アリサたちが人質の救出作戦を実行に移している頃、鉱山の外ではフィーたちと帝国解放戦線の激しい戦いが繰り広げられていた。
 岩壁に反響する銃声。絶え間なく放たれる銃弾の嵐の中をフィーは駆け抜ける。鋭い風が肌を撫で、戦場を吹き抜ける度、〈西風の妖精(シルフィード)〉の名がテロリストたちの頭に過ぎる。疾風――まさに風の如き速さで戦場を駆けるフィーに、為す術なく倒されていくテロリストたち。ラウラとユーシスも、思わず魅入ってしまうような光景だった。
 しかし、ただ戦いを見守るためだけに手伝いを申し出たわけではなかった。

「背中は任せた! 遅れずに付いてくるがいい!」
「フン! 誰にものを言っている!」

 ラウラとユーシスは戦闘前、フィーに言われたように二人一組(ツーマンセル)でこぼれた敵を相手取っていく。
 フィーの作った攻撃の裂け目を縫って距離を詰める二人。自身に向けて放たれた銃弾を手にした大剣で弾きながら、ラウラは敵陣へと突っ込む。

「逃さぬ――洸閃牙!」

 接近され、距離を取ろうとしたテロリストたちに戦技を放つラウラ。
 光の渦に引き寄せられ、テロリストたちは円状に回転させたラウラの剛剣に斬り裂かれる。

「……ぐっ!」

 手応えはあった。肉と骨を断つ嫌な手応えがラウラの手に伝わってくる。
 いつもとは違い、覚悟の伴った手加減抜きの一撃。殺すつもりで放った一撃は、確実に敵の意識を刈り取る。
 数で劣っている以上、手加減など出来るはずもない。しかも、相手はライフルで武装している。
 フィーに警告をされたように、手を抜けば死ぬのは自分たちの方だということはわかっていた。
 しかし、そうとわかっていても、人の命を奪うというのは気分の良いものではない。
 物心がついた頃から剣を振っているラウラだが、これほど剣が重く感じられたことはなかった。

「はあはあ……」

 胸の底から込み上げてくる形容しがたい感情を呑み込みながら、ラウラは剣を振る。
 額からあごを伝ってこぼれ落ちる汗。返り血を浴び、大剣を握るラウラの手は自分の血と区別が付かないほどに赤く染まっていた。

「こいつら、何故ここまで……」

 人数の上では相手が上回っているが、実力的には圧倒的にユーシスたちの方が上だ。フィーは勿論のこと、ラウラやユーシスでも余裕をもって戦えるレベルの相手。しかし、仲間がやられても怯むことなく、まるで死を当然と受け入れ、向かってくる男たちにユーシスは気圧される。どうしてここまで――そんな疑問と葛藤がユーシスの心を支配する。
 覚悟はしていたつもりだったが、フィーが難色を示した理由を今になってユーシスは痛感していた。
 殺さずとも心のどこかで無力化できればいいと考えていた自分が甘かったと、ユーシスは叱咤する。

「だが、引くわけにはいかない!」

 しかし、自分から言いだした以上、弱音を吐くわけにはいかなかった。
 フィーに猟兵としての矜持があるように、貴族として誰にも譲れないものがユーシスにもあった。

「お前たちに恨みはない。しかし、俺にも譲れないものがある!」

 気力を振り絞り、戦技を放つユーシス。
 クリスタルセイバー。対象を魔力で作った結界に閉じ込め、十字に斬り裂く剣技。
 兄、ルーファスから学んだ宮廷剣術の奥義だ。

「はあああああっ!」

 ユーシスが技を放つと、青白い光がテロリストたちを呑み込み広がっていく。
 戦場に轟音と衝撃が響いた。


  ◆


「ん……外は、あらかた片付け終わったね」

 敵の気配がなくなったことを確認して、フィーは双銃剣を軽く振り、武器に付いた血を払う。
 ノルドの集落を襲撃した猟兵たちに比べれば少ないが、それでも三十人近いテロリストたちが横たわっていた。
 辛うじて息がある者もいるが、軽傷の者は一人もなく、ほとんどが息絶えている。そんな光景を見て、フィーは複雑な表情を浮かべた。
 彼等がギリアスに恨みを抱くようになった経緯を考えれば、同情の余地がないわけではない。しかし生かして捕らえたところで、貴族連合が戦争に勝利でもしない限り、彼等の末路は重罪でほぼ確定だ。一国の宰相の命を狙い、一時はクロスベルに狙いを定め、各国のVIPの命まで危険に晒した罪は重い。そのことから考えても、情けを掛ける理由はなかった。
 問題は、ラウラとユーシスの二人だ。

「大丈夫?」

 剣を支えに辛うじて立っているといった様子の二人に、フィーは声を掛ける。
 正直、ラウラとユーシスがここまでやれるとは思っていなかったので、フィーは内心驚いていた。
 初めて戦場に立った時のことを思い出し、ここまで自分がやれたかどうかを考え、フィーは首を左右に振る。
 団の仲間に迷惑を掛けた日のことを、フィーは忘れていなかった。

