「先手は譲りましたが、既に手は打ってあります。ギリアス・オズボーンとルーファス・アルバレアの二名は逆賊として指名手配。クロスベルには政治犯の引き渡しと、ユーゲント三世陛下の即時解放を要求します」
バルフレイム宮殿の謁見の間で、頭を垂れながらクレアはプリシラ皇妃に報告する。ギリアスとルーファスの二人を政治犯として指名手配。その引き渡しとユーゲント三世の即時解放を要求するというのが、クロスベルの声明に対する帝国の答えだった。
所詮は水掛け論に過ぎないことを理解しつつも、現状では他に打てる手がなかったためだ。
「苦労を掛けます。クレア・リーヴェルト大尉」
「いえ、皇妃様のお気持ちを考えれば、この程度のこと……」
プリシラ皇妃の心労を考えれば、このくらいは罪滅ぼしにもならないとクレアは考えていた。
こうした事態を招いた原因の一端は、ギリアスに盲目に従っていた自分にもあると思っているからだ。
むしろ、罪を問われてもおかしくない立場にあるというのに、こうして贖罪の機会を与えてくれたプリシラ皇妃には感謝していた。
それに――
(ほんの少しでも皇妃様の負担を減らすことが出来れば……)
若き皇帝と囃されるセドリックの後見人として前へでることで、セドリックに対する悪評や負担をプリシラ皇妃は引き受けようとしていた。
真実がどうこうではなく、人間とは自分の信じたい噂を信じようとする生き物だ。若いセドリックを皇帝とすることで、自身が後見人となり帝国を裏から操る。そんな風にプレシラ皇妃のことを悪くいう輩も少なくない。ユーゲント三世の亡命の件や、貴族派の暴走も裏からプレシラ皇妃が糸を引いていたのではないかと憶測まで流れる始末だった。
しかし、そうした非難の声に晒されることを承知の上で、プレシラ皇妃は表舞台にでることを望んだ。
血の繋がった父親を追い出し、皇帝の座を掠め取ったとセドリックが言われるよりは、帝国が受けるダメージも少ないと考えたからだ。
何よりセドリックに、そんな想いをさせたくはなかったのだろう。それは母親の愛情だった。
「それで、彼の消息は掴めましたか?」
「いえ、そちらは何も……」
申し訳なさそうに答えるクレア。プリシラ皇妃が誰のことを気に掛けているかはわかっていた。
リィン・クラウゼル。猟兵王の名を受け継ぐ青年の不貞不貞しい顔がクレアの頭を過ぎる。
帝都を襲った異変を解決へと導き、内戦終結の立役者ともなった青年はあれから消息を絶ったままだ。
軍による捜索は当然行われたが、まったく足取りを掴めないまま一ヶ月が過ぎようとしていた。
「ですが、彼なら大丈夫だと思います」
しかしリィンなら恐らくは大丈夫だとクレアは確信していた。
死体を発見するどころか足取り一つ掴めていないことが、逆に彼の生存している可能性を高めているとクレアは考えていた。
恐らくは何らかのアクシデントに見舞われているのだろうが、それも心配は不要だろう。目の前に障害となるものがあれば、その障害ごと食い破るような青年だ。少なくとも実力に関しては絶対の信頼をクレアは置いていた。だから――
(早く帰ってきてください。まだ、私に閣下を裏切らせた責任を取ってもらっていないのですから……)
これから大陸は動乱の時代へと突入していく。いまの帝国にそれを止めるだけの力はない。しかし、クレアは希望を捨ててはいなかった。
クレアがギリアスの元を離れる切っ掛けをくれたのがリィンだ。そのことからギリアスの野望を打ち砕けるのも、リィンしかいないとクレアは考えていた。
リィンはこれからの帝国に――いや、ゼムリア大陸の行く末に必要な人間だ。それはプリシラ皇妃も感じているのだろう。
若き英雄の帰還を二人は願っていた。
◆
帝都でクレアたちがリィンの帰還を待ち続けている頃、クロスベル市郊外にある古戦場跡に複数の人影が集まっていた。そのほとんどが遊撃士協会クロスベル支部に所属していた遊撃士たちだ。
難しい表情を浮かべながら、これからのことを相談する遊撃士たち。というのも、この一ヶ月でクロスベルの街は大きく様変わりし、大統領府の指導の下で再編成された警察や国防軍と言った治安組織に追い立てられるカタチで、遊撃士たちの活動が大きく制限されてしまったのだ。
