無残に焼け落ち、破壊されたケルディックの姿を、呆然とした表情でアルフィンは見詰めていた。
エリゼもショックを隠しきれない様子で、先程からアルフィンに寄り添い、一言も言葉を発さない。
ケルディック方面にいた領邦軍は、双龍橋が落ちたことでバリアハート方面へと撤退した。しかし、撤退と同時にケルディックを始めとした街道付近の町や集落から食糧を略奪し、火を放ったのだ。
そのような非道に走った理由は、はっきりとしている。穀倉地帯で開けた場所にあるケルディックは、拠点防衛には向かない。かと言って、そのまま放置して正規軍に奪われるようなことになれば、彼等の補給基地に使われるかもしれない。それを領邦軍――アルバレア公は恐れたのだろう。
それに傷を負い、腹を空かせた民間人を抱えれば、正規軍の動きは鈍くなる。そうなれば、満足に補給の出来ない正規軍にとって状況は最悪だ。
こうした光景は何度も見てきた。戦場では珍しい光景ではない。それにケルディックの焼き討ちは原作にもあったことだ。こうなる可能性があることは、リィンにもわかっていたはずだった。
それでも――リィンは真っ白になるほど拳を強く握りしめる。
「リィン」
そんなリィンを心配して、フィーは声を掛ける。
フィーも見慣れているつもりでも、やはり弱者が虐げられる光景は見ていて気持ちが良い物ではない。
特に今回の場合それを行ったのは、この辺り一帯を治める領主だ。ケルディックの人々の気持ちを考えると、やるせないものがある。
「大丈夫だ。これが戦争……わかっていたことだしな」
そう言いながらも、寂しげな表情を浮かべるリィン。
双龍橋を奪還された時点で、追い詰められた領邦軍がこういう行動にでることくらい予想して然るべきだった。これではルトガーの時と同じだ。ユミルではどうにか上手くやれたが、結局は歴史の通りに悲劇は起こってしまった。
情けない――エリゼやエリオットに偉そうなことを言っておきながら、この様だ。リィンは自分の無力さが、情けなくて仕方なかった。しかし、立ち止まっている時間や余裕は、いまの自分たちにないことも理解していた。
起こってしまった現実は変えられない。いま出来ることは、これからをどうするか――それを考えることだ。
そして、リィンたちが為すべきことはケルディックの復興を手伝うことでも、怒りにまかせてアルバレア公に報復することでもない。
「アルフィンとエリゼのことを頼む」
フィーに二人のことを任せ、中将の元へ向かうリィン。
静かに怒りを滾らせながら、その目は次の戦場へと向いていた。
◆
引き摺るかと思ったが、アルフィンとエリゼは気持ちにどうにか区切りをつけ、翌日には落ち着きを取り戻していた。
落ち込んでばかりもいられない。こうした悲劇を無くすためにアルフィンは立ち上がると決め、エリゼもそんなアルフィンを支えると誓ったのだ。
リィンが何かを言う前に、二人は自分たちが今、何を為すべきかをちゃんと理解していた。それは――セドリックの救出だ。
「行きましょう。わたくしたちにしか出来ない。わたくしたちが為すべきことを為すために」
アルフィンのその一言が切っ掛けとなり、リィンたちは第四機甲師団の空挺部隊の力を借り、レグラムを目指すことになった。
というのも街道を行けば、領邦軍の検問をまた通る必要がある。そうなると双龍橋での一件で警戒をされていることもあって、通行書があっても怪しまれる可能性は高い。それに前回と違い、今回はクレアやエリオットも一緒だ。これだけの大所帯になると誤魔化すのも一苦労だ。レグラムで〈赤い星座〉とやり合う前に、領邦軍と一戦なんてことになりかねない。
そこで第四機甲師団にはバリアハート方面の領邦軍を引き付けるための囮役になってもらい、その隙に空からレグラムへ向かう案が採用された。
この作戦を提案したのは、クレイグ中将だ。
セドリックのこともあるが、エリオットを心配してのことだろう。それに双龍橋を落とした以上、バリアハート東部にあるオーロックス砦の制圧は、巻き返しを狙う正規軍にとって避けては通れない道だ。
そちらを放置すれば、トリスタ方面から侵攻してくる軍と、オーロックス砦に控える軍に挟み撃ちにされ、より厳しい状況に立たされる恐れがある。しかし逆に砦を押さえることが出来れば、アルバレア公に大きな打撃を与えることが出来、バリアハート占領にも大きく前進することが可能だ。
