リベールは国の中央にあるヴァレリア湖を囲うカタチで五つの都市が存在する。帝国との国境を隔てた場所にある商業都市のボース。ボースから東に行ったところにある地方都市ロレント。ヴァレリア湖を挟んで反対側にある海港都市ルーアンに、ZCFが拠点を構える工房都市のツァイス。そして王国の首都にして、人口三十万を要する最大の都市。四つの大都市の中央に位置するのが王都グランセルだ。
あれからカレイジャスはアルセイユの誘導で、王都にある空港へと着陸した。時間は夜の七時を少し回ったところだろうか? 日が暮れ、すっかり辺りは暗くなっているが、さすがに導力先進国リベールの首都だけあって街には導力ランプの光が点り、昼とはまた違った風情のある装いを見せていた。
「シャーリィの奴、何処に行ったんだ?」
「到着するなり、街を散策してくると言って出掛けましたけど……」
シャーリィの姿が見えないことからエマに尋ねると、ある意味で予想通りと言った答えが返ってきて、リィンは頭痛を堪えるように指先で眉間を押さえる。
猟兵が禁止されている国でシャーリィを野放しにしたくはなかったのだが、ずっと船で大人しくしていたのは、これを狙っていたのかとリィンは推察する。
「で? アリサは一緒に行かなくていいのか?」
「王宮とか堅苦しくて苦手なのよ。それなら船に残って機械を弄っていた方がマシね。あっ、不安ならシャロンを連れて行く?」
「役には立ちそうだが、別の意味で面倒なことになりそうなんだよな……」
仮にもお嬢様とは思えないアリサの発言に呆れつつ、リィンはシャロンを同行させることに難色を示すが、
「はあ……こんなにも尽くしているというのに、まだ心を開いては頂けないんですね」
ギョッとした顔でリィンが振り返ると、そこには頬に手を当てて溜め息を漏らすシャロンがいた。
少し気を抜いていたとはいえ、気配を感じさせずに背後に立つとは相変わらず油断のならない奴だと、リィンは半眼でシャロンを睨み付ける。
こういうタイプが一番油断のならないことを知っているだけに、実のところリィンはシャロンを一番警戒していた。
実際、アリサのメイドとして艦に乗り込んだと言ってはいるが、背後にイリーナの影がチラつくことが気になる。
重要な場面に彼女を同行させないのは、それが一番の理由と言ってもよかった。
「ご心配なく。勝手について行ったりはしませんから」
「……本当だろうな?」
「はい。メイドは嘘を吐きません」
笑顔でそう答えるシャロンを見て、胡散臭そうな表情を浮かべるリィン。確かに嘘は吐かないだろうが、本心が見えないだけに信用はまったく出来なかった。
この一点に関しては、普段反りの合わないリィンとアリサの考えが一致するほどだった。
「となると、城に行くのは俺を含めて六人か」
グランセル城まではアルフィンの他にエリゼとアルティナ。そして護衛としてフィーとミリアムが同行することになっていた。
他のメンバーだが、ロジーヌはグランセル大聖堂のカラント大司教のもとへ出掛けていた。
エマは念話と転位が使えることから緊急時に備えて船に残ることを決め、リーシャはエリィの監視と護衛があるからと同行を辞退した。
残るはスカーレットとヴァルカンだが、
「スカーレットはどうする?」
「そうね……私も留守番することにするわ。街には出掛けてもいいのでしょ? なら、リベールのお酒も飲んでみたいしね」
「それなら余り羽目を外しすぎないように、団員たちに目を配っておいてくれるか? ここは帝国じゃなくリベールだからな」
街中を自由に散策する許可は、既にユリアから得ていた。
それでも猟兵がこの国で騒ぎを起こせば、面倒なことになるのは確実だ。スカーレットもそのことは承知しているようで、リィンの頼みに頷く。
となると、やはり気になるのはシャーリィの行方だった。
「ヴァルカンは……シャーリィが問題を起こす前に連れ戻してくれるか?」
「冗談だろ!? おいっ!」
