「消耗したマナは回復しそうか?」
『ココハ霊気ニ満チテイル。半刻モ休メバ回復スルダロウ』
「なら、少しここで休んでいてくれ。たぶん出番はあるだろうしな」
クロウのオルディーネはともかくリィンのヴァリマールは先の戦闘で、少なくないマナを消耗していた。
ヴァリマールにとっては二百五十年振りの実戦ということもあるが、騎神を介したオーバーロードの使用はリィンの気力だけでなくヴァリマールの負担も大きなものだったことが大きな理由だ。
理論上は可能だという確信はあったが、余り多用できそうにはないな、とリィンは呟く。
少なくともヴァリマールの負担を考えれば、今後は集束砲のような大きな技は避けるべきだろう。
「クロウも、ここに残るか?」
「ここまで連れてきておいて、それはないだろう? 最後まで付き合うぜ」
騎神と共にここに残ってもいいというリィンの提案に、クロウは首を横に振る。
正直、リィンたちの実力を見た後では役に立つとは思わないが、クロウにも男の意地がある。
それに自分が招いた結果を、最後まで見届ける責任があるとクロウは考えていた。
「ここが、煌魔城の最上層か」
明らかに場に立ち込める空気の重さが、外や下層とでは大きく異なっていた。
その原因となるものへ、リィンは警戒を強めながら意識を集中する。
広間の最奥。巨大な柱のようなものに身体の半身を埋め込まれ、拘束されている騎神の姿がそこにはあった。
緋の騎神テスタ・ロッサ。嘗て、帝都を混乱に貶めた魔王の異名を持つ災厄の騎神だ。
二百五十年の時を経て、その姿を見せた騎神からは離れていても感じるほどの畏怖を覚える。
「あれが、緋の騎神……凄まじい瘴気です」
その異様な雰囲気にあてられ、リィンの隣で息を呑むリーシャ。
完全に復活すれば、一体どれほどの力を発揮するのか? 確かに魔王の名を冠するに値するほどの力はあるのかもしれない。
だが、自分でも驚くほどリィンは落ち着いていた。
「こんなものか」
弱いとは決して思わない。確かに凄まじい力を持ってはいるのだろうが、自らの力の本質を自覚しつつあるリィンには、この程度の力は脅威にはなりえないという確信があった。
それ故に思わず漏れた言葉だったのだが、ヴィータは思わず目を剥いて驚きの声を上げる。
「こんなもの? あれは、仮にも魔王の力を宿した騎神なのよ?」
「ああ、悪い。言い方が悪かったか。確かに凄い力を持ってはいるんだろうが、アレを倒して封印した奴がいる以上、勝てない相手じゃないだろ?」
それはそうだが、緋の騎神を封印したのは帝国の歴史で英雄として語り継がれる人物、獅子心皇帝と槍の聖女だ。
歴史上、他の追随を許さないほどの実力の持ち主だったと考えていい。実際、槍の聖女と呼ばれる人物の力を、ヴィータは嫌というほど理解していた。
あれは決して人の身では勝てないものだ。緋の騎神が魔王なら、彼女もまた人間の枠に収まる相手ではない。
リィンの発言は、そんな人外の英雄たちと自分が並び立つと言っているようなものだ。
勿論、槍の聖女と戦って勝てると断言できるほどリィンは自信家ではないが、同じ舞台に立つことは出来るという確信にも似た自覚があった。
「勝てる? 勝てるだと!? この緋の騎神――テスタ・ロッサに!」
広間に響く男の声。聞き覚えのない声に、声の主の姿を捜してリィンは壇上へと視線を向ける。
緋の騎神の前に設置された仮組みの階段。そこに上級貴族が好んで着る宮廷衣装を身に纏った髭面の男がいた。
「カイエン公……」
ヴィータの言葉で、その人物が誰かをリィンは理解する。
貴族連合の発起人にして、主宰を務める貴族派の中心的人物。ラマール州を治める四大名門の一角、カイエン公爵家の現当主だ。
そして、二百五十年前に獅子心皇帝によって倒された偽帝オルトロスの子孫でもあった。
その後ろ。よく見ると、カイエン公の傍らにはアルフィンと思しき少女が椅子にロープのようなもので拘束され、眠らされていた。
恐らくは薬のようなもので大人しくさせられているのだろう。目的の人物を見つけ、リィンはやれやれと言った様子で前へと歩みを進める。
「アンタがカイエン公か。まあ、無駄だとは思うけど、一応は尋ねておいてやる。大人しく降伏して、さらった人たちを解放する気はあるか?」
「ふざけるなっ! ここまできたからと言って、もう勝ったつもりか!」
「だよな……」
素直に降伏して人質を差し出すような人物なら、ここまでの暴挙にはでないだろう。
そんなことはリィンにもわかっていた。ただ、本人が口にしたように尋ねて見ただけだ。
そして、それは最後の確認でもあった。
「まあ、いいさ。それならそれで、俺にも考えがある」
「ひいっ!」
リィンから発せられた殺気のようなものにあてられ、顔を恐怖で歪ませ、身体を硬直させるカイエン公。
