大樹の屋敷の一角に設けられた練武場の中央で向かい合うエリカと恵那を眺めながら、桜花は隣に座る太老に尋ねる。

「ねえ、お兄ちゃん」
「……なんだ?」
「なんで、こんなことになってるの?」

 ジト目で桜花に説明を求められ、心の底から分かっていない様子で腕を組みながら首を傾げる太老。
 うーんと唸りつつ、どう説明したものかと考えるも上手い言葉が出て来ない。
 そのため、ありのままを説明する太老。

「日本に来ないかって誘われたんだが……」
「お兄ちゃん、それって……」

 太老の話を聞き、勧誘を受けたのだと察する桜花。
 いまや太老は最強の悪魔≠ニ二柱の神≠従える魔王の中の魔王として、欧州にその名を轟かせる存在だ。更にはヴォバン侯爵を一蹴(実際に倒したのは零式だが)し、あのサルバトーレ・ドニをも完封した圧倒的な力は、東欧の魔術師たちから畏敬を集めている。そのため、イタリアやドイツの魔術界は今やカンピーネ・正木太老の支配下にあると言ってもいい。そんな彼等からすれば、自分たちが王と崇める人物が他国の魔術師に――それも同じ日本人と言うだけの理由で勧誘を受けて面白いはずがない。
 事実ならエリカが怒るのも無理はない。こうなったのも頷けると桜花は考えるのだが、

「家族を紹介したいと言われてな」
「ちょっと待って。そこのところを詳しく聞かせてくれる?」

 話の雲行きが怪しくなってきたところで、桜花は更に詳しく事情を聞こうと強い口調で太老を詰問する。
 何やら剣呑な空気を纏う桜花の迫力に気圧され、何を怒ってるんだと言った顔で質問に答える太老。

「彼女の祖父(じい)さんが俺に会いたいと言っているらしくてな。こっちの世界の日本にも興味があったから丁度いいかなと思って」
「……まさか、了承したの?」
「うん。そしたら、なんかエリカが怒りだしちゃって……」

 そんなに日本観光が嫌だったのかな、と首を傾げる太老を見て、桜花は深い溜め息を溢す。
 大凡の事情を察したからだ。
 この様子ではエリカだけでなく、恵那も微妙に誤解をしていそうだと考える桜花。
 しかし、こうなったらいつものことと諦め、慣れた様子で流れに身を任せるのであった。





異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第34話『天叢雲剣』
作者 193






「分からないな。王様に仕える騎士なら、王様の言うことには従うのが筋なんじゃないの?」
「人の目を盗んで不意打ちのような真似をしておいて、よくそんなことが言えるわね」
「ただ、恵那は王様に『お爺ちゃまに紹介したいから日本に来てくれない?』って誘っただけだよ。王様も快く了承してくれたしね」

 本人にそのつもりはないのかもしれないが、恵那の挑発めいた言葉にムッとした表情で眉根を上げるエリカ。
 恐らく太老には何か考えがあるのだろうとは思っているが、エリカは魔王の騎士であると同時に〈赤銅黒十字〉の魔術師でもあるのだ。イタリアを代表する魔術師の一人として、日本からやってきた媛巫女に勝手な真似をされて黙っていることなど出来るはずもなかった。
 だが、魔王の決めたことは絶対だ。それに異を唱えることなど、魔王の騎士でなくとも魔術師であれば出来ることではない。
 太老が日本へ行くと決めたからには止める術は無いが、その前にどうしてもエリカには確かめておきたいことがあった。

「出し惜しみなしで、最初から全力≠ナ来なさい。でないと――」

 エリカの姿が一瞬にして視界から消えたことで、それまで余裕の態度を見せていた恵那の表情が驚きに崩れる。
 慌てて太刀を抜き、エリカの動きに対応しようとするが――

「一瞬で勝負が付くわよ?」

 喉元に突きつけられた剣先に息を呑み、強制的に動きを止められる。
 これが実戦なら、エリカが本気で殺す気できていたなら、いまので勝負は決していた。
 それが分かるだけに悔しさを表情に滲ませる恵那。
 エリカが若くして〈紅き悪魔〉を襲名するほどの魔術師だと言うことは調べがついていたが、まさかこれほどとは思っていなかったのだ。
 しかし、そのことに驚いているのは恵那だけではなかった。