四大名門貴族の一角、アルバレア公の統治するバリアハートを占領することが出来れば、東の戦局が大きく変わる。正規軍が目標として掲げる帝都の奪還にも現実味が帯びてくるというわけだ。
それに自分たちが囮になると言っておきながら、実際のところはリィンたちの動きも合わせて作戦に利用するつもりでいるのだろう。
ただの親バカかと思えば食えないおっさんだというのが、リィンのクレイグ中将に対しての評価だった。
「以前から一度訊いて見たかったのですが、リィンさんはオリヴァルト兄様のことを、どうしてそこまで警戒されているのですか?」
恐らく場を和ませるためだろう。レグラムへ向かう軍用艇のなかで、アルフィンが思い出したかのように、そんな話題をリィンに振った。
ケルディックの一件もあり、作戦前ということもあって皆の表情はどこか硬い。特にエリオットはずっと無言のまま塞ぎ込んでいた。
そんなアルフィンの考えを察して、何を今更――といった顔で質問に答えるリィン。
「バカで変人だからだ」
「まあ、そこは否定しませんけど」
否定しないんだ――と、リィンとアルフィンの話に耳を傾けていた面々は思う。
戦車も搭載可能な第四機甲師団が誇る最新鋭の軍用艇には、操縦者を含めた兵士が数名と、アルフィンにエリゼ、それにフィー。クレアとエリオットに……何故か、サラ。リィンを加えた十人ほどが搭乗していた。
「ですが、避けるほど悪人とは思えないのですが……」
「悪い人じゃないと無害はイコールじゃない。その点で言うと、オリヴァルトは周囲に大きく影響をを与える人間だ。良い意味でも悪い意味でもな」
「それはその通りだと思いますが、皇族という点では、わたくしも少なからず周囲への影響力を持ちます」
「でも、アルフィンはフィーと友達になれただろ?」
そんなことをリィンに言われて、目を丸くするアルフィン。
「それが、わたくしを信頼してくれる理由ですか?」
「フィーは、そういうところに鋭いからな。実際、オリヴァルトには警戒をして近付きもしない」
「はあ……」
今一つ腑に落ちない様子で、曖昧な返事をするアルフィン。
分かったような分からないような――そんな反応をするアルフィンに、リィンは分かり易い例をと、フィーに質問を振った。
「フィー。サラと友達になれると思うか?」
「……サラと?」
目の前の席に座るサラの顔を見て、真剣に考えるフィー。
そして逡巡した後に、サッと顔を背けた。
「……ごめん」
「ちょっ、どういうことよ! それっ!?」
申し訳なさそうに謝るフィーに、声を荒げて抗議するサラ。
こういうことだとリィンは呆れた表情で、周囲に同意を求める。
なんとなくではあるが、この光景を見れば納得の行く理由ではあった。
「そもそもサラはなんでついてきたんだ?」
「その聞き方は酷いんじゃない? レグラムに用事があるからに決まってるでしょ」
「レグラムに用事? ああ……生徒の安否を確かめて回ってるとか言ってたな」
「そういうこと。それにエリオットのことを、クレイグ中将にも頼まれちゃったのよね」
何故かクレイグ中将に頼まれたという点だけ、頬に手を当てて嬉しそうに話すサラ。
サラが渋い年上の男性≠ェ好みだと知っているリィンではあったが、幾らなんでも歳が離れすぎだろうと呆れる。
実際、息子のエリオットは他人事ではないのか、そんなサラを見る目に複雑な色が滲んでいた。
そんなエリオットを哀れに思い、サラに苦言を呈するリィン。
「お前、そんなこと言ってるから、彼氏の一人も出来ないんじゃないか?」
「うっ……何よ。女は二十代後半からが本番、男は渋ければ渋いほどいいのよ! アンタみたいなお子様には分からないでしょうけど!」
言い訳臭い台詞を自信ありげに語るサラを見て、リィンは付ける薬なしと処置を諦める。
おっさん臭いところとか、すぐにムキになるところとか、私生活にだらしないところとか、男が欲しいなら改めるところは山ほどあるように思えた。
「そう言えば、リィンさん。彼女≠フ姿が見えないようですが」
「ん? ああ、アルティナのことか」
アルティナがいないことに気付いたクレアが、彼女についてリィンに尋ねる。
ある事情からクレアはリィンの次くらいに、彼女のことを気に掛けていた。
警戒しているというのもあるが、それとは別に思うところがあったからだ。
「助っ人を呼びに行ってもらってる。現地で落ち合う予定だ」
「助っ人ですか?」
リィンの助っ人という言葉に首を傾げるクレア。空を飛べ、姿を消せる彼女なら領邦軍に見つかることなくレグラムに潜入することは容易いだろう。
