――サン・カルロ劇場。
ミラノのスカラ座、ローマのオペラ座に並ぶ、イタリアを代表する三大劇場の一つだ。
普段、演目がなく使用されていない日などは一般開放され、観光客向けに見学も行われているのだが、そこを借り切って、ある催しが行われようとしていた。
普段ぎっしりと人で埋め尽くされている観客席は、ガランと物静かだ。
今、観客席に座っているのは、アリス、グィネヴィア、ディアナ、ルクレチアの四人だけ。
舞台には、テレビカメラのような高価な機材が、所狭しと設置されていた。
そして、舞台に立つ一人の男。この男こそ、今回、この舞台を借り切った主役である。
「太老様、舞台を用意したのはいいのですが、一体何をなされるおつもりなのですか?」
そっと手を挙げて質問をするアリス。
ディアナを介して青銅黒十字の名で、舞台を用意したのまではいい。問題はその後だ。
太老が何をしようとしているのかまではわからないが、碌でもないことだということは察しが付く。
カンピオーネと言えば、常人には理解しがたい突拍子もないことを平然と行う者が多いが、そんななかでも太老は一際癖が強い。
ここ僅か二ヶ月ほどの間に起こった数々の出来事を思い起こせば、正木太老という若手の魔王が如何に危険で異常な王か、自ずとわかると言うものだ。
同じくイタリアを代表する魔王と言えば、かのサルバトーレ・ドニが有名だ。ヌアダを屠り、カンピオーネとなった一ヶ月の間にヴォバン侯爵の儀式に介入し、ジークフリートから権能を簒奪するなど、かの王も魔術師達に語り継がれる様々な逸話を残している。
アリスと因縁の深いイギリスの魔王も、聖杯を巡り、欧州全土を巻き込む騒ぎを引き起こした前例がある。
それだけに、これから太老が何をしようとしているのか? 不安であり、楽しみでもある。
アリスは、その点が先程から気になって仕方がないと言った様子で、そわそわとしていた。
ここにミス・エリクソンがいれば、『姫様、またですか!?』と苦言の一つも呈しているところだ。
「盛大に挨拶してもらったからな。その返礼をするだけだ」
「えっと、それって……」
アリスの額に、一筋の汗が流れる。
挨拶と言うのは、ウルスラグナの化身のことを言っているのだということは察しが付く。
その返礼を魔王である太老がするということは、答えは一つしかない。神の挑戦を受けると言うことだ。
ドニの挑戦を面倒臭いの一言で、ずっと回避してきた太老だ。予想もしない騒ぎは起こすが、余り好戦的な王ではないとアリスは考えていた。
しかし、今の太老からは別の印象を受ける。怒っているのとも違う。戦いを楽しんでいる様子でもない。そう、極自然に――ただ目の前に立ち塞がる障害として、神との戦いを受け入れているのだ。
ありえない。普通の人間であれば、まったく考慮にすら値しない思考だ。
喧嘩を売られたから買う。それだけであれば、人間同士でもよくある話だが、相手は神だ。
人間に喧嘩を売る神も大概だが、その売られた喧嘩を買う人間も普通ではない。
(やはり、根本的な部分では魔王なのですね)
自分のことを『宇宙人』だと言っていた太老。
しかし、その本質は、やはり魔王なのだとアリスは理解した。
例え宇宙人でも、誰もが太老のような性格をしているわけではないだろう。
そう呼ばれるに値する実力と性格をしていなければ、こうはならない。
魔王と呼ばれるだけの素養を、太老は元々持っていたと言うことだ。
それだけに、これから起こることを考えると――
(やはり、太老様と一緒にいると飽きませんわっ!)
