「うん、美味しいね。お兄ちゃん」
「ああ、さすが本場。このモチモチした食感とチーズとトマトの絡みが最高だな」

 屋台で購入した半月型の揚げピザを味わいながら、太老と桜花はエリカの案内でミラノの散策を行っていた。
 ここに来て観光客の真似事をしているのには理由があった。

「でも、お兄ちゃんいいの? こんなにのんびりしてて」
「とは言っても、今は船を動かせないしな……」

 海中を移動させることは出来るが、大気圏を脱出するとなると厳しかった。
 落下時の衝撃が予想以上に大きく零式に命じて修復作業を急がせているが、それでも完全に直るのは数ヶ月先だろうと太老は考える。
 高次元生命体との接触や、エリカを助けるために防御フィールドのエネルギーを分散するなど無茶をしたのも悪かった。
 零式はかなり特殊な船だ。恒星間技術もない辺境惑星では必要な部品を揃えるだけでも一苦労。なら後は零式の自動修復に期待するしかない。

「――太老」

 見栄えのする深紅のドレスと金色の髪が、雑踏の中でも一際存在を主張する。賑わう街の喧騒のなか透き通るような声で、エリカは太老の顔を覗き込むように名前を呼んだ。
 恭しい言葉遣いはいらない、名前で呼ぶようにお願いしたのは太老だ。エリカもそんな太老の意思を汲んで、普通に接するようになった。ここ数日、太老と生活を共にして敬語は不要と判断したからでもある。
 エリカから見て太老は、一言でいえば掴み所のない人物。あれだけの力を持っていて、それをおくびにも出そうとしない。
 命を助け対価を要求するわけでも圧倒的な力で従わせるわけでもなく、太老がエリカに何かを要求することはなかった。

(本当に変わった王様よね)

 でも、嫌な気はしない。エリカ個人としては、そんな太老に興味を抱いていた。
 エリカは自分の容姿に絶対の自信がある。勿論、エリカ・ブランデッリを形作っているのは見目麗しい容姿だけではない。魔術や剣術に長け、若くして大騎士の地位を得るまでに至ったのは、経験と才能に裏付けされた絶対の自信があってこそだ。エリカという少女は自分を磨くことに余念がなかった。
 だからこそ、エリカには一つ腑に落ちないことがあった。いや、納得が行かないと言うべきか?
 普通の男ならエリカのような美少女を自由に出来るチャンスがあれば、少しくらい反応を見せてもいいものだ。だと言うのに、ここ数日さっきのように太老の動揺を誘うためにエリカは密かにアプローチを繰り返しているのだが、ここまで反応がないと逆にプライドを刺激される。女に興味がないと言う訳でもなさそうだし、そこが余計に腑に落ちなかった。

「太老、どう? このドレス。あなたのために選んだのよ」
「うん、よく似合ってると思うよ」
「……それだけ?」
「え?」

 正木太老は、これまでエリカが出会ったことのない不思議な印象を持つ男だった。





異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第3話『読めない空気』
作者 193






 エリカ・ブランデッリ――太老と彼女の出会いは不運な事故が切っ掛けだった。
 高次元エネルギーの衝突にとって偶然発生したエネルギーポケットに船が引き寄せられ、地球に落下。予想して然るべきだったが、まさか落下地点に人がいるなどと思わず太老も焦った。
 咄嗟にエリカの周りに防御フィールドを展開して守ったはいいが、船に収容した時には既に虫の息だった。
 治療を施したものの危うく殺し掛けたとあっては罪悪感も大きい。きちんと謝罪はしたものの太老がここ数日エリカの顔をまともに見れず、少し避けるような態度を取ってしまったのもそれが原因だった。
 エリカの実家があるというミラノまで足を運んだのも、実は理由としてそれが一番大きい。

(ご家族にも、ちゃんと謝罪しないとな……)

 エリカの家族にはきちんと挨拶と謝罪をしておきたいと太老は考えていた。
 とはいえ、まだ現地組織との接触は出来るだけ避けたい。エリカの実家がイタリアで有名な魔術結社だと聞いた太老は、船のことやまつろわぬ神を倒したことなど組織に報告しないようエリカに口止めをお願いしていた。

「それじゃあ、ここで一旦お別れね。また、夜にでも合流しましょう」
「ああ、わかってるよ。でも――」
「あなた達のことは、ちゃんと伏せるから安心して。騎士の誇りにかけて命の恩人を売るような真似はしないわ」

 まだ出会って数日の付き合いだが、太老はエリカのことを信用していた。
 騎士の誇りにかけて――と言うからには、彼女は決して秘密を漏らしたりはしないだろうと太老は考える。
 手を振って立ち去るエリカの背中を見送りながら、桜花は少し呆れた表情で太老に言った。