しかし、助っ人というのが分からない。とはいえ、訊いたところで素直に話してはもらえないだろうということは、クレアにもわかっていた。
(リィン・クラウゼル。彼にもまだ、いろいろと秘密がありそうですね)
◆
作戦は一先ず成功した。
クレイグ中将が上手くバリアハート方面の領邦軍を陽動してくれたようで、リィンたちは領邦軍に襲われることなくレグラムへ入ることが出来た。
しかし、レグラム周辺は『霧と伝説の町』と言われるだけあって濃い霧が立ちこめているとはいえ、直接空から向かえば〈赤い星座〉に発見される可能性が高い。そのため、レグラムに直接入るのではなく、バリアハートとレグラムを結ぶエベル街道の外れに着陸したリィンたちは、そこから旅人を装ってレグラムへと向かう案を採った。
「兄様、本当によろしかったのですか?」
レグラムに向かう街道の途中で、エリゼがそんな質問をリィンにした。飛空艇のことだ。
作戦が終わるまで森で待機するという兵士たちの提案を断り、リィンは彼等を第四機甲師団の元へと帰したのだ。
確かに作戦が終了するまでの間、ずっと森のなかに待機するというのは危険だ。森のなかには凶暴な魔獣もいるし、この霧では発見され難いという利点はあるが、見通しが悪いため敵の接近にも気付き難い。それに彼等も本音では、第四機甲師団に合流して作戦に加わりたいはず。オーロックス砦には、バリアハート方面の主力部隊がまだ残っている。砦を落とそうにも易々とは行かないはずだ。そうした点から、リィンが彼等を帰した理由には理解が出来る。しかし、そうなると帰りの問題がある。
レグラムから通じる道は一本。バリアハートを越えなければ、ケルディック方面へ戻ることも出来ない。それまでに第四機甲師団がオーロックス砦を落としていればいいが、そう上手くはいかないだろう。
それに戦闘が始まれば、バリアハート周辺の警戒が厳しくなる可能性が高い。
その状況下で、どうやって飛空艇なしにレグラムから脱出するつもりなのか、エリゼが疑問を持つのは当然だった。
「大丈夫だ。帰りはタクシー≠呼んである」
「たくしーですか?」
聞き慣れない言葉に、首を傾げるエリゼ。ようやく自動車が普及を始めたばかりの世界だ。
陸の交通と言えば鉄道やバスが主な移動手段で、田舎の方では導力車自体、滅多に見かけることがない。
そもそもタクシードライバーという仕事があるのかも不明で、ユミル暮らしの長いエリゼが知らないのは無理もなかった。
歩きながらタクシーについて力説するリィン。そんな風に話をしていると、古い城壁のようなものが見えてきた。
「レグラムに着いたみたいだな」
念のため、警戒をしながらリィンたちは足を進める。まだ時間は昼を少し回った程度だ。
それにしては静かすぎる町の様子を不審に思いながら、城壁を抜けた――その時だった。
「隠れて――」
フィーの言葉で、咄嗟に物陰に姿を隠す一同。
フィーが見詰める視線の先――霧の向こうに大きな影のようなものが見える。
「あれは……貴族連合の軍用飛行艦!」
港に停泊する真っ白な船を見て、クレアが悲鳴にも似た声を上げる。
それは、リィンたちが乗ってきた軍用艇より大きな――旗艦クラスの飛行艦だった。
さすがに、この展開は予想外だったのか、リィンの表情からも余裕が消える。
(例の助っ人の件じゃないよな……幾らなんでも目立ち過ぎる。セドリックを確保するためにルーファスが先手を打った? いや、それなら俺に依頼をだす必要はないはずだ。貴族連合の情報網を使えば、時間を掛ければ〈赤い星座〉の拠点を突き止めるくらいのことは出来るはず……なら別口≠ゥ)
結社でもルーファスの差し金でもないと、リィンは推察する。
だとすれば、容疑者は限られてくる。このタイミングでレグラムに現れたことからも、狙いは〈赤い星座〉と見て間違いないだろう。
いや、正確にはセドリックの身柄を確保することか?
大体の予想を付けながら、自分の考えを裏付けるため、リィンは確認を取るようにクレアに質問をする。
「大尉。誰の差し金か分かるか?」
「さすがにそこまでは……ですが、あの紋章は恐らく……」
船体の横に大きく描かれた紋章を見て、クレアは険しい表情を浮かべながらリィンの問いに答える。
「ルグィン伯爵家の紋章。恐らく〈黄金の羅刹〉の異名を持つ彼女≠ェきています」
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