エリカとリリアナは険しい表情を浮かべながら、東の島国からやってきた黒髪の少女――清秋院恵那と対峙していた。
ピリピリと肌を刺すような呪力が浜辺一帯に張り詰める。
その原因ともなっている白銀の太刀を注意深く観察するエリカとリリアナ。
恵那はその太刀のことを『天叢雲』と言った。それは日本神話に登場する神剣の名と同じだ。
――偽物、と言う線は薄いだろう。
少なくとも本物と見紛うばかりの神気を、目の前の太刀からは感じる。
「どういうつもりか知らないけど、やる気なら受けて立つだけよ」
「おい、エリカ!」
獅子の魔剣を抜き、そう言い放つエリカに目を瞠り、制止するように名前を叫ぶリリアナ。
恵那は明らかに挑発をしてきている。そこに何かしらの狙いがあることは間違いない。
いつものエリカなら、こんな安っぽい挑発に乗るはずもないと考えてのことだった。
冷静なように見えて、リリアナの方が挑発に乗りやすい性格をしていることを考えると、いつもと立場が逆だ。
しかし、
「この子の狙いは恐らく太老よ。日本の媛巫女≠ェ遠路はるばるイタリアへやってくる理由なんて、他に考えられないもの」
返ってきた説明に「ぐ……」と唸りながらも、リリアナは納得した様子を見せる。
特異な力を持った日本の呪術師。媛巫女とは、欧州で言うところの魔女のような存在だ。
嘗てヴォバン侯爵によって、まつろわぬ神を招来するために集められた少女たち。そのなかにいた万里谷祐理も媛巫女の一人だった。
そんな少女のことを親友と呼ぶからには、恵那も恐らくは日本の媛巫女の一人なのだろうと察せられる。
ましてや神の気配を漂わせる太刀を所持している時点で、彼女が普通の呪術師でないことは明らかだった。
そして、もう一つエリカが恵那のことを警戒している理由が日本という国にあった。
リリアナほどではないが、エリカにも最低限の知識はある。特に政治や経済に関する知識はリリアナ以上と言っていい。日本には欧州の魔術結社のようなものはないが、国内の呪術師たちを統括・管理する国の直轄組織が存在するとエリカは話に聞いたことがあった。それが、正史編纂委員会だ。
仮に恵那がその組織に所属していると仮定すれば、彼女の行動の裏には国の思惑が働いていると解釈することが出来る。
となれば、考えられる可能性として最も高いのは、正木太老の勧誘。
カンピオーネを自国に招き入れることが、恵那が自分たちに接触してきた理由だとエリカは考えたのだ。
「大方、太老が日本人≠セから自分たちの王様≠ノなってもらおうって考えなのでしょ?」
「……正気か?」
リリアナがエリカの話に耳を疑い、真顔で尋ね返すのも無理はなかった。
欧州の魔術師であれば、カンピオーネの恐ろしさを知らない者など一人としていないからだ。
ヴォバン侯爵のような例は極端にしても、魔王と呼ばれるだけだって基本的にカンピオーネという存在は我が強く、制御の利くような存在ではない。まつろわぬ神と比べればまだ話が通じると言うだけで、機嫌を損ねれば周囲に甚大な被害を及ぼす一種の災厄のようなものだ。
毒をもって毒を制すという言葉があるが、まさにカンピオーネとはそういう存在だった。
そのカンピオーネを態々、自国に招き入れようなどと正気の沙汰とは思えない。
同じ国の出身だから自分たちを守ってくれるはずだ、と思っているのなら甘い考えとしか言えない。
「大正解! さすがはエリカさん。まあ、恵那としては、どっちでもいいんだけどね」
「……どういうこと?」
彼女が日本の媛巫女なら、太老の勧誘を組織に命じられてきたはずだ。
なのに、どっちでも良いなどと明らかに矛盾した話をする恵那を訝しむエリカ。
そんなエリカの疑問に恵那はニヤリと笑うと肩の力を抜き、太刀を鞘に収める。
一瞬にして強大な呪力が霧散したことで、恵那の行動の真意が読めず、目を丸くして固まるエリカとリリアナ。
「残念。時間切れみたい」