明らかな無茶振りに、ヴァルカンは声を上げて確認する。
そもそも捕まえるだけでも大変だと言うのに、あのシャーリィが単独行動をして問題を起こさないとは思えない。
リィンが何を危惧しているかを察して、「ぐっ……」と言葉を呑み込むとヴァルカンは項垂れた。
そんなヴァルカンを見て、自分もシャーリィの捜索を手伝った方がいいのではと心配するスカーレットだったが、
「心配はいらねえよ。お前は他の連中と一緒に楽しんでこい」
ヴァルカンはそう言った。
スカーレットもそうだが、他の団員たちにも息抜きは必要だ。だからリィンも王都を自由に散策する許可を、ユリアから得たのだろうと推察できる。
そのことを考えれば、この際、年長者の自分が貧乏くじを引くのは仕方がないとヴァルカンは考えていた。
どちらにせよ、シャーリィを捕まえるのに大勢で行動したところで意味はない。勘の鋭いシャーリィのことだ。そんな真似をすれば、気配を察知されて逃げられるのがオチだ。
リィンもそのことがわかっていて、自分に依頼したのだろうとヴァルカンは察していた。
「……後で一杯奢れよ」
「前にオリヴァルトからふんだくった上等な酒を一本つけてやるよ」
リィンが帝都で店を開いていた頃、ちょっとした飲み比べをしてオリヴァルトから譲り受けた酒があった。
それを譲って貰えると聞いて、ヴァルカンも少しやる気を見せる。
「それじゃあ行ってくるから、船のことはよろしく頼む」
「はい。どうか、お気を付けて」
エマに別れを告げると、先に船を降りたアルフィンたちに合流すべくリィンも船を降りる。
そして発着場から続くタラップを降りると、そこでアルフィンの姿を見つけ、リィンは声を掛けた。
「悪いな。留守中の指示をだしてたら、少し遅くなった」
「いえ、それは構わないのですが……」
「ん?」
はっきりとしないアルフィンの反応に首を傾げながら、リィンは点呼がてら人数の確認を取る。
リィンが周囲を見渡すと、アルフィンの他にエリゼやアルティナ。それにフィーとミリアムの姿が確認できた。
まだ案内役のユリアの姿は見えないが全員揃っているなと確認したところで、エリゼの背中に隠れ、覗き込むように様子を窺う一人の少女と目があった。
スミレ色の髪に黒いリボンを付け、白いドレスに身を包んだ人形のように可愛らしい少女。恐らく歳の頃は十二、三と言ったところか? 見覚えのない少女を見て、リィンはエリゼに尋ねる。
「迷子か?」
「それが、この子が兄様に会わせて欲しいと……お知り合いなのですか? まさか、兄様! こんな小さな子まで!?」
「ちょっと待て、誤解だ。リベールに子供の知り合いなんて……いや、待てよ?」
エリゼにあらぬ疑いを掛けられそうになり、必死に言い訳をするリィン。だが、ふと何かに気付いた様子で少女を見る。
この少女と顔を合わせるのは初めてのはずだ。しかし、似たような特徴の少女にリィンは覚えがあった。そう、あれは確か前世の記憶で――
「――ッ!?」
その時だった。少女の身体がゆらりと揺れたかと思うと、一瞬にして間合いを詰め、どこからともなく取り出した大鎌を振り上げる。その流れるような動きにアルフィンやエリゼが目を丸くして固まる中、少女が鎌をリィンの首筋目掛けて振り抜くよりも速く、フィーの双銃剣が少女の喉元に突き立てられた。
あと半歩、足を踏み出していれば、少女は剣の餌食になっていたことだろう。
あの一瞬で反応して見せたフィーはさすがと言ったところだが、冷静に動きを止めた少女も見た目からは想像も出来ないほどの凄腕と見て間違いなかった。
「なんのつもり?」
「あの動きに反応するなんて……あなたも只者じゃないわね」
「質問に答えて。でないと――」
武器を構える手に力を込め、少女に冷たい殺気を叩き付けるフィー。しかし、少女の方はまったく動じた様子を見せない。
死ぬことが怖くないのか? それともこの状況を打破する秘策を隠し持っているのか?
