「まさか、お前に助けられるとはな。礼を言うつもりはないぞ」
「結構ですわ。あなたには、まだ利用価値があるから助けただけ。感謝されるようなことをした覚えはありませんもの」

 不満げな表情でそう言い放つリィンに、マリアベルは利用価値があるから助けただけと言葉を返す。
 寸前のところをマリアベルに助けられ、リィンは現在、彼女の張った結界の中に身を潜めていた。
 一触即発とまでは行かないまでも、明らかに水と油と言った二人の間にリーシャは困り顔で割って入る。

「二人とも、いまはそんなことをしている場合じゃ……」

 結界の外では地脈から溢れ出た膨大なマナが、暴風のように吹き荒れていた。
 洞穴も崩壊を始めており、一刻の猶予もならないような状況だ。
 そして三人の視線の先には、虹色に輝く地底湖から出現した白い巨人の姿があった。
 全高百アージュはあろうかという巨体が、ゆっくりと空に向かって上昇を始めていた。

「一時休戦だ。どうやら、お前に構っている余裕はなさそうだしな」
「リィンさん、あの巨人は一体……」
「ギリアスだ。ルーファスの胸に刺さった剣を引き抜き、あの巨神を召喚しやがった」
「え? アルバレア卿はリィンさんが……」

 どういうことかと困惑の表情を浮かべるリーシャ。
 リィンがルーファスを殺すところを見ているだけに、話の流れがまったく呑み込めずにいた。
 しかし、詳しく事情を説明している時間は惜しいとばかりにリィンは空に向かって手を掲げ、相棒の名を叫ぶ。

「――ヴァリマール!」
「リィンさん!?」

 空間を切り裂き〈灰の騎神〉が現れると、胸もとのコアへと吸い込まれるリィン。
 そして背中の羽からマナの粒子を噴きだし、空に向かってヴァリマールは飛び立つ。
 その後ろ姿を呆気に取られた様子で、リーシャとマリアベルは見送った。

「行ってしまいましたわね」
「そうですね……じゃありませんよ。どうするんですか?」
「どうするも何も、ここにいたら生き埋めでしょうし脱出しますわよ」

 たいした説明もなく置いて行かれたことを不満に思いながら、リーシャはマリアベルにこれからのことを尋ねる。
 そして返ってきた答えに納得しつつ、リィンのことやマリアベルのことをどう皆に説明したものかと頭を悩ませていた。
 そんなリーシャを放置し、マリアベルは地底湖の畔に視線を向ける。
 その視線の先には、穏やかな表情で眠るルーファスの亡骸が転がっていた。


  ◆


 空から降り注ぐ岩の破片をかわしながら、ヴァリマールは地上の光を目指す。
 そして――地上へと抜けると、緋色に染まった空がリィンの視界へと飛び込んできた。
 しかし、そんな光景に目をくれることなく、リィンはギリアスと巨神の姿を捜す。

「ギリアス!」

 そして巨神の姿を視界に捉えると、リィンはヴァリマールを一気に加速させ、巨神との距離を詰めた。
 だが、その大きさに圧倒され、リィンは額から汗を流す。

(くそッ! なんて大きさだ。やっぱり、こいつは……)

 ヴァリマールの十倍以上はあろうかという巨体。思い当たるものが、一つだけリィンの記憶のなかにはあった。
 ノルド高原に打ち捨てられた巨像と、そっくりなのだ。
 リィンの持つ前世の知識。彼が『原作』と呼ぶ物語のなかでも明らかになっていなかった代物。
 しかし、その存在は物語の中に登場する文献。『黒の史書』と呼ばれるアーティファクトの中で少しだけ触れられていた。

 ――猛き力の担い手と、(つよ)き力の担い手。

 いまでは記憶が薄れ、曖昧となった知識のなかで、その二体の巨神のことだけは鮮明に覚えていた。
 暗黒の地で邂逅し、相打ちとなった二体の巨神。その片割れが、目の前の巨神の正体だとリィンは確信めいた予感を得る。
 女神と精霊たちすら恐れ、戦いが終わるのを見守るしかなかったと伝えられている災厄の化身。
 その圧倒的な存在感は、こうして対峙しているだけでも身震いするほどだ。
 どう戦うべきか? いつになく真剣な表情で、リィンは自身の不利を悟りながら勝つための道筋を考える。

