カレイジャスの艦内に用意された執務室で、アルフィンは帳簿と睨み合いをしながら唸っていた。
 これだけの規模の飛行艦を運用するには膨大な維持コストが掛かる。乗組員が口にする食糧は勿論のこと日用品から各種オーブメント用のクォーツ、更には武器の弾薬や艦の修理・補修に使う資材の確保まで、すべてにおいて調達に必要となるのは(ミラ)だ。第四機甲師団から融通してもらえるとは言っても当然タダではなく、請求書には一般家庭ではまず目にすることのないゼロの桁が二つ三つ多い数字が並んでいた。

「姫様、お困りでしたら兄様に相談されてみては?」
「リィンさんに余り甘えたくはないのだけど、それしかなさそうね……」

 エリゼの言うとおりだと認めながらも、これ以上はリィンに甘えたくないとアルフィンは考えていた。
 というのも既にリィンから、かなりの資金を融通してもらっていたからだ。
 内戦中ということで現金の持ち合わせはなくとも、アルノール皇家の信用で物を融通してもらうことは可能だが、やはりツケの利かない細々としたものには現金が必要となる。これまでも、そうした費用はリィンがすべて立て替えていた。
 当然、皇族とはいえ学生のアルフィンに払えるような額ではないので、この借金は後々アルノール皇家が支払うことになる。それに加え、内戦で生じた戦費の負担や町の復興に掛かる費用など、ただでさえIBCの資金凍結の影響で経済的に苦しい状況にあるにも拘らず、それらの負担が重く帝国の財政にのし掛かってくる。内戦が長引くほどに、借金が増えるという悪循環に陥っていた。
 そのことから考えても、内戦を終わらせることが出来るのなら〈紅き翼〉をリィンに譲っても、安い取り引きだとアルフィンは感じていた。

「当座の資金はリィンさんに相談するとして、第四機甲師団に融通してもらった積み荷の代金は……お兄様宛に請求書を送っておきましょう」

 こっそりと借金の一部をオリヴァルトのツケにするアルフィン。艦の運用に必要なこととはいえ、希望する学生をカレイジャスにそのまま乗船させるように条件を付けたのはオリヴァルトだ。なら、その分くらいの負担を請求しても、心は痛まないだろうと考えての行動だった。
 どちらにせよ、最終的に支払うことになるのはアルノール皇家――二人の父親であるユーゲント三世だ。
 ここまでくれば、小言が増えるか減るかの差でしかなかった。

「借金で首が回らなくなったら、リィンさんと一緒に猟兵をするのもいいかもしれませんね」
「姫様……冗談ですよね?」

 アルフィンの本気とも冗談とも取れる発言にエリゼが呆れていると、執務室の扉をノックする音が聞こえた。
 来客の予定はなかったはず、と考えながらアルフィンの代わりにエリゼが応対に出る。

「はい、どちら様でしょうか?」

 エリゼが扉を開けると、そこには艶やかなブロンドの髪をした青年が立っていた。
 その仕立ての良い貴族と思しき宮廷装束をまとった青年に、エリゼは見覚えがあった。

「ご無沙汰しています。アルフィン殿下、それにエリゼ嬢」

 片手を胸にあて、帝国貴族らしい優雅な振る舞いで頭を下げる青年。
 彼こそ、アルバレア公爵家の次男にしてVII組の生徒。ユーシス・アルバレアだった。


  ◆


『ユミルのことなら心配しないでくれ。大尉が寄越してくれた隊員たちと協力して、いつ襲撃があってもいいように備えているからな。まあ、襲撃がないに越したことはないんだが……』
「同感だ。わかっていると思うが十分に気を付けてくれよ。ノルドの件が片づいたら、一度そっちに顔を出すつもりだ」
『あいよ。そっちも頑張んな。俺の方でもギルド経由で情報をもう少し洗ってみるつもりだ。何か分かったら連絡する』
「ああ、よろしく頼む」

 通信を終え、ソファーに背中を預けるリィンの背後からスッと手が伸び、控え目で柔らかな感触がリィンの後頭部に触れる。

「いまのがトヴァル・ランドナー?」
「そうだよ……っていうか、いつからいたんだ? あと抱きつくな」
「別にいいじゃん。減るものじゃないしー」
「減るんだよ! 主に俺の理性が!」
「シャーリィは別にいつだってオッケーだよ。なんなら、いまから子作りする?」

