、それはあなたも同じではなくて?」
魔女王と巫女姫。或いは似た者同士なのかもしれなかった。
異世界の伝道師外伝/異界の魔王 第31話『懐かしい匂い』
作者 193
グィネヴィアを仲間に加えた太老達は、昨日と引き続き王立工廠で調べ物をしていた。
ファイルを整理しながら、桜花は周りに目と耳がないことを確認して太老に尋ねる。
「で、お兄ちゃん。本音は?」
「小さな女の子の頼みを断るのもなんだかな」
「そんなことだと思った……」
グィネヴィアの見た目は十二歳前後。ひかりと然程変わりがない。そんな幼女の頼みを太老が断れるはずもなかった。
ましてや探索の障害になるならともかく目的は同じなのだ。真意の程はわからないが、グィネヴィアが『最後の王』に会いたいと言うのなら、それは彼女の自由。太老達の目的はあくまでその先にある。
勿論、世界の滅亡を望んでいるわけではない。それはグィネヴィアも同じだろう。
「まあ、いざという時はなんとかするさ。それに、なんていうか放って置けなくてな」
「放って置けなかった?」
「アリスから聞いていた話ほど、根は悪い子じゃないと思うんだよ」
グィネヴィアは別に世界を滅ぼしたいとか、支配したいと考えているわけではない。
ただ大切な人に、嘗て『王』と崇めた人物に、もう一度会いたいと願っているだけ。
最後の王は彼女にとって、それほどに大切な人なのだろう。そう太老には思えた。
「俺としては複雑な思いなんだけどな……」
グィネヴィアは女神から人間へと転生した際に記憶を失い、当時のことは何も覚えていない。残ったのは聖杯に託された切なる願いと想いだけ。これほど強く『最後の王』の復活を望みながらも、彼女は肝心の王の顔どころか名前すら知らなかった。
真実を知る太老からすれば助かったという心境だが、だからといって女神としての生を捨て、二度の転生を経てまで『最後の王』に義理立てするグィネヴィアの想いを否定する気にはなれない。実のところグィネヴィアの申し出を受け入れたのには、『最後の王』の正体を知るが故の葛藤もあった。
(真実を知った時のガッカリ感というか、焦燥感はなんとも言えないだろうしな)
グィネヴィアの望みは叶う。しかし、彼女が思っているような再会になるかどうかは別問題だ。
本音を言えば、太老自身。『最後の王』の件は誰の目にも触れず、密かに処分したいと考えていたほどだ。
グィネヴィアに真実を伝えることは出来ない。ならせめて、傍に居て少しでもショックを和らげてやりたいと考えた。
それにグィネヴィアを放って置けなかったというのも事実だ。幼いかどうかはわからないが見た目は子供としか言いようがない幼女が一人、捜し人をしていると知って、更に協力をして欲しいと願い出てくれば無碍に出来るはずもない。これで断れる男がいるとすれば、人として疑う。そいつは鬼畜だ。幼女の敵だ。
嘗てグィネヴィアの誘いを断り、あまつさえ彼女が女神としての生と力のすべてを捧げ造り上げた聖杯を奪おうと企んでいたアレクが聞けば、酷い言い掛かりだと文句を言いそうなことを太老は考えていた。もっとも、このことを太老が知れば、アレクとの仲は更に悪化するだろうが……。
「いつもそんな風に幼女を拾ってくるんだよね……」
「何度も言うけど、人聞き悪いことを言わないでくれ」
何と言われようと、そこだけは否定する太老だった。
◆
(まだ、あの子はグィネヴィアを警戒しているみたいですわね)
アリスの視線を感じ取りながら、グィネヴィアは黙々と手を動かす。
王立工廠に秘蔵されている文献や資料を堂々と調べられるのは、グィネヴィアにとってもまたとない機会だった。アレクとは聖杯の件を巡って敵対関係にあるため、本来であればこんな機会は絶対に訪れない。これだけでも太老の協力を取り付けた成果は十分にあった。
もっともアリスに警戒をされているように、協力関係を結んだとはいっても、それは表面上のことだ。勿論、最初から裏切るつもりで太老に話を持ち掛けたわけではないが、あくまで目的と利害が一致しているだけの話。『仲間』とは言ったものの心の底から信頼を得られるとは思っていなかった。
しかし――
(気になるのか? あの男のことが――)
(はい、小父様。あの方の声を聞くと安心できるのです。どこか、懐かしいような……)
頭に響く声にグィネヴィアは答える。太老と会ったのは、これが初めてだ。
そんなはずはないと思いつつも、グィネヴィアは太老にどこか不思議な懐かしさを感じていた。
それがなんなのかグィネヴィアにはわからない。しかし嫌な感じは少しもしなかった。
だからなのかもしれない。自分から持ち出した提案とはいえ、太老が協力をすると言ってくれた時、嬉しく感じたのは――
(小父様は何かご存じなのですか?)
