「えっと……独房とかに入れるんじゃないの?」
「独房に入れられたいのか? それなら、そうしてもいいが?」
冗談とは思えず、勢いよく首を左右に振るミリアム。しかし見た目以上に驚いている様子は見られなかった。
幼い少女の姿をしてはいるが、やはり軍属の人間なのだと、ミリアムの落ち着きを見ると納得が出来る。こうして捕らえられる可能性も考慮に入れていたのだろう。
むしろ、階級も年齢も上のクレアの方が落ち着きがないように見える。リィンの行動に納得は出来るが、何故このタイミングで――と困惑している顔だ。
拘束されたミリアムは、クレアと一緒にユミルの男爵邸に連れて来られていた。
しかし、ミリアムは特に不満を抱いていなかった。牢屋に入れられるよりは遥かにマシな待遇だったからだ。
「まずは最初に手荒な真似をして悪かった」
頭を下げ、謝罪から話に入ったリィンにミリアムは驚き、クレアは訝しげな表情を浮かべる。
「……どういうことですか?」
「演技とまでは言わないが、見せつける必要があったからな。ミリアムなら分かるんじゃないか?」
「あっ……そういうこと」
リィンの話に、ミリアムは一人だけ納得したかのような表情を見せる。
答え合わせをするかのように、ミリアムはリィンに尋ねた。
「僕を捕らえることで、スパイをあぶりだそうとしたんだよね?」
「スパイ……なるほど、そういうことですか」
合点が行ったという様子でクレアも頷く。
カレイジャスの乗組員――それも恐らくは学生のなかにスパイがいることは、クレアも気付いていた。ましてや、セドリックの一件を含め、秘密裏に行動していたミリアムがそのことを知らないはずがない。
既にエリゼを通して得られた情報から、リィンは犯人の目星を付けていた。
今回このような行動にでたのは裏付けを取るためと、ミリアムが拘束されたことを知った情報局がどういう動きにでるかを知りたかったからだ。
「クレア大尉。前に俺が言ったことを覚えているか?」
「……真実を見誤るな、ですか。そのことで質問があります。いつから気付いていたのですか?」
ギリアスが生きている可能性について、最初に疑問を持つようになったのはリィンの一言が切っ掛けだった。
それだけにクレアは疑問を持つ。リィンはどこで、いつからそのことに気付いていたのかと。
「最初からだ。〈鉄血〉が狙撃される前から気付いていた」
「そんなに以前から……」
ギリアスが狙撃されるまでの流れは、クレアですらギリギリまで気付かなかったのだ。
それなのに、そんなに以前から動きを察知していたと聞いて、クレアは疑問を持ちながら納得の表情を見せる。アルフィンたちを救助した手際の良さといい、これまでの一連の流れを振り返れば、リィンが革新派・貴族派、双方の動きをあらかじめ知っていたと考えれば自然と理解できる部分があったからだ。
しかし、そうなるとリィンが何故そのことを知っているのかという疑問が湧く。
リィンが持つ情報源に疑問を持つクレアに、リィンはいらぬ疑いを掛けられまいと話を補足する。
「言っておくが、俺は〈帝国解放戦線〉なんていうテロリストどもとは通じていないし、アルティナの件に関してもルーファスから持ち掛けてきた話で、俺から関係を持ったわけじゃない。〈結社〉との関係も、利害が一致して一時的に手を結んだだけだ。まあ、信じる信じないは勝手だが……」
「いえ、信じます。正直その可能性は一番低いと思っていましたし……」
クレア自身、リィンがテロリストと通じているなどと微塵も考えてはいなかった。
アルフィンやエリゼ。それにフィーに向けるリィンの感情は、クレアの目から見ても間違いなく本物と言えるものだった。
少なくともアルフィンを裏切るような真似が、リィンに出来るとは思えない。演技という可能性も考えられるが、それにしてはリィンの一連の行動によって貴族連合が負った被害は大きすぎる。敵と内通しているという可能性は限りなく低いとクレアは考えていた。
「俺には未来≠ェ見える――と言ったら信じられるか?」
一瞬なにをリィンが言っているのか分からず、目を丸くしてクレアは呆ける。
ミリアムも何度も瞬きをして、話の流れについていけない様子が見て取れた。
それほど荒唐無稽な話だというのは、口にしたリィンにもわかっていたことだ。
「まあ、そういう反応が普通だよな」
信じられなくても無理はない、とリィンは言葉に漏らす。
むしろ、こんな話を何の証拠もなしに信用する人間がいたら、裏があるのではないかと勘繰るところだ。
「……半信半疑ですが信じます。嘘を吐くなら、もっとマシな嘘を吐くでしょうから」
しかし、クレアは信じると口にした。
勿論すべてを信じたわけではないが、まだそういう理由にしておいた方が納得が行くと考えたからだ。
リィンも信じてもらえると思って話したわけではなかったが、すべて嘘で誤魔化すよりは真実を混ぜて話した方が信憑性が高い。
それにクレアを引き込むのなら、ある程度の事情は話しておくべきだと考えたからだ。
