「くっ――」

 法剣でアリサの戦技を受け止めるスカーレットだったが、じりじりと後ずさり遂には弾き飛ばされてしまう。
 床に叩き付けながら、地面を転がるスカーレット。肺から息を吐き、肩で息をしながらも、よろよろと剣を杖に立ち上がる。

「ほんとに甘ちゃんなんだから……」

 歩みを止めてしまった自分と、直向きに前を歩み続けるアリサを比べ、スカーレットは苦笑する。
 こんな風に真っ直ぐに気持ちを家族にぶつけられていたら、復讐に走ることもなかったのだろうかとスカーレットは自問するが、それは今更言ったところで詮無きことだ。

「残念だけど時間切れみたいね」

 窓の外を見ながら、そう話すスカーレット。
 ルーレに向かっていたはずの列車。なのに外には見慣れない光景が広がっていた。

「線路が途中で切り替えられていたみたいね。この先の鉄橋は、まだ工事中だったはずよ」
「うっ、嘘!?」

 イリーナの言葉に驚くアリサたちを横目に、スカーレットは剣を振う。
 ガコン、という衝撃と共に一号車と二号車が分断され、アリサたちの乗った車両が失速を始める。
 スカーレットが車両の連結器を破壊したのだと、すぐにアリサたちは察した。

「何やってるのよ! あなたも早くこっちに――」

 アリサの声に、スカーレットは首を横に振って応える。

「どうしようもなく甘い考えだけど、あなたたちのそういうところ嫌いじゃなかったわ」
「ふざけないで……そんなの認められるわけがないでしょ!」

 どこか悟ったかのような笑みを浮かべるスカーレットに、アリサは声を張り上げる。こんな終わり方、認められるはずがなかった。
 スカーレットを助けようと車両から飛び出そうとするアリサの身体を掴み、ガイウスとエリオットは必死に止めようとする。

「離して! このままじゃ――」
「無茶だ、アリサ!」
「そうだよ、早まったことをしないで!」

 離れていく列車を見て、手を伸ばすアリサ。その時だった。
 様子を見守っていたイリーナが、ここにいないはずの従者の名を叫んだ。

「シャロン!」
「……え?」

 耳によく馴染んだ名前を耳にして、アリサは一瞬呆けた顔を見せる。

「畏まりました」

 突如、声がしたかと思えば、一号車の上に赤紫のメイド服をまとった女性が現れ、次の瞬間――車両を大きな衝撃が襲った。
 メイドの名は、シャロン・クルーガー。〈死線〉の異名を持つ執行者(レギオン)の一人にして、現在は〈結社〉での活動を休止し、イリーナの秘書兼ラインフォルト家の使用人として働いている少し変わった経歴を持つ女性だ。
 シャロンの手に握られた短剣より伸びる鋼色の糸――鋼糸が、蜘蛛の糸のように広がり列車に絡みつく。
 ギギ……いう音と共にスピードを鈍らせる列車。そのタイミングを待っていたかのように、アガートラムにしがみついたミリアムが二号車を飛び出した。

「ガーちゃん――お願い!」

 機関車の前に降り立つと、ミリアムの指示で列車を押し止めるアガートラム。
 シャロンの鋼糸とアガートラムのパワーによって、土埃を上げながら列車のスピードが徐々に鈍っていく。
 しかし、それでも止まらないアイゼングラーフ号。工事途中の鉄橋が見え始め、万事休すかと思われた、その時――
 機関車の側面で爆発が起こり、その余波で列車は脱線。横倒しになり、地面を滑るようにして木々に衝突し、動きを停止した。

(いまの爆発は……)

 転倒する直前、列車から飛び退いていたシャロンは爆発のあった地点を見下ろしながら、軽やかに地面に着地する。
 短剣から伸びた鋼糸の先には、身動きを封じられたスカーレットの姿が確認できた。
 アガートラムに守られながら空中に退避していたミリアムに目配せをするシャロン。
 その意図を察しスカーレットを空中で受け止めると、ミリアムはアガートラムと共にシャロンの隣に降り立った。


  ◆


「シャロン!? あなた、どうしてここに――それに、彼女は大丈夫なの?」

 切り離された先頭車両に駆け足で追いついたアリサは声を荒げ、真っ先にシャロンに迫った。
 怒っていると言うよりは、困惑を隠せないと言った方が正しいだろう。
 そんな取り乱すアリサの質問に、クスリと微笑すると地面に寝かせたスカーレットの容態を確認しながらシャロンは答えた。