その結果、彼等は市内にあった活動拠点であるクロスベル支部まで失うこととなり、こうして逃げるように古戦場跡に集まっていた。
だが、いつまでもこうしているわけには行かなかった。いつ追手が掛かるとも知れない身の上だ。別の国へ移動するか、このままクロスベルに残って水面下で活動を続けるか、その選択に彼等は迫られていた。
「ミシェルさん。あなたの意見が聞きたい」
話が纏まらない中、そう口火を切ったのはクロスベル支部に所属する遊撃士ヴェンツェルだった。彼は元々エレボニア帝国に所属する遊撃士だったが、二年前に帝国内で起こった遊撃士協会襲撃事件を切っ掛けに帝国を離れ、クロスベル支部に移籍した経歴を持っている。それだけに今回のクロスベル政府のやり方には思うところがあった。
オルキスタワー襲撃に関与した嫌疑をギルドが掛けられ、それが遊撃士に対する活動の規制と支部の撤退に繋がったことはヴェンツェルも理解している。
だが、抵抗の隙を与えない強引なやり口。それは二年前に帝国で起きた出来事とよく似ていた。だからこそ、クロスベル政府の背後にギリアス・オズボーンがいるのではないかとヴェンツェルは疑っていた。
だとするなら、このままクロスベルに残るのは危険だ。ギリアスが不穏分子を放置するはずがないと彼は思う。そしてその考えは、ミシェルも同意見だった。
「大人しく撤退するしかないでしょうね」
ミシェルは、おもむろにそう口にする。派手な桜色のシャツを着て女言葉を喋ってはいるが、彼女――いや、彼は歴とした男だった。
見た目はともかく切れ者で、クロスベル支部の受付と管理を担当しており、遊撃士たちを陰からサポートする実質的な責任者という立場に彼はあった。
そんなミシェルの口から撤退の言葉がでたことで、遊撃士たちの表情が暗く陰る。
「あなたたちはどうするの?」
そうミシェルが尋ねたのは、リベール王国から応援で来ていた二人の遊撃士だった。
リベールで起きた異変を解決に導いた立役者として知られる若き遊撃士、エステル・ブライトとヨシュア・ブライト。実際にはもう一人、レンと呼ばれる十二〜三歳くらいの幼い少女を加えた三人の少年少女。彼等の協力がなければ、先のオルキスタワー攻略戦でも〈結社〉の用意した三体の神機を抑えることは出来なかった。
とはいえ、彼等はリベールの人間だ。これ以上、クロスベルの問題に彼等を巻き込むべきではないとミシェルは考えていた。
「僕もミシェルさんの案に賛成です。いまはまだ無理をするべきではない」
ヨシュアもミシェルと同意見だった。彼我の戦力差が大きすぎるということもあるが時期が悪い。
自分たちが置かれている状況もそうだが、クロスベルを取り巻く問題に目を向けた場合、帝国や共和国さえも関与してくる恐れがある。
そんななかで水面下とはいえ、国や支部のサポートもなしに遊撃士として活動をするのはリスクが大きすぎると考えた。
「エステルはどうしたい?」
「私は……正直スッキリとしない。でも、ヨシュアとミシェルさんの言いたいことも分かる」
感情では納得が行った訳では無いが、それが最善だということはエステルも理解していた。
それだけに悔しさに満ちた表情を浮かべながら、ヨシュアの問いに答える。
だが、一人だけ納得していない少女がいた。
「このままなんて嫌ッ! 私は〈パテル=マテル〉を殺したアイツ等を許さない……」
エステルとヨシュアが連れてきた少女、レンだ。彼女はこの中で一人だけ、遊撃士協会とは関係のない立場にあった。いや、正確には遊撃士とは正反対に位置する組織に所属していた人間と言っていいだろう。あのブルブランやマクバーンも所属する〈身喰らう蛇〉の名で知られる秘密結社。その執行者として、嘗て彼女は活動していた。
幼い頃に教団に浚われ、そこを〈結社〉に助けられた経緯から執行者として働くようになったのだが、教団より救い出してくれた恩人であり同じように〈結社〉の執行者をしていたヨシュアや、当時まだ新米だった遊撃士のエステルと出会い、そこから一年にも及ぶ説得の末――レンは〈結社〉を抜ける決意をした。
――キミと家族になりたい。