そう言って恵那が視線を向ける先には、一隻の小さな船の姿があった。
船の上から何やら叫んでいる男の姿が確認できる。
眼鏡を掛けた冴えない感じのサラリーマンと言った風貌の男だ。
そして、男と同じ船に乗っている二人の男女を目にして、エリカとリリアナは同時に声を上げる。
「叔父様!?」
「プリンセス・アリス!?」
一人は〈赤銅黒十字〉の総帥、パオロ・ブランデッリ。エリカの叔父だ。
そして、もう一人はグリニッジ賢人議会の元議長にしてゴドディン公爵家の令嬢。
白き巫女姫の異名を持つ欧州で最も有名な魔女――アリス・ルイーズ・オブ・ナヴァールだった。
異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第32話『媛巫女の目的』
作者 193
「本当に申し訳ありませんでした!」
いまにも土下座しそうな勢いでテーブルに額をつけ、深々と頭を下げるスーツ姿の男。
甘粕冬馬と名乗った目の前の男に胡乱な目を向けながらエリカは一つ溜め息を吐き、両隣の人物に説明を求める。
「叔父様。それにプリセンス。どういうことか、事情を伺っても?」
ウルスラグナとの決闘の事後処理の件で、数日前からアリスは太老のもとを離れていた。
決闘の見届け役として〈賢人議会〉及び〈七姉妹〉から正式に情報提供を求められたためだ。
賢人議会はカンピオーネに関するレポートを毎月発行している。その製作にこれまでアリスも携わってきた。
そうした経緯もあって、カンピオーネに深く関わってきた専門家としての意見を求められたのだ。
パオロとアリスが一緒にいることに関しては、その仕事絡みだと察することが出来る。
しかし、二人が揃って媛巫女の関係者を連れてきたことに、エリカは強い警戒と不信感を滲ませていた。
「そのように警戒しないでください。太老様の不利益に繋がるようなことを、わたくしがすると思いますか?」
エリカが何を警戒しているのかを察して、胸を張ってそう話すアリス。
しかし警戒が解けるどころか、訝しむような視線をエリカに向けられ、微妙にたじろぐ。
普段からアリスがどのように思われているのかが、よく分かる反応だ。
「一応、これでも『天』の位を極めた魔女と敬われているのですが……」
確かにアリスは魔術に関わる裏の人間であれば、誰もが知るような有名人だ。
神祖の血を色濃く受け継ぎ、彼女の予知は外れたことがないと言われるほど、高い霊能力を持つ稀代の魔女。
その名声と権威は、ヨーロッパから遠く離れた東の島国――日本にも伝わっているほどだった。
しかしエリカは巫女姫としてのアリスではなく、普段の彼女を良く知っている。
興味のあることには首を突っ込まずにはいられない性格をしていることを考えると、エリカが今一つ信用できないと考えるのも仕方のないことだった。
「エリカ。気持ちは分からなくもないが、彼等を連れてきたのは私だ。話くらいは聞いてもらえないだろうか?」
「叔父様がそこまで仰るのであれば……」
「微妙に納得が行きませんわ……」
自分の時とは違い、あっさりとパオロの説得に折れたエリカに不満を漏らすアリス。
一方で、そんなエリカとアリスのやり取りに、反応に困った様子を見せる甘粕。
紅い悪魔や巫女姫の名声は耳にしていたが、想像していたのとかなり齟齬があったからだ。
何にせよパオロが作ってくれた流れに乗って用件を伝えてしまおうと、甘粕は話を切りだす。
「話の前に、まずは誤解を解いて置こうかと思います。我々の考えとしては、正木太老様をこちらへ引き抜く意志はありません」
「……それを信じろと? あなたのところの媛巫女は『大正解』とか叫んでたみたいだけど?」
エリカの指摘に非常に申し訳なさそうに頭を下げ、ハンカチで汗を拭うような仕草をしながら甘粕は疑問に答える。
「彼女は清秋院家の一人娘でして、我々とは少し異なる立場にあります……」
