捕らえた騎士の件で教会やリベールとの交渉がまとまり、ようやく執務から解放されたアルフィンにリィンは昨日のことを説明していた。
話を聞くと少難しい表情で「なるほど」とアルフィンは頷く。アルティナの件はアルフィンも気に掛けてはいたのだ。
クラウ=ソラスの件は残念だったが、それでもアルティナが『黒の工房』の呪縛から解放されたことはよかったと心から思う。
ただ気になる点というか、問題が一つ残っていた。
「話はわかりました。ところでリィンさん」
「なんだ?」
「アルティナが膝の上にいることと、先程の話にどういう繋がりが?」
半目でリィンを睨み付けながら、アルフィンは尋ねる。
艦長室のソファーに腰掛けるリィンの膝の上には、アルティナがちょこんと腰掛けてきた。
以前のアルティナを思えば、考えられないようなことだ。
二人の間に何があったのかと、アルフィンが訝しむのも無理はなかった。
「いや……むしろ、それは俺が理由を聞きたいくらいなんだが……」
「〈クラウ=ソラス〉の代わりをしてくれると言いました」
「確かに言ったが……」
「……ダメですか?」
上目遣いでアルティナに尋ねられ、グッと唸るリィン。
そもそもアルティナが独り立ち出来るまで、彼女の面倒を看ると決めたのはリィン自身だ。
こんな風に尋ねられれば、嫌とは言えなかった。
そんな二人を見て、アルフィンは小さな溜め息を漏らす。
(これは思わぬ伏兵になりそうですね)
見た感じ恋人や仲の良い兄妹と言うよりは、父親に甘える娘と言った絵図だろう。しかし、この先どうなるかは分からない。
アルフィンからすれば、またリィンの恋人候補が増えたようにしか見えなかった。
取り敢えずアルティナの件には納得しつつも、釘を刺すことは忘れない。
「敢えて触れませんが、犯罪に繋がるようなことは控えてくださいね」
「いや、アルフィン。なんか、誤解していないか?」
「それとエリゼとフィーには、後でちゃんと説明してあげてください」
アルフィンの誤解を解こうとするも、エリゼとフィーの名前をだされると何も言えなかった。
事情を説明すれば二人ならわかってくれるとは思うが、後のことを考えると気が重い。とはいえ、〈暁の旅団〉はなんだかんだで面倒見の良い連中が集まっている。アルティナが環境に溶け込むのは難しくないだろうとリィンは考えていた。
このままでは分が悪いと判断したリィンは、さっさと次の用件に入ることにした。
「それで? 俺に何か話があったんじゃなかったのか?」
「そのことですが週明けに一度、帝国へ戻ろうかと思っています」
帝国を離れ、そろそろ二週間が経とうとしている。
アリシア二世との会談を終え、ZCFの協力を取り付けることが出来た時点で、リベールの誘いに応じた目的も概ね達成したと言っていい。
アルティナや教会の一件があったことで少し滞在期間が延びてしまっていたが、確かにそろそろ帝国に戻るべきかとリィンはアルフィンの話に納得した。
「分かった。なら、今日の夜にでもヴァルカンたちに――」
「いえ、ミュラー少佐の帰国に合わせるつもりなので、その心配はいりません。今日はそのことを伝えておこうかと」
しかしミュラーがいるから同行は必要ないと断るアルフィンに、リィンは珍しく困った表情を見せる。
建て前のようなものだとはいえ、仮にもアルフィンは〈暁の旅団〉の雇用主だ。
リベールにもアルフィンの護衛というカタチで付いてきている以上、本来であれば彼女が帰国するのに同行しないという選択肢はなかった。
「〈暁の旅団〉は一応、お前に雇われているんだが……」
「ですが、誰かがリベールに残る必要がありますよね? 新兵器の開発はどうされるのですか?」
「そっちはラインフォルトとZCFの間で話がついてる。後のことはアリサに任せておけば大丈夫だ。それに俺に出来ることは既にやった。兵器の開発ともなると手伝えることなんてほとんどないしな」
簡単なトラップの作製や武器の整備程度ならともかく、兵器の開発を手伝えるほどの知識や技術をリィンは持ち合わせていない。