冷静に見えてはいても、意識を失ったアルフィンを目にして、リィンは静かに怒りを滾らせていた。
「こ、こちらには人質がいるのだぞ!?」
「それがどうした? 俺の依頼主はアルフィンだ。それ以外の人間がどうなろうと俺の知ったことじゃない」
このリィンの言葉は完全に予想外だったのか、カイエン公も絶句する。
ここまできたからには、もっと正義感に駆り立てられた言葉が返ってくるものと思っていたのだ。
それが人質の命など、どうでもいいと言われてしまっては、カイエン公でなくとも言葉を失うだろう。
だが、虚勢とも思えない。実際、どうでもいいとまでは思っていなくても、アルフィンさえ無事なら最悪それでいいとリィンは答えるだろう。
「それにどうせ、人質の大半はここにはいないんだろ?」
何故それを――という驚きの表情で、リィンを見るカイエン公。その反応だけで白状しているようなものだった。
カイエン公の性格もそうだが、魔煌城の性質から言って人質を監禁しておくには不向きな場所だ。幻獣が徘徊していることもそうだが、そもそもの話、カイエン公自身もこの魔煌城の構造を把握してはいないだろう。
安全な場所と言えば、この最上層の広間――緋の玉座くらいのものだろうが、ここはカイエン公にとっても重要な場所のはずだ。
緋の騎神復活の鍵となるアルノール皇家の人間ならいざ知らず、それ以外の人間を招き入れるとは思えない。
「まあ、予想ではパンタグリュエルあたりか?」
またも予想が当たっていたようで、驚くカイエン公を見て、リィンは呆れた表情を見せる。
帝都のどこにも安全な場所などない。だとすれば、カイエン公の本拠地である海都オルディスか、貴族連合の旗艦であるパンタグリュエルに監禁されている可能性が高いとリィンは読んでいた。
前者に関しては、いざという時のことを考えれば、余り得策とは言えない。カイエン公の性格から言って、切り札となるものは必ず手元に置いておきたいはずだ。
ならば消去法で、学院長たちはパンタグリュエルに監禁されている可能性が高いのではないかと考えただけだ。
「なんていうか、本当に分かり易い、おっさんだな……。こんなのが本当に貴族連合のトップなのか?」
「まあ、そう言わないでやってくれ……」
これでもクロウは、カイエン公にも打算があったことを知りながら感謝していた。
結果的にギリアスの暗殺には失敗してしまったが、カイエン公の協力がなければ、そこまでの計画を実行に移すことは難しかっただろう。
それどころか、スカーレットやヴァルカンと言った自分と同じような境遇を持つ仲間や、カイエン公のところに出入りしていたヴィータとも出会うことはなかったかもしれない。
いまのクロウがあるのは少なくとも半分は、カイエン公との出会いが始まりだったとも言える。だからこそ、クロウはこれまで黙ってカイエン公の指示に従っていたのだ。
「カイエンのおっさん。アンタには感謝している。だが、これまでだ。俺もアンタもな」
「ふざけるな!? まだ私は終わってなどいない! 貴様も魔女も、目に掛けてやった恩を忘れて敵に寝返りおって! そんな輩に言われたくはないわ!」
「それを言われると辛いけどな。だが、アンタはやり過ぎた」
クロウもカイエン公の気持ちが分からない訳ではなかった。だが、それでも越えてはいけない一線というものがある。それをカイエン公は踏み越えてしまった。
カイエン公はリィンが口にしたように、人の上に立ち、導けるような大層な人物ではない。家格や派閥内の力関係は別として当主の能力で言えば、ログナー候やハイアームズ候の方が上と言えるだろう。
人望や器量、すべてにおいてカイエン公は当主の器とは言えない。だからこそ、分相応な夢を見てしまった。その結果が、これだ。
「最初に言っておいたでしょう? 元より〈結社〉の目的は、騎神を戦いの舞台へと導き、その結果を見届けることにあると――。カイエン公、あなたとは利害が一致しただけで仲間になった覚えはないわ。それに、最初に約束を違えたのは、あなたの方でしょう?」
「貴様等が役に立たないからだろうが! だから、私がこうして――」
「それは本当にあなたの考えなのかしら?」
ヴィータの思いもよらぬ反論に、カイエン公は返答に詰まる。
カイエン公が貴族派の力を結集し、このような行動を取るまでに至った経緯。こうなった原因の一端は間違いなく革新派の台頭にある。その指揮を執っていたのが、ギリアス・オズボーンだ。
カイエン公は自らの考えで貴族連合の発起人となり、この内戦を引き起こしたかのように思っているが、その実はギリアスによって誘導された結果に過ぎないというのが、リィンたちの考えだ。
なら、いまのこの状況も果たして、カイエン公が自ら考えて起こした結果と言えるのだろうか?