「エリカ……いつの間に、これほどの力を……」

 宴会場に太老とエリカの姿がないことに気付き、騒ぎを聞きつけてやってきたパオロの姿があった。
 驚きに目を瞠りながら、この短期間に何があったのかと以前とは見違えたエリカの姿を訝しむパオロ。
 エリカの実力は〈赤銅黒十字〉の総帥にして彼女の叔父である彼が一番よく知っている。確かに〈紅き悪魔〉の名を継承したことは事実だが、エリカの実力は大騎士クラス。ガンツやクラレンスと大差はなかったのだ。
 二人の報告からエリカが神獣を単独で圧倒したと聞かされた時には俄には信じられなかったが、いまの動きを見せられれば納得してしまう。パオロでさえ、先程のエリカの動きは目で追うのがやっとだったのだ。大騎士どころの話ではない。間違いなく聖騎士クラスの実力があった。

「あ、パオロさん」

 パオロに気付き、手を振って名前を呼ぶ太老。
 観戦席にいる太老たちに気付き、畏まった様子で頭を下げるパオロ。
 そして、手招きをする太老に誘われるまま近くへ寄ると、

「王よ。一つお訊きしたいのですが、あれは一体……」
「あれ?」
「エリカのことです。どうやって、あれほどの力をこの短期間に付けたのですか?」

 エリカがこれほどの力を短期間に付けた原因は太老しか思い当たらないと考え、パオロは尋ねる。
 そんなパオロの質問に対して、微妙に答え難そうな困った顔を浮かべる太老。
 エリカがパワーアップしているのは、治療の際に使った太老の細胞が原因なのだが、どう説明したものかと考える。
 生体強化などと説明しても、この世界の住民であるパオロには理解できないだろう。だからと言って嘘を吐くのも気が引ける。
 実際には太老の勘違いなのだが、エリカに大怪我を負わせてしまったとパオロには負い目があるからだ。

「以前、エリカの怪我を治した時に、ちょっと特殊な方法で俺の細胞を移植したんです」
「細胞? それは治療のために血肉を使った儀式を行なったと言うことですか?」
「えっと、まあそんなところかな?」

 太老の説明に「なるほど……」と一人納得した様子で頷くパオロ。
 まつろわぬ神から受けた怪我は本来であれば致命傷だったと、パオロはエリカから聞かされていた。それほどの怪我をどうやって治療したのかと以前から不思議に思っていたのだ。
 しかし、魔王の血と肉を用いた儀式でエリカの命を救ったと言うのであれば理解が出来る。魔術師にとって血とは、儀式や秘薬の材料に用いられることもある重要な意味を持つ触媒だからだ。恐らく特殊な方法というのは、権能を用いた大儀式のことを言っているのだろうとパオロは察する。それならば、太老が言葉を濁すのも当然だと考えたのだ。
 むしろ、こんな無縁虜な質問をした自分を叱責するどころか、丁寧に答えてくれた太老の誠実さにパオロは感謝する。

「感謝します。王よ」
「ああ、うん? 俺は当然のことをしただけだから」

 死にかけの人間を蘇らせるほどの大儀式を行なっておきながら当然のことと言い切る太老に、パオロは深い敬意を抱く。
 これほど慈悲深い王に、これまで一度として会ったことがなかったからだ。
 一方で太老の方はと言うと、逆にパオロの懐の広さに感謝していた。
 普通は娘を傷物にされて、こんな風に冷静でいられる父親などいないからだ。
 正確には父親ではなく叔父なのだが、それでも娘のようにエリカのことを大切に思っているのは疑いようがない。

(パオロさんが本当に出来た人で助かった)

 しみじみとそんなことを考えながら、太老は安堵の溜め息を漏らすのであった。


  ◆


「エリカさん、本当に凄いね。正直ここまでとは思わなかったよ。あのリリアナさんって人も、同じくらい凄いの?」
「昔は同じくらいだったと思うけど、少なくとも今は私の方が上のはずよ」
「そっか……」

 ちょっと残念そうな声を漏らしながらも、何かに気付いた様子でニヤリと笑みを浮かべる恵那。
 少なくとも今は――と言うことは、これからリリアナもエリカと同じように強くなる可能性があると言うことだと受け取ったからだ。
 だとすれば、情報と大きく食い違うエリカの実力にも、ある程度の察しが付く。

「エリカさんが、そんなに強くなったのは王様≠フお陰かな?」

 その問いに何も答えないエリカを見て、肯定と受け取る恵那。
 エリカが急激に力を付けた原因は、身近なところにあると考えるのが自然だ。
 しかし、どれほどの才能があろうと一足飛びで強くなることなど普通はありえない。
 となれば、最も高い可能性として、エリカのパワーアップには太老が関係していると恵那は考えたのだ。

