碧の大樹のなかに広がる迷宮には、無数の浮島が青白い空間の中に浮かび、そこを高位の幻獣が徘徊していた。
 一般的に外で見かけるような低位の魔獣の姿は見受けられない。最低でも以前アリサたちがノルド高原で対峙したことのある幻獣と同格か、それ以上の怪物ばかりだ。そんななか小さな山ほどある巨大な怪物が徘徊する姿を前に、ロイドやティオだけでなく魔獣との戦いに慣れているはずのランディやワジも顔を引き攣らせる。

(これが彼の言っていた奧まで辿り着けない理由か……ッ!?)

 リィンが言っていた言葉の意味を理解し、額に冷や汗を滲ませるワジ。アーティファクトを回収するために時には遺跡へと足を運び、幻獣や悪魔を相手に大立ち回りをしたことのあるワジからしても異常と思える光景。幾ら星杯騎士団に名を連ねる騎士とはいえ、これだけの数の幻想種に立ち向かえるほどの力は彼にはない。
 なのに――

「ティオすけ、ロイド! 前へ出すぎるんじゃねーぞ!」

 ランディたちの支援があるとはいえ、幻獣の群れに飛び込み、敵を圧倒するリィンとリーシャの姿は常軌を逸していた。
 騎士団の中にも、同じことが出来る騎士が一体何人いるだろうか、とワジは考える。聖痕に覚醒することで守護騎士に選ばれはしたが、ワジよりも強い騎士は教会にたくさんいる。法術の扱いや武術の腕前、実戦経験の多さで言えば、彼の補佐をしているアッバスの方が実力は上だろう。実際アッバスは正騎士のなかでも上位の実力者だ。
 騎士団で上位の実力ともなれば、名のある遊撃士や猟兵とも武で競え、幻獣や悪魔と言った異形の怪物を個で打ち倒せるほどの猛者ばかり。リィン・クラウゼルの実力は、そんな騎士たちのなかでも最強と自他共に認める星杯騎士団の長、アイン・セルナートに匹敵するほどだと噂されているが、それが真実だと考えている騎士は少ない。ワジもそのなかの一人だった。
 しかし、

(高位の騎士……いや、ひょっとしたら本当に総長に匹敵するかもしれない)

 汗一つ掻いていない表情を見れば、まだ余裕があることは見て分かる。だからこそワジは驚きを隠せない。
 以前よりも遥かに力を付けたリーシャの実力もそうだが、先頭に立ち、数多の幻獣を屠るリィンの姿は圧巻だった。
 戦闘にすらなっていない。虫を踏みつぶすかのように、まさに鏖殺と言っていい光景だ。

(まったく、とんでもないね。それに、この空間も……)

 リィンの強さばかりに目が行きがちだが、いま置かれている状況の異常さにもワジは目を向けていた。
 魔獣と違い、幻獣や悪魔と言った生物は、自然に発生するようなものではない。彼等は、この世界に存在しないものたちだ。
 普段は異界にその身を置き、高位属性が働いているような遺跡でも、そう多くを目にするような存在ではない。
 だとするなら幻獣が大量に発生している原因は、この迷宮にあるとワジは考え、

(この迷宮そのものが、異界と繋がっていると言うことか)

 碧の大樹が造り出した迷宮そのものが、異界化していると推測した。

「雑魚でも、こう数が多いと面倒だな」

 そんななか、リィンは溜め息交じりにそう口にすると、深く息を吸い込む。
 次の瞬間、場の気配が変わったのを察し、リーシャは目を瞠ると声を発した。

「皆さん! 伏せてくださいッ!」

 王者の法(アルス・マグナ)――そうリィンが呟いた直後、膨大な闘気が嵐となって吹き荒れる。
 螺旋を描くように空へと吸い込まれていく白と黒の闘気。
 吹き荒れる嵐の中、リィンの手には一本の巨大な槍が握られていた。

必滅の大槍(グングニル)

 リィンの手から放たれた槍の光が、数多の幻獣を呑み込んでいく。
 床に身体を伏せ、灰色に染まる世界でワジは、教会がリィンを特別視する理由をようやく理解するのだった。