それは分からないがリィンに危害を加えようとした以上、フィーとしても黙って退くつもりはなかった。
そんな張り詰めた空気が漂う中、リィンは溜め息を吐きながら二人の間に割って入る。
「ちょっとした子供の悪戯だろ? 放してやれ」
「……いいの?」
「ああ。どうやら、本当に知っている相手みたいだしな」
いまの攻防でリィンは少女の正体について確信を得た。
確か、名前はレン。〈殲滅天使〉の異名を持つ天才少女。シャロンと同じく結社に所属する執行者の一人だ。
いや、元執行者と言うべきか? 原作通りなら彼女がリベールにいる理由についても、リィンは察しが付いていた。
「やっぱり……あなたが、あの巨人を動かしてた人なのね」
確認を取るように、レンはそう呟く。
その言葉から、先程の一撃の意味をリィンは悟り、双眸を細める。だが、
「ユリアさん! レンさんを――」
「はい!」
真意をレンに問い質そうとしたところで邪魔が入った。
クローディアの命を受け、ユリアは一瞬の隙を突いてレンを拘束する。
「放して! レンはまだ――」
「相手が悪い! とにかく、いまは大人しくしているんだ!」
後ろから羽交い締めにされて大鎌を床に落とすと、レンはバタバタと足掻く。
必死にレンを抑えるユリアを見て、リィンはやる気を削がれた様子で敵意を解いた。
そんな二人を見てほっと息を吐くと、クローディアはリィンに向かって深々と頭を下げた。
「……アンタは?」
先程のユリアとのやり取りからも、目の前の女性が何者か察しつつもリィンは敢えて名前を尋ねた。
「ご挨拶が遅れました。リベール王国、王太女のクローディア・フォン・アウスレーゼと申します」
◆
あれからリィンたちはユリアの用意した黒塗りの導力車に乗り込み、城を目指していた。
優に十人は乗れる大きな車だ。車と言えば、共和国のヴェルヌ社や帝国のラインフォルトのものが有名だが、最近になってZCFも導力車の開発に力を入れていた。この車はZCF製の特注品だろう。
そして――
「レンさん、どうしてあんな真似を……」
衛兵に身柄を引き渡すわけにもいかず、一緒に車に乗せられたレンはクローディアの詰問にあっていた。
無理もない。名目上とはいえ、国賓として招かれたアルフィンの護衛を襲撃したのだ。
下手をすれば国際問題になるばかりか、あの場で殺されていても文句は言えなかった。
だが、何も答えないレンを見て、クローディアは困り果てた様子で溜め息を漏らす。
「そのくらいにしてやれ。子供のしたことだ」
「そう言って頂けると助かりますが……よろしいのですか?」
「気になるなら条件を突きつけてもいいが、本当に良いのか?」
念を押すように、少し強い口調でリィンはクローディアに尋ねる。というのも、レンを犯罪者として裁き、帝国に身柄を引き渡すような真似が、クローディアに出来るはずもないことがわかっていたからだ。それにそんなことになれば、クローディアだけでなくレンの保護者も黙ってはいないだろう。下手をすれば、アリシア女王やカシウスまで巻き込んだ泥沼の問題へと発展する恐れすらある。
アルフィンが何も言わないということもあるが、リィンも大事な会談を前に問題を大きくするつもりはなかった。
クローディアも、リィンの言葉から敢えてアルフィンが口を挟まない理由を察し、頭を下げた。
「このお詫びは必ずします」
「リベールの次期女王が猟兵に借りか。アルフィンに負けず劣らず、面白い性格をしてるな」
「……リィンさん。それはどう言う意味ですか?」
言葉を改めようとしたリィンに、クローディアが普段通りでいいと言ったことは確かだが、自分でも無礼な口振りであることはリィンも承知していた。
それを不快に思うどころか、レンの件でも律儀に猟兵に対して借りを作ることを宣言するあたり、変わり者だとリィンはクローディアのことを評する。
そのため思わず本音が漏れたのだが、リィンはアルフィンに睨まれて、そっと視線を逸らした。
一方でクローディアはと言うと、この借りは高くついたかもしれないと考えながらも、レンが無事だったことを素直に喜んでいた。
そんなお人好しとも取れるクローディアの行動を見て、レンは深い溜め息を漏らす。こんな借りをクローディアに作るつもりではなかったためだ。