「それじゃあ、そろそろ本題に入るか。クレア・リーヴェルト。それにミリアム・オライオン。こちらに付く気はないか?」
目を剥き驚く二人を見て、リィンは予想通りの反応に笑みを浮かべる。
たいした考えもなく、こんな提案をしているわけではない。ルーファスやレクターに関しては望みは薄いが、この二人――特にクレアに関しては、味方に引き込めるのではないかとリィンは考えていた。
クレアには迷いがある。そしてクレアを説得することが出来れば、ミリアムを取り込むことも不可能な話ではない。男爵邸を場所に選んだのは、スパイを警戒してのことというのもあるが、最初から捕らえるつもりなどなく交渉をすることが目的だったからだ。
交渉が決裂したとしても、リィンの懐は痛まない。それどころか、敵の手に落ちた諜報員を信用する組織はいない。情報局に疑惑を抱かせ、彼女たちと組織との間に溝を作るだけで十分だった。
「それは閣下を裏切れ……ということですか?」
「裏切るも何も、奴は既に死人だ」
「ですが、閣下は――」
「生きていようが死んでいようが姿を見せない以上は、義務を放棄しているも同じだ。それに内戦の切っ掛けを作った張本人でもある。〈子供たち〉とはいえ、そんな人間に義理立てする理由はないだろう?」
「閣下はそのように無責任な方ではありません! 内戦のことも帝国のことを考え、仕方なく……」
「仕方ないね。同じことをケルディックの人々の前で言えるのか?」
帝国で内戦が起きれば、共和国が介入してくる可能性が高い。いまもノルドが緊迫した状態にあるように、共和国が本気で攻めてくるようなことになれば、泥沼の戦争へと流れていく恐れもある。それを避けるためにギリアスが取った行動は合理的と言えるのかもしれないが、その一方で犠牲となった人々がいる。綺麗事だけで政治は出来ないということは理解できるが、人の道からは外れた行いだ。
大きな戦争を回避するために内戦を引き起こす。その結果、本来守るべき国民を犠牲にしているようでは本末転倒としか言えず、為政者として正しい判断だったと言えるのか、疑問が残る。
「ですが、それは帝国の未来を案じて!」
「同じことを貴族派の連中も言っていたな。帝国のためと言えば聞こえはいいが、結局は貴族派と革新派の対立によって生じた内輪揉めだ。大体その原因を作ったのは誰だ? 強引な政策のツケが回ってきただけの話だろ?」
皇帝の信任を盾に、結果を残すことで反対の声を抑えつけてきたが、ギリアスの強引すぎるやり方は度々問題に上がっていた。
何も言い返せなくなるクレア。その片棒を担いでいたクレアからすれば、自業自得とするリィンの話は耳の痛い話だろう。
この内戦は言ってみれば、権力争いの延長と言えるものだ。革新派のトップであるギリアスに責任がないとは言えない。
しかも、意図的に内戦を起こしたとなれば、貴族派とやっていることは同じだ。決して正当化できる行いではない。
リィンの考えを察し、クレアは不安に満ちた声で尋ねる。
「宰相閣下を……どうするつもりですか?」
「違うな、奴はもう宰相≠カゃない」
「ですが……」
「言っただろ? 奴は死人≠セと。死者に口をだす権利はない」
反論の言葉が思いつかず、言葉に詰まるクレア。生死がどうであろうと、表向きギリアスは死亡した扱いになっていることに変わりはない。政府が機能していないために後任選びが滞っているだけで、いまもギリアスが革新派のトップだと考えている人間は、クレアのようにギリアスに忠誠を誓った極少数の関係者だけだろう。
有能な政治家であることは確かだが、目的のためには手段を選ばないところがあり、個性が強烈であるが故に敵も多い。貴族派に限らずギリアスと意見を違えている軍人・政治家は少なくなく、第三機甲師団のゼクス中将などもその一人だ。
二年前のリベール侵攻作戦の際、ゼクスは帝国政府の思惑を無視して軍を引いた。しかし勝手にやったというわけではなく、正確にはオリヴァルト――皇帝家の意向に従っただけで、当時の判断を間違っていたと非難できる者は少ないはずだ。なのに責任を取らされるカタチでノルドへと飛ばされたのは、ギリアスにとってゼクスが邪魔な存在だったからに他ならない。
しかし、それこそ大きな思い違いだとリィンは指摘する。
「そもそも貴族派も革新派も何か勘違いしているみたいだが、正規軍は〈鉄血〉の私兵じゃない。本来はエレボニア皇帝ひいては――皇帝家に忠誠を誓うもののはずだ」
正規軍は本来、皇帝に忠誠を誓うものだ。にも拘らずテロリストと手を結び、正規軍に反逆の汚名を着せて剣を向けている時点で、貴族連合の主張に正当性はない。皇帝を幽閉し、我が物顔で帝都に居座っている時点で考えものだ。
古き帝国を取り戻すなどと言ってはいるが、カイエン公やアルバレア公のやっていることは私利私欲に走ったクーデターとなんら変わりはない。貴族派の主張は裏を返せば、一部の貴族だけが得をする自分たちに都合の良い国を造るというものだ。それのどこに国の将来を憂う気持ちがあるというのか、詳しく話を聞きたいくらいだ。
