「依頼ですか？」
「うん。まあ、この件が片付いてからで良いって話だけど」
それがディアナが太老にだした協力の条件だった。
太老は気軽に受けたようだが、アリスはまた厄介事に首を突っ込んだ気がしてならなかった。
とはいえ、引き受けてしまった以上、今更何を言ったところで後の祭りだ。口約束とはいえ、それを違えてしまえば王の沽券に関わる。
それに、そんな建て前など関係無く、ディアナが本当に困っているのなら太老は進んで引き受けるだろう。
それを知っていて、そんな条件をだしたのなら――
ディアナ・ミリート。ルクレチアの紹介だけあって、侮れない女だとアリスは思った。
「どうだ？ 上手く行きそうか？」
「お任せを――失せ物探しは魔女の得意とするところですから」
胸を張り、自信ありげに答えるアリス。その足下に描かれた魔法陣の中心には、一冊の本が置かれていた。
青銅黒十字の旗印が入った青いカバーの本。それはディアナが思い出の品にと、リリアナが修行を終えて去る時に、こっそり荷物から抜き取っていたものだ。
リリアナが修行の合間にしたためた自作小説。彼女の思い出がしみ込んだ品としては、これ以上の物は確かにないだろう。
「リリアナの小説か。ちょっと読んでみたい気もするけど……勝手に読むのもな」
「太老様は読まれない方がいいかと……」
「え？ なんで？」
アリスの言っている意味がわからず、首を傾げる太老。
この作品が書かれたのは今から四年前。リリアナが太老に助けられた直後に書いた作品だ。
それだけで、内容は見ずともわかると言うもの。リリアナからすれば、太老にだけは絶対に見られたくない代物のはずだ。
これは太老に見せるべきではない。アリスにも、そのくらいの配慮はあった。
この話題は、これ以上続けるべきではないと考えたアリスは、先程から気になっていたことを太老に尋ねる。
「ところで太老様。この頭の上の物は何なのですか？」
アリスは頭にヘルメットのような形をした謎の機械を被らされていた。
テレビのバラエティー番組に出て来るような、怪しげなヘルメットだ。
ピカピカと光る電球のようなものが、如何にも胡散臭い。
「占いの精度を上げるための機械だと思ってくれ」
「はあ……」
そんな太老の説明に、訝しげな表情を浮かべるアリス。
機械で魔術の精度を上げるなど、少なくともアリスは聞いたことがなかった。
しかし、太老の用意したものだ。何の意味もないとは思えない。
「呪力を増幅する機械ということですか？」
「いや、呪力を増幅なんてしないよ？」
「では、一体？」
「そうだな。アリスにも分かり易く言えば……そもそも予知や霊視ってなんだと思う？」
ふと考えもしなかったような質問をされて、アリスは目を丸くした。
予知とは、未来を予見する力。霊視とは、幽霊や神霊と言った通常は目に見えない存在や力を読み取る力だ。
精神感応に長けた術者であれば、精度の違いはあれ、誰もが使える力と思っていい。優れた巫女や魔女であれば、神の名から来歴を言い当てることも可能だ。
今回、アリスがリリアナとカレンの捜索に使おうとしている魔術も、そうした魔女にのみ伝わる秘術を用いたものだった。
先程、アリスが言ったように、失せ物探しに魔女が長けている理由はそこにある。
「見通す力……でしょうか？」
アリスは、魔女のその能力を『見通す力』と称した。
間違ってはいないが、正解とも言えない。太老の解は違っていた。
「惜しい。もっと具体的に言えば、アストラル海から必要な情報を引っ張ってくる能力だ」
世界の『界』ではなく海の方の『海』
生命の起源にして、魂の帰る地。ありとあらゆる知識・記憶が集まる場所。それがアストラル海だ。
この世に生きる命はすべて、アストラル海へと繋がっている。
肉体は魂の器。魂とは、アストラル海に繋がる端末と言ったところだ。
「欲しい知識や記憶だけをアストラル海から抜き出すなんて真似は、普通の人間には無理だ。でも稀に、アストラル海から部分的に情報を読み取れる者がいる。それが預言者や、アリスのように魔女や巫女と呼ばれる能力者達だ」
太老達の世界にも、『アストラルコピー』と呼ばれる技術がある。
これは死んだ人間の魂のコピーを作ったり、アストラル海から記憶だけを抜き取る力だ。
しかし科学でこれを実行しようとした場合、第二世代以上の皇家の樹の力が必要となる。
それを限定的とはいえ、再現可能なのが、アリスのような魔女の持つ能力と言う訳だ。
「では、これは……？」
「アリスを通してアストラル海へと接続する機械だ。取得した情報はこっちで解析するから、普段通りにやってくれていいよ」
占いや予言と言ったものでわかるのは、大まかなことだけだ。