「お兄ちゃん、エリカお姉ちゃんの誤解を解かなくていいの?」
「いや、ちゃんと説明したんだぞ? 一応、誤解は解けたと思うんだけど」
「あれは、まだちゃんとわかってない顔だよ。うん、絶対に理解してないと思う」

 最初はカンピオーネでないと説明してもなかなか信じようとしないエリカだったが、あの船が宇宙船であることや自分達が異世界からきた宇宙人であることなど、太老は懇切丁寧に説明し理解してもらえたはず――なのだ。
 今一つ自信がないのは、エリカの理解力不足というよりも常識や価値観の違いからだ。普通は魔術や神と言った曖昧な存在より、目に見える科学(モノ)を人は信じようとするものだが、この世界はそう単純ではない。
 魔術が存在し、『まつろわぬ神』や『カンピオーネ』と呼ばれる至高の存在が実在するのだから――

 まつろわぬ神とは、神話という箱庭より抜けだし自由気侭に地上を流離う神々の総称だ。彼等の行く先は常に災厄と共にある。
 海の神が現れた土地は大洪水。大地の神が現れれば大地震。太陽の神が来れば、その土地は灼熱地獄に。
 彼等が『まつろわぬ神』と呼ばれ、人々に恐れられている理由はそこにある。そんな神を殺戮し、権能を簒奪した者に与えられる称号が『カンピオーネ』だ。
 神と魔王――人間から見れば抗うことの出来ない脅威という点で、二つの存在は共通していた。

 エリカは生粋の魔術師だ。それだけに長年信じてきた常識や価値観を揺るがす太老の話を、簡単に信じることが出来なかった。
 人間に神は殺せない。それが魔術師達の常識であり自然の摂理だからだ。
 稀に様々な要因と偶然が重なり、神殺しという偉業に成功する者がいるが、それこそ魔術師達が王と崇める『カンピオーネ』の証だ。
 太老が何者であろうと神を殺し、神を退けた事実に変わりはない。それだけでエリカからすれば、太老を『王』と崇める理由は十分だった。
 勿論、すべてを疑っているわけではない。ただ、エリカには太老が科学だというものが魔法のようにしか見えないし、あんな大きな鉄の塊が宇宙(ソラ)を飛ぶなんて説明されても心の底から信じることが出来ない。実際に飛んで見せれば早いかもしれないが、生憎と零式は修復作業中だった。

「まあ、大丈夫だろう。のんびりイタリア観光を楽しもう」
「お兄ちゃん、適当すぎ……」

 エリカと別れた太老と桜花は観光ガイドを片手にミラノの街へと消えていった。


   ◆


 ミラノのオフィス街にそびえ立つ十五階建ての立派な建物。そこが『赤銅黒十字』の拠点として使われている本部ビルだ。
 ここで働く人間はやはり魔術関係者が多いが、表向きは企業としての顔を持つこともあってビジネススーツ姿の一般人の出入りも目立つ。
 そんなビルの最上階の一室に、エリカとその叔父パオロ・ブランデッリの姿があった。

「よく帰った、エリカ。サルデーニャでのことは聞いている。神が消え、お前の消息が途絶えたと報告を受けた時は心配したぞ」
「ご心配をお掛けして申し訳ありません、叔父様。報告が遅れたことはお詫びします」
「よい、こうして無事な姿を見せてくれたのだからな。それで、何があったのだ?」

 パオロの鋭い視線と真剣味を帯びた言葉に、エリカは少し緊張しながらも答える。
 太老や桜花のことを伏せながら、サルデーニャで体験したことのすべてを――
 ウルスラグナとメルカルトが顕現したこと。そして、その二柱の争いによってサルデーニャ西部の遺跡沿岸部は壊滅し、ウルスラグナとメルカルトは死闘の末に相打ちで倒れたとエリカは報告した。
 その報告に少し驚いた様子で逡巡し、パオロはエリカに言った。

「てっきりお前のことだから神の戦いを止めると言って無茶をしたのかと思っていたのだが、私の言い付けを守ったのだな」
「当然ですわ。幾ら私が勇敢で才に恵まれていても、神に挑むなんて無茶をするはずがありませんもの」
「そうか、それは安心した。それで――実際のところはどうなのだ?」

 冷や汗を流し、エリカは思わず息を呑む。両親を早くに亡くしたエリカにとって、パオロは唯一の肉親にして父親同然の存在だった。
 それだけにパオロの偉大さと凄さは、彼の教えを受けてきたエリカ自身が一番よく理解していた。
 もうすぐ四十を迎えるとはいえ、未だにその眼力は衰えを見せない。『イタリア最高の騎士』と名高い歴戦の勇士である叔父を簡単に欺けるとは思っていなかったが、こうも容易く心を見透かされるとエリカも言葉が出なかった。

