「フンフンフフーン♪」
どこかで聞いたようなリズムが、街中を走る一台の車の中に響く。
みりあは後部座席の窓から外を眺めながら、フレデリカから教わった鼻歌を口ずさんでいた。
そして運転席には、普段着の装いにベージュのジャケットを羽織ったカジュアルな格好をした太老の姿が――
助手席には、いつものギャル系ファッションに身を包んだ美嘉がガチガチに緊張した様子で座っていた。
(ど、どうしてこんなことに……!?)
太老やみりあと美嘉がばったりと出会ったのは、午後からの予定が空いていたこともあり、息抜きに街中をブラブラしていた時のことだった。
これが仕事なら、まだ自分を誤魔化すことは出来た。しかし、いまはオフの時間だ。
二人きりではないとはいえ、好意を寄せる相手と車でデートというシチュエーションに憧れない女子はいない。
特に美嘉は、少し夢見がちなところがある。良く言えば純情、悪く言えばヘタレ。
妹には強がって見せてはいるが、実際のところ恋愛経験は疎か、歳の近い男友達すらいないという有様だった。
「みりあちゃん、今日は随分とご機嫌だな」
「うん。今日は美嘉ちゃんも一緒だから、なんだか凄く嬉しくって!」
とはいえ、こんな風に純粋な好意を向けられれば、断れるはずもなかった。
(そうだよね。デートと思うからいけないんだ。頼まれて、ただ買い物に付き合っているだけ。仕事の延長だと思えば……)
邪な考えを抱かないようにと、必死に自分を誤魔化す美嘉。
実際、太老の買い物の目的はクリスマスの飾り付けを揃えることにあった。
みりあは打ち合わせで偶々891の事務所へきていたそうで、午後からの予定はないとのことで手伝って貰っているとの話だった。
なら自分もと、念仏を唱えるように「これは仕事、仕事……」と美嘉は心の中で反芻する。その時だ。
「それにね。家族でお出掛けしてるみたいで、すっごく楽しいの!」
(か、家族!? アタシと太老さんが!?)
みりあの何気ない一言で、更に妄想を膨らませる美嘉。
確かに傍から見れば、親子のように見えなくもない。
車を運転している太老は休日のお父さんと言ったところで、子供は当然みりあだろう。
となると、助手席に座っている自分は――
そこまで考えたところで、美嘉は顔から湯気を噴き出す。
「そっか。そう言えば、まだ妹ちゃんは小さかったな……」
しかし太老の呟きを聞いて、ハッと我に返る美嘉。
昨年の夏、みりあに妹が産まれたという話を思い出したからだ。
母親は幼い妹の世話に掛かりきりで、どうしてもみりあのことは後回しになる。
みりあ自身も休日や放課後はアイドルの仕事が入っているため、余り家族との時間を取れないでいた。
何気なく漏れた一言だったのだろうが、みりあが楽しげに話す姿を見て、チクリと胸が痛むのを美嘉は感じる。
(アタシ自分のことばっかり考えて……)
みりあに対して後ろめたい気持ちで一杯になり、美嘉は塞ぎ込む。
妹がいる分、みりあの気持ちは痛いほどに、よくわかる。
なのに自分のことばかり考え、浮かれていたのが情けなかった。
そんななか――
「少し寄り道してもいいかな?」
美嘉の気持ちを知ってか知らずか、太老はそう言って二人を誘うのだった。
◆
「うわあ! ひろーい!」
目的の場所へ着くなり、駆けだして行くみりあの後ろ姿を見て、思わず笑みが溢れる。
「……太老さん、ここは?」
「来年の春オープン予定のAR体験施設だよ。外装はともかくシステム自体はもう組み上がってるからね」
美嘉に話したように、ここはうちの商会が保有するイベント施設の一つだ。
都内では最大のARを備えた施設で春のオープンを予定していて、イベントで企業に貸し出したり、891のライブにも利用される予定となっていた。
そんな場所に二人を連れてきたのは、理由があってのことだ。
「みりあちゃん、何処か行きたいところある?」