設定されたキーワードを元に、記憶の海から流れ込んできた断片的な情報を、一方的に受け取っているに過ぎない。
太老はそれを科学の力でサポートすることで、より詳細な情報を読み取れる仕組みを作り出した。
魔術と科学の融合。共に苦手とする分野を、技術と知識で埋め合わせようと考えたのだ。
「前々から気になっていたのですが、太老様は何者なのですか？」
アリスは前から気になっていたことを、思い切って太老に尋ねた。
少し前まで、魔術に関しては素人も同然だったはずだ。それが今では、科学を観点に魔術を技術の一つとして捉え、アリスにさえわからないような方法で魔女の能力を解説してみせた。
それはカンピオーネと言うだけでは、説明が付かないほどの異常だ。
そんなアリスの質問に、困った様子で頬を掻きながら太老は言った。
「そうだな……宇宙人だって言ったら、信じる？」
「それは……」
その時だった。突如、天を裂く轟音が響く。
「うおっ……雷か？ 今のは近かったな」
「いえ、これは……」
窓の外を見れば、先程まで晴天だったにも拘わらず、街は今、局所的な大嵐に見舞われていた。
ナポリは地中海に面した街だ。シチリアのように年間を通して余り雨が降らない。
特に春先から夏にかけては降水量が少なく、陽気な天気が続くこともあって、五月に入ると砂浜で日光浴に興じる気の早いイタリア人も少なくないほどだ。
「まさか……っ！」
「おい、アリス！」
突然、建物の外に走り出したアリスを追い掛ける太老。
吹き荒れる風と雨の中、アリスは何かを確かめるように空を見上げる。
稲光に照らし出されるように、灰色の空に映る異形の影。
嵐と共に、空を駆ける四つ足の獣。アリスの瞳が、ゆらりと光を放った。
「間違いありません。これは――『山羊』の仕業です」
異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第25話『神の化身』
作者 193
「駆けよ、ヘルメスの長靴！」
紅と黒の魔術衣を纏い、空を駆けるエリカ。その視線の先には、巨大な怪物の姿があった。
大騎士クラスの魔術師が部隊を組んで討伐にあたり、死を覚悟してなお太刀打ち出来るかどうかと言った怪物。
それが神の眷属、『神獣』と呼ばれる化け物だ。
何の前触れもなく、ミラノに突然現れた黒い怪物。その姿にエリカは見覚えがあった。
「間違いない。これは『猪』の化身……」
そう、それは二ヶ月ほど前、サルデーニャを襲った災厄。まつろわぬ神、軍神ウルスラグナの持つ『猪』の化身だった。
しかし、かの軍神は太老によって倒されたはず。
なのに、ここに『猪』がいるということは、考えられることは一つしかない。
「死んでいなかったのね……」
唇を噛むエリカ。その表情は、どこか険しい。
しかし、エリカはウルスラグナが生きていたことに、それほど驚いてはいなかった。
そもそも、まつろわぬ神とカンピオーネの戦いは、互いに不死に近い生命力を持った高位の存在だけに、一度で決着が付くことは少ない。
それに、かの軍神には豊穣と生命を司る『雄羊』の力がある。ウルスラグナが生きていたとしても、何の不思議もなかった。
「エリカ様！ ナポリ、ローマ、他イタリアの各地で、神獣の出現が観測されたとのことです！」
神獣の同時出現。車で後を追い掛けてきたアリアンナの報告を聞き、エリカは苦悶の表情を浮かべる。
間違いない。ウルスラグナは生きていた。
だとすれば、この神獣の出現は、ウルスラグナの復活を告げる予兆に違いない。
「だとすれば、ウルスラグナの狙いは恐らく……」
太老は今、ナポリにいる。ならば、この現象にも気付いているはずだ。
そして、今こうして神獣が現れたということは、復活を遂げたウルスラグナの狙いは一つしかない。
自身を窮地に追い込んだ魔王との再戦。太老との決着を付けることだ。
「アリアンナは船に戻りなさい。そして、このことを太老に――」
「エリカ様はどうされるのですか！？」
「私はここでコイツの足止めをする。いいから、早く行きなさい！」
鬼気迫るエリカの声に驚きながらも、アリアンナはすぐに思考を切り替え、行動に出た。
ハンドルを切り、車を反転させると、エリカの指示通りアリアンナはその場を離れていく。
魔術の才がない彼女は、こういう時、一番に自分が足手纏いになることを理解していた。
彼女に出来ることといえば、陰ながらエリカをサポートすることくらいだ。
それに、どちらにせよ、住民が避難するまでの時間を稼ぐ必要があった。
ここにパオロがいない以上、実力から考えて神獣を抑えられるのはエリカしかいない。