そう言ってくれたヨシュアやエステル。二人と出会うことでレンは新しい家族を得た。
でも執行者となってから、ずっと一緒だった両親の代わりでもあった〈パテル=マテル〉はもういない。
先のオルキスタワー攻略戦の際、神機との戦いの中で彼女を守って壊れてしまったのだから――
このまま何もしないで逃げるということは、〈パテル=マテル〉の死が無駄になってしまう。
そんなこと、受け入れられるはずがなかった。許せるはずがなかった。
「レン……」
そんな悲しみに暮れるレンを優しく後ろから抱きしめるエステル。痛いほどにレンの気持ちは分かる。でも、その痛みを代わってあげることは出来なかった。それはレンが自分で乗り越えなくてはいけない壁だからだ。
レンにとって〈パテル=マテル〉とは両親の代わりであったと同時に、彼女と〈結社〉を結びつける因縁でもあった。だからと言って〈パテル=マテル〉の死が良いことだったとエステルは思わない。レンにとって〈パテル=マテル〉がどれほど大切な存在だったか、それを知らないエステルではないからだ。
それでも〈パテル=マテル〉が機能を停止してまでレンを守ろうとしたのは過去に囚われるのではなく、レンに前を向いて歩いて欲しかったからだとエステルは思う。エステルはレンに幸せになって欲しかった。それは〈パテル=マテル〉も同じ気持ちだったのだろう。
壊れてしまった〈パテル=マテル〉の代わりが出来るわけではない。こうして抱きしめてあげることくらいしか出来ないが、家族として少しでもレンの支えになってあげられれば、そんな風にエステルは考える。
そんなエステルの肩に手を置き、ヨシュアは静かにレンが落ち着くのを待つ。ミシェルは温かな眼差しで三人を見守り、密かにレンを警戒していた遊撃士たちも毒気を抜かれた様子で苦笑を漏らしていた。
「――誰だッ!?」
だが、そんな優しい空気に包まれるなかで何者かの気配を察知し、ヨシュアは大きな声を上げる。
そのまま腰の双剣を抜き、油断なく構えるヨシュア。そのナイフのように鋭い双眸は、ゆっくりとした足取りで迫る一人の男を捉えていた。
東方で親しまれているという民族衣装に身を包んだ眼鏡の男。一見すると争いごとに向かない優男風だが、その隙の無い足運びからも男が只者でないことがすぐに分かる。そして、その男の顔にヨシュアは見覚えがあった。
「あなたは〈黒月〉の……」
「ツァオ・リーね。とっくに共和国へ帰ったものと思っていたわ」
ヨシュアに代わって、男の名を口にするミシェル。
その横で武器を構え、警戒する遊撃士たちを見て、ツァオはやれやれと言った様子で肩をすくめる。
彼に遊撃士たちと事を構えるつもりはなかった。そんな真似をしたところでメリットなど何一つないからだ。
故に降参と言った様子で両手を挙げながら、ツァオは先程のミシェルの質問に答える。
「そのつもりだったのですが、このまま手ぶらで帰ると老人たちが五月蠅いのですよ」
ツァオの話す老人については、ミシェルも耳にしたことがあった。
共和国・東方人街を拠点に活動する裏組織〈黒月〉。その〈黒月〉を取り仕切っていると噂されるのが長老と呼ばれる老人たちだ。
「それで? 今頃になって姿を見せた理由は何かしら?」
「お困りのようでしたので、何か情報提供が出来れば、と」
「見返りを求めているのなら無駄よ。見ての通り拠点を失って逃げる算段をしていたくらいなんだから」
「見返りなんて、とんでもない。善良な民間人としては、普段お世話になっている遊撃士の皆様のお力になりたいと考えるのは自然なことですから」
胡散臭いツァオの話に、ミシェルだけでなく遊撃士たちも呆れた表情を見せる。そんな話を鵜呑みにする人間が、このなかにいるはずもなかった。
だが次にツァオの口からでた言葉は、胡散臭いからと言って聞き逃せる話の内容ではなかった。
「共和国軍がクロスベルへ侵攻を開始しました。恐らくは帝国にクロスベルを掠め取られたことに対する報復でしょう」
共和国の侵攻。それは彼等が考えていたなかでも最悪の事態だった。
このままクロスベルの独立を帝国や共和国が許すはずもない。そのことは以前、独立宣言に呼応するかのように帝国が侵攻してきたことからも明らかだった。