  ◆


「すっきりしたな」
「じゃねーよ!? なんだよ、いまのは!?」

 土埃に塗れた姿で、リィンに詰め寄るランディ。
 リィンからすれば群がる敵を一掃した程度の認識なのだが、その余波を受けたランディたちからすれば堪ったモノではなかった。
 やる前に合図くらい送れと怒鳴るランディに、「そのくらい察しろ」と面倒臭そうに受け流すリィン。
 ティオはあれだけいた幻獣がすべて消滅していることに驚き、ロイドは言葉にならない驚きを表情に滲ませていた。
 そして、それが普通の反応なのだと、リーシャは溜め息を漏らす。それはリィンと知り合った誰もが一度は通る道だった。
 そんななかでワジは、リーシャと同じく何かを悟った表情を浮かべていた。

「さすがだね。キミが言っていた僕たちだけでは奧へは辿り着けない≠ニいう意味が理解できたよ」
「なんのことだ? こんな幻獣(ざこ)≠ュらい、お前等でも倒せるだろ?」
「……え?」

 幻獣を倒せる倒せないで言えば、ワジたちでも倒せるだろう。
 しかし、それは敵が少数の場合だ。幾らなんでも高位の幻獣を何十、何百と相手にすることは出来ない。
 だからリィンが言っていた奧へ進めない理由は、この幻獣たちにあるとワジは思い込んでいたのだ。
 それなのに、

(まだ甘く見ていたと言う訳か。教会が警戒するわけだ……)

 まだ自分の想像が甘かったことを認め、リィンが警戒する脅威とは何か?
 と、ワジが尋ねようとした、その時だった。

「相変わらず、無茶苦茶な人ですわね。あなたは……」

 ワジが声のした方を振り返ると、土煙の向こうに騎士甲冑を纏った三人の女性が並んで立っていた。
 そのなかに見覚えのある顔を見つけ、リィンは懐かしそうに声を掛ける。

「久し振りだな、デュバリィ。元気にしてたか?」
「……なに気さくに声をかけてるんですか? 敵同士だという自覚がありますの? それとも、わたくし程度では敵にすらならないとでも?」
「船を守ってもらった借りがあるしな。それに、その義理堅い性格は嫌いじゃない。お前のことは結構、気に入ってるんだぜ」
「な、なにを……ッ!?」

 不意打ちとばかりに想像もしなかった言葉をリィンの口から聞き、デュバリィは顔を真っ赤にして慌てふためく。
 そんな狼狽するデュバリィの姿を目にして、様子を見守っていた二人の騎士は呆れた表情で小さく溜め息を漏らしながら言った。

「デレたな」
「デレましたね」
「……二人とも何を言っていますの?」

 余りに的確な――状況を楽しんでいるとしか思えない二人の発言に、デュバリィは眉間に青筋を立てる。

「アンタたちは?」
「鉄機隊が隊士〈剛毅〉のアイネスだ」
「同じく鉄機隊が隊士〈魔弓〉のエンネアです。リィンさん。あなたの話はかねがね筆頭≠ゥら伺っていますわ」
「……俺の話?」
「はい。それは、もういろいろと」
「あなたは! 何を仰っているんですの!?」

 意味ありげにそう話すエンネアに、それ以上話させてなるものかと邪魔をするデュバリィ。
 そんなデュバリィを見て、変わっていないなとリィンは苦笑する。

(相変わらず、からかい甲斐のある奴だ)

 鉄機隊と言えば、〈鋼の聖女〉を筆頭とする女性ばかりで構成された騎士団の総称だ。
 その実力は確かなもので、執行者にさえも決して劣るものではない。高ランクの遊撃士や猟兵とも互角にやり合えるほどの腕前だ。
 事実、ロイドたちは以前彼女たちと戦ったことがあり、その実力を嫌と言うほど理解させられていた。なのに――

「あれ、〈星見の塔〉で戦った嬢ちゃんたちだよな? なんか雰囲気が少し違うが……」
「ああ……」

 別人かと疑うほどの変貌振りにランディとロイドは戸惑いを見せる。
 そして、その原因を作ったリィンに視線が集まるのは自然なことだった。

「なんだか、ランディさんみたいです。猟兵って、皆こうなんですか?」
「おい、ティオすけ。誤解を生むような発言はやめろ」
「いや結構、的を射てるんじゃないかな? 彼の養父である〈猟兵王〉と〈闘神〉は宿敵同士だったという話だし」
「ぐっ……ワジ、お前……」
「なるほど。猟兵だからと言う訳ではなく、遺伝と言う訳か」
「ロイドまで……」