「或いはお前が神を殺し、カンピオーネになったのかとも考えた。しかし、それもどうやら違うようだ。だとすると腑に落ちぬ。サルバトーレ卿の話では数日前までアルゼンチンにおられ、『まつろわぬ神』が出たという(しら)せを受け戻られたばかりだというし……。ならば何故、神は忽然と姿を消したのか?」
「サルバトーレ卿がお戻りになられているのですか!?」

 エリカは珍しく声を張り上げて驚いた。その表情には焦りが見える。
 サルバトーレ・ドニ。『剣の王』の異名を持つカンピオーネにして、イタリアの魔術界に君臨する盟主だ。
 カンピオーネは太老を除けば、現在この世界に六人存在する。ドニは今から四年前にケルト神話に登場する神ヌアダを殺し、神殺しとなった六人目のカンピオーネだ。
 太老が現れなければ、彼が顕現した神を倒していたはずだ。エリカがそう確信できるほど実力に関しては疑いようのない人物なのだが、ドニには致命的な欠点があった。
 君臨すれども統治はせず。盟主とは名ばかりの自由奔放な性格と、何より彼は強者を見ると戦わずにはいられない――戦闘狂なのだ。

「た、大変です! サルバトーレ卿が何者かと戦闘に――」

 エリカとパオロが話をする部屋に慌てた様子で報告に入ってきたのは、黒のビジネススーツに身を包んだスキンヘッドの黒人だった。
 彼の名はクラレンス。年齢は三十一歳。イタリア国籍ではないため『紅き悪魔』を名乗ることはないが、パオロを除けば『赤銅黒十字』の実質的な筆頭騎士を担う大騎士。その実力と経験はエリカをも凌駕する歴戦の魔術師だ。
 そんな彼が体裁を捨て慌てるほどの緊急事態が、ここミラノで起こっていた。

「何があったの?」
「これは姫。いつお戻りに?」
「そんなことより、サルバトーレ卿がどこで誰と戦闘になったの!? 答えなさい!」

 先に反応してクラレンスに迫ったのはエリカだった。
 彼女のなかでは既に確信めいた嫌な予感が蠢いていた。だからこそ、早く情報を確かめたいという焦りが生まれる。

「ガッレリアだ。そこで東洋人と思しき少女連れの男と戦闘になったと――あっ、おい!」

 場所をクラレンスから聞き出すと、脇目も振らず部屋を飛び出すエリカ。
 そんなエリカの後ろ姿をよくわからないと言った様子で、呆然とクラレンスは見送った。

「それで戦闘になって、どうなったのだ?」

 パオロはエリカとは違い冷静にクラレンスの報告を吟味していた。
 ドニが騒動を起こすのは今に始まったことではない。しかし戦闘になったからと言って、カンピオーネであるドニが負けるとは思えない。その男と少女が何者かはわからないが、今頃は勝負がついている頃だろう。
 なのにクラレンスのこの慌てようは、パオロからすれば腑に落ちない。他にも何かあったと考えるのが自然だった。

「幸い避難は間に合い死者は出ていませんが、ガッレリアは半壊。それに――」

 そこまではパオロも予想していたことだった。
 カンピオーネが戦えば、周囲に被害が出ることはよくあることだ。最悪まつろわぬ神との戦いになれば、街一つが地図から消えることもある。そのため一般人が戦いに巻き込まれないように出来るだけ交戦は避け、住民の避難を優先するようにとパオロは普段から組織の者達に徹底させていた。
 特に欧州の魔術師達はカンピオーネやまつろわぬ神との付き合いが長く、そうした問題が発生した時の対処に慣れていた。一般人の安全確保や事後処理が魔術結社の主な役割となっているのも、そのためだ。

「サルバトーレ卿が敗退されました」

 予想を超えたクラレンスの報告に、パオロは瞠目した。


   ◆


 ガッレリアは世界最大のゴシック建築と呼ばれるドゥオーモや、スカラ座などのミラノを代表する観光地へと繋がる街のシンボルともなっているアーケードだ。
 軽食から本格的なディナーまで楽しめるレストランやカフェを始め、衣服や装飾品を取り扱う高級ブランドの店からオートクチュールの専門店まで、お洒落でハイソな店がひしめくイタリア屈指のショッピング街だった。
 そんなミラノの顔とも言うべき歴史あるアーケードが、空爆が通り過ぎた後のように凄惨な姿を晒していた。
 自慢のガラス張りのアーチは粉々に砕け散り、アーケードの景観を支えていた石造りの建物も瓦礫と化し、ここがあのガッレリアだと気付けないくらい原型を留めてはいなかった。
 その廃墟の中心に少女連れの男の姿があった。太老と桜花だ。