同じ穴の狢とまでは言わないまでも、傍から見れば革新派もやっていることに大差はない。貴族派と同じく皇帝を尊ぶ気持ちなど微塵もなく、正規軍を私物化し、皇帝の権威を利用していた事実は消し去りようがない。
国内の勢力をまとめきれなかった皇帝にも責任はあると言えるが、だからと言ってギリアスの行動が正当化されるものではない。どちらが内戦で勝利しても、結果は大差ないというのがリィンの導き出した答えだった。
だが逆に考えれば、この内戦はそうした歪みを正す絶好の機会でもある。
「まさか、計画というのは……」
リィンとアルフィンが企てている計画の内容を推察し、クレアは息を呑む。
その考えが正しければ、第三の風どころの話ではなく、帝国の在り方を変えかねない計画だ。
(まさか、クレイグ中将やゼクス中将に取り引きを持ち掛けたのも……)
その事実に気付き、リィンとアルフィンが本気で内戦を終わらせ、帝国を変えるつもりなのだとクレアは理解した。
こうして話をしたということは、計画を本気で実行に移す気なのだと考え、クレアは冷たい汗を流す。
「〈鉄血〉と運命を共にするというのなら止めはしない。しかし、よく考えろ。正規軍の忠誠と大義はどこにあるのかを――」
ギリアスと運命を共にするか? それとも帝国のためにギリアスを裏切るか?
クレアとミリアムは運命の二択を迫られていた。
◆
一晩考える時間を与えられたクレアは、ミリアムと一緒に男爵邸に厄介になることにした。
ミリアムのことが心配だったということもあるが、彼女自身、一人で過ごすのが不安だったからというのもある。
頭を過ぎるのはリィンの話だ。リィンの計画に協力するということは、ギリアスと敵対するということだ。リィンはギリアスを宰相の椅子から引きずり下ろすつもりでいた。
いや、それどころか貴族派・革新派などという枠を超えた新たな体制を彼等は作り出そうとしている。数日以内に大きく情勢は動くことになるだろう。
そして、その流れはもう止められない。ここが運命の岐路であることをクレアは理解していた。
「ミリアムちゃんは、どうするか……決めましたか?」
「レクターとも連絡が付かないしね。あのお兄さんは敵に回したくないし、僕は面白そうだから協力してもいいかな、って思うよ。元々こっそりと協力するように言われてたわけだし、別にいいかなって」
ただの直感ではあるが、元々そういう流れになるのではないかとミリアムは予想していた。
こそこそ動き回っていたのは事実で、疑われるのは当然だ。拘束されたとは言っても不当な扱いを受けているわけでもなく、情報局からの指示は『〈紅き翼〉を密かにサポートせよ』という曖昧なもので、いまは特別指示を受けているわけではない。セドリックをゼンダー門へ連れて行く任務を負った時点で、ミリアムの役割はほぼ終了していた。
監視付きにはなるだろうが、こうなってしまった以上はリィンたちと行動を共にした方がいい。
密かに――という約束は守れないが、サポートという役割を考えれば、それが最適だとミリアムは合理的に状況を受け入れていた。
「その結果、閣下を裏切ることになってもですか?」
「それすらも、おじさんなら計算の内だって言いそうだけど。それに、生きてるか死んでるかも分からないのは事実だしね」
確かに宰相閣下なら言いそうだ、とクレアは苦笑する。
いつものクレアなら、こんな風に迷うことはなかっただろう。それだけにミリアムは不思議だった。
しかし、そこは同じ〈子供たち〉の一員とはいえ、クレアとミリアムでは事情が異なる点も大きい。クレアのようにミリアムはギリアスに恩を抱いたり感謝をしているわけではない。アルティナと同じ工房出身ということもあるが、ただ与えられた命令に従っているだけだ。ギリアスや情報局そのものに忠誠心や義理立てする理由は少なくともなかった。
まだギリアスが表立って動き、正規軍の指揮を執っていたのなら話は違っていたかもしれない。しかし現状は違う。
「クレアはどうしたいの?」
「私は……迷っています。閣下にはご恩がありますし、裏切るような真似はしたくない。でも……」
ミリアムの問いにクレアは、すぐには答えられなかった。
ギリアスには恩はあるが、このままでいいかと問われれば、クレアは首を横に振らざるを得ない。
現状を深く知ってしまったが故に、内戦を早く終わらせたいという想いはクレアも同じだった。
「そういうことじゃなくて、クレア自身はどう思ってるのさ。おじさんのことは抜きにして」
ミリアムに自身の気持ちを問われ、クレアは戸惑いに満ちた顔で胸に手を当て考える。
ずっと自分の居場所は帝国軍にしかないと思っていた。いや、思い込もうとしていた。
でも、そんな日常のなかでいつしか、守りたいものが幾つも出来ていたことにクレアは気付く。
「私自身の気持ち……」
クレアは己が気持ちを確かめるように、自問を繰り返した。
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