桜花が羅翠蓮と人智を越えた戦いを繰り広げている頃。
欧州では『アストラル界』や『妖精境』の名で知られ――
日本では『幽世』や『根の国』とも呼ばれている生と不死の境界≠ノ太老たちの姿があった。
「まさか、一度閉じたゲートを再びこじ開けるなんて……」
非常識も良いところだと、アリスは感心と呆れのまじった声で溜め息を漏らす。
太老がアストラル界への道を開くために取った方法。それは呪術を用いたものではなく、純粋な科学による空間転移だったからだ。
正確にはアストラルコード≠解析することで、一度閉じたゲートを再び開いたのだ。
ちなみにアストラルコードと言うのは、霊子情報を視覚化したデータ記述言語のことだ。
これを応用することで、人間の魂すらもデータとして保存し、コピーすることが可能となる。
アストラルコピーやアストラルクローンなどと、太老たちの世界では呼ばれている技術がそれだ。
この世界のどんな魔術を用いたとしても再現不可能な技術。しかし、実行するかどうかは別として、太老にはそれを為す力≠ニ技術≠ェあった。
発達した科学は魔法と見分けが付かないと言うが、まさにその通りと言っていい。
「そんなに驚くことか? うちじゃ割と日常茶飯事だったんだが……」
「どんな魔境ですか。それは……」
太老の発言に、心の底からツッコミを入れるアリス。
だが、そうしてこちらの世界≠ヨと転移してきた太老からすれば、驚くような話ではなかった。
そもそもゲートを開く程度≠フことは、幼少期から毎週のようにやらされていたのだ。
パトロールから帰って来る度に騒動を引き起こすトラブルメイカー≠ニ一緒に暮らしていれば嫌でも慣れる。
「大抵は池に落ちるか、亜空間に呑まれるかの、どっちかだったしな」
「まったく状況を想像できないのですが……」
太老の言っていることが理解できず、益々混乱するアリス。
アリスがツッコミ役に回っているところなど、彼女の性格をよく知る人間が見れば、目を丸くして驚くところだろう。
だが、
(この程度で驚いていては、身体が保ちませんわね)
今更だと考えを改め、アリスは割り切ることにする。
それはそれとして、気になっていることがもう一つ≠ったからだ。
チラリと視線を向けた先には、通っている高校の制服に身を包んだ清秋院恵那と、銀髪の少女――アテナの姿があった。
「どうして、彼女を同行させたのですか?」
船で留守番をしていたアテナを、態々呼び寄せたのは太老だ。
どういうつもりなのかと、アリスが気にするのも当然のことだった。
「道案内をしてもらおうと思ってな」
「……零式でもよかったのでは?」
「船の修復に専念して欲しいってのもあるけど、あいつを呼ぶと道案内だけでは済みそうにないしな」
理解は出来るが納得はし辛いと言った微妙な表情を浮かべるアリス。
どちらにせよ、厄介事が起きそうな予感しかしない。
こちらの方が面白い≠アとが起きそうな予感がしたから太老に同行することを決めたのだが――
まだ桜花について行った方がマシだったかもしれないと、今更ながらに後悔するのだった。
異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第49話『アストラルコピー』
作者 193
「この気配は……」
狙い通り、太老がやってきたことを察知するスサノオ。しかし、その表情は険しい。
確かにリリアナを餌にして、太老を生と不死の境界≠ヨと招くつもりではいた。
しかし、アテナを伴って現れるとは思っていなかったのだろう。
太老のもとには青い悪魔を始め、複数の神が集っている。だからこそ羅翠蓮を利用し、戦力を分断することが狙いの一つにあったのだ。
なのにアテナが太老と一緒にいると言うことは、分断に失敗したと言うことだ。
羅翠蓮の読みは、はずれたと考えて間違いないだろう。少々面倒な展開になったと、スサノオは溜め息を吐く。
「どうされるつもりですか? 最初から上手く行くとは思っていませんでしたが」
「今更、そりゃねえだろ……」
「わたくしは最初から反対≠セと忠告しましたよ」
玻璃の媛が言うことは、スサノオにも理解できた。
そもそも相手はカンピオーネと目される男だ。こちらの思惑通りに動いてくれるはずがない。
本来であれば、こうなることは予想して然るべきだった。