「頭を少し打ったようで気を失っていますが、命に別状はないでしょう」

 シャロンの話を聞いて、ほっと安堵の息を吐くアリサ。先程まで命の奪い合いをしていた相手の容態を心配するアリサを見て、シャロンは少し困り顔で優しげな笑みを浮かべる。
 シャロンは、これまで〈結社〉の執行者として数多の命を奪ってきた。〈死線〉という名は、その冷酷無比な所業から付けられた名だ。
 敵には一片の慈悲もなく死を与えてきた彼女からすれば、アリサの優しさは眩しく尊いものに映る。

「あと先程の質問ですが、最初≠ゥら車両内におりましたよ?」
「……はい?」

 補足するように、そう話すシャロンに呆けた顔を見せるアリサ。
 十を数えるほどの間があっただろうか? ようやく状況を理解すると、非難めいた視線をシャロンに向ける。
 いつでも助けに入れたのに、タイミングを見計らっていたということだ。恐らくはイリーナもグルなのだろうとアリサは確信した。
 これだから母様は……と嘆息するアリサを横目に、シャロンは双眸を細め、横倒しになった車両の影へ視線を向けた。

「どうやら、お客様のようです」

 ボサボサの頭を掻きながら物陰から姿を見せる長身の男。白いズボンに胸もとに『風切り鳥』のマークが入った黒いジャケットを纏っており、顔には黒いサングラスを付けている。何より肩に背負った大型のブレードライフルが異彩を放っていた。
 そして、もう一人。長身の男に続いて、同じサングラスをかけた浅黒い肌の大男が姿を見せる。
 女性の腰回りほどある太い右腕には、全長二アージュを超える巨大なマシンガントレット。鍛え上げられた筋肉は鋼のように引き締まっており、その上からは長身の男と揃いのジャケットを纏っていた。

「先程の爆発は、やはりあなた方でしたか……」
「いやあ、危なそうに見えたんでな。余計なお世話やったかな?」
「いえ、助かりました。彼女を無駄に傷つけずに済みましたので」

 軽く会釈しながら、嘘偽りなく感謝の言葉を述べるシャロン。
 助けがなくとも逃げ出すことは可能だったろうが、その場合はスカーレットを連れ出すため、多少手荒な真似をしなくてはならないところだった。
 アリサの気持ちを考えると、ラインフォルト家の使用人として出来れば余り取りたくはない手段だっただけに感謝していた。

「あの……あなたは?」
「ん……ああ、挨拶がまだやったな。ゼノと呼んでくれ。あ、こっちの大きいのは……」
「レオニダスだ」
「ゼノさんとレオニダスさん……ですか。私はアリサと言います。助けて頂き、ありがとうございました」

 シャロンとのやり取りから、目の前の二人が助けてくれたのだと察し、頭を下げるアリサ。
 手に持った武器や、どうしてここにいるのかなど気になる点はあるものの恩人であることから尋ねにくそうにするアリサたちに代わって、ミリアムがジャケットの胸もとについたマークを見て尋ねた。

「そのマーク。おじさんたち〈西風の旅団〉の関係者?」
「おじさんって……出来れば、お兄さんって呼んでくれんか?」

 ミリアムに『おじさん』と呼ばれて、げんなりとした表情で肩を落とす長身の男ゼノ。
 一方アリサたちは、ミリアムの口からでた〈西風の旅団〉という名称を聞いて目を丸くして呆けていた。
 一足早く立ち直ったエリオットは、先程の話が気になり会話に割って入る。

「〈西風の旅団〉ってリィンとフィーが昔いたっていう……」
「なんや、(ぼん)と姫の知り合いか」

 リィンとフィーのことを親しげな名で呼ぶゼノ。そんなゼノの反応に、リィンとフィーの知り合いなのだとエリオットたちは確信する。
 しかし〈西風の旅団〉と言えば、〈赤い星座〉と並び称される西ゼムリア最強の猟兵団だ。
 リィンやフィーを見ていることもあって、猟兵に対して世間一般で言われているような先入観はないが、こんな人気のない山道にタイミングよく現れたことやノルドの一件もあり、少し警戒した様子でエリオットはゼノの問いに答えた。

「知り合いというか、お世話になっているというか……」
「ふむ。察するに〈紅き翼〉の関係者ということか」
「どうして、それを!?」

 レオニダスの言葉に驚き、警戒心を引き上げるエリオット。
 やってもうた……と言った顔で、額に手を当てながらゼノはフォローを入れる。

「ああ、そない警戒せんといて。たくっ、己は誤解を受けやすい見た目しとるんやから、言葉には配慮せえっていつも言うとるやろ」
「む……俺はただ思ったことを口にしただけで」
「それがあかん言うとるんや……」

