雪に覆われた山深い場所に、転位の光と共に二体の騎神が現れる。ヴァリマールとテスタ・ロッサだ。
そして胸のコアから光に包まれて現れる人影。リィン、エマ、シャーリィの三人は騎神から降りて地上に足をつけると、クロスベルとは違った冷たい空気に肩を震わせた。
あれから一ヶ月以上が過ぎたとは言っても、まだ季節は二月だ。春にはまだ遠い。
ヴァリマールに積んであった荷物から人数分の外套を取り出すと、それを手渡しながらリィンは両手で肩を抱いて震えるエマに尋ねる。
「ここはアイゼンガルド連峰……ユミルか?」
「はい。〈緋の騎神〉の件もありますから、帝都へ直接向かうのはまずいと思いまして……」
「……まあ、確かにな」
そういうことは最初に相談をして欲しかったと思うが、ちゃんと理由を聞けばもっともだとリィンはエマの話に納得した。
ヴァリマールは別としてテスタ・ロッサに関しては、どうアルフィンに説明をしたものかとリィンも頭を悩ませていたのだ。
起動者に選ばれた以上、今更なかったことにするのも難しい。その気になれば、どこに騎神を隠そうとも起動者の呼び声一つで召喚することが可能なのだから――
リィンとエマの視線に気付き、首を傾げるシャーリィを見て、リィンは深い溜め息を漏らす。
「取り敢えず男爵の屋敷へ向かうか」
どう話すかは後で考えようと問題を先送りするリィン。幸いなことに、エマが機転を利かせてくれたお陰で考える時間は出来た。
少なくとも帝都へ着くまでは、アルフィンと顔を合わせることもないはずだ。それまでにリィンは対策を考えることにした。
「――リィン殿!」
そうして山道を下っていると、誰かの名前を呼ぶ声が聞こえてリィンは坂の下へと視線を向ける。
手を振りながら近づいてくる人物の顔に、リィンは見覚えがあった。
「怪我もないようでよかった。行方不明だと聞いて心配していたのだが……」
「ご心配をお掛けしたみたいですみません」
リィンのことを気に掛ける壮年の男性。高原の民に見られる褐色の肌をした彼こそ、ノルドの族長ラカン・ウォーゼルだった。
帝国と共和国の争いに巻き込まれないようにリィンの提案で一時ユミルへと移り住み、現在は麓に近づく危険な魔獣を追い払ったり、食糧となる魚や獣を狩ったりして生計を立て、郷の人々と共存するカタチで良好な関係を築いていた。服装から察するに、恐らくは狩りの途中だったのだろう。槍と弓で武装したラカンを見て、リィンはそう判断する。
「これから男爵邸へ?」
「はい。取り敢えず現状を把握しておきたいので。男爵いますよね?」
「ああ、それは大丈夫なはずだ。ただ、今日は帝都から客人が来ると聞いているので先に確認を――」
「……客?」
帝都から客と聞いて、リィンは訝しげな表情を浮かべる。これがトヴァルあたりなら、まだいいが――どうにも嫌な予感がしてならなかった。
通信機で誰かと連絡を取るラカン。よく見れば、それは通信機能を内蔵した戦術オーブメントだった。〈ARCUS〉ではなく通信機能を付与しただけの旧式のようだが、どうしてそんなものを持っているのかと気になってリィンはラカンに尋ねる。すると、想像を超えた答えが返ってきた。