楽しみで仕方ない、ニート姫だった。
異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第27話『挑戦状』
作者 193
一般人の避難誘導を終えたガンツとクラレンスは、避難先となっている赤銅黒十字の施設の一室で、一人で神獣と戦い、時間を稼いでいるエリカの加勢に向かうべく、戦いの準備を整えていた。
しかし、ここで一つ問題が起こった。
腕に覚えのある魔術師達を集め、いざ作戦を立てようと現地の状況を『遠見の魔術』で確認しようとしたガンツとクラレンスは、液晶テレビに映った予想もしなかった目を疑うような光景に唖然とした。
「エリカの奴……いつの間に、あんな動きが出来るようになったんだ?」
画面に映ったエリカと神獣の戦いを見て、呆気に取られた様子でそう呟くガンツ。
最近の魔術師は遠見の魔術を使うのに、水晶なんて古めかしいものは使わない。
占い師が、パソコンを使う世の中だ。簡単で便利な道具に頼るのは、魔術師も同じだった。
しかし、そんなことよりも、エリカの動きを画面が追い切れていないことにガンツは驚く。
幼い頃より培ってきた努力と、類い希ない才能を認められ、イタリアの神童と呼ばれたこともあるエリカだ。
若くして大騎士となり『紅き悪魔』の名を継いだその実力は、誰もが認めているところだ。
しかし、エリカの実力をよく知る二人だからこそ、その驚きは大きかった。
「さすがは『紅き悪魔』……まさか、これほどとは……」
そう、エリカを褒め称えるのは、七姉妹の一角『百合の都』に席を置く、ガンツやクラレンスと同じ大騎士の称号を持つ魔術師だ。
神獣との戦いは、文字通り命懸けの死闘となる。大騎士クラスの魔術師が入念な準備を重ね、何十人と集まって、ようやく戦いになるかどうかといった化け物だ。
それだけに、こうした緊急事態には力を合わせ、組織の垣根を越えた協力が必要となる。
ここに集められた魔術師達は腕が確かなだけに、エリカの実力の高さがよくわかる様子で驚いていた。
「まさに聖騎士級だ」
「ああ、かの聖ラファエロと並ぶ実力やもしれん」
「この若さで、この力……赤銅黒十字も末恐ろしい逸材を要しているものだ」
そんな周囲の反応を見て、赤銅黒十字を代表する二人は額に汗を浮かべる。
強すぎるのだ。神獣と互角――いや、むしろ神獣を押しているかもしれない。確かに彼等の言うように聖騎士級の実力があれば、神獣を相手にも戦えるかもしれない。しかし、エリカはまだ十六歳だ。
少なくとも二人の知るエリカは、こんなにとんでもない力を持ってはいなかった。
あのエリカの性格からして、実力を隠していたとは思えない。となると、二人の知らない何かが、ここ最近のエリカにあったとしか思えない。考えられる原因は、ただ一つ。
「なあ、クラレンス。これって、やっぱり……」
「ああ、王の仕業だろうな」
どうやったのかまではわからない。
しかし、エリカを聖騎士級の実力者に引き上げたのは間違いなく太老だと二人は結論付けた。
「でも、どうすんだよ。これ……」
「俺に訊くな。エリカのことが心配だって、確認もせずに先走ったお前の責任だろう」
「ひでぇ! お前だって、『エリカに何かあれば総帥に顔向けが出来ない』って言ってたじゃねーか!」
責任を押しつけあう二人。そんな二人を蚊帳の外に、周りは神獣と互角以上の戦いを繰り広げているエリカの実力を褒め称える。
過大評価とは言わない。実際、ここにいる全員が力を合わせたとしても、今のエリカ以上の働きが出来るとは到底思えない。それにエリカの実力が評価されるということは、結果的に赤銅黒十字の名を高めるということだ。
しかし、問題はそのエリカの実力を、ガンツとクラレンスが把握していなかったことにある。
折角、腕の立つ魔術師達を集めたはいいが、正直、画面の向こうで行われている戦いに介入するのは無理があると言える。今のエリカの実力から考えると、加勢に向かったところで力の差がありすぎて足手纏いになりかねない。
とはいえ、今更『もう大丈夫なんで帰ってください』などと言えるはずもなかった。
今のエリカに遠く実力が及ばないとはいえ、彼等は大騎士。それぞれの魔術結社を代表する上位の実力者達なのだ。
自分達で呼んでおいて役に立たないから帰れなど、口が裂けても言えることではなかった。
「これを見せるために我々を集めたということか。それならそうと言ってくれればよいものを、クラレンス殿も人が悪い。いや、まあ……王にそのように命令されれば、断れないのもわかりますが」
と、そんななか、百合の都の代表がそんなことを口にした。
そんな百合の騎士の言葉に、周囲の魔術師達も同調する。
「なるほど。王の勅命というから急いで駆けつけてきたが、そういう理由ならば……」
実のところエリカのことが心配だった二人は、急いで救援に向かいたい一心で本来の段取りを無視し、太老の名と威光を利用して、ここにいる魔術師達を集めていた。
緊急事態だけに、エリカのことを家族のように大切にしている太老なら、後で説明すればわかってもらえるだろうという考えからだったのだが、今となっては、それが別の方向で思わぬ働きをしていた。
エリカは赤銅黒十字の魔術師であると同時に、太老に近しい騎士としてイタリアの魔術師達の間で認知されている。それだけに、エリカと神獣の戦いを見せるために、太老がこの席を用意したのだと、外来の魔術師達は勝手に勘違いを始めたのだ。
「これで『紅き悪魔』が、王の目に留まった理由がわかりました。かの王は力ある者には、寛容なようだ。しかし、なまなかな魔術師では相手にもされませんな」