「……フィー? 何を……」
「私が落ち込んでいる時、よくリィンがこうしてくれたから……」

 自分より高い位置にあるラウラの頭を撫でるフィー。フィーは大真面目なのだが、顔を赤くしてラウラは動揺を見せる。
 しかし、照れ臭さはあるが嫌というわけではなかった。張り詰めていた心が和らいでいくのを感じる。
 ユーシスの視線に気付いて、フィーは首を傾げながら尋ねた。

「……ユーシスもして欲しい?」
「遠慮しておく……そのことが知れたら、後で面倒なことになりそうだ」

 リィンと揉めるのは勘弁だ、とユーシスは拒絶する。
 リィンはよく娘を持つ親バカ連中を引き合いにだすが、リィンも大概シスコンだ。
 フィーもユーシスの心配している理由を考え、絶対にないとは言い切れなかった。

「さすがは〈西風の妖精(シルフィード)〉と言ったところか」

 予想しなかった方角から声を掛けられ、顔を上げるフィーたち。
 五十アージュはあろうかという崖の上から飛び降りる人影。ズドンという音と共に土埃が舞い、地面に亀裂が走る。

「後ろの連中は士官学院の坊主たちだな。安っぽい甘さが消えて、一人前の戦士の顔をするようになったじゃねえか」

 子供の背丈ほどある大きなガトリング砲を手にした大男に凄まれ、ラウラとユーシスは気圧されながらも武器を構える。
 そんな二人を見て、若者の成長を喜ぶかのように満足げな笑みを浮かべる大男。

「帝国解放戦線、幹部〈V〉……」

 そう呟き、険しい表情で大剣を持つ手に力を込めるラウラ。
 そのイニシャルと外見的特徴から、フィーは何かを思い出したかのように〈V〉に尋ねた。

「もしかして〈アルンガルム〉の……確か、名前はヴァルカン?」
「へえ……まさか、俺のことを知っているとは驚いた。お前さんが活躍する頃にはなくなってたんだがな」

 十年ほど前まで大陸西部を中心に活動する、そこそこ名の知れた猟兵団があった。それがアルンガルムだ。
 その団長を務めていたのが、フィーたちの目の前にいる男だ。名はヴァルカン。
 一度目にすれば忘れられない巨漢と、ガトリング砲を軽々と扱う膂力から同業者にも恐れられ、フィーやリィンの親代わりでもある〈猟兵王〉にも一目置かれていた人物だった。

「団長に聞いたことがある。何度か戦場でやり合った好敵手たちがいたって」
「ククッ、かの〈猟兵王〉にそんな風に言ってもらえるとは光栄の極みだな」

 アルンガルムの話は、フィーもルトガーからよく聞かされていた。
 団の規模やランクは〈西風〉に劣るものの威勢の良い連中が揃っていて、特に団長のヴァルカンはレオニダスと力で渡り合えるほどの実力者だったと。レオニダスというのは〈破壊獣(ベヒモス)〉の名で知られる〈西風〉の連隊長だ。その実力は、いまのフィーと互角かそれ以上。パワーだけならルトガーすら凌ぐほどだった。

「惜しい男を亡くした。遅まきながら悔やみを……尊敬できる男だったぜ」
「……ありがと」

 生前のルトガーをよく知る人物の悔やみの言葉に、フィーは素直に礼を言う。

「もっとも今は、帝国解放戦線の幹部〈V〉を名乗ってる。お前さんたちが皆殺しにした連中は、俺の仲間というわけだ」

 帝国解放戦線に参加したのは、仲間を殺されたことへの恨み。ギリアスへの復讐心からだった。
 ヴァルカンの団が表舞台から姿を消したのは、いまから十年ほど前のことだ。
 貴族派から当時、宰相になって間もないギリアス・オズボーンを脅しつける依頼を受けたヴァルカンは仲間と共に、ギリアスが視察に訪れるという話の鉱山都市へと向かい、そこで敵の罠に嵌まった。貴族派の動きはギリアスに見抜かれており、逆に待ち伏せを受けたアルンガルムは降伏する間もなく、一方的にギリアスの命を受けた特殊部隊に虐殺されたのだ。
 子供も女も容赦なく全員が殺され、生き残ったのはヴァルカン一人だけだった。
 猟兵である以上、死は覚悟している。恨むのは筋違いだということもわかっている。それでも――殺された仲間たちの無念を思えば、何もせずにはいられなかった。
 それがヴァルカンが、ギリアスに復讐を誓った理由だ。そんなヴァルカンの事情を知らないフィーは、不思議そうに尋ねる。

「……逆恨み?」
「まさか。連中も、こうなることは覚悟の上だ。むしろ、お前さんたちには感謝しているくらいだ」
「感謝されるようなことをした覚えはないけど……」

 仲間を殺されて感謝しているなどと話すヴァルカンに、フィーは訝しげな視線を向ける。
 ルトガーから聞いていたのとは随分と違うヴァルカンのイメージに、微かな戸惑いもあった。

