「ルクレチアさん良い人だったな」
「あれは……そういうのとは違うような」
「違う?」

 なんのことかわからずに首を傾げる太老。そんな太老の反応に桜花はため息を漏らす。
 ルクレチア・ゾラ。油断のならない相手だと桜花は考えていた。
 彼女の知識は、この世界のことに疎い太老や桜花にとって非常に有益なものだ。それに神々や『最後の王』に関する造詣も深く、太老達が苦手とするオカルト方面からの探索には彼女の協力があるのとないのとでは効率が大きく違う。上位魔女だけが持つ独自の繋がりもバカには出来ない。『ワルプルギスの夜』のような集会を中世の時代から定期的に開き、現在もそのネットワークは機能しているという。これらのことからも現地協力者としては申し分のない相手だ。
 しかし彼女が素直に協力を約束したのも、何か裏があるように桜花には思えてならなかった。

(まさか、お兄ちゃんのことを狙っているとか……)

 太老は分家とはいえ『柾木』の眷属だ。あの一族は何かと年上の女性と縁があるので、ないとは否定し辛い。
 太老自身そうと否定できないほどの前例があるだけに、可能性としては濃厚だと桜花は考えていた。
 まだ一ヶ月と経っていないのにエリカと合わせて既に二人だ。桜花が警戒するのも無理はなかった。

「でも、エリカはいいのか?」
「ええ。叔父様も認めて下さっているし……太老の力になりたいの。それとも私は邪魔?」
「いや、そんなことはないよ。凄く助かる」

 エリカは改めて太老に協力することを約束した。
 現地組織との繋がりは太老や桜花も必要と考えていたので、エリカが協力を申し出てくれたのは二人にとって願ったり叶ったりと言ったところなのだが、これも桜花は素直に喜べないでいた。
 ルクレチアの一件の後、何を思ったのか? エリカが太老に騎士の誓いを立てたからだ。
 騎士の誓い――それは王に忠誠を誓うということ。身と心、一生のすべてを剣と共に主君に捧げると言うことだ。
 告白と言ってもいい。目の前でそんなやり取りをされたのだから、桜花も唖然とした。
 そして、それは自分への宣戦布告と桜花は受け取った。エリカは桜花の前で宣言したのだ。
 自分が太老の一番になってみせると――それだけに桜花としても負けられない。

「お兄ちゃん。ちょっと疲れちゃった。前によくやってくれたみたいに肩車してくれない?」
「ん、別にいいけど。そんなに歩いたか?」

 屈んで「ほら」と桜花に背中を向ける太老。これは桜花の作戦だった。
 太老に肩車をされて、頭の上からニヤリと桜花はエリカを見下ろす。

(この子……)

 エリカが女の魅力を武器にするなら、桜花は自分が子供であるメリットを最大限に活かす。
 太老の与り知らぬところで、女と女の戦いが始まろうとしていた。





異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第6話『美女と温泉』
作者 193






 女三人寄ればかしましいというが、普通は女ばかりのところに男が一人というのは肩身が狭いものだ。ハーレムは男の夢というが、それは女に囲まれた生活を送ったことのない愚か者の願望であって、現実にはあれほど心の安まらない生活はない。
 しかし人間とは環境に適応する生き物だ。女ばかりの園で幼少の頃から過ごしていれば、自然と慣れもする。正木太老は過去から現在に至るまで、そのほとんどを女性に囲まれた生活を送ってきた。しかも周りは美女・美少女の綺麗どころばかり。こんな生活を送っていれば、少々の誘惑では揺らぎもしない。嫌でも耐性が付くというものだ。
 当然、エリカ・ブランデッリという絶世の美少女を前にしても、太老の鈍感が揺らぐことはなかった。

「この私が上手く躱されてばかりなんて……」

 桜花に挑発されたからと言う訳ではないが、エリカにも女としてのプライドがある。そのため懲りずに何度も太老にアプローチしたが、そのすべてが空振りに終わっていた。
 桜花のような甘え方はエリカには出来ない。なら使えるのは、これまで丹念に磨き上げてきた女の武器だけだ。しかし、それは太老には通用しない。それにエリカには絶対的に男性経験が足りていなかった。
 これまで一度も男と付き合った経験がないのだから当然だ。言い寄ってくる男のあしらい方には慣れているが、逆に自分から男に迫った経験が彼女にない。特に相手に主導権を握られることにエリカは慣れていなかった。

「悩んでいるようだな。私がアドバイスをしてやっても良いが……」
「ルクレチア・ゾラ! あなたがどうしてここに!?」

 エメラルドブルーの海を一望できるサンデッキで、南国のフルーツをふんだんに使ったトロピカルカクテルを片手にリゾート気分を満喫する一人の女性にエリカは声をかけられた。ルクレチア・ゾラだ。
 コスタ・ズメラルダにあるサルデーニャの高級リゾート。『エメラルド海岸』でも有名なイタリア屈指のリゾート地には、セレブ御用達の高級ホテルが軒を連ねている。その一軒にエリカ達は宿泊していた。