「でも、それってちょっと狡いよね」
「……否定はしないわ。でも、どんな経緯で手に入れた力であっても必要とあれば、私は惜しまずにその力を使うわ」

 そうしなければ、カンピオーネの――太老の横に並び立つことなど出来ない。
 そのためであれば、ちっぽけなプライドなど捨ててみせる。それが、エリカの覚悟だった。
 それに、どんな力であっても使いこなせなければ意味がない。
 力に振り回されることなく、ここまでの動きが出来るようになったのは日々の修練の賜物だ。
 下地がしっかりとしていなければ、短期間で仕上げることは出来なかっただろう。
 太老の細胞を移植されたから強いのではなく、エリカの努力が実を結んだ結果でもあった。

「うん、やっぱりエリカさんは凄いよ。だから――」

 恵那もちょっとズルをするね、と言って太刀を上段に構えると強大な呪力を練り始める恵那。
 白銀に輝く太刀が黒く染まっていく光景を眺めながら、エリカは目を瞠る。
 恵那の身体から滲み出る呪力。そこには紛れもなく、神気が宿っていたからだ。

「まさか、降臨術師! 神の力をその身に宿した!?」
「正解。今度は最初から全力で行かせてもらうね!」

 太刀を大きく振りかぶって大地を蹴ると、一気にエリカとの間合いを詰める恵那。
 恵那の放った雷鳴のような一撃を寸前のところで回避すると、エリカは反撃に移る。
 しかし先程までとは違い、エリカの動きを完全に見切っている様子で応戦する恵那。
 練武場の中央で激しくぶつかる両者。響く剣戟。
 常人では目で追いきれないほどの速度で、互いに持てる技術と力を駆使して激しい応酬を繰り返す。

「ふむ。あの娘、なかなか稀有な力の持ち主のようだな」
「何か知ってるのか?」

 いつの間にか隣に座り、興味深そうにエリカと恵那の決闘を観戦するアテナに、太老は説明を求める。

「あの娘、人でありながら神の力を使っておる」
「……神の力を?」
「うむ。どうやら神刀を媒介にして、神の力をその身に宿しておるようだ」

 アテナの話を聞き、神刀がマスターキー。
 そして、神の力が船のバックアップのようなものかと考える太老。
 確かにそれならエリカと互角に戦えるのも頷ける話だが、

「それって、身体への負担がめちゃくちゃ大きいんじゃ……」

 樹雷の皇族が全力で戦う時に戦闘装束を身に纏うのも、生身の状態では肉体への負荷が大きすぎるからだ。
 特別な生体強化を受けている樹雷の皇族でさえそんな感じだと言うのに、生体強化を受けていない生身の人間が仮にも神≠ニ名の付く高次元生命体の力を借りて戦うのは自殺行為と言っていい。命を削るようなものだ。太老が呆れつつも恵那の身体を心配するのは当然のことだった。
 このままでは恵那の身が危険だと考え、止めるべきかと太老は思案するが、桜花がそれに待ったを掛ける。

「いま止めても、しこりが残ると思うよ。最後までやらせた方がいいんじゃない?」

 確かに、それは一理あると認める太老。
 エリカはあの性格だ。強引に勝負を途中で止めたところで納得はしないだろう。
 それに恵那も見た目は清楚な大和撫子と言った感じだが、負けず嫌いな性格をしていることは見て取れる。
 最初は険悪な感じだったが、なんだかんだと戦いを楽しんでいる様子の二人を見て、ううんと唸りながら真剣に悩む太老。

「仕方がないか。ただ、念のために止めに入れるように準備はしといてくれ」
「了解」
「まあ、よかろう」

 いざとなったら止めに入ってくれと太老に頼まれ、桜花とアテナの二人は特に不満を口にすることなく了承する。
 桜花はともかくアテナが素直に言うことを聞いていることに、何とも言えないものを感じ取ってパオロは複雑な表情をする。
 慈悲深い王であることは確かだが、改めて太老が見た目通りの存在でないことを自覚させられたからだ。
 どれだけ人間に寛容でも、目の前の人物が魔王≠ることを決して忘れてはいけないとパオロが気を引き締め直した、その時だった。
 強大な呪力の衝突によって大気が震え、白い光と共に暴風が巻き起こる。
 衝撃に備え、思わず身構えるパオロだったが、