(その問いに答えることは出来ない。それに確証はない。私もすべてを知っているわけではないのだ)
声の主は何でも聞けば教えてくれると言う訳ではない。彼も神≠ネのだ。
最後の王の旧知にして、嘗てはまつろわぬ神だった存在。そして今はグィネヴィアを庇護する者。
グィネヴィアの前世、彼女が『白き女神』と呼ばれていた時代に、彼と取り交わした約束。
大いなる呪法によって彼――ランスロット・デュ・ラックは、グィネヴィアの守護者として地上に括り付けられていた。
(しかし、あの女神は真実に気付いているはず。その上であの男と共にあるのならば――)
それ以上、声の主――ランスロットは何も言うことはなかった。
グィネヴィアもそれ以上は尋ねない。ランスロットが何も話さないということは話せない、もしくは知る権利がないということだ。
ランスロットがグィネヴィアを庇護しているのも例外中の例外。本来、神とは一人の人間に肩入れするものではない。彼が思うように実体化できないのも、この横紙破りとも言える呪法の所為だ。守護者の呪法。これによってランスロットは、グィネヴィアが命の危機に陥った時にのみ短時間だけ地上に顕現することが許される。
グィネヴィアもそのことを理解していた。それだけに無理に問い詰めるような真似はしない。
「あ、あのグィネヴィア様」
「あら、あなたは……」
緊張した面持ちで声を掛けてきたひかりを見て、グィネヴィアはひかりのなかに眠る神祖の血に気付き、少し驚いた様子を見せる。
グィネヴィアはアリスのことを『遠い裔』と呼んだ。それは巫女や魔女と呼ばれる者達が神祖の血を継承しているからだ。
魔女達の女王と呼ばれるグィネヴィアと比べれば、未熟なひかりの力など高が知れている。
しかし、それでも油断の出来ない何かをグィネヴィアはひかりのなかに感じ取っていた。
「もうすぐお昼ですし、少し休憩なさいませんか?」
◆
「おお、豪勢だな。まさか、イギリスにきて日本食にありつけるとは思わなかった」
食卓に並んだ料理に太老は感嘆の声を上げる。
キノコを主体とした山菜料理や魚の煮付けなど、慣れ親しんだ日本の家庭料理がそこには並んでいた。
「誰もいないから、ひかりと二人で台所を借りて作ったんだよ。どうせなら、ご主人様に喜んでもらおうって」
「はい。恵那姉様と市場に買い物に出掛けたんですが、どうしても足りない食材と調味料は零ちゃんに用意してもらいました」
恵那とひかり、二人の気遣いに感激する太老。
洋食や中華がダメと言う訳ではないが、太老の好みはどちらかというと和食に偏っていた。
例外と言えば、酒の肴か。それでもイワシのオイルサーディンなど、肉より魚の方が好みだ。
そんな太老の好みに合わせてか、食卓に並んでいる料理も魚中心の物が多かった。
「二人で買い物か。大丈夫だった?」
「はい。アイスマンのおじさんが車を出してくれましたから」
ひかりは小学生だ。それに恵那が英語を話せるなんて話は聞いたことがない。
いや、これでも媛巫女筆頭だ。欧州には『千の言葉』なんて便利な魔術があるくらいだし、英語くらい習得していても不思議ではないのだが、『海外は初めて』と言っていた恵那がそんな予習をしているとは思えない。常識に欠ける恵那よりは、まだ幾分ひかりの方が頼り強く見えるくらいだった。
「ひかりちゃんは結構海外に慣れてる感じだよね?」
「両親の知人が海外にいて、昔から外国へ旅行に行くことが多かったですから」
万里谷の家は、先祖の代から社交的な人物が多く、西洋人との付き合いが多かった。その影響を受け、家族と共に海外に招かれることも多かった万里谷ひかりは海外での生活、外国人との付き合い方に慣れていた。恵那はまったくその逆だ。
これまで恵那が海外に出ることがなかったのは、恵那の持つ能力――媛巫女の特異性にある。決まった周期で深山に籠り俗世の汚れを祓わなければ、神がかりが出来なくなるからだ。もっともそれは太老の工房という、どんな霊山よりも澄んだエネルギーに満ちた修行場所を得たことでほぼ解決していた。