リベールにZCFの協力を認めさせた時点で、リィンの仕事は半ば終わっていた。
アルフィンもそのことは理解しているはずだ。なのに、こういう質問をしたということは何か隠していることがあるのだとリィンは察した。
「アルティナ。少し席を外してくれるか?」
「……了解しました」
微妙な空気を察したのか、リィンの言うことを素直に聞き、アルティナは部屋を退出する。
アルティナの気配が遠ざかっていくのを確認して、リィンは再度アルフィンは尋ねた。
「これで二人きりだ。さっさと本題に入れ」
「……やはり騙されてはくれませんか」
アルフィンは観念した様子で溜め息を吐く。
最初からリィンに隠し通せるとは思っていなかったが、出来ることなら帝国の汚点にも繋がる話のため、余り口外したくなかったというのが本音だった。
「どうやらレーグニッツ知事の支援者と、カイエン公派に所属していた貴族たちに妙な動きがあるそうです」
「敵の敵は味方ってか? まさか、手を組んだのか?」
「そこまではわかりません。表向きは『派閥を越えた意見交換をしているだけだ』と彼等は主張しているようですが、お兄様やクレア大尉は額面通りには受け取っていないようですね。とはいえ、新政府の打ちだした政策にも協力的で、派閥に囚われない新しい政治はセドリックが主張したものですから……」
「表立って非難することも出来ない、と」
王国もそうだが、帝国はそれ以上に厄介な問題を内に抱えていた。
カール・レーグニッツ。革新派の重鎮にして、ギリアス・オズボーンとは旧知の仲で知られる男だ。
レジスタンスを率いた功績が評価されたとはいえ、彼を失脚させることが出来なかったのは新政府にとって大きな痛手だったと言えるだろう。
今回の件も現体制に反発する者たちが集まってよからぬ相談をしていると考えるのが自然だが、そう単純な話ではないようにリィンには思えた。
あのクレアに尻尾を掴ませないほど慎重な男が、足手纏いにしかならなさそうな落ち目の貴族と何のメリットもなしに手を結ぶとは思えないからだ。
捨て駒として彼等を利用するつもりなのかもしれないとリィンは考え、アルフィンの思惑を察した。
「それが〈暁の旅団〉を帝国へ帰したくない理由か」
「はい。リィンさんたちがいると彼等が畏縮してしまいますから、尻尾を掴みにくくなるとクレア大尉が……」
「ああ……それでミュラーがきたのか」
クレアの企みと聞いてリィンは納得する。ミュラーがリベールまで追い掛けてきた本当の理由を察したからだ。
ミュラーの生家であるヴァンダール家は、代々アルノール皇家を守護する役目を担ってきた一族だ。恐らくはクレアの企みに賛同したオリヴァルトが、リィンに代わってアルフィンの護衛と帰国の案内役にとミュラーを寄越したのだろう。
貴族派――特にアルバレア公やカイエン公の派閥に所属していた貴族たちにとって〈暁の旅団〉は恐怖の代名詞のようになっている。
リィンがアルフィンの帰国に同行すれば、彼等が畏縮して活動を自粛するかもしれないとクレアは考えたに違いない。
そこまで察したリィンは、アルフィンの話を条件付きで認めることにした。
「……分かった。団は動かさない。その代わり、護衛は継続させる」
「ミュラー少佐も一緒ですし、心配のしすぎだと思いますが……」
「ミュラーを信用してないわけじゃない。だが、お前はもっと自分の立場を自覚しろ」
フィーとミリアムの護衛を継続させるとアルフィンに告げるリィン。
リィンにも猟兵としてのプライドがある。リベールに来るための建て前とはいえ、一度は護衛の仕事を引き受けた以上、はいそうですかと途中で任務を放棄し、他人に任せることなど出来なかった。
それにミュラーの力を信用していないわけではないが、万が一ということもある。
「心配してくれるのですか?」
「当たり前だろ。俺たちの所為でもあるが、セドリックの次に狙われる可能性が高いのはお前なんだぞ?」
