「陛下、もうすぐクロスベルに到着します。ご支度を」
そう言ってルーファスは傍に控えさせていた侍従に指示をだし、ユーゲント三世の身支度を調えさせる。
特に逆らう様子もなく、されるがまま様子を窺うユーゲント三世。皇宮から連れ去られた後、ユーゲント三世はパンタグリュエルへと移送され、そして現在ルーファスの策略によって〈紅き翼〉を出し抜いた後は高速挺でクロスベルへと向かっていた。
アルフィンをさらい煌魔城へと連れ去ったことも、そして学院長やユーシスをパンタグリュエルへと監禁し、その情報をレジスタンスを通じて〈紅き翼〉へと流したことも、すべてはユーゲント三世の監禁場所を特定させないため、そしてクロスベルを舞台に始まろうとしている計画を隠すためのルーファスの策略であった。
「……いつからだ? このような計画を企てていたのは……」
帝国で引き起こされた内戦すらも、目の前のルーファスやその背後にいるギリアスの計画の内であるとユーゲント三世は既に見抜いていた。
いや、薄々は察していたのかもしれない。だが、それでもギリアスを信じたかったのだ。
だが、その結果がこれだ。こうした事態を未然に防ぐことが出来なかった責任を感じているのだろう。
苦悶に満ちた表情を浮かべるユーゲント三世を見て、ルーファスは逡巡すると質問に答えた。
「四年ほど前からでしょうか?」
「四年前……まさか、帝国西部の……」
ユーゲント三世の頭に過ぎったのは、四年前に帝国と教会が合同で調査を行った、とある事件のことだった。
帝国西部の山が一つ消失するという大事件。結局、原因は特定されず調査は打ち切られたが、ノーザンブリアの〈塩の杭〉事件同様にアーティファクト級の力が使われた痕跡があるという話だった。
「あの事件を切っ掛けに、宰相閣下は密かに進めてきた計画の変更を余儀なくされた。ある少年が表舞台に台頭してきたことによって」
「……少年?」
「リィン・クラウゼル。その名を陛下はご存じのはずです」
「リィン……まさか、それはギリアスの……」
ルーファスの口からリィンの名を聞き、ユーゲント三世は何かを思い出したかのように表情を驚愕に染める。
ハーメルの悲劇。百日戦役の切っ掛けともなった忌まわしき事件で、ギリアスは最愛の妻と息子を亡くした。少なくとも、そうユーゲント三世は聞いていた。だからこそ、驚かずにはいられない。
ギリアスの子供が生きていたという事実を喜ぶ一方で、ハーメルの悲劇の真実を知る証人が生きているという事実は、帝国政府にとって絶対に伏せなければならない問題だという認識も持っていた。
このことをカイエン公を始めとした貴族たちが知れば、リィンの命を奪ってでも口を塞ごうとするだろう。記憶のあるなしではなく、ハーメルの生存者がいるという事実そのものが彼等にとって失点となりかねないからだ。
軍の撤退を条件に、リベール王国にハーメルの事件の真相を公表しないように迫ったのも帝国の威信を保つためだ。
もし真実が明らかになれば、帝国の国際的な信用は地に落ちる。そのように貴族たちに迫られれば、皇帝としてユーゲント三世も頷かないわけにはいかなかった。
いま思えば、愚かなことをしたと思うこともある。だが、リベールとの戦いで疲弊しているなか周辺諸国に隙を見せるわけにはいかなかった。特にカルバート共和国に大義名分を与えることになれば、それに同調する国も出て来るだろう。
そうなったら百日戦役どころの話ではない。最悪、ゼムリア大陸全土を巻き込んだ大戦へと発展する恐れすらあったからだ。
(思えば、ギリアスが変わったのは、あの事件が切っ掛けだった……)
だとすれば、その原因はやはり自分にあるのだろうとユーゲント三世は思う。
ギリアスを宰相に任命したのも、表向きは百日戦役の功績に報いたということになってはいるが、ハーメルの真実を公表しなかったことに対する贖罪の気持ちがなかったといえば嘘になるからだ。
