「やあ、こうして顔を合わせるのは久し振りだね。二ヶ月……いや、三ヶ月振りかな?」
合流ポイントでリィンたちを待っていたのは、アルフィンと揃いの緋色の宮廷装束をまとった金髪の男だった。
アルフィンやセドリックの腹違いの兄にして、『放蕩皇子』の名で知られるオリヴァルト・ライゼ・アルノールだ。
大仰に両手を広げ、全身を使って再会の喜びを表現するオリヴァルトに、リィンは心底うんざりした表情を浮かべる。
出来ることなら会いたくなかった――もとい、この男にだけは頼りたくなかったという考えが表情にありありとでていた。
「おや、そちらのお嬢さん方は……」
リィンやフィーと一緒にいるシャーリィとデュバリィを、興味深そうに観察するオリヴァルト。
あの〈赤い星座〉と〈結社〉の人間だ。オリヴァルトなら、そのことを知っていても不思議ではない。
何を言われてもいいようにと身構えるリィンだったが、オリヴァルトの反応は予想の斜め上を行っていた。
「さすがは僕が認める愛の狩人。しばらく見ない間に、また後宮候補を増やしたみたいだね!」
「それを言うならパーティー候補だろ!? 人聞きの悪いことを言うな! このバカ皇子!」
「いやだって、キミのパーティメンバーって男はエリオットくん一人じゃないか。他は全員、美女・美少女ばかりで、これを偶然というなら一種の異能だと僕は思うんだが……その辺り、どうなのかね?」
「くだらないことを言えない身体にしてやろうか?」
ブレードライフルを引き抜き、銃口をオリヴァルトに向けるリィン。
これはさすがに冗談では済まないと気付いたのか、オリヴァルトは額に汗を滲ませる。
「ちょ、ちょっとしたお茶目じゃないか。まさか冗談も許してもらえないとは……」
「お前の場合、どこまで冗談か分からないのが、たち悪いんだよ」
呆れながら銃口を下げるリィン。親友どころか、妹にまでハリセンでノリツッコミをされる男だ。このくらい釘を刺しておかないと、オリヴァルトが止まらないことをリィンはよく知っていた。
「アルフィンたちは船か?」
「ああ、囚われていた学生たちも無事に保護してあるよ。そっちは……何かあったようだね」
セドリックが一緒でないことから、何かあったのだろうとオリヴァルトは察する。
「ああ、そのことも含めて……情報交換をした方がよさそうだな」
「では、艦に案内しよう。そちらのお嬢さん方もどうぞ」
優雅に微笑み、シャーリィやデュバリィをエスコートするオリヴァルトを見て、ある意味で感心するリィンだった。
◆
緋色で統一されたボディは夕焼けを浴びることで、より深みを増しているかのように見える。
高速巡洋艦カレイジャス。エレボニアとリベールの友好の証に、世界最速と名高いリベール王国の巡洋艦〈アルセイユ〉号の二番艦として造られた飛行艦だ。通称〈紅き翼〉の名で知られるこの船は、書類上は皇帝家の持ち物となっており、現在はオリヴァルトが民間人の協力を得て運用していた。
カレイジャスに案内されたリィンたちを出迎えたのはアルフィンとエリゼ。そしてその後ろには、サラの好みに嵌まりそうな中年の男性が立っていた。
こうして何気なく向かい合っているだけでもオーレリアと同等か、それ以上の力強さを感じる。シャーリィもそんな男性を見て、興味深そうに笑みを浮かべている。カレイジャスの乗組員で、それほどの存在感を放つ人物をリィンは一人しか知らなかった。
「〈紅き翼〉へようこそ。艦長のヴィクター・S・アルゼイドだ」
ヴィクター・S・アルゼイド。湖畔の町レグラムを治める領主で、階級は子爵。中立派を代表する人物の一人にして〈光の剣匠〉の異名を持つ帝国最高の剣士だ。そして、このカレイジャスの艦長でもある。
ヴィクターに握手を求められ、少し驚きながらもリィンは手を握り返す。
(さすがは〈光の剣匠〉か。団長と同等か、もしかしたら……)
双眸を細め値踏みするかのように、リィンはヴィクターの力を推し量る。フィーですら先程から一言も発さないところを見るに、緊張している様子が見て取れた。
一方、オーレリアに食って掛かった時のような真似はしないが、デュバリィは無言でヴィクターを睨み付けていた。これでは何かあると言っているようなものだと、リィンはデュバリィの態度に呆れる。
しかし、そこはさすがと言ったところか?