御老公の自業自得だと、玻璃の媛は言葉を続けようとするも――
「いえ、神と言えど定められた因果≠ゥらは逃れられない。あの方が相手であれば、やむなしですか」
「前から気になってたが、何をしっていやがる?」
以前から玻璃の媛は意味深な言葉を発し続けていた。
まるで、太老のことを昔≠ゥら知っているかのように――
だが、そんなことはありえないとスサノオは知っている。
玻璃の媛とは千年の付き合いになるが、幽世へ隠棲してからは彼女は一度として現世へ戻っていないからだ。
だとすれば、太老と知り合ったのは、それ以前と言う話になる。だが、それこそありえないとスサノオは考える。
幾ら強大な力を持つ魔王と言っても、太老は人間だ。千年を超える歳月を生きていられるはずがない。
ましてや、玻璃の媛が女神≠ナあった頃に知り合ったのだとすれば、それこそ三千年――いや、四千年以上も昔の話だ。
それほど昔の知り合いなど――
「待てよ? まさか、そういうことなのか?」
「ようやく気付かれましたか」
玻璃の媛が、誰と太老を重ね合わせているのかをスサノオはようやく理解する。
ありえないと思いつつも、他の誰かならともかく玻璃の媛が見間違えるはずがないと理解していた。
そしてそれならば、これまでのことにもすべて説明が付くと考える。
原作と呼ぶ世界で『十の命を持つ神殺し』と呼ばれた神殺しは、この世界に存在しない。
嘗て女神であった頃の玻璃の媛を保護し、最後の王と対等に渡り合った神殺しは別の名≠ナ存在していた。
それは――
「異界の魔王」
スサノオの口から、この千年。ずっと隠し続けてきた名前の一つが漏れる。
次元を渡り、異なる世界よりやってきたカンピオーネ。
だが、異界の魔王はカンピオーネを名乗ってはいるが異色の存在だった。
神を殺すのを目的とするのではなく、気に入った者を仲間に加え、従わせてしまう。
確かに言われてみれば、やっていることは太老とそっくりだ。
だが、
「どういうことだ? 生まれ変わりだとでも言うつもりか?」
異界の魔王は、最後の王と相打ちになって死んでいる。既にこの世には存在しない。
太老が玻璃の媛の言う『異界の魔王』だとするならば、生まれ変わりとでも考えなければ辻褄が合わない。
だが、転生に関係した権能を持っていたとすれば、ありえない話ではないと考えたのだろう。
しかし玻璃の媛は、そんなスサノオの考えを首を横に振って否定する。
「違います。そもそも、あの方は自身のことをアストラルコピー≠セと仰っていましたから」
「は? あすとらるこぴー? なんだ、そりゃ……」
異界の魔王には、スサノオにも話していない玻璃の媛だけが知る秘密があった。
すべての神にはルーツとなる物語が存在するように、異界の魔王にも元となった人物が存在すると言うことを――
ブラック。そう名乗っていた青年の横顔を、玻璃の媛は未だによく覚えている。
だから――
「正木太老。あの方は、すべての神殺しの起源≠ニなる方です」
と、玻璃の媛はスサノオの疑問に答えるのだった。
◆
「王様。また変なところにでちゃったみたいだけど、ここであってるの?」
「俺に聞かれてもな……アテナ。その辺り、どうなんだ?」
見覚えのない景色を眺めながら、首を傾げる恵那と太老。
既に八回目の転移だ。しかし、未だに太老たちは目的の場所に辿り着けていなかった。
だが、困惑しているのは道案内を頼まれたアテナも同様だった。
「……それは妾の方が聞きたいくらいだ」
この世界は、本来なら接点のない独立した空間が蜘蛛の巣のように寄り集まって出来ている。
そのため、通常の方法では目的地に辿り着くことは出来ない。
重要なのはイメージ。行き先を思い浮かべ、転移する以外に方法はない。
リリアナの気配は掴んでいる。古老が潜んでいると思しき庵の場所も、ある程度は特定できていた。
だが、どれだけ正確にイメージをしても、何故か別の場所へと跳ばされる。
「……何かしらの力≠ェ邪魔しているとしか思えぬ」
ここは生と不死の境界≠セ。そして、アテナはまつろわぬ神。不死の世界の住人だ。
現世で殺されたまつろわぬ神は、この世界を通って自身の神話――不死の世界へと帰る。
故に、本来であればアテナが道に迷うことなど、ありえないはずなのだ。
となれば、何かしらの力で邪魔されていると考えるのは自然な流れだった。
「もしかして、おじいちゃまの仕業かな?」