此度の内戦のことはギリアスに――友人に裏切られたような気持ちだった。
しかし、最初に友を裏切っていたのは、自分の方かもしれないとユーゲント三世は悩む。
「皇帝陛下には、ご協力を願いします。帝国を正しき道に戻すために――」
そう言われては、ユーゲント三世も首を縦に振らないわけにはいかなかった。
◆
クロスベル市の地下には、ジオフロントと呼ばれる連絡通路が張り巡らされている。上下水道や導力ケーブルを始めとして都市のライフラインを支えるために、二十年前の都市計画と同時に建造が開始された地下施設がそれだ。
街全体に張り巡らされた連絡通路は、度重なる改修と増築によって迷路のように入り組んだ構造をしており、現在では余り使われていない封鎖されている区画に至っては魔獣の徘徊する危険な場所と化していた。
そんな人気のない地下通路を、何かから逃げるように疾走する人影があった。
「まさか、クロイス家が帝国と通じていたなんて……」
絞り出すように悲痛な声を漏らす銀髪の女性。彼女の名はエリィ・マクダエル。
この街の住人であれば、その姓を耳にすれば真っ先に思い至る名前があるだろう。
クロスベルは現在『独立国』を名乗っているが、元は帝国・共和国を宗主国としておく自治州だ。国家主権は認められておらず、その自治は市長と議会議長の共同代表によって行われていた。
ヘンリー・マクダエルは、そんなクロスベルの前市長を務め、その後は教団事件で失脚したハルトマン議長の後を継ぎ、議会議長へと就任した中立派の敏腕政治家だった。
彼女――エリィ・マクダエルは、その議長の孫娘だ。
「ロイド……皆……」
逃げる時に散り散りとなった仲間のことを心配するエリィ。
クロスベルはその地政学上、エレボニア帝国とカルバート共和国の影響を強く受ける都市だ。その影響は文化や経済だけでなく政治にまで及び、帝国派・共和国派と呼ばれる二派の対立によって泥沼の状況を作りだし、犯罪組織の台頭や政治家による汚職など、不正の温床を作り出す結果へと繋がっていた。
そして、そうした影響を受ける対象は警察も例外ではなく、両国の息の掛かった政治家や上層部からの圧力によって目に見える犯罪を検挙することが叶わず、見て見ぬフリをするしかないといった悪循環を生んでいる。そんななか失った市民からの信用を回復するために、今年になって警察内に新たに設立された部署が特務支援課――エリィの所属するチームだ。
街の人々の声に耳を傾け、組織では見落としがちな問題や事件を解決するべく設立された部署だが、実際には警察の人気取りであるとか、遊撃士の真似事などと揶揄されることも多く、組織内における立場も余りよいものとは言えなかった。
しかしそれでもエリィは、クロスベルを取り巻く問題を打破する一助になればと、苦楽を共にする仲間たちと頑張ってきた――つもりだった。
だが、そんな彼女たちの目論見もディーター・クロイスが市長へと就任し、彼の口によってクロスベルの独立が全世界に向けて発信されたことで失敗に終わる。
クロスベルの独立を阻もうとする帝国・共和国との対立は、遂に武力衝突にまで発展してしまったからだ。
そうした流れを止めようとエリィたち特務支援課のメンバーは、ヘンリー・マクダエルや現体制に反発する人々の協力を得て、オルキスタワーでの決戦に挑んだ。
それが先日のこと。ディーター・クロイスは拘束され、作戦は成功に終わったかのように思われた。
そんななか〈碧の大樹〉の顕現と共に姿を見せたディーター・クロイスの娘、マリアベル・クロイスによって語られた事件の真相は、事件の関係者そして特務支援課の皆に大きな衝撃を与えた。
特にクロイス家とは家族ぐるみの付き合いがあり、娘のマリアベルとも仲の良かったエリィの受けた衝撃は大きかった。
親友がここ一年、クロスベルで起こっていた不可思議な事件に関与していたこともそうだが、帝国で起きている内戦にも関わっているとは想像もしていなかったからだ。