「……どこでもいいの?」
「ああ、世界中どこでも、みりあちゃんが行きたいところへ招待するよ」
「えっと、じゃあね――」
みりあのリクエストに沿って、装置を操作しながら次々に景色を変えていく。
さすがに今から旅行へ連れて行くのは無理だが、これなら雰囲気だけでも味わうことが出来る。
会社の設備を私物化も良いところだが、このくらいは会長権限で許されていいだろう。
第一、ここのシステムを組んだのは俺だしな。テストの名目で使ったところで、誰も文句は言えないはずだ。
「凄いね!」
「うん。綺麗……」
満天の星空に魅入る二人。まず都会では見ることの出来ない景色だ。
なんとなく暗い雰囲気になっていたが、すっかり元気を取り戻した二人を見て、俺も安堵する。
仕事をしてお金を稼ぎ、既に自立をしているとは言っても、彼女たちはまだまだ子供だ。偶には、こうした息抜きも必要だろう。
「おっと、そろそろ良い時間だな」
そうして時間も忘れて遊んでいると、いつの間にか夕方の五時を過ぎていた。
俺も事務所に戻らないといけないし、みりあや美嘉もそろそろ家に帰さないといけない時間だ。
二人は明日も学校があるだろうしな。余り遅いと親御さんも心配するだろう。
「あ、最後にね。もう一箇所、行きたいところがあるんだ」
そう言って、みりあが最後にリクエストしたのは――
「ここって……公園?」
「そうだよ。私と美嘉ちゃん、太老お兄ちゃんが一緒に遊んだ思い出の場所」
公園だった。そう、ここは以前、俺が子供たちと遊んだ場所だ。
すると、みりあは肩に掛けていたポシェットから小さな袋を二つ取りだし、それを俺と美嘉に手渡した。
袋の中には揃いのタチコマのキーホルダーが入っていた。
みりあの持っているのが黄色いタチコマ。俺が青で、美嘉が赤だ。
「もっと早く渡したかっただけど機会がなくて、だからね!」
そう言って声を張り上げると、みりあは必死に何かを伝えようとする。
「みりあは大丈夫だよ。ちょっと寂しい時もあるけど、いま凄く楽しいから――」
こっそりと励ますつもりだったのが、最初から気付かれていたのだろう。
聡い子だとは思っていたが、逆に気を遣われるとはな……。それだけ、彼女も成長していると言うことか。
子供の成長は早いと言うが、お姉ちゃんになるんだって張り切っていた頃の彼女を思うと、感慨深いものがある。
「美嘉ちゃん?」
「ありがとう……ありがとね。みりあちゃん……」
「なんだかよくわからないけど、大丈夫だよ。大丈夫」
みりあをそっと抱きしめ、涙を浮かべながら何度も何度も感謝を口にする美嘉。
そんな美嘉の背中を優しく撫でるみりあの姿が、俺の心に印象深く残るのだった。
◆
「家まで送って頂いて、ありがとうございました」
「いや、こちらこそ助かったよ。じゃあ、俺はみりあちゃんを家まで送っていくから――」
「あの!」
「ん?」
後部座席で寝息を立てるみりあを送り届けるため、車を発進させようとした、その時。
美嘉に呼び止められて、俺は顔を上げる。
「今度のライブ、絶対に成功させます。だから見守っていてください! 最高のステージにしてみせますから!」
呆気に取られる。
急に何を言いだすかと思えば……だが、察することは出来た。
今日一日どこか様子がおかしかったのは、ずっとライブのことを考えていたんだな。
美嘉のように大舞台を経験したことのあるトップアイドルでも、緊張の一つや二つはするものだ。
カルティアもそう、俺だって他人のことは言えないからな。いつだって不安で胸は一杯だ。
それでも前を向いて進めるのは――
「ああ、良いステージにしよう。俺たち、皆の力で」
「……はい!」
頼れる仲間が、信頼できる仲間がいるからだ。
そして、だからこそ――
(守らないとな。何があろうと絶対に……)
そんな彼女たちの夢を踏みにじろうとする者たちを、俺は許すつもりはなかった。