「可能性としては、ありえますね」
トリックスターの異名を持つ須佐之男命であれば、可能かもしれないと恵那は話す。
そんな恵那の話に同意するかのように相槌を打つアリス。その可能性はアリスも考えていたからだ。
実際、アテナを欺けるほどの力となると、神の権能をおいて他にない。
「そういうことなら、こいつを試して見るか?」
それならばと、どこからともなく古びた剣を取り出す太老。
天叢雲剣。恵那がエリカとの決闘で用いた神刀だ。
現在は零式の調教に屈服して太老に従ってはいるが、これは本来スサノオの持ち物だった。
なら、この剣ならもしかしたら、スサノオの術を見破れるのではないかと太老は考えたのだろう。
「ふむ……試して見る価値はあるか」
一理あると考え、太老から天叢雲剣を受け取るアテナ。
智慧の女神であるアテナとは縁もゆかりもない神器ではあるが、特に抵抗することなくアテナの手に収まる。
とっくに太老に屈服して抵抗する力を失っていると言うのもあるが、相手は女神のなかでも上位の神格を持つアテナだ。
いまは自身の半身たる蛇≠失い、不完全な状態ではあるが、それでも地母神としての性質を備えている。
「うむ、先程までよりも明確に対象の位置を掴めた」
鋼の英雄と言う訳ではないので、神刀の持つ力を引き出すような真似は出来ないが――
本来の持ち主である神の位置を、霊視によって探り当てる程度のことはアテナにも出来る。
今度こそと太老たちの手を取り、アテナはイメージする場所へと転移するのだった。
◆
「くそッ! あいつら何処に消えやがった!?」
太老たちの予想に反して、スサノオは完全に太老たちの姿を見失っていた。
自分のところへ真っ直ぐに向かって来ると思いきや、予想もしなかった行動に太老たちがでたからだ。
意図した行動ではないのだが、そんなことを知らないスサノオは戸惑いを焦りを隠せずに声を荒げる。
玻璃の媛から『異界の魔王』と縁のある人物だと聞かされたことが理由の一つだろう。
しかもその媛はと言うと、少し注意を逸らした隙にスサノオの前からいなくなっていた。
それも――
「一度ならず二度までも、俺も焼きが回ったもんだぜ……」
リリアナと共にだ。
この幽世では、生身の人間は長くは存在を維持することが出来ない。
本来、人の住むべき世界ではないため、長居をすれば人としての肉体を失ってしまうからだ。
だが、そうなってしまっては人質としての価値がない。
だからリリアナを守る意味でも意識を奪い、姿を櫛≠ヨと変えていたのだが、その櫛≠持ち去られたのだ。
最初からそのつもりで、この庵に一人でやってきたのだろうとスサノオは察する。
「今回ばかりは、媛に感謝すべきかもしれませんぞ?」
タイミングを見計らっていたかのように現れた客を、深々と溜め息を吐きながら迎えるスサノオ。
目の前の客――黒衣の僧正であれば、玻璃の媛の考えに気付いていても不思議ではないと考えたからだ。
「お前、最初からこうなることが分かってたな?」
「女心を察せられない御坊が鈍いのですよ」
そう言われると、ぐうの音もでないと言った様子で唸るスサノオ。
女心について即身成仏に諭されるのは納得が行かないが、玻璃の媛の企みに気付かなかったのは事実だ。
女の執念を甘く見ていた。今回ばかりは完全にしてやられたと自覚があるのだろう。
「ですが、このまま羅刹の君をここ≠ヨ招いていれば、御坊も無事では済まなかったでしょう」
「……俺が負けるって言いたいのか?」
「さて? とはいえ、幾ら御坊でもまつろわぬ神≠ェ一緒では分が悪いのでは?」
負けるとは認めたくないが、確かに分の悪い戦いになることはスサノオも認める。
ましてや、そこに青い悪魔やウルスラグナまで加われば、絶体絶命と言っても良いだろう。
恐らく玻璃の媛は太老のもとへと向かったはずだ。
リリアナを太老のもとへ帰すことで、単身で交渉するつもりなのだろう。
「ここは媛に任せ、我々は座して待つこととしましょう。馬に蹴られたくはないですからな」
そう言って、お茶の準備を始める黒衣の僧正。
いまはそれしかないかと僧正の提案に、渋々と言った様子でスサノオは頷くのだった。
……TO BE CONTINUDE
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m