いつからなのか? クロイス家は帝国政府。いや、ギリアス・オズボーンと繋がっていた。
正確にはディーター・クロイスはこのことを知らされていなかったことからも、マリアベルの独断で行われた計画と見て間違いないだろう。
当然、エリィたちはマリアベルの計画を止めようと動いたが、彼女の方が一枚も二枚も上手だった。
当初はヘンリー・マクダエルを味方に付け、彼に独立宣言の無効を訴えてもらうことでディーター・クロイスの主張の正当性を揺るがし、国防軍の介入を防ぐことが出来れば、現体制が保有する大多数の戦力は無力化できると考えていたのだ。
そのために国防軍のソーニャ・ベルツ司令官にも話をつけていた。
だが実際には、ディーターすら反乱分子を誘き出すための餌だったことに気付いた時には何もかも遅かった。
オルキスタワーの攻略作戦に参加した戦力の大半は、ラインフォルト社の開発した機甲兵と身を潜めていた猟兵たちによって鎮圧されてしまったのだから――
「弱気になってはダメよ、エリィ。ロイドたちはきっと大丈夫。これからのことを考えないと……」
自分に言い聞かせることで、心を強く保とうとするエリィ。
頼みの綱の作戦が失敗したことで、既に勝ちの目がないことはエリィにもわかっていた。
この先、良くも悪くもクロスベルを取り巻く情勢は大きく変わるはずだ。ひょっとしたら良い方向に転ぶ可能性もある。しかし――
(こんなの間違っているわ。絶対に……)
それが例えクロスベルのためになろうとも、マリアベルのやり方を認めるわけにはいかなかった。
◆
怒りを顕にしながら娘を睨み付ける金髪の男――ディーター・クロイス。
彼は今、オルキスタワー三十五階の会議室で娘のマリアベルと対峙していた。
「……どういうことだ? まさか、クロスベルを帝国に売ったのか?」
オルキスタワーの一件はディーターにとっても寝耳に水だった。
まさか娘が自分に内緒で、帝国政府と通じていようとは思ってもいなかったからだ。
そのお陰で助かったとも言えるが、だからと言って帝国にクロスベルを売り渡すなど到底容認できることではない。自身のやり方も強引だったという自覚はあるが、ディーターにとってクロスベルの独立は悲願だった。
それが愛する娘に、それもこんなカタチで裏切られようとは思ってもいなかっただけに、彼の受けた衝撃は大きかった。
「それは違いますわ、お父様」
「何が違う……あの人型兵器は報告にあった帝国の新兵器なのだろう? このことを先生はご存じなのか?」
「イアン先生ですか。あの方はよく働いてくださいましたが、勘が良すぎるのも問題ですわね」
「お前、まさか……」
「ご安心を。まだ、ご存命ですわ。ただ少々厄介なことになりましたけど……」
そう言って、マリアベルは小さな溜め息を漏らす。
すべて順調と言いたいところではあるが、そうとも言えない事情が彼女にもあった。
イアン・グリムウッド。市内で法律事務所を営む弁護士だ。とはいえ、それは表の顔。彼はクロイス家の協力者だった。
アドバイザーとしてクロスベルの独立にも深く関わり、更にはディーターに内緒でマリアベルとも通じていた。実際には、マリアベルと秘密裏に進めていた計画のためにディーターを利用していたと言った方が正しいだろう。
――碧き零の計画。それがマリアベルと共に、イアンが実行に移そうとしていた計画の名だ。クロスベルの郊外に見える〈碧の大樹〉は、その計画の産物。本来であれば、ここから計画の最終段階へと移行する予定だった。
だが、結果を見届ける前にイアンは姿を消した。
もう一人の協力者、A級遊撃士にして〈風の剣聖〉の異名を持つ男。アリオス・マクレインと共に――
(ままならないものですわね)
どこまで確証を掴めているかは分からないが、イアンが計画の裏に隠された真実に気付いた可能性が高いとマリアベルは踏んでいた。そうでなければ、ここで姿を消す理由が見当たらない。