微妙に答えにくそうに言葉を濁す甘粕の説明に、ようやく自分の中にあった違和感の正体に気付き、呆れた表情を見せるエリカ。
ようするに正史編纂委員会としてはイタリアの魔術結社と事を構えるつもりはないが、四家の思惑は異なっていると言うことだ。
甘粕は正史編纂委員会から派遣された人間で、恵那は四家の使いと言ったところなのだろう。
出来ることなら穏便に話を済ませたい。そのために恵那のお目付役として、甘粕が派遣されたのだとエリカは察する。
パオロが甘粕に協力している理由は、これで分かった。問題は――
「事情は理解しました。それで、どう話を決着させるつもりでいるのか、お聞かせ願えますか?」
甘粕としては本音を言えば、このまま恵那には何もせずに日本へ帰ってもらいたいところなのだろう。
しかし、恵那の目的や立場を考えると、そうもいかない。太老に会うまでは、彼女も帰るに帰れないはずだ。
実のところ勧誘の件に関しては、エリカはそれほど心配はしていなかった。
世間でどう思われているかは別として、基本的に太老は目立つことを嫌う傾向にある。
自分たちの王様になって欲しいと願いでたところで、太老の性格を考えれば首を縦に振ることはないと分かっているからだ。
それに、どこまで本音を語っているかは分からないが、恵那自身もこの話に余り乗り気ではないように見えた。
基本的に魔術師や呪術師の家と言うのは、長い歴史を持つ名家ほど当主の命令には逆らえない風潮がある。
恐らくは、家から命じられた指示に従っているだけなのだろう。恵那の立場を考えれば断れないのは想像に難くない。
落としどころあるとすればその辺りかと考えたところで、思わぬ方向から質問の答えが返ってくる。
「そのことだが、彼女を王に会わせてみようかと思っている」
「……え?」
パオロの予期せぬ提案に、エリカは目を丸くして驚きの声を漏らす。
恵那は現在ホテルの一室に軟禁され、リリアナが監視を務めていた。
この話し合いに彼女を参加させなかったのは、どうやって彼女を日本に送り返すかを相談するためだと考えていたのだ。
それだけに、どういうことかとエリカが疑問に思うのは当然だった。
「王に会わせず彼女を帰国させたとしても、恐らくは次の人間が送られてくるだけの話だ」
そう話すパオロの説明に、一定の理解を示すエリカ。
確かに『王に会えなかった』と報告したところで、話を聞いている限りでは清秋院家が納得するとは思えない。
間違いなく諦めきれずに他の人間を送ってくることだろう。思い余って強硬的な手段に打ってでる可能性も十分に考えられる。
当然、そんな真似をすればイタリアの魔術結社も黙ってはいないだろうが、仮にそのことが太老の耳に入り、怒りを買うようなことになったら一大事だ。
太老が聞けば人をなんだと思っていると文句を言いそうな話だが、魔王の恐ろしさをよく知る魔術師たちが心配するのは当然だった。
「ですが、それは会わせたところで同じでは?」
太老に会わせたところで望む結果が得られなければ、どのみち大人しく引き下がるとは思えない。
この件は、恵那に指示をだした者たちをどうにかしないことには解決しない問題だ。
しかし、これは日本の問題だ。イタリアにいるエリカたちでは、どうすることも出来ない。
甘粕たちに頑張ってもらうしかないと言うのが、導きだされる答えだった。
「ああ、その通りだろう。だから王には一度、日本へ行ってもらえないか話をしてみるつもりだ」
「どういうつもりですか? 叔父様と言えど、返答によっては……」
確かにエリカは赤銅黒十字に所属する魔術師だが、同時にカンピオーネの騎士でもある。
太老に命を救われた時点で、他の誰でもない。太老のために命を使うと、エリカは剣に誓っていた。
仮に太老を売るような真似をするのであれば、叔父と言えど従うつもりはなかった。
赤銅黒十字を敵に回すことも躊躇わないだろう。それだけの覚悟がエリカにはある。
そうしたエリカの考えを察してか?