「このホテルを紹介したのは私だ。ここに私がいるのは何も不思議ではあるまい」
「まさか、最初からそのつもりで……」

 ただの協力者で収まることはないと思っていたが、この魔女はやはり油断ならないとエリカは思った。

「何、そう警戒せずとも若人(わこうど)の邪魔をしようとは思っていない。彼との付き合いは長くなりそうだしな。急ぐ必要もないし、じっくりとやるさ。なんなら現地妻でもいい。ポジションには拘らないつもりだ」

 どこまでが本気でどこまでが冗談かわからない発言だが、それがルクレチアの狙いだ。
 本心からの言葉ではないだろうが、その言葉に嘘はないとエリカはルクレチアの言葉を信じた。
 ようするに、この状況を楽しんでいるのだ。それが彼女にとって最大の娯楽なのだろう。
 そして太老やその周りにいる人間を観察することが、恐らく彼女の最大の目的だ。

「いらないわ。あなたの協力なんてなくても……」
「平田桜花、彼女は手強いぞ。恐らく見た目通りの年齢ではない。経験でも実力でも劣る相手に何の策もなしに挑むのは無謀だ」

 ルクレチアに言われずともエリカもわかっていた。あの少女が見た目通りでないということくらい。だからと言って敵ではないのだから、必要以上に警戒しすぎるのもよくない。一番大切なのは、どうやって太老の心を掴むかだ。
 いつから、そんな風に考えるようになったのかはわからない。しかし、エリカは今なら認めることが出来る。
 ――エリカ・ブランデッリは正木太老に惹かれていると。

(まさか、私がこんな風に誰かを好きになるなんてね……)

 最初は興味からだった。太老に振り回されていくうちに次第に興味は好奇心へと変わり、いつしか自然と目で太老のことを追うようになっていた。
 命を救われた恩を少しでも返したい。そうした気持ちが切っ掛けだったのかもしれない。
 でも太老の目的を知って、太老が抱えている使命の大きさを理解した時、エリカは初めて自分の気持ちに気付くことが出来た。
 恩を返したいからじゃない。この人の役に立ちたいのだと――

(『最後の王』を捜し出し、それをどうにかするということは、確実に迫る脅威から世界を救うということ。そしてルクレチアもそれを理解して、太老に協力することを約束した)

 放って置いても何れ訪れるかもしれない災厄だ。『最後の王』の存在を知りながら探索を諦めるということは、結局のところ問題を先送りすることにしかならない。ルクレチアが『最後の王』の探索を諦めたのは、彼女に問題を解決するための術がなかったからだ。
 しかし太老は違う。根拠のない漠然とした可能性だが、太老ならどうにか出来るのではないかとエリカは考えていた。
 そして、その可能性に賭けたからこそ、ルクレチアも太老に協力する道を選んだ。
 黙って滅びを待つなど性に合わない。それなら太老と共にエリカは当事者でありたいと願った。
 そう言う意味では、ルクレチアのことは信頼は出来ないが信用は出来るとエリカは思っていた。

「それで……具体的な案はあるの?」
「ほう、やる気になったか」
「話を聞くくらいなら損はないと思っただけよ」

 若干負け惜しみが入っているが、ここは素直に助言に従っておくべきだとエリカは考えた。
 こう見えてエリカの何倍もの歳月を生きる魔女だ。その助言には一考の価値がある。

「日本には『裸の付き合い』という言葉があるのを知っているか?」


   ◆


「お兄ちゃんがいない……」

 夕食を終え、風呂に誘おうと太老の部屋を訪ねた桜花だったが、どこにも太老の姿はなかった。
 先に風呂に行ったのかと考え、男風呂の方にも足を運んだがそこにもいない。
 思い当たる限りの場所をくまなく捜しすが、やはり見つけることは出来ず段々と嫌な予感が桜花のなかに募っていく。

「エリカお姉ちゃんもいないなんて……まさかっ!」

 ようやくエリカが太老をどこかに連れだした可能性に行き着き、桜花は慌てた。
 まさか、こんな大胆な行動に出るとは――問題はどこに行ったかだ。
 当てもなく捜すには、このリゾート地は広すぎる。そう考えた桜花はホテルのフロントに助けを求めた。

「そう、お兄さんとお姉さんとはぐれちゃったのね」
「うん……お姉ちゃん、二人がどこに行ったか知らない?」
「本当はダメなんだけど……まあ、妹さんならいいわよね」

 エリカが何をするにしても、一度はフロントを通ったはずだと桜花は考えたのだ。
 案の定、エリカはフロントを通してホテルから数キロ離れた施設の予約を行っていた。
 無害な子供を装い言葉巧みに従業員から場所を聞き出した桜花は、慌ててホテルを飛び出した。

「露天風呂を貸し切りって! これだからお金持ちのやることは!」


   ◆


 サルデーニャは山と海に囲まれた自然豊かな島だ。
 季節は四月。オフシーズンということで観光客も少なく、まだ海に入るには少し肌寒い日が続くが温泉となれば話は別だ。
 白く輝く月の下、海を背に望むローマ風の露天風呂に男女の姿があった。