だが今となっては、それもどうでもいいことだった。既に彼等の役目は終わっている。
マリアベルにとって、イアンだけでなく実の父親すらも目的を遂げるための駒に過ぎない。それに利用されていたことに気付きながらも、まだイアンのことを『先生』と呼ぶ父親に内心呆れてもいた。
(とはいえ、まだお父様には利用価値がある)
IBCグループの総帥を務めていたことからも経営手腕は高く、企業家として尊敬の出来る人物ではあるが、イアンは以前からディーターのことを政治家の器ではないと評価していた。
その評価にマリアベルも概ね同意してはいるが、彼女はその一方で道化には道化なりの利用価値があると考えていた。
ディーター・クロイスには華がある。道行く者が耳を傾け、観衆を惹きつける魅力が――
イアンもそのことを知っているからこそ、彼を計画の表の顔に起用したのだろう。
「クロスベル政府はオズボーン閣下の要請を受け、ユーゲント三世陛下とエレボニア亡命政府の受け入れを決めました」
「亡命政府だと? 帝国で内戦が起きていることは知っているが、もしや貴族派が勝利したのか? だが、そんなことをすれば帝国は黙っていまい。まさか……帝国と戦争をするつもりなのか?」
マリアベルの話に驚きを隠せないディーター。エレボニア帝国の皇帝が亡命してきたというのも驚きだが、安易に受け入れを表明するのは危険だ。帝国にクロスベルへ攻め入る口実を与えかねない。
独立を宣言したことで既に敵対関係にあるとはいえ、全面戦争を避けられるにこしたことはない。クロスベルとエレボニアでは国力が違い過ぎる。局地的な勝利は得られても長期間の戦争継続は難しいとディーターは考えていた。
だからこそ、IBCが保有する各国の資金を凍結することで経済的に帝国や共和国を締め上げ、これまで帝国と共和国によって虐げられてきたクロスベルの惨状を国際社会に訴え、周辺諸国の賛同と理解を得ることで独立のための譲歩を引き出そうと考えていたのだ。だが、亡命政府の受け入れをしてしまえば、帝国との和解は困難になるだろう。
「フフッ、クロスベルの独立を願っていたわりには、随分と弱気な発言ですね。ですが、ご安心を。そもそも戦争にはならないでしょうから――」
そう言って、クスクスと笑うマリアベル。
血を分けた娘が、まるで得体の知れない存在に思え、ディーターは背筋を震わせる。
「……何をするつもりだ? いや、何を企んでいる?」
「欺瞞に満ちたこの世界に、一石を投じたいのです。ですから、お父様――娘の頼みを聞いては頂けませんか?」
◆
「ここは……」
見覚えのない天井を目にし、ゆっくりと身体を起こす若者。
痛みを覚え身体に触れると、肩から脇に掛けて包帯が巻かれ、治療した後が確認できた。
状況が把握できず、何か手掛かりはないかと青年は周囲を見渡す。
窓一つ見当たらない鉄の壁に覆われた部屋。壁の一角には、キーボードが備え付けられた端末と巨大なモニターのようなものが確認できる。
「もしかして、ジオフロントの端末室か?」
詳細な位置は分からないが、似た部屋を見たことがある青年は場所の当たりを付ける。
そしてベッドの脇には洋服が綺麗に畳まれ、その上には警察手帳がポツンと置かれていた。
手帳を手に取り、それが自分の物であることを確認した若者は、ほっと安堵の息を吐く。
手帳に記された名前――ロイド・バニングス。それが、彼の名前だった。
「目が覚めたかね」
湯気の立つマグカップを手に持った人影が、部屋の奥から姿を見せた。
ロイドは目を見開く。街の人々に『熊髭先生』の愛称で慕われるその人物を、彼はよく見知っていた。
「イアン先生……」
イアン・グリムウッド。
彼はロイドにとって恩人であり、兄の仇とも呼べる人物だった。
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