暁の旅団との関係を考えれば国内の反対勢力だけでなく、共和国やクロスベルと言った外の勢力からも命を狙われておかしくない危険な立場にアルフィンは身を置いている。聡明な彼女がそのことをわかっていないはずがなかった。
なのに何が嬉しいのか、ニコニコと笑みを浮かべるアルフィンを見て、リィンは呆れた様子で溜め息を漏らす。
そんなリィンを見て、何かを思い出した様子でアルフィンは声を上げた。
「あっ、リィンさん」
「なんだ? これ以上の譲歩はしないぞ」
「そのことではなく、ミュラー大尉からの預かり物があります」
「……ミュラーから?」
「はい。正確にはクレア大尉からリィンさん宛ての手紙のようです」
アルフィンから一通の手紙を受け取り、訝しげな表情で封を切り、中身に目を通すリィン。
そして――
「アルフィン。この手紙の内容について、クレアから何か聞いていないか?」
「……拝見しても?」
リィンから手紙を受け取り、その中身に目を通すとアルフィンは眉をひそめた。
クレアがどういう意図を持って、この手紙をリィンに渡すようにミュラーに依頼したのか、それを察するのは難しくなかったからだ。
こうなると〈暁の旅団〉を帰国させない理由についても考え直す必要が出て来た。
「なるほど……どうされるかはリィンさんにお任せします」
「いいのか?」
確認の意味を込めてアルフィンに尋ねるリィン。
少し困った様子で苦笑しながらも、アルフィンはリィンの言葉に頷く。
「なら、好きにやらせてもらう。奴には先日の借りもあるしな」
ニヤリと笑みを浮かべ、瞳に闘志を宿すリィン。
クロスベルを舞台にした前哨戦の火蓋が切って落とされようとしていた。
◆
「大丈夫なの?」
「何がだ?」
「皇女殿下のことよ」
アルフィンがエリゼや護衛のフィーとミリアムを伴い、ミュラーと共に帰国した翌日――
新兵器の開発の件で、ずっと城に詰めていたアリサがリィンを訪ねてやってきた。
アルフィンが帰国するのに〈暁の旅団〉がリベールに残った理由が、ラインフォルトとZCFの技術提携にあると考えたのだろう。
事情を知らない以上、アリサが勘違いするのは無理もない。とはいえ、滞在を延長する理由を説明するには帝国の内情に触れる必要もあるため、リィンは無理に誤解を解くつもりはなかった。
さすがにアリシア二世やカシウスあたりは気付いているだろうが、敢えて弱味を見せる必要もないと考えていたからだ。
「ミリアムだけじゃなくフィーも一緒なんだ。それにミュラーも護衛に付いている。戦力としては十分だろ」
「意外とシビアなのね。もっと心配してるのかと思ったのだけど……」
あっさりとしたリィンの態度に、アリサはどこか納得の行かない表情を見せる。だが、まったく心配でないかと言えば嘘になるが、気にしすぎるのも仲間を信頼していないことに繋がる。それに戦闘ではリィンやシャーリィに及ばないが護衛や潜入工作と言った任務では、フィーは〈西風〉にいた頃から団の中でも頭一つ飛び抜けていた。
暁の旅団のなかでも、今回の任務に最も適した人材と言える。それに団からはこれ以上の戦力はだせないが、協力者がいないわけではない。アリサが心配するまでもなく、リィンは既に手を打っていた。
「そんなことを言うためにきたのか?」
「違うわよ。しばらく王都を離れるから、その報告にね」
「ということは、本社とは連絡が取れたのか?」
「ええ、お祖父様がこっちに来るみたい。だからボースに迎えにいって、そのままツァイスに向かうつもり」
そっちが本題かとリィンは納得する。グエンが自ら乗り込んでくるとは思っていなかったが、最初に騎神用の兵器を開発するにあたって相談した相手が彼だった。
列車砲の開発に携わって以降、現役から退いていたグエンがリィンに協力する気になったのは、先の内戦で思うところがあったからだろう。
なかでもノルドの一件が心境の変化に大きく関係していることにリィンは気付いていた。
「ところでエマを知らない? 彼女にも挨拶をしておきたいんだけど、姿が見えなくて」
「エマなら、ここにいないぞ。アルフィンの件とは別で、仕事に出ている」