ヴィクターは余裕の態度で、そんなデュバリィの視線を受け流していた。
「リィンさん、セドリックは……?」
「そのことで話したいことがある。あと……」
セドリックの姿がないことで、不安げな表情を浮かべるアルフィン。
そんなアルフィンに気まずそうな表情で答え、リィンは視線をシャーリィへ向ける。
「シャーリィ、お前にも話を聞かせてもらうぞ」
「んー。もう、ほとんど価値のない情報だから話すのはいいけど、その代わりシャーリィのお願いも聞いてくれる?」
「お前な……で? 要求はなんだ?」
アルフィンたちに事情を説明するにしても、シャーリィにも話を聞く必要がある。ここまで大人しく付いてきただけに何かあるとは思っていたリィンだが、ここで対価を要求してくるとは思わなかった。
とはいえ、へそを曲げられても面倒だ。それに情報の価値は、猟兵である以上分からないことではない。
ましてや依頼内容について質問するのなら、答え難いこともあるだろう。シャーリィが対価を要求するのも、ある意味で当然と言えた。
そう思ってシャーリィの望みを尋ねるリィン。自分の要求が通ったことで目を輝かせ、全身で喜びを表現するかのようにシャーリィは両手を広げて、
「シャーリィをリィンの団に入れて!」
「……は?」
そう言った。一瞬、何を言われているのか分からず呆けるリィン。
しかし長年培った対応力で、すぐに平常心を取り戻すと、シャーリィへ質問を返した。
「俺の団ってなんのことだ? そんなの作った記憶はないし、そもそもお前〈赤い星座〉の団員だろう」
「あっ、それなら大丈夫。団を抜けてきたから」
「あ、そうなんだ」
団を抜けてきたなら問題ないか、と納得しかけるも問題がそこではないことに気付き、
「だ、団を抜けたああああっ! お前、それ一体どういう……っ!?」
リィンは奇声を上げた。
どうしてそんな話になるのか、さっぱりリィンには事情が呑み込めない。そもそもシャーリィは〈赤い星座〉の部隊長だ。しかも、副団長の〈赤の戦鬼〉の娘だ。そんな重要人物が〈赤い星座〉を抜けたなど、ニュースどころの話ではない。
「心配しなくても大丈夫。パパの了承は取ってあるから。あ、ザックスには内緒だけど」
ザックスには内緒という時点で不安を感じるリィンではあったが、一先ずそのことは置いておいてシャーリィに疑問をぶつける。
「〈赤の戦鬼〉が許可した? いろいろと聞きたいことはあるが、ガレスたちがシャーリィを置いて撤退したのはそれが理由か?」
ずっと〈赤い星座〉の猟兵たちが、シャーリィを置いて撤退したことをリィンは疑問に思っていた。
しかし、シャーリィがあの仕事を最後に〈赤い星座〉を抜けるつもりでいたとすれば、ガレスたちの行動も分からない話ではない。
なんだかんだでシャーリィに甘いのはガレスたちも一緒だ。敵とはいえ、いや敵としてよく知る相手だからこそ、リィンを信用してシャーリィを預けたとも考えられなくはなかった。
しかし、疑問はそれだけではない。
「そもそも俺は団を作るなんて一度も口にしたことはないんだが……」
「でも、リィンは猟兵でしょ?」
あっさりと核心を突いてくるシャーリィに、リィンは言葉を失う。まだ誰にも具体的な話をしたことはないが、将来的にはそういうこともあるだろうと頭のどこかで考えていたからだ。
〈西風の旅団〉のメンバーが見つかるにせよ、見つからないにせよ、このまま猟兵としてやっていくつもりなら、どこかの団に所属するか自分の団を興すしかない。そしてサラのように別の道を見つけることは、自分やフィーには無理だということをリィンはこの内戦を通して確信するようになった。
人並みに喫茶店なんかを開いて平穏な生活を送ってみたが、どこかで物足りなさをリィンは感じていた。