「哀れだとは思わないか?」

 そんな時だった。
 どう戦うべきかとリィンが攻めあぐねていたところで、声が空に響いたのは――
 巨神の中から聞こえてくる声。それがギリアスのものだとリィンはすぐに察する。

「何を言って――」
「ルーファスのことだ。偽りの記憶を信じ、自身が獅子心皇帝の生まれ変わりだと思い込み、恵まれた境遇にありながら、あるはずもない劣等感を弟に抱き続けた。自身が計画のために用意された人形(コマ)≠フ一つであることにも気付かず」
「お前……まさかッ!」

 ギリアスが何を言っているのか、すぐにリィンは理解する。
 その可能性を考えなかったわけじゃない。しかし出来ることなら信じたくなかった。
 それでは余りにも、ルーファスが報われないと思っていたからだ。

「ルーファス・アルバレアと呼ばれた男は、九年前に亡くなっている。あれは計画のために作られた人形に過ぎない。替えの利く便利な道具と言う訳だ」

 考えるよりも先に身体が動いていた。
 リィンは目を瞠ると空高く跳び上がり、アロンダイトを巨神の頭目掛けて叩き付ける。
 しかし、

「くッ!」

 ギリアスに攻撃した時と同じ、ヴァリマールの攻撃は障壁のようなものに阻まれていた。
 原理は恐らく〈輝く環〉の結界と同じもの。それなら――
 リィンが力の一部を解放しようとした、その時。

「感傷的になっていたようなので、真実を教えてやったつもりなのだがな」
「その口を閉ざせ……ッ!」

 ギリアスの放った言葉に、リィンは激昂する。
 敵とはいえ、命を懸けて戦った相手を冒涜する気はない。それは戦士の誇りを貶めるものだ。

「マリアベルもどうしようもない奴だと思ってはいたが、お前はそれ以上の外道だ」
「違うな。目的を効率良く成し遂げるために感情を排し、ありとあらゆる手を打っているだけの話だ」
「それが鉄血≠ニ言われる所以か」

 やはり、こいつは気に食わないとリィンは吐き捨てる。
 リィンも自分が真っ当な人間だとは思っていない。目的のためなら非道な行いもする。敵を殺すことに躊躇しない。
 しかし最低限、超えてはいけない一線というものを自分の中に持っていた。
 猟兵の流儀。戦士としての誇り。だが、ギリアスにはそういった矜持がない。

「やはり、お前のことは気に食わない」
「……子供の理屈だな。いまからでも遅くない。私に協力しろ。それが、お前のためだ」

 ギリアスの誘いの言葉が、リィンには他人事のように聞こえる。
 この男にとって周りにいるすべての人間は、計画のために必要な盤上の駒に過ぎないのだろう。
 そこにホムンクルスや人間などという括りはない。血の繋がった息子でさえも利用しようとする。
 それが、ギリアス・オズボーンという男なのだと、リィンは確信する。

「絶対にごめんだ。お前は俺が――ぶっ殺す!」

 そこにあるのは親子の情などではない。明確な敵意だけだった。


  ◆


「ここは……カレイジャスの甲板?」

 懐かしくも、その見慣れた光景から自分の居る場所をリーシャは言い当てる。
 マリアベルの転位によって大空洞から脱出したリーシャは、彼女と共にカレイジャスの甲板の上にいた。
 改めて魔術の凄さと便利さを実感すると共に、リーシャはこれを為した魔導師の姿を捜す。

「始まったみたいですわね」
「なんで、そんなに落ち着いてるんですか……」

 大樹の方角を甲板から眺めるマリアベルに、リーシャは若干呆れた様子で声を掛ける。
 一時休戦を結んでいるとはいえ、彼女にとって〈紅き翼(ここ)〉は敵地だ。どうして落ち着いていられるのか、分からない。
 しかも視線の先、遠く離れたミシュラムの上空では、突如現れた〈白き巨神〉と〈灰の騎神〉による激しい戦闘が繰り広げられていた。