「お前さんたちが、さっき相手にしたのは俺と同じように〈鉄血〉の野郎に人生を狂わされ、復讐以外に生きる目的を失った――そんな過去を持った連中ばかりだ。だが、鉄血は死に帝国解放戦線(オレたち)の生きる意味、存在理由はもう無くなっちまった」
「もしかして、それが理由?」
「ああ、新しい時代に俺たちは必要ない。だからと言って、〈鉄血〉に味方していた連中に裁かれるのなんてごめんだ」
「……そういうこと」

 その一言でヴァルカンの言いたいことを理解し、フィーは面倒臭そうに溜め息を吐く。
 先程まで相手にしていたテロリストたちも、どこか張り合いがないと思っていた。死を覚悟していると言うよりは、まるで死に場所を求めているかのような捨て身の行動。最初から、ここを死に場所に選んでいたのだとすれば、その行動にも納得が行く。しかし、そんなことに巻き込まれるのは、フィーからすれば迷惑な話でしかなかった。
 リィンがここにいたら、「死にたければ勝手に死ね」と容赦なく突っぱねていたところだろう。
 とはいえ、それを言ったところでヴァルカンが引くとは思えない。

(やるしかないか……)

 気乗りはしなかった。事情を聞くと尚更だ。
 しかし面倒でもやるしかないと、フィーは心を決める。

「ラウラ、ユーシス。二人は鉱山の中へ」
「何を!? 私も、まだ戦え――」

 言葉に詰まるラウラ。フィーから発せられた冷たい殺気に、それ以上、声をだせずにいた。
 今日のフィーからは、いつもの余裕が感じられない。

「お願い。周囲に気を遣って戦えるほど、余裕のある相手じゃないから」

 ヴァルカンの実力を正確に見抜いた上での判断だった。
 足手纏いがいては戦えない。遠回しにそう言われ、ラウラは悔しげな表情を見せる。

「ラウラ。ここは彼女の言葉に従おう。体力を消耗している俺たちでは足手纏いになりかねない」

 ラウラの気持ちが分からないわけではない。しかし、自分たちの実力ではフィーの足手纏いになるだけだとユーシスは理解していた。
 ラウラもそうした判断が付かないわけではない。目の前の男は自分たちよりも、ずっと強いことはわかっていた。
 それでも――またフィーに頼ってしまうことに、情けなさと無力さを感じずにはいられない。
 強くなりたい。フィーと並び立てるほどに、もっと強く――そんな想いから、ラウラは口にする。

「……必ず勝て。まだ、そなたに一太刀も入れていないからな。勝ち逃げは許さん」
「ん……約束する」

 いつか、フィーに追いついて見せると約束して、ラウラはユーシスと共に踵を返し、その場を走り去った。
 ラウラたちが鉱山に入っていくのを確認して、フィーはクルリと双銃剣を手元で回転させ、いつ戦闘に入ってもいいように構えを取る。
 元より負けるつもりもなければ、ラウラとの約束を破るつもりはなかった。

「待ってくれて、ありがと」
「なに、俺も余計な邪魔を交えず、お前さんとやりたかっただけだ」

 その言葉に嘘はないのだろう。撃とうと思えば、いつでも撃てたはずだ。
 避けるくらいはどうということはないが、ラウラとユーシスを庇いながらでは難しかった。
 自分から有利な状況を捨てて、一対一の決闘を望んだくらいだ。死を覚悟しているということもあるが、腕に相当の自信があるのだろう。

「そっか……なら、遠慮はいらないよね?」
「ぬ――ッ!」

 フィーの身体から台風の如き、膨大な闘気が溢れ出る。

「はああああっ!」

 戦場の叫び(ウォークライ)――極一部の戦闘に長けた猟兵のみが扱える奥の手。
 リィンの〈鬼の力〉ほどではないが、咆哮と共に内包する闘気を爆発させ、一時的に戦闘能力を高める戦技。
 濃密な闘気をまとったフィーの放つ存在感に気圧され、ヴァルカンは身じろぎする。

「団長の話通り、レオと同等なら厳しかっただろうけど、いまのあなたになら私でも勝てる」

 確かにヴァルカンは強い。それでも嘗ての仲間、レオニダスほどではないとフィーは冷静に分析する。
 ましてや生きることを諦め、死に場所を求めているような人間に負けるつもりはなかった。

「ククッ、おもしろい! そうこなくっちゃなあ、〈西風の妖精(シルフィード)〉!」

 ヴァルカンの話を聞き流し、フィーはただ目の前の敵を倒すためだけに、意識を集中させていく。
 山から吹き下ろす強い風が土埃を舞わせた、かと思った瞬間、フィーの姿がヴァルカンの視界から消えていた。

(こいつは――!)

 殺気を感じ取り、咄嗟に武器を上段に構え、一瞬で距離を詰めたフィーの一撃を受け止めるヴァルカン。
 その瞬間、大気が震える。大地を揺るがすほどの激震と共に、二匹の獣の戦いが幕を開けた。



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