 どこまで本気か冗談か分からない言葉を平然と口にするシャーリィに、さすがのリィンも諦めた様子で溜め息を吐く。
 ラウラやエリオットの他にも鍛えて欲しいという学生を中心にシャーリィの相手をさせているのだが、やはりそれでも物足りないらしく、暇になってはリィンのところに入り浸る毎日を送っていた。
 裏が取れたとはいえ、シャーリィが要注意人物であることに変わりない。それだけにリィンも警戒を解いていないのだが、帝国政府の指示で動いていたことが分かった以上、シャーリィの罪を問うことは出来ない。そのためシャーリィの扱いは、アルティナ以上に浮いた存在となっていた。

(百歩譲って団を抜けたことを信じるとすれば、基本的には裏表のない奴だからな)

 完全に疑惑が解けたわけではないが、シャーリィが悪巧みをしているとは本気でリィンも疑っていなかった。
 猟兵という稼業を、その身で体現しているかのような人間がシャーリィだ。基本的に彼女の行動には善悪がない。戦場で出会った相手とは問答無用で殺し合うような戦闘狂だが、そこらの道を歩いている人間に喧嘩をふっかけて、通り魔まがいに殺し合うといった真似は絶対にしない。プライベートと仕事の線引きはしっかりとしていた。
 狂ってはいるが壊れてはいない。同じ猟兵としてなら、シャーリィのことは信用できるとリィンは考えていた。
 フィーもシャーリィと気が合うところがあるのか、よく一緒に甲板で日向ぼっこをしている姿を見かける。仕事が絡まなければ、年相応の無邪気な少女だ。そんなシャーリィの性格をよく知っているからこそ、原作でシャーリィが取った行動にリィンは違和感を抱いていた。

「そんなことより、聞いておきたいことがあるんだが……」
「ん? もう依頼の内容なら話したと思うけど?」
「そっちじゃない。アルカンシェルのことだ」

 アルカンシェルとは、観客を魅了する真に迫った演技力とサーカス顔負けの派手なパフォーマンス、大掛かりな舞台装置が評判のクロスベルを代表する劇団だ。
 帝国を始めとした諸外国にもファンが多く、アルカンシェルの公演を見る度にクロスベルを訪れる旅行客がいるほどの人気振りだった。
 原作でも度々と物語の舞台となるアルカンシェルだが、話の中で一度〈赤い星座〉の襲撃を受け、公演を中止する事件があった。しかしリィンが調べた限りでは、アルカンシェルが〈赤い星座〉に襲われたという情報は入っていない。なのに、その劇団に所属している看板スターの一人、リーシャ・マオがクロスベルから姿を消したと聞き、事情を知ってそうなシャーリィに尋ねたのだ。
 原作においてシャーリィは、リーシャに対して強い関心を寄せていた。それは彼女が劇団のアーティストという表の顔とは別に、カルバート共和国の東方人街において『伝説の魔人』と称される〈(イン)〉と言う名の暗殺者の顔を持っていたからだ。だから、本気の彼女と戦うためにアルカンシェルを襲うような真似をした。彼女が大切にしている存在を傷つけることで、怒りを引き出そうとしたのだ。
 とはいえ、リィンの知るシャーリィは仕事以外の理由で、無闇に一般人を傷つけるような真似をする少女ではなかった。
 リィンが何を訊きたいのかを察し、笑みを浮かべるシャーリィ。

「いいよ。リィンが知りたいなら教えてあげる。でも、その前に――」

 話の途中で何かに気付いた様子でシャーリィは双眸を細め、獣のような殺気を扉に向けて放った。

「ネズミをどうにかしないとね。ねえ、リィン。殺っちゃっていい?」
「アホたれ」

 呆れながらシャーリィの頭を強めに小突くリィン。
 涙目を浮かべるシャーリィを無視して、リィンは扉に向かって声を掛けた。

「そこの三人、早く入って来い。でないと、腹を空かせた猛獣に食い殺されるぞ」

 殺気を向けられ、人数まで言い当てられたことで驚きながら観念した様子で、エリオット、ラウラ、ユーシスの三人は姿を見せる。
 三人の顔を見て、やっぱりかと言った様子でリィンは溜め息を吐く。

「……どうして僕たちがいることを?」
「気配がダダ漏れだ。隠れるつもりなら、もっと上手くやるんだな」

 エリオットが三人を代表して不思議そうに尋ねるが、リィンやシャーリィからすれば、その程度は隠れているうちに入らなかった。
 気配に敏感なフィーなら、廊下を歩いている人間の数まで正確に把握することが可能だろう。
 ユーシスもいることで話の内容に大体予想が付きながらも、確認を取るようにリィンは三人に尋ねる。

「それで? 用があるなら、さっさと言え」
「えっと……」
「エリオット。ここからは俺が話す」

 一歩前に踏みだし、リィンの前に立つユーシス。
 あれだけの殺気を向けられた後だというのに大した胆力だ、とリィンは少し感心した様子を見せる。
 頭を下げながら自己紹介から入るユーシス。