「お兄ちゃん、これはちょっとやり過ぎ……」
「いや、これをやったのは俺じゃないし、逆に俺は被害者なんだけど」

 また怒られると思った太老は弁明しようとするが、

「これじゃあ、お洒落なカフェでお茶や、セレブなお店で買い物も出来ないじゃない!」
「心配するのはそっちなのか!?」

 話の趣旨がズレていた。
 そもそも、太老もこんな破壊活動をするつもりはなかったのだ。普通にお茶をして買い物を楽しむつもりだった。
 なのにこんなことになったのは、金髪の男が突然『勝負しようよ』とか言って剣を抜き斬り掛かってきたのが原因だ。
 この瓦礫の山だってその金髪の男がほとんどやったもので、太老からすれば正当防衛を主張したい不運な出来事だった。

「しかし、なんて物騒な街なんだ。行き成り剣で斬り掛かってくる奴がいるなんて……」

 金髪の男は「はははっ! そんな攻撃、僕には効かないよ」と笑いながら床が崩落し、地下へと落下。
 昔使われていた古い地下水路に落っこちたらしく、瓦礫でせき止められていた水が崩落のショックで勢いよく流れ込み、そのままどこかへ流されて行った。

「やっぱり海外は恐いところだな。あれがイタリアのマフィアって奴か」

 しみじみ呟く太老を見て、桜花は少し呆れたようにため息を漏らした。


   ◆


「よかった。無事だったのね」
「エリカ?」
「ここを早く離れましょう。でないと大変なことになるわ」

 よくわからないままエリカの案内でアーケードを抜けると、そこに十数人からなる男達が待ち受けていた。
 さっきの金髪の男の仲間と考え、エリカと桜花を庇うように前に出る太老。
 すると、顔を青ざめた男達が命乞いをするように両手両膝を床に付き、深々と頭を下げ始めた。
 所謂、メイドイン土下座という奴だ。事情が呑み込めず困惑する太老。

「やっぱり、こうなったわね……」
「エリカお姉ちゃん、これって……」
「お察しの通りよ……」

 額に手を当て天を仰ぐエリカ。その様子から桜花は大体の事情を察した。
 さっきの金髪の男からして怪しかったのだ。彼等が何を誤解しているかも察しが付く。いや、誤解とも言い切れないが……。

「おい、本当にこれでいいのか? 何か、反応がおかしいんだが……」
「いや、これで合ってるはずだ。そもそもおシャ魔女SORAMIによれば――」
「また、アニメ知識か! 何が任せろだ! こんな時にまでふざけるなっ!」
「ふざけてなんかねえ! ソラミをバカにするな!」

 懐からアニメのDVDを取り出し、隣のクラレンスに見せつけながら熱烈に魔法少女の良さを語り始める髭面の男。
 二十代前半なのに三十過ぎのクラレンスより老け顔と言った彼――ジェンナーロ・ガンツは幼児向け日本アニメの大ファンだった。
 愛妻家で知られ、エリカと『紅き悪魔』の座を競う実力者なのだが、これだけが難点でよく同僚を困らせていた。
 今回もそうだ。太老が日本人だと当たりを付けると『俺に任せろ!』と言って、全員に土下座をさせたのは彼だ。

「私に内緒にするように言っておいて、自分から騒ぎを起こすんだから……」
「いや、俺が悪いのか?」

 太老の横に立っていたエリカが呆れたように言った。
 納得の行かない様子で不満を口にする太老。そんな親しみすら感じる二人のやり取りに、ガンツは首を傾げる。

「なんで、姫がそっちにいるんだ?」

 もっともな意見だった。自分達は土下座をしているのに、何故エリカは太老の横にいるのか?
 そこにいる全員が訊きたくても黙っていたことを遠慮もなく口にするガンツ。
 クラレンスが空気を読めとばかりにガンツを睨み付ける。その質問は明らかに地雷としか思えなかったからだ。

「ここにいる太老は……私の命の恩人よ」

 訊かれたくないことを尋ねられたと言った様子で、少し言い難そうに答えるエリカ。若干、頬が赤く染まっているようにも見える。
 そんなエリカの反応に珍しいものを見たとばかりに反応する男達。その時だった。
 ガンツが一人納得した様子で、ポンッと手を打った。

「ああ、姫にも遂に春がきたってことか。なんだよ、それならそうと最初に言ってくれれば――」

 すべてを言い終える前に、エリカの見事な飛び膝蹴りがガンツの顔面に直撃する。
 思わず桜花が『お見事』と口にするほど、無駄のない流れるような動きだった。
 そんなガンツの蛮勇とも言える行為に一同は心の底から呆れ、ため息を漏らした。





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