「カンピオーネがどういう存在かを知れば、二度と愚かな考えを抱くことはなくなるだろう」
溜め息を交えながら、そう話すパオロ。
叔父が何を企んでいるのかを察して、エリカは正気を疑うかのような視線を甘粕に向ける。
そんなエリカの視線に気付き、苦笑を漏らしながら小さく頷く甘粕。本音では、余り賛成したくはないのだろう。
それもそのはずだ。血の雨が降ると分かっていて、自分たちの国に災厄を招き入れたいと考える人間はいない。
「それに王のためなら日本と争うことに躊躇いはないが、果たして王がそれを望むと思うか?」
パオロの話に「うっ……」と何も反論できずに唸るエリカ。
太老の性格を考えれば、自分に関係することを他人任せにして納得するとは思えない。
むしろ、王の手を煩わせまいと勝手に動けば、何も知らされなかったことの方を怒りそうだ。
「それに以前、王に相談された件で少しばかり進展があったのだ。どうやら日本に手掛かりがあるらしい」
それがなんのことか、察せられないエリカではなかった。
この世の最後に顕れるとされる最後の王。その伝承の中に出て来る船≠探していると太老は言っていたのだ。
その手掛かりが日本にあると知れば、確かに太老なら自分の足で出向き、調べようとするだろう。
しかし、
「その情報、一体どこから……」
降って湧いたような情報に、エリカが疑問を抱くのは当然だった。
日本から媛巫女がやってきたタイミングで、余りに都合が良すぎると感じたからだ。
そうした疑惑をエリカが抱くのは最初から想定していた様子で、アリスは会話に割って入る。
「彼女を動かしている真の黒幕は、清秋院家ではありません」
「……それは、どういうことですか?」
「白銀に輝く神刀を目にした時、ほんの一瞬ではありますが視≠ヲたのです」
チラリと甘粕の方を見ながら、
「彼女は神≠ニ繋がっています」
と、アリスは驚きの告白を口にするのだった。
◆
「そんなにじーっと見張ってなくても逃げないって。リリアナさんも一緒にお茶とかどう?」
「……結構だ」
取り付く島もないリリアナの態度に、つまらないと言った表情でティーカップに口を付ける恵那。
とはいえ、リリアナの目を盗んで逃げ出すつもりはなかった。
そんな真似をせずとも、こうして大人しく待っていれば太老に会えると分かっているからだ。
(お爺ちゃまの言った通りになりそうだし、いまのところ計画は順調かな?)
――神刀を抜けば向こうが勝手に察してくれるはずだ。
と国をでる前に貰ったアドバイスを実行しただけだが、その上でアリスの反応を見て、上手く行ったと恵那は確信を得ていた。
甘粕は少し困ったことになっているだろうが、それは自分には関係のないことだと、まったく悪びれた様子はない。
(王様って、どんな人なのかな?)
まだ会ったことのない太老の姿を想像し、恋する乙女のように思いを馳せる恵那。
実際に恋しているのかどうかまでは自分でもはっきりと分からないが、こんなにも異性に興味を持ったのは初めてのことだった。
きっと祐理から話を聞いていたことも理由の一つにあるのだろうと、恵那は自分の感情と向き合いながら考える。
「楽しみだなあ」
この後、エリカたちの心配を余所に思わぬ方向へと事態は発展していくことになるのだが、それは神すらも予見できぬことであった。
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