「挨拶が遅れたことをお詫びする。ユーシス・アルバレアだ」
「リィン・クラウゼルだ。まあ、その様子だと知ってるんだろうが」

 こうしてここにきたということは、誰かからカレイジャスに来ることになった経緯を聞いてきたのだろうとリィンは察していた。

「皇女殿下から伺った。あなたが俺の身柄を正規軍に掛け合ってくれたと」
「ただ取り引きをしただけだがな。こっちにも考えがあってのことだ」
「それでも礼を言わせて欲しい。そのお陰で、こうして仲間に会うことが出来た」
「……話に聞いていたより随分と素直だな」

 情報の出所はアルフィンか、と納得しながらも意外と素直なユーシスにリィンは驚く。
 様子を見るに感謝しているという言葉に嘘はないのだろう。しかし、礼を言われるようなことをした覚えはリィンにはない。
 満足したなら帰れとばかりに、そんな三人をリィンはさっさと追い返そうとする。

「そんなことを言うために態々訪ねてきたのか? なら、さっさと帰れ。こっちは忙しいんだ」
「そういうこと。リィンはこれからシャーリィと子作りするんだから」
「こ、子作っ――」

 リィンの首元に抱きつくシャーリィを見て、ラウラが顔を真っ赤にして言葉を詰まらせる。
 エリオットもこうした状況に慣れていないのか顔を赤くし、ユーシスも微かに動揺している様子が見て取れる。

「アホか! お前、子供の前で何言ってるんだ!?」
「ええ……リィンだって、そんなに歳変わらないじゃない。それより早くしよ」
「するか! おいっ、抱きつくな! これ以上は本気で怒るぞ――」

 三人の前でも遠慮なく迫ってくるシャーリィを、リィンは容赦なく突き放す。
 さすがにこれ以上はまずいと思ったのか、頬を膨らませながら渋々といった様子でリィンから離れるシャーリィ。

「リィンのケチ」
「誰がケチだ。今度やったら追い出すからな。てか、お前等もいつまでそこで見てる気だ」

 シャーリィが大人しくなったことで、固まっている三人をリィンは半眼で睨み付ける。
 リィンの声で、我に返る三人。このままでは、まともに話も出来ないまま追い返されると思ったユーシスは、覚悟を決めた様子で口を開いた。

「リィン・クラウゼル。あなたに頼みがある」
「頼み? それはようするに依頼≠ェしたいってことか?」
「そうだ」
「……アルフィンの入れ知恵か?」

 ユーシスに入れ知恵をした人物を推察し、また余計なことを――とリィンは舌打ちする。
 しかし、アルフィンの入れ知恵の件を別としても、ユーシスを助けた以上、話を聞く程度の義務はリィンにもあった。
 半ば、こういう展開も予想はしていたのだ。VII組の生徒はエリオットやラウラも含め正義感が強く、仲間思いで無駄に行動力が高い。
 話の内容に大凡の見当は付きつつも、リィンはユーシスに確認の意味を込めて尋ねる。

「まあ、取り敢えず話してみろ」
「……話というのは父上……いや、ヘルムート・アルバレア公爵のことだ」
「アルバレア公の? ……父親に情でも湧いたか?」
「違う。アルバレア公を捕らえるのに力添えを願いたい」

 ほう、と少し意外そうにユーシスの話に相槌を打つリィン。
 父親に関する話だとは予想していたが、まさか捕らえるのに力を貸して欲しいとくるとは少し意外だった。
 その意味を理解して言っているのだとしたら大したものだ、と感心しながらリィンは尋ねる。

「自分で何を言っているのか、理解して言っているのか?」
「そのつもりだ。ユミルの一件を始め、ケルディックの焼き討ち、更にはバリアハートでの一連の行動。我が身可愛さに領民を見捨てて逃亡するなど、領地を預かる貴族として恥ずべき行為だ。先程、皇女殿下にも申し上げてきたが、アルバレア公爵家の一員として父の愚行をこれ以上、見過ごすことは出来ない」

 筋は通っている。そして恐らく自分の口にした言葉の意味を理解して言っているのだろう。
 ならばリィンとしては、これ以上なにかを言うつもりはなかった。後はユーシスの問題だ。

「まあ、いいだろ。機会があれば、お前も連れて行ってやる。ただし、自分の言葉と行動には責任を持つことだ。その結果、どうなろうとな」
「……感謝する」

 ユーシスは神妙な面持ちで頭を下げながら、感謝を口にした。



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