鉄道憲兵隊がユミルを離れる際、クレアがユミルの防衛に関した警備計画書を残していったらしい。それを参考にノルドの民が、郷の警備を担当しているそうだ。そのため街の治安維持に協力するというカタチで、旧式のオーブメントを軍から格安で払い下げてもらっているらしかった。その費用は男爵が用立てているとのことで、思っていた以上に要塞化の進んでいるユミルの状況に驚き、リィンは頬を引き攣らせた。
「問題ないそうだ。客人も、リィン殿との再会を楽しみにしているとか」
「エマ……俺、ちょっと帰りたくなってきたんだが……」
「どこに帰る気ですか? 逃げないでください」
ラカンの口から不安しか覚えない情報を耳にして、リィンは元来た道を戻ろうとする。そんなリィンの腕を掴んで、エマは無理矢理にでも郷に連れて行こうと腕を引っ張る。それでも逃げようとするリィンの腕を今度はシャーリィが反対側から掴み、ズルズルと引き摺っていく。その何とも言えない光景に苦笑するラカン。そして郷が見えてきたところで、聞き覚えのある声がリィンの耳に響いた。
「兄様!」
「リィンさん!」
外套を脱ぎ捨てると、エマとシャーリィの拘束を解いてリィンは一目散に逃げだす。
その後を追い掛ける二人の少女。その正体はエリゼとアルフィンだった。
「兄様、どうして逃げるんですか!?」
「追って来るからだ!」
バタバタと凄い形相で追ってくる二人から、リィンは必死に逃げる。だが、その逃走も長くは続かなかった。
後ろに気を取られていると突然、何者かに上から押さえ込まれたからだ。
「な――ッ!」
「目標を拘束しました」
「よくやりましたわ! さあ、もう逃げられませんよ。リィンさん」
それはアルティナと〈クラウ=ソラス〉だった。
さすがのリィンも不意を突かれ、背中から押さえ込まれては身動きが取れない上、地面には雪が降り積もっていた。
身体を雪に半分埋め、もがき苦しむリィン目掛けてエリゼとアルフィンがダイブする。「ぐべ」と呻き声を上げるリィン。だが――
「ああ、えっと……うん、まあ……なんだ」
目尻に涙を滲ませる二人を見て、リィンも文句を言えなかった。
あんな風にいなくなって一ヶ月も留守にして、心配させていたことはわかっていたからだ。
ポリポリと頭を掻きながら照れ臭そうに「ただいま」と呟くリィンに、エリゼとアルフィンは顔を見合わせ苦笑する。そして――
「「お帰りなさい」」
二人は満面の笑顔でリィンを出迎えた。
◆
「……いろいろとツッコミどころ満載な話ですが、並行世界ですか?」
シュバルツァー家の屋敷でアルフィンたちは、あの後、煌魔城で何があったのか事の顛末をリィンから聞いていた。
カイエン公の最期に関しては思うところもあるが、まだ自業自得だと納得は出来る。しかし並行世界に飛ばされ、更には落とした武器を探すために異世界にまで行ってきたというリィンの話は、俄には信じがたいほど現実離れしていた。
訝しげな表情を浮かべるアルフィンを見て、「当然の反応だよな」とリィンは思う。夢や幻覚でも見ていたのではないかと頭を疑われるのが普通だ。
とはいえ、他に説明のしようがない。そんななかでエリゼは一人、リィンの話を目を輝かせながら聞いていた。
「えっと、エリゼ? あなた今の話を信じたの?」
「はい。兄様がそんな分かり易い嘘を言うはずもありませんから。それよりも、並行世界でも兄様と私は深い絆で結ばれていたんですね」
信じてくれるのは嬉しいのだが、どこから何を突っ込んでいいのか分からない。
(エリゼの様子がおかしいけど、何があったんだ?)