「ええ、出来れば我が結社からも、と考えていたのですが、とてもこれでは……」
実のところ、この召集に彼等が応じたのは、上手く実力を示すことで太老に取り入ることが目的でもあった。
しかし、これでは王の目に留まることは到底不可能だと彼等は悟る。
最低でも聖騎士に近い実力がなければ、カンピオーネの騎士にはなれないと理解したからだ。
「下手に事を進めて、王の不興を買うわけには行きませんからね……」
「まったくです。正直、我等が力を結集したところで、まったく敵う気がしない……」
以前、太老の関係者に手を出した愚かな魔術師達がいたことを彼等は思い出す。
荒事に長けた腕に覚えのある魔術師達を単独であっさりと撃退してみせた桜花に、『青い悪魔』の名で恐れられる零式。更には女神アテナまで使役しているという話がある。そこに加え、イギリスよりアリスが拉致されたことは彼等の間にも伝わっていた。
エリカも聖騎士級の実力を兼ね備えているとなれば、正木太老は既に人類最高クラスの実力者ばかりを揃えた過去に類を見ない一大勢力を結集していることになる。言ってみれば、これは王からの警告だと彼等は受け取った。
下手に取り入ろうとしたり王の関係者に手を出せば、これだけの戦力が敵に回ることを示唆されたのだと、彼等は思い至ったのだ。
一国どころか、下手をすれば世界を相手に出来るほどの戦力だ。そんな相手に喧嘩を売るバカなどいない。
「いや、それは……」
何やら、予想もしなかった方向に話が進もうとしていた。
クラレンスが話を訂正しようとしたところで、彼の脇腹をガンツの肘が突いた。
「ぐっ……お前、何を……」
「上手く纏まろうとしてるんだから、これ以上、話をややこしくするな」
「言っていることはわかるが、こんなことが王にバレたら、俺達の命はないぞ!?」
「勝手に王の名を使った時点で、そんなの今更だろう。それより、これで王にちょっかいをかける連中が減ってくれると思えば、楽なもんじゃねーか」
「それは、確かにそうだが……」
ガンツの言っていることがわかるだけに、クラレンスは苦い表情を浮かべる。
これまで太老がやってきたことを考えれば、人々に恐れられるのは当然だ。更に言えば、敵も多い。正面から魔王に喧嘩を売るようなバカはいないが、その敵意が太老の周りに向く可能性はある。実際、ヴォバン派の一件では、桜花の拉致を考えるバカな一団も現れた。
今後もそんな輩が現れないとは限らないだけに、どこかで釘を刺しておく必要はあった。
「しかし、だな……」
「あ、あれはなんだ!」
尚も食い下がろうとするクラレンスの言葉を遮るように、部屋の隅に立っていた魔術師が声を上げ、窓の外を指さした。
ガヤガヤと騒がしくなる室内。ガンツとクラレンスも、そんな彼等の声に誘われるように窓の外を見た。
「あ、あれはまさか……」
空を見上げ、クラレンスは動揺を抑えきれない様子で、隣にいるガンツに確認を取る。
信じがたい光景だった。
夕日に染まる空に現れた、見上げんばかりの巨大な人影。
それは――
「ああ……王様だ」
◆
『あーあー、マイクのテスト中。聞こえますかー?』
戦闘中にも拘わらず、ポカンとした様子で呆気に取られ、空を見上げるエリカ。
もう、どこから突っ込んでいいのやらわからない。
一転して場の空気を壊すのは、一種の才能と言えなくもないだろう。
そう、影の正体は、魔術師達の間で噂となっている件の人物――正木太老その人だった。
『無事に映ってるみたいだな。知っての通り、俺は一部から魔王と呼ばれている者だ。今、大変なことになっているみたいだから、手短に用件だけ伝えようと思う』
魔術は秘匿されるもの。厳密に隠しているというわけではないが、表立って明らかにするようなものではない。
それだけに魔術師の常識からいえば、このような方法を用いること自体ありえない。
科学と魔術の違いはあれど、社会に及ぼす影響を考え、技術を秘匿する意味は太老もわかっているつもりだ。
『ウルスラグナ、お前の挑戦は受け取った。だから、俺から提案だ』
しかし、太老は魔術師でなければ、どこかの組織に所属しているわけではない。
太老が一番大切とするもの。それは、仲間であり家族だ。
皆が危険に晒されているとわかっていて、手を抜くような男ではなかった。
売られた喧嘩は百倍にして返す。後悔するくらいなら、絶対に手を抜かない。
それは――太老が生まれ故郷で帰りを待つ、恩師もとい家族より教わったことだ。
『ゲームをしようぜ』
そう言って、どこか挑発めいた様子で不敵に笑う太老。
ウルスラグナが伝承通りの神なら、この提案を受けないはずがない。
ありとあらゆる戦場で、味方に勝利をもたらしてきた神。それが常勝不敗の軍神ウルスラグナだ。
自身の勝利を微塵も疑っていない。だからこそ、不意打ちとはいえ、自身に深手を負わせた太老に、ウルスラグナは興味を持ったのだ。
勝負の内容に関係なく相手は必ず受ける。太老の顔は、そう確信している顔だった。
「まったく……心配はしてなかったけど」
太老の提案に満足したのか、消えていく神獣の姿を確認して、エリカは肩の力を抜いた。
戦いもせず、離れた場所から僅か一言で神獣を退かせてしまうとは、さすがのエリカも思ってはいなかった。
しかし、これが正木太老だ。太老が遂に本気になったのだと、エリカは理解する。
『サルデーニャ島。そこが、ゲームの舞台だ』
それが、人と神のゲームの始まりを告げる合図だった。
……TO BE CONTINUDE
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