ルトガーは普通の暮らしをさせたかったようだが、もうとっくに後戻りが出来ないところにきているのだと再確認する一年だったようにリィンには思える。それはフィーも同じだろう。
「まあ、別に〈西風〉でもいいよ。リィンがいるならシャーリィはどこでも」
「なんで、そんなに俺に拘るんだよ……」
〈赤い星座〉を辞めて〈西風の旅団〉に移籍してもいいと話すシャーリィに呆れるやら戸惑うやら、複雑な表情をリィンは浮かべる。
シャーリィが自分に対して妙な拘りを向けてきていることは、リィンも察していた。しかし、その理由がよく分からない。
何度か戦場で武器を交したことはある。しかし言ってみれば、それだけの話だ。殺し合いはしても、シャーリィに懐かれるような真似をした記憶はリィンにはない。
どうしてそこまで自分に拘るのか、リィンにはシャーリィの気持ちが分からなかった。
「パパは〈闘神〉をランディ兄に継がせたいみたいだけど、本人はその気がないみたいですっかり腑抜けちゃってるからね。でも、このままだとオルランドの血はシャーリィの代で終わっちゃうかもしれないでしょ?」
「家庭相談をされても困るんだが……」
急に家族の話を持ち出し、何やら饒舌に語り始めるシャーリィにリィンはどう反応していいのか困る。
そのことと団を抜けて一緒に猟兵をやることの何が繋がるのか、リィンにはさっぱり分からない。
しかし、その答えはシャーリィの次の言葉ではっきりとする。
「だからリィン。シャーリィと子作りしよ」
一瞬、何を言われているのか分からず目を丸くして固まるリィン。
それはリィンの後ろで黙って話を聞いていたフィー。それにエリゼやアルフィンも同じだった。
オリヴァルトは彼等のそんなやり取りを、ニヤニヤと微笑ましそうに見守っていた。
◆
シャーリィの条件を呑むかどうかで一悶着が起き、リィンはというとアルフィンたちから逃げるようにカレイジャスの甲板に避難していた。
既に日は沈み、空には白い月が浮かんで見える。雲の谷間から覗き込んだ月明かりが、スポットライトのように甲板を照らし出す。
リィンの他にもう一人、先客がいた。騎士甲冑をまとった少女。亜麻色の髪が風にさらわれて、左右に揺れる。
「行くのか?」
「これ以上、あなた方と馴れ合うつもりはありませんわ。それに、マスターに与えられた使命は他にもありますから」
デュバリィらしい返事に、リィンは苦笑する。元々、デュバリィの力を借りたのは〈赤い星座〉とやり合う戦力が欲しかったからだ。
結局セドリックは救出できなかったとはいえ、シャーリィの言葉が正しければ、当面は〈赤い星座〉と衝突することはないだろう。
それにデュバリィ自身が言っているように、彼女には彼女の為すべきことがある。引き留める理由はなかった。
「詳しいことは言えませんが……一つだけ忠告しておきます。あの力は出来るだけ使わないようにしなさい」
デュバリィの忠告に首を傾げるリィン。
「アルス・マグナのことか?」
「そう、それです。恐らく、あの白い方の力は〈聖痕〉に近いものです。若干、異質な気配も感じましたが……」
「聖痕? それって〈守護騎士〉の?」
このゼムリア大陸には、様々な国で広く信仰されている女神が存在する。それが度々、人々の会話のなかで耳にする〈空の女神〉だ。
その女神を信奉しているのが、〈七耀教会〉と呼ばれる宗教組織だった。
聖痕というのは、その七耀教会が総本山とするアルテリア法国にある行政機関の一つ――〈封聖省〉隷下の〈星杯騎士団〉に所属する十二名の〈守護騎士〉が持つという特殊な力のことだ。
リィンも知ってはいたが、自分の力が〈聖痕〉に近いものだとは考えが及んでいなかった。