「お兄ちゃん! 大丈夫!?」
「ん、桜花ちゃん?」

 慌てた様子で露天風呂に飛び込んだ桜花だったが、何やら想像していた状況と違い呆然とする。
 混浴をしているのは確かだが、ルクレチアはきちんと水着を着用しているし、問題のエリカはアリアンナと一緒に酔い潰れ、脱衣所でスヤスヤと眠っていた。

「どうなってるの?」
「ふむ。太老がここまで来て一緒に風呂に入ることを拒んでな」
「いや、裸の付き合いなんて言われたら普通は断るだろう? だから水着を着てくれって条件を付けたんだよ」

 ルクレチアとエリカに誘われて露天風呂に足を運んだはいいが、混浴と知って太老は彼女達に水着を着るようにお願いした。幸いホテルの施設なので水着のレンタルもやっていて、ここで太老に帰られては計画が台無しと渋々要求に応じたエリカだったが、そこで素直に引き下がる彼女ではなかった。
 エリカは今月で十六歳の誕生日を迎える。イタリアでは十六歳から飲酒が認められているとはいえ、当然まだ十六になっていないのだから飲酒は法律違反だ。しかし、だからといって後には引けない時がある。アリアンナに事前に用意させていた酒を振る舞い、太老を酔わせる計画にエリカは打って出たのだ。しかし、そこで持ち前の負けず嫌いが発揮されてしまった。
 軽快に酒瓶を開ける太老とルクレチアのペースに呑まれ、気付けば酔わせる側の人間が酔い潰れるといった間抜けな事態に――
 これまで同年代の若者に酒の飲み比べで負けたことがなかっただけに、それなりの自信があったエリカだったが、幾ら飲んでも酔わない規格外の二人について行けるはずもなかった。

「しかし驚いたぞ。私と同じくらい飲めるとは……」
「まあ、昔から飲み慣れてるし、一人で酒樽を空けるようなのも周りにいたんで」

 太老が宴会慣れしているのは事実だ。酷いときは一週間も飲めや騒げと宴会を続けたこともある。それに体力は勿論のこと太老の場合、体内のナノマシンが自動的に身体の調子を整えるため、ほろ酔いくらいにはなるが普通の酒で泥酔すると言ったことがなかった。
 知らなかったとはいえ、太老を酔わせるつもりで酒を勧めるのは間違いだった。

「なるほど、そう言えば一郎もうわばみだったな」
「一郎?」
「うむ、昔馴染みでな。よく一緒にこうして酒を飲み交わしたものだ」
「いいね。なら今度、盛大に宴会でも催すか。取って置きの酒があるんだ。その時に御馳走するよ」
「ほう、それは楽しみだ」

 昔を懐かしむルクレチアを見て、昔はよく宴会をしたものだと太老も故郷に思いを馳せる。
 今度はお世話になっている皆を誘って宴会を開くのも悪くないと太老は考え、桜花にも「いいよな?」と確認を取るように話を振るが、

「それはいいけど、お兄ちゃん。私を置いて行った言い訳は?」
「いや、忘れてたわけじゃないんだぞ?」

 だからと言って、桜花の追及から逃れられるはずもなかった。


   ◆


 雷雲が轟き、暴風が吹き荒れ、激しい豪雨が降り注ぐ。イタリア半島は今、大嵐に見舞われていた。
 何の前触れもなくアドリア海に現れた大嵐はイタリア半島へ上陸し、現在イタリア南部から徐々に北上を開始していた。

「船が出ない?」
「ええ、飛行機もダメね」

 その影響でサルデーニャから本土に渡る船と飛行機は全便欠航となっていた。
 これではミラノに帰ることが出来ない。どうしたものかと相談をする太老とエリカ。特に急いでいるわけではないので、もう一泊くらいしても問題はないのだが、エリカは何やら腑に落ちない様子で厳しい表情を浮かべていた。

「何、難しい顔をしてるんだ?」
「おかしいと思わない? この時期に、それもこんな場所で大嵐に遭うなんて……」

 サルデーニャは地中海性気候に属していて、温暖で乾燥していて降雨の少ない土地だ。
 この時期にこれほどの大嵐に見舞われることは、まずほとんどないと言っていい。
 しかし、この雨はイタリア南部を中心にサルデーニャにまで降り注いでいた。

「そう言えば、サルデーニャは余り雨が降らないんだっけ?」
「ええ。ましてや、こんな大嵐……明らかに不自然だわ」

 勿論その可能性はゼロではない。しかし気象学者であれば首を傾げるような現象だ。
 そこから推測されることは一つしかない。まつろわぬ神、もしくはカンピオーネが関わっているということだ。
 その時、エリカの携帯電話が鳴る。着信表示を見てエリカは眉をひそめた。

「……リリィ?」

 リリアナ・クラニチャール。愛称『リリィ』の名でエリカが呼ぶ幼馴染みにして、幼い頃から魔術と剣術を競ってきた彼女のライバル。『赤銅黒十字』と同じくミラノに拠点を構える『青銅黒十字』の大騎士にして、『剣の妖精』の異名を持つ少女からの電話だった。





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