ずっとヴィータは疑問に思っていた。カイエン公がおかしくなり始めたのは、あのレグラムの一件からだ。
確かにルーファスには怪しいところがあったが、その時点でルーファスを軟禁し、参謀から外すことは貴族連合にとってマイナスにしかならない。そのくらいのことはカイエン公とてわかっていたはずだ。なのにカイエン公は疑心暗鬼に陥り、ルーファスを遠ざけた。そして、その頃からカイエン公はヴィータとも距離を取り始めていた。
だがアルバレア公が死に、ルーファスが公爵位を継いだことを宣言すると、彼は突然として貴族連合のナンバー2へと復帰する。
最初からヴィータを計画から遠ざけるための演技だったとすれば、すべて合点が行く話だった。
「ルーファス・アルバレアに、まんまと乗せられたわね」
「黙れ、黙れ、黙れ!」
カイエン公は声を荒げ、発狂する。
自分がルーファスに利用されていただけなど、到底信じられるような話ではなかった。
そんなカイエン公の醜態を目の当たりにして、ヴィータは深い溜め息を漏らす。
騙されたことに対する怒りよりも、こうなると哀れみの方が大きかった。
「……リィン」
「ああ、わかってる。油断するなよ」
一早く、何かに気付いた様子のフィーがリィンに注意を促す。
正直なところ、緋の騎神に関しては復活されたとしても対処する手段がある以上、リィンはそこまで脅威には感じていなかった。
しかし、それよりも厄介な協力者がカイエン公にはついていた。
「そこにいるんだろ? さっさと姿を現したらどうだ?」
誰もいない空間に声を掛けるリィン。しかし、その表情は確信に満ちていた。
リィンの指摘した空間が歪み、そこから三人の男女が姿を現す。
「さすがですね。どうして、ここに隠れていると分かったのですか?」
「勘だ。それに、そいつは以前に一度見たことがあるんでね」
目の前の少女の手にある腕輪型のアーティファクトの正体にリィンは見覚えがあった。
四年前――精霊窟で戦った〈探求者〉を名乗る男が身に付け、使用していたものだ。
気配ばかりか、存在そのものを認識できなくする働きがある強力なアーティファクト。遺跡の崩落によってシーカーと共に失われたはずのアーティファクトを、目の前の少女が何故所持しているのかまではリィンにも分からなかったが、少女の正体はすぐに分かった。
「リィン・クラウゼルだ。はじめまして、でいいのか?」
「エマ・ミルスティンです。いえ、これが二度目です」
やっぱりか、とエマの顔を見て、リィンはようやく四年前の記憶と繋がったことを理解した。
あの頃は眼鏡を掛けていなかったことや、直接話をしたことがなかったこともあって、四年前に精霊窟であった少女がエマだと気付くことはなかった。
だが、こうして再会したことで、あの時の少女がエマだったのだと確信することが出来た。
なら、あのアーティファクトを彼女が所持している理由は分からなくはない。あれだけの力を持ったアーティファクトだ。予備があるとは思えないことから、恐らくはシーカーの遺品と考えて間違いないだろう。
「こうして俺たちの前に現れたってことは、敵と言うこといいんだな?」
「やはり……あなたは気付いていたんですね」
「無理矢理、従わされているんじゃなくて協力者の一人――いや、黒幕の一人だってことにか?」
黒幕と言うのは、ギリアスのことを指して言ってるわけではない。恐らくルーファスとは別口だろう。
だが、エマが脅迫されて従っているのではなく、自分の意志で彼等を味方に付け、煌魔城を復活させたことにリィンは気付いていた。
アリサたちをここに連れて来なかった理由の一つでもある。出来ることなら外れていて欲しい憶測ではあった。
「エマ……何を……嘘よね? あなたが自ら禁忌を犯すなんて」
「嘘じゃありませんよ。ヴィータ姉さん。すべて、私の意志でしたことです」
しかし、俄には信じがたい話にヴィータは困惑の表情を見せる。
だが、無情にもエマの口から語られたのは、彼女の暗躍を示すものだった。
エマは同じ村で育ち、姉と慕っていたヴィータすら、見事に欺いて見せたということだ。
いや、ヴィータのことをよく知るが故に、彼女の隙を突くことも出来たのだろう。
「で、お前等もグルってわけか」
「フフッ、〈結社〉を裏切るつもりはないのだがね。私も彼女の計画に魅了された一人と言う訳だ」
ブルブランの言葉に、こういう奴だよな、とリィンは溜め息を吐く。
ついでに言えば、さっきから無言で視線をぶつけてくるマクバーンに対しても思うところはあった。
ブルブランはともかくマクバーンがエマについた理由。それは恐らく自分にあるのだろうという確信がリィンにはあったからだ。
「問答は無用みたいだな。お前等が何を考えて、こんなことをしたのかまでは分からない。だが、俺にも譲れないものがあるんでね。立ち塞がるというのなら排除するだけだ」
それぞれの武器を抜き、対峙するリィンとエマたち。
魔王の鎮座する玉座で、最後の戦いが始まろうとしていた。
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