(ご自分の胸に聞いてください)
エリゼに気付かれないように、リィンは小声でアルフィンに尋ねる。
しかし返ってきたアルフィンの言葉から逡巡し、エリゼはエリゼでいろいろと溜まっていたものがあるのだろうとリィンは思うことにした。
考えてみれば必ず帰ってくると約束したにも関わらず、これだけ待たせてしまったのだ。かなり心配させたに違いない。
コホンと息を吐くと、リィンは改めてその場にいる全員へ頭を下げた。
「そう言う訳で、一ヶ月も留守にして悪かった。大変だったろ?」
「ええ、それはもう……どこかの誰かさんが〈騎神〉と一緒に消えてしまったもので後始末に苦慮しました」
本気ではないのだろうが、半眼で睨みながらそう話すアルフィンにリィンは苦笑して応える。
そのくらいの皮肉を言われることは、リィンも覚悟していた。
「ですが、どうやって並行世界から帰還したのですか?」
「いろいろと込み入った事情があってな。その話は追々ってことで……」
並行世界から帰還した方法を説明するには、もう一人のキーアのことを説明しなくてはならない。そのため、リィンは言葉を濁す。
そのことにはエマも気付いている様子で、特に何も口を挟む様子はない。彼女自身、無闇に口にするべき内容ではないと考えているのだろう。
だが、アルフィンとエリゼ。それにフィーくらいには折を見て、詳しい事情を話しておくべきだろうとリィンは考えていた。
そしてアルフィンの後ろに控える男に視線を移し、リィンは声を掛ける。
「しかし、お前まで来てるとはな。トヴァル・ランドナー」
「姫さんの護衛だ。帝国内の支部の方も、どうにか再建の目処が立ったからな」
「なるほどな。そっちはオリヴァルトの仕業か?」
「ご名答。サラも三月一杯で学院を退職して本業に戻るそうだ」
アルフィンがユミルにいるのは、そのあたりの事情も関係していた。これまで活動を停止していた帝国内のギルド支部が、ギリアスが失脚することによって再開されることになったからだ。
当然ではあるが、帝国政府にも思惑はある。未だ内戦の影響が残っており、経済の建て直しと軍の再編は急務とされているが、完全に落ち着くまでには相応の時間が掛かる。そこに加えてクロスベルや共和国の動向を警戒しつつ、魔獣の駆除や住民の細かな要望に応えるまでは人手や時間が足りなかった。そこで遊撃士の力を借りようと考えたわけだ。
当然、遊撃士協会に借りを作ることに反対する声もあったし、自分たちで追い出しておいて虫の良い話だと苦言を漏らす者もいたが、そこはオリヴァルトとアルフィンが責任を持つと宣言したことで事態は収束した。アルフィンがこうしてトヴァルと一緒に帝国各地を巡っているのは、支部再建にあたっての街の有力者たちへの根回しと有望な人材の確保にあった。そう、活動を再開したとしても帝国内の遊撃士はほとんどが国外へ活動拠点を移しており、ほぼゼロからのスタートとなる。そのためギルドは即戦力となりそうな人材を求めていた。そこでノルドの民に目を付けたというわけだ。
彼等の協力を得られないかと考え、ユミルに足を運んだのが表向きの理由。もう一つはリィンがいなくなって落ち込んでいるであろうエリゼを励ますため、というのがアルフィンがユミルにいる理由だった。
大体の事情を理解したリィンはもう一人、気になっていた人物へと目を向ける。
黒いニーソにチェックのスカート。シャツの上から紺色の猫耳パーカーを纏った銀髪の少女。
ホットココアを手に暖炉の前で寛ぐアルティナを見て、リィンはアルフィンに尋ねた。
「で? なんでアルティナまでいるんだ?」
「それなら、仕事をクビになったそうなので私が雇いました」
「いや、ちょっと待て。怪しいとは思わなかったのか? こいつには前科があるんだぞ?」
「それならそれで、目の届くところにいてもらった方が対処もしやすいですから」
仕事をクビになったというのも、どこまで本当の話か分からないというのに、自分を誘拐した相手を雇ったと話すアルフィンにリィンは呆れた。
しかしまあ、アルフィンらしいと思わなくもない。それにアルティナには以前、釘を刺してある。