クラレンスやガンツも優秀な魔術師だが、大騎士クラスの実力では神獣を相手にするのは厳しい。
神獣と戦うには、最低でも聖騎士クラスの力が必要。本来であれば、エリカも敵う相手ではない。しかし、今の彼女には太老から授かった力があった。
まだ完全に制御できるようになったとは言い難いが、それでも神ではなく神獣クラスが相手なら、どうにか戦えるはず。
「昔の私なら敵わなかったかも知れない。でも、今の私なら……」
倒し切れないまでも、時間を稼ぐことは可能だとエリカは考える。
それに、ここで逃げるという選択は『紅き悪魔』の名に懸けてありえない。
「クオレ・ディ・レオーネ！」
天高く右腕を振り上げ、エリカは獅子の魔剣をその手に呼び出す。
相手は強大な力を持つ神獣だ。以前に比べ、強くなったとはいえ、実際にどの程度やれるかは戦ってみないことにはわからない。
ちょっとした油断が死へと繋がりかねない死闘。最悪、ここで死ぬかもしれない。
しかし、不思議とエリカは、この絶望的な状況のなかで恐怖を感じていなかった。
「さあ、決闘の時間よ！」
この身体に流れる血と汗には、最愛の王との絆が宿っている。
カンピオーネ、正木太老の騎士。
その自負が、エリカの心を支えていた。
◆
「ハアハア……ここまで来れば……」
路地裏に身を隠し、リリアナは息を整える。
カレンと別れたリリアナは、トリノを経由してリグリア海に面した港町に潜伏していた。
サルデーニャへと向かう船を調達するためだ。
「問題は船をどうするか……」
さすがのリリアナも飛翔術で海を越えるのは難しい。
飛翔術は明確に目的地をイメージする必要があり、魔女の目で視覚を飛ばせるのは精々数キロが限界だ。
それに海の上では、息を吐くことも出来ない。途中で力尽きれば海に真っ逆さま。当然、海を泳いで渡るなど体力的に無理だ。
そのため、何としても船を調達する必要があった。
しかし追われている身では、普通に船に乗り込むことも出来ない。
だとすれば、残された手は密航か、船を奪うかだが――
「こうも監視の目が厳しいと、それも難しいな……」
魔術師の目が他に向いてくれれば、その隙を突くことも出来るが――
リリアナがそんなことを考えていた、その時だった。
「なんだ？ 空が急に暗く……」
頭上に何かの影が差し、リリアナは空を見上げる。
雲の切れ目から、太陽と共に姿を見せる巨大な影――それは鳥だった。
日の光を浴びた怪鳥の影が、街に覆い被さる。次の瞬間――
――ＧＹＡＡＡＡＡＡＡ！
耳を突き抜ける強烈な咆哮。
怪鳥の口から発せられた雄叫びが、衝撃波となって街を襲った。
「くっ！ 一体何が……」
ガラガラと崩れ落ちる瓦礫を避け、土煙に紛れて大通りへと避難したリリアナは、そこで目にしたものに驚愕する。
竜巻のような突風に建物が吹き飛ばされ、港へと続く街道が廃墟へと変わっていたからだ。
ただの一撃で、この被害。普通の鳥ではない。それは、まさしく神獣の仕業だった。
「どうして、こんなところに神獣が……」
各所で火の手が上がり、人々の逃げ惑う悲鳴が聞こえてくる。そんななか、リリアナは自分でも驚くほど冷静に状況を分析していた。
こんなところに神獣が現れた理由はわからない。しかし、これは彼女にとってチャンスでもあった。
神獣の出現によって街が混乱に陥っている今なら、船を奪うことも容易のはずだ。しかしリリアナは、そんな千載一遇のチャンスを前に迷っていた。
弱者を見捨て自分だけ逃げるような真似――騎士として誇れる行為ではない。だからと言って、ここで捕まるようなことになれば、カレンの犠牲を無駄にすることになる。
どうするべきか？ 騎士の矜持と、現実の狭間で葛藤するリリアナ。そんな彼女の目に、悠々と街の空を飛び交う怪鳥の姿が映る。
「何かを探しているのか？」
街の上空を何かを探るように行き来する怪鳥を見て、リリアナはふとした疑問に気付く。
神獣からすれば、人間に遠慮をする意味などない。街を破壊するつもりなら、もっと直接的な行動に出ているはずだ。
しかし、そんな様子は見られない。なら、他に目的があって、この場に姿を現したと考えるのが自然だ。
「まさか……」
リリアナの魔女としての直感が、目の前の怪鳥に向けて警笛を鳴らしていた。
直接見たことはない。しかし話に聞いた特徴と、これまでの状況から推測される答えは一つしかない。
ウルスラグナの化身の一つ――
「第七の化身『鳳』」
それは、常勝不敗の軍神の復活を告げる――合図だった。
……TO BE CONTINUDE
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