「これは……」

 結界のようなものに守られていることに気付かされる。
 実のところ練武場の周りには、内部からの攻撃を遮断する結界が展開されていた。
 太老にとっては普通の備えなのだが、その結界の堅牢さに驚かさせるパオロ。
 とはいえ、この規模の結界でも安心できないのだから、太老が普段どんな日常を送っているのかが察せられると言うものだ。
 煙が晴れると、そこには――左手を負傷しながらも戦意を失っていない様子で、片手で剣を構えるエリカの姿があった。
 その向かいには五体満足の恵那の姿が確認できるが、どこか様子がおかしい。

「まずいな。完全に取り込まれておる」

 アテナがそう口にした直後、まるで示し合わせたかのように同時に飛び出す桜花。
 アテナがエリカを庇うように間に入り、その隙に桜花が助走を付けた跳び蹴りを恵那の死角から放つ。
 しかし、

「――嘘!?」

 桜花が跳び蹴りの体勢に入った直後、まるで太刀そのものが意思を持つかのように巨大化して襲い掛かってきたのだ。
 両手両足に纏ったバリアのようなもので迫る太刀を受け止め、後ろに大きく弾き飛ばされながらも軽やかに床へ着地する桜花。

「うわあ……何あれ……」

 そして目の前の光景を見て、桜花はうんざりとした表情を浮かべる。
 巨大化した太刀が恵那を呑み込んだかと思うと、大気中に溢れた呪力を取り込みながら更なる変化を始めたのだ。

「お兄ちゃん、これどうしよ?」
「いや、どうしようって……」

 メキメキと音を立てながら変化を続ける太刀――もとい巨人を見上げながら話を振ってくる桜花に、太老はどうしろとと困惑の声を返す。
 さすがの太老も、太刀が恵那を取り込んで人型の怪物に変化するなど想定外だった。
 とはいえ、こうなってしまったものは仕方がないと、太老は小さく溜め息を溢しながら桜花たちを手招きする。
 何か太老に考えがあるのだと察した桜花とアテナ。それにエリカの三人は練武場から離れ、素直に太老の傍へと寄るのだが、

『我が名は天叢雲剣! ここまで我が巫女を追い詰めたことは賞賛に値する! が――って、どこへ行く!?』

 全長七メートルほどに成長した怪物が名乗りを挙げたかと思うと、慌てて後を追いかけてきたのだ。
 両腕から二振りの巨大な刀を生やした人型の怪物。全身から溢れる強大な呪力は、まさに神獣と見紛うばかりだ。
 それが恵那を取り込むことで変化した神刀――天叢雲剣であることは本人の言からも明らかだった。
 両腕の先から生えた刀を、エリカたちの頭上目掛けて振り下ろす巨人――天叢雲剣。
 しかし、

『なッ!?』

 練武場の周囲に張り巡らされた結界に阻まれ、軽く弾かれてしまう。
 尚も諦めずに刀を結界に叩き付ける天叢雲剣だが、まったく結界はビクともする様子はない。
 それもそのはずだ。この結界、桜花や零式の一撃にすら耐える強度を誇る特別強固な代物だった。
 まつろわぬ神ならともかく神獣程度の力しか持たない天叢雲剣に、易々と破壊できるようなものではない。

『おのれえええ、卑怯だぞ! 貴様も神殺しなら正々堂々と戦え!』
「いや、人質を取ってる奴に卑怯とか言われてもな。それに魔王に正々堂々を求められても……」

 自分勝手な物言いをする天叢雲剣に、お前が言うなと反論する太老。
 あのまま桜花やアテナに任せていれば間違いなく倒せていたであろうが、それでは恵那の身体を傷つけてしまう。
 だから敢えて、エリカと一緒に二人を呼び戻したのだ。
 それすらも理解できない喋る剣に呆れ、太老の口からは溜め息が漏れる。

「お兄ちゃん、いいの?」
「まあ、そのうち音を上げるだろ」

 恵那を傷つける訳にもいかないので、天叢雲剣が力尽きるのを待つことにする太老。
 念には念を入れ、呪力をこれ以上吸収できないように結界内部の空間を完全に外部と切り離す。
 音も光も届かない真っ暗な空間に閉じ込められ、絶叫を上げる天叢雲剣。
 必死に太刀を振り回し、結界の外へでようと無駄な努力を重ねるも――

『だしてくれ。勘弁してください。悪気はなかったんです』

 呪力を消耗させられ、すっかり小さくなった天叢雲剣が音を上げたのは三時間後のことだった。





 ……TO BE CONTINUDE



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