「知っているのなら話は早いですわ。あなたには借りがありますし、簡単に死なれては困るのです。だから精々、気を付けることです!」
「借り? 何かを貸した記憶はないんだが……」
「と・に・か・く! わたくしが借りと言ったら借りなのです! 次に会う時まで、その首を洗って待ってなさいですわ!」
感謝しているのか恨んでいるのかよく分からない捨て台詞を残し、転位でその場から消えるデュバリィ。
最後まで騒がしい奴だったなとリィンは頬を掻く。しかし、最後の最後で気になる情報を残してくれたことには感謝していた。
「聖痕ね……」
身に覚えがないわけではなかった。聖痕は魂の刻印と呼ばれるもので、その名が示す通り精神に宿る力だ。
そして、リィンの身体はこの世界のものだが、魂は日本人だった前世のモノを引き継いでいる。
原因があるとすれば、恐らくそれしかないだろうとリィンは考える。
(団長はこのことに気付いていたのかもな)
本来、聖痕の持ち主は一つの時代に十二人しか存在しない。そのどれにも当て嵌まらないという話になれば、リィンはこの世界にとって文字通りのイレギュラーということになる。〈鬼の力〉以上に厄介な秘密となりかねなかった。
このことが知れれば、星杯騎士団から狙われるかもしれない。ルトガーはそのことに気付いていて、力を使わないように警告したのかもしれないとリィンは思った。
しかし、リィンは星杯騎士団に誘われても所属するつもりなどない。女神の存在を否定するつもりはないが、宗教というものの在り方にリィンは否定的だった。
特に七耀教会は、無償で読み書きなどの初等教育を施す日曜学校を開いたり、人々の心の支えとなるべく表向き健全な慈善活動に従事している一方で、裏では色々ときな臭い噂も絶えない組織だ。
星杯騎士団にしてもそうだ。守護騎士を筆頭に、正騎士とその下にいる従騎士を含めると総勢千人を超えると言われる騎士団だ。これほどの規模になると猟兵団は勿論、大国の軍隊を除けば対抗できる組織は少ない。そんな彼等の任務は、アーティファクトの回収と調査。そして〈外法〉と呼ばれる異端認定を受けた者たちの処罰も含まれる。こうした行為を彼等は〈空の女神〉の名の下に大陸各地で行っていた。
実際、猟兵時代にリィンも彼等とやり合った経験があり、その時に感じたことは出来ることなら関わり合いになりたくない胡散臭い宗教団体というイメージだった。
アーティファクトを適切に管理するための知識と設備があるのは、〈結社〉を除けば確かに七耀教会だけなのかもしれないが、その技術を解析して兵器などに転用しているという話もあるので一概に褒められた行為とも言えない。昔から政治に宗教が絡むと碌なことにならないというが、七耀教会にもそうした闇の部分が見え隠れしていた。
別に宗教を信仰するしないは自由だ。教会が行っている慈善活動自体も否定するつもりはない。それで助かっている人々がいるのは事実だし、心の支えは必要だ。
ただ、組織は大きくなれば腐敗が進む。特に大陸全土で広く信仰されるほどの影響力を持った宗教なら尚更だ。だからリィンは基本的に、七耀教会という組織そのものを信用していなかった。
「どう考えても面倒事にしかならないよな……」
貴族連合を始め〈赤い星座〉に〈結社〉ときて、この上〈星杯騎士団〉にまで目を付けられるなど勘弁して欲しいとリィンは肩を落とす。
だからと言って、どこかの下に付く気も、自分の生き方を曲げるつもりもリィンにはなかった。
面倒なことにならなければいいが、とリィンは深い溜め息を吐いた。
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