それに、これでも媛巫女の筆頭にして清秋院の跡取り娘だ。ひかりとでは立場が違う。
「うん、ダシもよく染みてて美味いよ」
「ご主人様、こっちのも食べてみて! これは恵那が作ったんだよ!」
ひかりの料理もそうだが、恵那の作った料理も絶品だった。
普段は的外れなところばかり目立つが、これで恵那も大和撫子なのだと、出された料理を口に入れ太老は再確認する。
なんとも見た目と中身のギャップが激しい少女。それが清秋院恵那だった。
「しかし、アリスやグィネヴィアも上手く箸を使ってるな……」
アテナにも驚いたが、アリスやグィネヴィアも海外育ちとは思えないほど箸の扱いに慣れていた。
そこらの日本人よりも、しっかりとした箸使いだ。これには太老も驚く。
「このくらいは淑女の嗜みですわ。ねえ、小母様」
「ええ。それにわたくしは『最後の王』を探して世界中を旅していましたから」
アリスに淑女の嗜みと言われてピンと来なかったものの、グィネヴィアの話で太老も納得した。
口振りからして、日本にも訪れたことがありそうな感じだ。
こうして楽しい食事会も終わり一息つくと、調べ物の続きに取り掛かる太老達。
調査二日目。グィネヴィアの協力もあって、予定していたよりも随分と早く調べ物は片が付きそうだった。
◆
セント・アイブスで迎える四度目の朝。人気の少ない石造りの洋館に、太老の声が響く。
「終わった――っ!」
ようやく資料整理を終えた太老は、倒れ込むように石畳の床に背中を預ける。
すると頭に、微かに花の香りが匂う柔らかい物が触れた。グィネヴィアの太股だ。
「お疲れのようですね。太老様」
「えっと……」
実のところ桜花達が眠った後も太老は資料室に残り、一人で調べ物を続けていた。実に丸二日寝ていないことになる。
朝早く目が覚めたとアリスに言ったのは、皆を心配させないための方便。このくらいの徹夜作業は太老からすれば慣れたものだが、まさかひかり達を付き合わせるわけにはいかず、黙って一人で作業をしていたのだ。
「ごめん。すぐに頭を退けるから――」
「いえ、このままで。少しは身体を休めてください」
すぐに頭を起こそうとするが、グィネヴィアの手にそっと遮られ、太老は観念した様子で言われるがまま目を閉じる。
「グィネヴィアのお陰で早く終わったよ。ありがとな」
「……いえ、わたくしの方こそ貴重な体験をさせて頂きました。お礼を申し上げます」
こんな風に感謝されるとは思っていなかったので、グィネヴィアは一瞬戸惑った。
太老という男が益々わからなくなる。ただのお人好しか、それとも――
こうしている今もグィネヴィアは懐かしい空気を感じ、太老のことを知りたいという衝動に駆られる。
本当は利用するつもりで近付いたのだ。それなのに今は別の感情が渦巻いていた。
「一つだけ、お訊きしてもよろしいでしょうか?」
「ん? まあ、俺に答えられることなら」
「どうして、グィネヴィアの誘いを受けてくださったのですか? あの巫女から注意を受けていたはずです。それなのに何故?」
「確かにアリスは警戒してるみたいだけど、君は『最後の王』の復活が目的だろう?」
「はい」
「なら、俺と途中までは目的が一致している。そこまでは協力した方が早いだろう? それに――」
「それに?」
「一人でやるより、こうして皆でワイワイやった方が楽しいだろう?」
そう笑いながら話す太老の言葉に、グィネヴィアは今まで感じたことのない感情を覚えた。
皆と共同作業を行い、一緒に食卓を囲んだことが、楽しくなかったと言えば嘘になる。
この世に生を受けて幾十年。それはグィネヴィアにとって一度も味わったことのない経験だった。
「あなた様は――」
懐かしさと温かさが混在したような不思議な感覚。それは失われたはずの記憶。
グィネヴィアの心の奥底に眠る女神だった頃の想いが、微かに反応している気がした。
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