さすがに忘れてはいないだろうとリィンは考えながら席を立つと、そのままアルティナの隣に屈み込んだ。
「お前はそれでいいのか?」
「……はい」
そのことを確認するためにアルティナに尋ねると、少し想像と違った反応が帰ってきた。
愛想のないところは前と変わらないが、ほんの少し感情が豊かになったというか、人間らしさが増したような気がする。
しかし本来なら喜ばしいことのはずなのに、リィンは若干の違和感を覚える。
(なんだ? この違和感は……)
違和感の正体を探りながら、しばらく泳がせてみるかとリィンは判断した。
アルフィンの言うように、このまま傍においていた方が様子を見るのには都合が良い。
そう考え、エマに視線を飛ばすと、リィンの考えを察した様子でエマは無言で頷く。
そんな風にリィンとエマが内緒のやり取りをしていると、アルフィンは意を決した様子で声を発した。
「リィンさん。帰ってきたばかりで、こんなことを言うのも気が引けるのですが……また手を貸しては頂けませんか?」
真剣な表情でアルフィンが口にしたのは、再会したらどう切り出そうかと迷っていた話だった。
アルフィンとリィンの契約は内戦が終結した時点で終わっている。約束の報酬を支払えば、それでリィンとの関係は終わりだ。
依頼主と猟兵という関係は失われ、また赤の他人に戻ってしまう。しかし、それをアルフィンは望んでいなかった。
「それは帝国のために共和国やクロスベルと戦えってことか?」
説明に入る前にリィンに話の核心を突かれ、アルフィンは困った表情を見せる。
勿論それだけが理由ではないが、皇女としての立場からすれば「違います」と否定することは出来なかった。
リィンを戦力として考えていないかと言えば、どうしても嘘になるからだ。
「……はい。そうならないために手を尽くすつもりですが……」
だから、ほんの少し胸が痛むのを感じながらアルフィンはそう答えた。
そんなアルフィンの話に、リィンはどうしたものかと顎に手をやる。共和国やクロスベルそのものに思うところはないが、一連の出来事の黒幕にはそのうち報いを受けさせるつもりだった。とはいえ、帝国に余り肩入れし過ぎるのもどうかと考える。いろいろと迷惑と心配をかけた負い目もあるので、アルフィンには協力してやりたいという気持ちもあるが、国と国の厄介な問題に巻き込まれるのはごめんだった。英雄に祭り上げられるつもりも、政治に関与する気もリィンにはなかったからだ。
「シャーリィはどっちでもいいよ。まあ、どっちみち戦争になったら猟兵の出番だろうしね」
シャーリィの言うように、戦争になったら参加することになるだろうと考えていた。
リィンが迷っているのは、自分たちが帝国側に付くことで周囲に与える影響の方だ。
猟兵の世界でトップクラスの実力者が複数に、エマの魔術によるサポートも加われば死角はない。
更に騎神が二体。先の共和国軍との戦いからも明らかだが、局地戦に限って言えば敵なしと言っていいほどの戦力だ。
(いや、待てよ? 上手く利用すれば……)
一つの猟兵団が所有する戦力としては過剰とも言えるものだが、実のところリィンが一番迷っていたのは騎神の扱いだった。
特に〈緋の騎神〉はアルノール皇家が管理してきた機体だ。その機体を勝手に使っていると知れれば、問題とならないはずがない。
しかし上手く話を持っていけば、その問題も解決するかもしれないとリィンは考える。
「ん、ちょっと待ってくれ」
リィンがアルフィンにどう返事をしたものかと考えごとをしていた、そんな時だった。
トヴァルの〈ARCUS〉が音を鳴らし、着信を報せる。皆に謝罪して席を外すと、少し離れた扉の前でトヴァルは通信の相手と会話を始めた。
いつもと明らかに様子の違うトヴァルを見て、リィンは何かあったことを察する。
「……まずいことになった。どうやら先手を打たれたみたいだ」
通信を終えると、頭を掻きながら振り返り、困惑を隠せない表情でトヴァルはそう言った。
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