(エステルといい。本当にお節介なんだから……)
レンがあんな真似をしたのには幾つかの理由があるが、その最大の目的はリィンの興味を惹くためだ。
エステルやヨシュアに内緒で出て来たのも、こんな話をすれば反対されるであろうことがわかっていたからだった。
元より誰にも迷惑を掛けるつもりはなかった。自分一人であれば、それはリィンとの個人的な問題で済むと考えたからだ。
なのに、あそこでクローディアが割って入ったことで問題がややこしくなった。クローディアがレンの身元を保証し庇ったことで、レンの頭の上を通り越して国家間の問題へと発展しそうになったからだ。これはレンにとっても大きな誤算だったのだろう。少し落ち込んだ様子のレンを見て、リィンは何を後悔しているのか察しながらも敢えて挑発するかのように尋ねた。
「ようやく自分のしたことの重大さが分かったみたいだな。お嬢ちゃん」
リィンにお嬢ちゃん呼ばわりされて、レンは反応を見せる。
「レンよ。子供扱いされるのは好きじゃないわ」
「そりゃ悪かったな。だが子供扱いされたくないなら、保護者に内緒で余り悪さをするなよ」
「む……」
痛いところを突かれ、レンはムッとした表情でリィンを睨み付ける。
だが、まったく動じた様子のないリィンを見て、悔しそうにしながら再び顔を背けた。
「で? お前は何をやってるんだ?」
「……わかりません。ですが、ミリアムがこれをやってみろと渡してきました」
アルティナが先程からリィンの隣の席でカチャカチャと弄っているのは、ルービックキューブによく似た立方体のパズルだった。
恐らくは空港で土産物として売られていたものだろう。キューブの底には『ZCF』の文字が掘られていた。
こういう遊びは初めてなのか、難しい顔で手こずるアルティナを見て、リィンは手を差し伸べる。
「ちょっと貸してみな」
そう言ってアルティナからキューブを受け取ると、リィンは慣れた手先であっと言う間にパズルを解いてしまった。
その光景にアルティナは少し興奮した様子で目を瞠る。
「凄いです。こんな特技があったんですね」
「だろ? 昔から、こういうのは得意なんだよ。ちょっとしたコツがあってだな」
丁寧にパズルの解き方をアルティナに教えるリィン。子供騙しのような玩具だが気にはなるのか、チラチラとレンが様子を窺っていることに気付き、リィンは見えやすいようにキューブを頭の位置に持って行き、アルティナへの説明を続けた。
そんな光景を見て、驚いた様子で目を丸くするクローディア。もっと恐ろしい人物だと思っていただけに、クローディアからすれば初めて見るリィンの意外な一面だった。
(先入観が目を曇らせていたのかもしれませんね……)
リベールの人間であれば、少なからず誰もが猟兵に対して抱いている先入観と言ってもいい。法律で猟兵の入国や運用を厳しく取り締まっているということもあるが、そのため猟兵に接する機会がなく偏見を持っている者も少なくなかった。そこに加えてリベールの異変の際にも結社の猟兵が王都を襲い、建物を焼き、大勢の人を傷つける事件があったばかりだ。実際まったく偏見を持っていなかったかと言えば、クローディアも猟兵というだけで身構えていた部分があった。
ふと、アルフィンと目が合う。クローディアの視線に気付き、何も言わずアルフィンは首を縦に振って応える。
いまクローディアがどういう感情を抱き、何を悩んでいるのか、アルフィンなりに察しての行動だった。
「だからミリアムじゃなくて、お姉ちゃん!」
「嫌です。そもそも型式番号も一つしか違わないのに、お姉さんぶらないでください」
本当なら不慣れなアルティナに、自分が手取り足取りパズルの答えを教えるつもりだったのだろう。
なのにリィンに先を越されて腹を立てたミリアムは、アルティナにお姉ちゃんと呼ぶように迫っていた。
「変なの……」
どことなく優しげな空気に包まれる中で、レンは寂しげな表情でポツリと呟く。
エステルやヨシュアに内緒で出て来てしまったことを後悔して、ほんの少し胸が痛むのをレンは感じていた。
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