「戦いに割って入っても邪魔になるだけでしょうし、彼の力を信じているからですわ。それは、あなた方も同じなのでは?」
「うっ……そう言われると……」

 そう言われると、リーシャも反論のしようがない。
 敵の力は未知数だが、正直なところリィンが負けるとはリーシャも思ってはいなかった。
 どんな絶望的な状況でも、リィンならきっとどうにかしてくれる。そんな期待と信頼を胸に抱いていたからだ。
 それは多かれ少なかれ、この船に乗る者なら誰もが思っていることだろう。

「リーシャさん? いつの間に帰って――」

 エリィを先頭に、銃剣で武装した幾人かの団員が甲板に姿を見せる。甲板で輝く転位の光を察知したからだ。
 リーシャの姿を見つけ、ほっとした様子で声を掛けようとするも、その傍らに立つマリアベルを見て、エリィの表情が固まる。
 どうしてベルが……そんな呟きを漏らすエリィの横を、一陣の風が通り抜けた。――シャーリィだ。
 愛用の大型ブレードライフル〈赤い顎(テスタ・ロッサ)〉を肩に担ぎ、一気に間合いを詰めるとマリアベル目掛けて横凪に振り抜くシャーリィ。
 誰もが虚を突かれた様子を見せる中、マリアベルはスッと杖を掲げて、そんなシャーリィの一撃を障壁で防いだ。

「ご挨拶ですわね」
「その余裕の表情……いいね! そうでなくちゃ面白くないよねッ!」
「待ってください! シャーリィ!」

 慌てて、そんな二人の間に割って入るリーシャ。放っておけば、戦闘が始まってしまう。
 下手な誤魔化しや冗談の類がシャーリィに通用しないことは、この中でリーシャが一番よく理解していた。

「なに? いま良いところなんだけど……」
「違うんです。彼女は……」

 戦闘を止められ、不完全燃焼と言った様子で睨み付けてくるシャーリィにリーシャは経緯を説明する。
 そんな二人の横を誰かが通り過ぎたかと思うと、マリアベルをエリィが抱きしめていた。

「ベル……」
「あら?」

 突然のことにマリアベルは呆気に取られる。
 リィンの性格を考えれば、マリアベルを殺すことに躊躇するはずもない。
 マリアベルもまた、投降を呼び掛けたところで応じるような性格をしていない。
 だから最悪の結果も想定して、覚悟をしていたつもりだった。なのに――

「ベル……よかった。生きてるのよね」

 仕方のないことと割り切っていたつもりでも、こうしてマリアベルの無事な姿を見ると気持ちの抑えがきかなかった。
 エリィにとってマリアベルは、幼い頃から互いをよく知る掛け替えのない親友なのだから――
 そんなエリィの反応を見て、マリアベルは毒気を抜かれた様子で苦笑を漏らす。
 年相応の――クロイス家の魔導師ではない。エリィのよく知るマリアベルの表情(かお)がそこにはあった。

「そんな顔をエリィにされては、わたくしの負けですわね」
「ベル……?」
「リィンさんとは一時休戦を結んでいますの。信じてもらえるかはわかりませんが、あなた方と敵対するつもりはありませんわ」

 マリアベルの話を聞いても、まだ信じられないと言った顔でエリィはリーシャを見る。
 リィンの性格をよく知る者なら、容易く自分の意見を変えるような人物でないことはわかっていた。
 ましてや敵に容赦をかけるようなようなお人好しでもない。どういう経緯があれば、そんなことになるのか分からなかった。

「本当です。そのことで、皆さんに話が……」

 マリアベルの話だけならともかく、リーシャが証言する以上は確かなのだろうとエリィは考える。
 リィンに関して、彼女がそのような嘘を吐く人物でないことはわかっているからだ。
 だとするなら、そうせざるを得ないほどの何か≠ェ起きていることになる。
 何があったのかを詳しく聞こうと、エリィがリーシャに問い掛けようとした、その時。
 ――大変です! というフランの声がスピーカーから甲板に響いた。

『魔獣の群れが街へ向かっているそうです!』



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