 遠回しに、女にだらしないところがリィンに似ていると言われ、ランディは何とも言えない表情を浮かべる。
 ましてやティオだけならまだしも、それをワジやロイドにまで言われるのは、彼としても納得が行かなかった。

「緊張感のない連中だな……」
「それを、あなたにだけは言われたくはありませんわッ!」

 切っ掛けを作っておきながら他人事のようにそう話すリィンに、デュバリィは激昂する。
 やれやれ、とディバリィの抗議を聞き流しながらリィンは肩をすくめると、このままでは話が進まないと思ったのか、目の前の三人へと鋭い視線を向けた。

「さっきの話だがな。お前等程度≠カゃ敵にすらならないっていうのは事実だ」

 そう言ってデュバリィたちを視線で威圧するリィン。
 リィンの放つ雰囲気に呑まれ、デュバリィ、アイネス、エンネアの三人は思わず息を呑む。
 相手の強さが分からないほど、彼女たちは弱くない。だからこそ、リィンとの間にある絶対的な差を感じ取ったのだろう。
 そんな彼女たちの反応に満足すると、リィンは三人に選択を突きつけた。

「邪魔をするなら殺す。大人しく引き下がるなら見逃してやる。好きな方を選べ」

 リィンからすれば、ただ純然たる事実を口にしただけ。
 デュバリィには借りもあるため、邪魔をしないのであれば見逃すつもりだった。
 しかし、それは騎士の誇りを傷つける発言でもあった。

「言わせておけば――ッ!」

 敵わないことは理解している。それでも、ここまで虚仮にされて黙っていられるはずもない。
 バカにしているとしか思えない提案に憤り、身の丈ほどある巨大なハルバードを振り上げるアイネスだったが、

「下がりなさい」

 場に響き渡る澄んだ声に気付き、ピタリと動きを止めると、慌てた様子で膝をつく。
 アイネスに続き、頭を垂れるデュバリィとエンネア。
 すると、そこに黄金の髪をなびかせた白銀の騎士が姿を見せた。

「あなたたちでは勝てない。その者の相手は私がすると厳命したはずです」

 ゆったりとした足取りで近付き、デュバリィたちの前で足を止める黄金の髪の女性。その白銀の甲冑を纏った女性を目にして、ロイドたちは目を瞠る。
 嘗て圧倒的な力で彼等の前に立ち塞がった騎士。身喰らう蛇の使徒、第七柱にして〈鋼〉の名を持つ聖女。
 ――アリアンロード。結社最強とも噂される彼女のことを忘れるはずもなかった。

「鋼の聖女……」

 そしてリーシャもまた険しい表情を浮かべ、アリアンロードを睨み付ける。
 無理もない。彼女はリーシャがロイドたちに正体を知られる原因を作った相手だ。
 自身の力に絶対の自信と誇りを持っていたリーシャが、父親以外で初めて完膚なきまでに敗北した相手でもあった。

「どうやら迷いは振り切れたようですね」

 そんなリーシャの視線に気付き、アリアンロードは微笑みを浮かべながらそう話す。
 すべてを知っているかのような口振り。実際、彼女にはすべてを見透かされているのだろうという予感がリーシャにはあった。
 だからこそ、先代の〈銀〉――父親でも敵わなかった相手に、どのくらい現在の自分がやれるのかを確かめてみたいという思いがリーシャのなかに湧き上がる。
 そんな隠しきれない戦意を滲ませるリーシャを、リィンは諫める。

「やめとけ。いまのお前じゃ、まだアイツには勝てない」
「……わかりました。では、露払いは私が務めます」

 シャーリィが逃げることしか出来なかった相手だ。アリアンロードに敵わないと言うことは、リーシャも理解していたのだろう。だから、あっさりと引き下がる。
 普段は余り戦いを好まない彼女だが、根はシャーリィに劣らず負けず嫌いな性格をしていることをリィンは察していた。
 そうでなければ、これほど強くはなれない。以前のリーシャに足りなかったのは、そうした積極性だ。
 迷いが吹っ切れたことで、抑えていた感情が少し表に出始めたのだろう。
 良い傾向ではあるが、シャーリィのようにはなって欲しくないとリィンは嘆息する。