あの時は至宝の力で強化された神機が帝国軍を撃退したが、その神機はオルキスタワー攻略戦の際、三体のうち二体が破壊され、残る一体もノバルティスと共に姿を消したままだ。
クロスベルにも軍はあるが、まだ独立から日が浅く、神機の力なしに共和国と張り合えるほどの戦力ではない。他に頼れると言えば、先日クロスベル政府からだされたユーゲント三世の亡命の件だろう。その際に受け入れの条件として、帝国より逃げる際に持ち出したという機甲兵を何体か譲り受け、街を守るために実戦配備されていた。だが幾ら帝国の最新兵器と言っても数体程度では、物量で攻められれば共和国に敵うとは思えない。残された可能性は、オルキスタワー攻略戦の後に出現した〈碧の大樹〉と呼ばれる巨大な大樹の存在だけだった。
しかし、当初は警戒されていた大樹も沈黙を守ったままだ。あの大樹が出現した理由や、その目的など一切がわかっていない。
唯一わかっていることがあるとすれば、あの大樹の出現にはマリアベル・クロイスや〈零の巫女〉と呼ばれる少女が関与しているということくらいだった。
そんな得体の知れないものをあてにするのは神頼りと変わらない。だから嘘であって欲しいという願いを込め、エステルはレンを抱きしめながらツァオに尋ねる。
「でも、クロスベルは帝国に占領されたわけじゃ――」
「それを誰が証明しますか? 百日戦役の真相の件では、大衆から同情的な声も上がっているようですが、あの話も含めて亡命政府の件が真実とは限らない。クロスベルを手中に収めるためにギリアス・オズボーンの立てた策略ではないかと、共和国のお歴々は考えているようですよ?」
苦悶に満ちた表情を浮かべるエステル。侵略のための口実。ただの詭弁だとは思うが、この件にギリアス・オズボーンが関わっている以上、ツァオの言っていることが完全に間違いだとは否定できなかった。エステルを含め、他の遊撃士たちも今回の件はどこかおかしいと感じていたのだ。クロスベル政府が帝国と通じているかはともかく、ギリアスが何かを企んでいることだけは間違いないと思っていた。
それにオルキスタワー攻略戦も、ギリアスの介入がなければ成功していたはずだった。もっとも作戦が成功したところで、クロスベルを取り巻く状況が最悪なことに変わりはない。共和国の侵攻を未然に防ぐことは出来なかっただろう。彼等がクロスベルを離れるかどうかで悩んでいたのは、まさにそこだった。
戦争になれば、多くの民間人が戦火に見舞われ、犠牲となることが予想される。それは遊撃士として見過ごせるものではない。
遊撃士協会は国家権力には不干渉という取り決めがあるが、同時に民間人の安全と保護を最優先とする組織だ。
戦争の犠牲となった母親の姿が頭に浮かび、エステルは覚悟を決めた様子でミシェルに視線を向ける。
「ミシェルさん」
「……仕方がないわね。あなたたち、遊撃士の責務を果たす時よ。民間人の安全と保護を最優先に、可能な限り共和国軍との交戦は控えて――」
ミシェルも覚悟を決め、その場にいる遊撃士たちに指示を出す――その時だった。
何かに気付いた様子で、ハッと空を見上げるミシェル。他の遊撃士たちも異変に気付いた様子で空を見上げる。
「おや」
そんななかでツァオは指先で眼鏡の縁を持ち上げ、興味深そうに空を眺めていた。
空が眩く光ったかと思えば巨大な魔法陣が現れ、そこから二体の巨人が姿を現す。
「神機? 違う。あれは何……?」
空を見上げながらエステルは怪訝な声を上げる。そんな彼女に抱きしめられながらレンも空を見上げ、驚きに満ちた表情を浮かべた。
ただの機械とは違う。強い意志が、あの二体の巨人からは感じ取れる。
大きさも形も違うはずなのに、空に浮かぶ二体の巨人から、どこか〈パテル=マテル〉に似た雰囲気をレンは感じ取っていた。
「あなたは誰なの?」
「……レン?」
そんなことを呟きながら空に向かって手を伸ばすレンを見て、エステルは困惑を口にする。
灰と緋。それは歴史の陰に幾度となく登場し、先の帝国で起きた内戦でも密かに活躍した二体の騎神だった。
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