「……え? 仕事? そんな話、聞いてないんだけど……」
「伝えてないからな。言っておくが、何処に行ったかは教えられないぞ。出向扱いとはいえ、お前はラインフォルトの人間だ。うちの団員ではないからな」
部外者に仕事の内容は教えられないと言われ、アリサは少し不満げな表情を見せる。
しかしアリサも会社のことを尋ねられても、答えられることと答えられないことがある。それと同じことだ。
「むう……わかってるわよ。でも、いつ帰ってくるかくらいは教えてくれてもいいでしょ?」
「たぶん往復で一ヶ月くらいか」
「そんなに? 一体なにをやらせてるのよ……」
長くとも一週間くらいかと思えば、一ヶ月も帰って来ないときいて何をやらせているのかとアリサは疑問に思う。
それだけの期間、船を離れると言うことは少なくとも王都近郊ということはないだろう。
リベール国内ではないとすれば、帝国か共和国。いや、もしかすると――
そこまで考えたところで、アリサは頭を振る。気にはなるが、さっきリィンに釘を刺されたばかりだ。これ以上の詮索は互いの関係にヒビを入れかけないと考えて、アリサは思考を切り替えた。
「それじゃあ、仕方ないか。あっ、アンタも手が空いたら一度連絡を寄越しなさいよ。試作機のテストとか頼みたいし、アルティナやレンちゃんの件だって言いだしたのはアンタなんだから最後まで責任を持ちなさい」
そう言い残して、アリサは部屋を後にする。
最後までお節介な奴だと肩をすくめながら、リィンは苦笑した。
◆
「大丈夫ですか?」
「ど、どうにか……でも、少しペースを落としてもえると助かります」
杖を支えに肩で息をするエマを心配してリーシャは声を掛ける。転位魔術でクロスベルの国境近くへと部隊を運んだエマは、リーシャの案内で人目を避けるように山道を進んでいた。一気に街まで転位しなかったのは、〈碧の大樹〉のものと思しき力がクロスベル全域に広がっているためだ。それに魔術の腕や知識で〈蒼の深淵〉に匹敵すると思われる魔導師の存在――マリアベルを警戒してのことでもあった。エマが作戦のメンバーに選ばれたのは転位魔術が使えると言うことも理由にあるが、マリアベルの存在が大きいと言える。
クロスベルの地理に詳しいリーシャを案内役に、魔術への対策はエマが行う。そして現在は別行動を取っているが、シャーリィとヴァルカンの部隊が市外に潜伏していた。今頃リベールではエマたちが船から姿を消していることに気付かないまま、王国軍は変わらずカレイジャスを警戒していることだろう。リィンが船に残ったのは周囲の目を欺くためだ。
その作戦の目的とは、ある人物と接触し、クロスベルからの脱出を手引きすることにあった。
「そろそろ街が見えてくるはずです」
森を抜ける頃には太陽は沈み、辺りはすっかり暗くなっていた。そして街を一望できる高台へとでると、そこから見える景色にエマは目を奪われる。
貿易と金融で栄えた街――魔都クロスベル。近代的な建造物が建ち並び、様々な色の導力ランプに彩られた街の姿は煌びやかで、夢の世界に迷い込んだかのような錯覚に襲われる。まるでクロスベルに集められた富や権力を象徴しているかのような光景が、眼前には広がっていた。
共和国と帝国の境にある大陸でも有数の経済都市。そんな街の姿をリーシャはエマの隣で、何処か寂しげな表情で眺めていた。
彼女にとって、この街は第二の故郷とも呼べる場所だ。それだけにこんなカタチで再び、この地に足を踏み入れることに複雑な思いがあるのだろう。
しかし彼女は共和国やクロスベルで暮らしていた頃のリーシャ・マオではない。いまは〈暁の旅団〉に所属する猟兵だ。
「……行きましょう。闇に紛れて、市内に潜入します」
覚悟を決めた様子でエマに声を掛け、月明かりを頼りにリーシャは街へと足を向ける。
そんなリーシャの背中を、エマは敢えて何も聞かずに追うのだった。
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