「出来ることなら、お前にはロイドたちについて行って欲しいんだがな」
「私は〈暁の旅団〉の団員です。団長を残しては行けません」

 そう言われては、拒むに拒めなかった。
 仕方がないと諦めると、リィンはロイドたちに話を振る。

「聞いていたな。ここは俺たちに任せて、お前等は先に行け」

 相手は鉄機隊の面々だ。
 しかもアリアンロードまでいる状況で、「先に行け」というリィンの言葉にロイドたちは戸惑いを見せる。

「道は切り拓いてやる。それを含めての契約だからな。だが、わかっていると思うが……」

 リィンの話に表情を引き締めるロイドたち。それは自分たちがどうしてここにいるのか、理解してのことだった。
 マリアベルを説得し、キーアを救う。それがロイドたちに課せられた使命だ。失敗をすれば、リィンは先の宣言通りにマリアベルごと〈碧の大樹〉を消滅させるだろう。
 ただの脅しだとは思わない。それだけの力があると、リィンは幻獣との戦いで証明してみせたのだ。
 あれがリィンの全力だと考えるのは早計だ。ならば大言壮語ではなく、本当に可能かもしれないとロイドは考えた。
 そんな状況の中でロイドたちに出来ることは、ここでリィンたちと共に戦うことではなく先へ進むことだ。

「行こう。皆――」

 ロイドの言葉にティオ、ワジ、ランディの三人は頷き、リィンとリーシャを残して先へと進む。そして――
 邪魔が入るかと思いきや、横を通り過ぎるロイドたちを一瞥することもなく、そのまま先へと進ませたアリアンロードにリィンは尋ねた。

「どういうつもりだ?」
「無粋な真似をするつもりはありません。私の目的はあくまで、あなたの力を確かめることにあります」

 ロイドたちの邪魔をするつもりはない。あくまで目的は別にあると話すアリアンロードの説明にリィンは納得する。
 それは何の気兼ねもなく、正々堂々と戦いたいというアリアンロードの意思の表れでもあった。
 騎士の矜持という奴かとリィンは察する。リィンにも猟兵としてのプライドがある。
 例え口約束であろうと、一度交わした契約は絶対に守る。それが猟兵としてのリィンの流儀だ。
 ロイドたちを先に行かせたのも、それが主な理由と言っていい。

「マスター」
「良い。あの者の相手は、あなたたちに任せましょう」

 デュバリィの言葉に頷き、アリアンロードは許可を与える。
 リーシャが口にした『露払いは引き受ける』という言葉。それに応えてのことだった。

「気を付けろよ、リーシャ。ああ見えて、あの三人。結構な腕前だ」
「はい。ですが、私も〈暁の旅団〉の末席に名を連ねる者。相手が誰であろうと、負けるつもりはありません」

 しかしデュバリィたちに騎士の誇りがあるように、リーシャにも意地があった。
 リーシャの後を追って遠ざかるデュバリィたちの姿を確認すると、リィンはアリアンロードの前にでる。

「うちの連中が世話になったみたいだな」
「シャーリィと言いましたか、彼女もなかなかの腕前でした。ですが、あなたはそれ以上なのでしょう?」
「さてな。だが、マクバーンを退ける程度の力はあるつもりだ」

 アリアンロードの問いに、挑発めいた言葉を返すリィン。
 実際のところはどちらが上か分からないが、使徒最強はアリアンロード。執行者最強はマクバーンだと言われている。
 ようはマクバーンを退けられる程度の実力はあると臭わせることで、お前よりも強いと言ってのけたのだ。
 そんなリィンの言葉の意図を察し、アリアンロードは心の底から愉しげな笑みを漏らす。

「では、見せてもらいましょうか。その力を――」
「そっちこそ、期待には応えてくれよ? 俺の前で最強≠フ名を口にするのならなッ!」

 その直後、一瞬で距離を詰めた二人が戦場の中央で激突する。
 暴風のように吹き荒れる二つの闘気。大気が軋むような轟音と共に大地に亀裂が入り、

「初手は俺の勝ちだ」

 真紅の双眸が、風になびく黄金の髪を捉え、青き瞳が驚愕に染まる。
 左手の武器でアリアンロードの槍をいなし、右手の武器を床からすくい上げるように振うリィン。
 初めてではない。ヴィクターとの再戦を考え、何度もイメージしたその動き。

「――ッ!」

 上半身を反らすことで、リィンの一撃をどうにか回避するアリアンロード。
 しかし体勢が崩れたところに返す刃が迫り、

「この動きは――」

 聖女の身体を一閃した。



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