 ゼノに呆れた口調で責められ、「むう……」と唸るレオニダス。
 険悪なムードの二人を見て、自分の一言が原因で喧嘩になっては堪らないと、エリオットは仲裁に入る。

「えっと、そのくらいに……本気で疑っているわけじゃないので……」
「勘弁な。悪気はないんやが言葉足らずいうか……それでよく誤解を受けるんやけど、根はいい奴なんで勘弁したってや」

 猟兵らしからぬ気さくな物言いに、やはりリィンとフィーの身内だと実感するエリオット。
 先程まで感じていた警戒心はすっかりと薄れていた。
 そんなエリオットの見る目が変化したのを察して、ゼノは誤解を解こうと話の続きに入る。

「さっきの疑問やけどな。実は――」
「その先は、私が話をするわ。シャロンを通じて、彼等に依頼をしたのは私よ」

 話の腰を折られ、なんとも言えない表情を浮かべるゼノ。「それは無いわ。イリーナさん」と呟くゼノを無視して、イリーナは腕を組みながら鋭い視線をアリサへ向ける。
 イリーナの視線に気圧されながらも、アリサは負けじと質問を返した。

「依頼って……母様、どういうこと?」
「どうって、そのままの意味よ? 機を見て、社に戻るつもりだったから彼等の手を借りるつもりだったのよ」
「えっと、それって……」

 ゼノたちがいることを知っていたかのようなシャロンの反応。そして、タイミングを見計らったかのようにゼノたちが現れたこと。すべてイリーナを通して繋がっていると考えれば合点が行く。
 だとすれば、態々危険を冒して助けにくるような真似をしなくとも、いつでもその気になれば逃げることが出来たということだ。

「ああ、もう! これだから、母様は嫌いなのよ!」

 よかれと思ってしたことが空回りしていたことを知り、アリサは感情のままに叫ぶ。
 やっぱりこうなったわね、と言った顔で溜め息を漏らすイリーナ。

「あの……私は感謝していますから……」
「ううっ……」

 ブリジットに慰められ、アリサは涙目で彼女に抱きつく。
 なんとも言えない状況に、エリオットとガイウスも何も言えず溜め息を吐くしかなかった。
 泣き喚いて落ち着いたのか、ふと何かに気付いた様子でブリジットにアリサは尋ねる。

「そういえば、もう一人、人質がいたと思うんだけど……」
「……アランのことですね」
「アランって確か、あなたの幼馴染みの……」
「はい……アランは、ハイデル取締役に連れて行かれました。何かの実験に協力して欲しいと言われて……」
「……実験?」

 学生の人質は二人いるという話だった。そのことから不思議に思い、ブリジットに尋ねたのだが、想像もしなかった答えが彼女の口からは返ってきた。
 ハイデルに連れて行かれたということも気になるが、それよりも実験という不穏な言葉にアリサは眉をひそめる。

「私の所為で、私が捕まったりなんかしたからアランは……」
「あなたの所為じゃないわ。悪いのはハイデル取締役でしょ!?」

 幼馴染みの青年の身を案じて自分を責めるブリジットを抱き寄せ、慰めるアリサ。
 ブリジットを抱きしめたまま、もう隠し事は許さないと言った表情でアリサはイリーナを睨み付ける。

「母様、その実験について何か知らないの?」
「恐らくは第五開発部同様に、秘密裏に研究を進めていた実験か何かでしょうね。まあ、碌でもない実験だというのは予測が付くけど……」

 他人事のように話すイリーナに嫌な感情が湧き上がるも、ここで母親と口論をしたところでアランが無事に帰ってくるわけでないことはわかっていた。
 ブリジットのためにも、言いたいことは多々あるが、グッと堪えるアリサ。

「ルーレへ急ぎましょう。まずはリィンたちと合流して……」

 そこまで口にして、ゼノとレオニダスの顔が目に入る。
 二人がイリーナに雇われているというのは分かった。しかし、このままリィンとフィーに会わせていいのかどうか分からず、ゼノとレオニダスの扱いに困るアリサ。
 これまでリィンとフィーの前に顔を出さなかったこと、イリーナの指示で動いていたからには、何か事情があるものと察したからだ。

「ああ、俺等のことなら気にせんといて。そろそろ頃合いやろうしな」
「うむ。あの二人にも、ちゃんと話をしておくべきだろう」

 事情はよく分からないが、ゼノとレオニダスの話から問題はなさそうということでアリサも納得する。
 チラリとイリーナとシャロンの顔を覗き見るが、イリーナは視線を合わせようとせず、シャロンは微笑むだけで反応は見られないことから、こちらからも情報は得られそうにないとアリサは溜め息を吐いた。



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