◆
「ただいまー」
「お帰り、お姉ちゃん!」
玄関の扉を開けると、いつものように莉嘉が出迎えてくれた。
「何か良いことあった?」
「え……」
「なんか嬉しそうだから、良いことでもあったのかなーって。あっ! もしかして美味しいもの食べてきたとか!?」
お姉ちゃんだけずるい! と叫ぶ莉嘉を見て、思わず笑みが溢れる。
でも、アタシはそんな莉嘉が嫌いじゃなかった。
ちょっと生意気で気侭なところはあるけど、それでも可愛い妹であることに変わりはないからだ。
「良いことあったよ。アンタが想像してるようなことじゃないけどねー」
「やっぱりあったんだ。なになに? ご飯じゃないとしたら――」
「内緒」
「ええー!」
同じように妹がいるから分かり合えることもある。
きっと、みりあちゃんも今は必死に我慢して、お姉ちゃんになろうと努力しているのだろう。
だからアタシも負けてられない。
アイドルだけでなく、お姉ちゃんとしても、アタシの方がずっと先輩なんだから――
「今度のステージ、アンタもでるんでしょ?」
「うん。あっ、もしかしてお仕事の話?」
嬉しそうに何があったのかを聞いてくる莉嘉に、アタシは「当日のお楽しみ」と言って返す。
そして、まだ少し納得していない様子の莉嘉にアタシは、
「頑張んなさいよ。なんたってアンタは――カリスマギャル、城ヶ崎美嘉の妹なんだから!」
そう言って、エールを送るのだった。
◆
「クリスマスの飾り付けね。組織のトップがするような仕事じゃないと思うけど?」
「皆、忙しいからな。出来る人間が出来ることをやる。手が空いてるから勝手にやってるだけさ」
「そういうことにしておきましょうか。相変わらず食えない男よね。アンタって」
そういうことも何も、嘘は何も言ってないんだが……。
年越しライブに向けて準備は佳境に入っていて、暇な人間は一人としていない。俺を除いて。
組織のトップが一番暇というのもどうかと思うのだが、俺が下手に気を利かせても余計な仕事を増やすだけだしな。
とはいえ、皆が忙しく働いているのに俺一人なにもしないというのは気が引ける。
なら自分に出来ることは何かないかと考えた時、こうした雑務くらいしか思いつくことがなかっただけの話だった。
それに、こうした作業は嫌いじゃない。
効率ばかりを求めて仕事するよりは、どうせなら楽しでやった方が良い仕事が出来るというのが俺の持論だ。
事務所が綺麗に飾られていると、やっぱり華やかな気持ちになるしな。
忙しい時こそ、大きなミスを犯さないためにも、心に余裕を持つことが大切だ。
まあ、目の前の彼女には釈迦に説法だとは思うけど――
ミロン・ファム。宇宙のことや、こちらの事情を知る地球人の一人だ。
正確には、三年前に盤上島で開かれたゲームを見届けるため、地球側から派遣された監視者。それが彼女だった。
アメリカの最高学府を十二歳で卒業した天才で、実は志希の両親とも面識がある。
そんな彼女がここにいるのは、タコの件が関係していた。
「大統領からよ。正直、何をしたの? あんな風に泣きつかれたのは盤上島の一件以来よ……」
ミロンから手渡されたファイルに目を通すと、そこには今回の件に関わっていると思しき組織のリストがまとめられていた。
大体は予想通りの名前が挙がっている。うちにも以前ちょっかいを掛けてきた連中だけに覚えがあった。
こんなリストを態々ミロンに持たせたと言うことは、自分たちは今回の件に関与していないと身の潔白を証明したいのだろう。
とはいえ、
「俺が何かをしたってわけじゃないだけどな……」
「そうは言っても、どうせあの二人が関わってるんでしょ?」
そこは否定できない。林檎や水穂のことだ。
折角、用意してくれた大統領には悪いが、この程度の情報は既に把握しているだろう。
「なら一緒よ。むしろ、わかってて放し飼いにしてるんだから、たちが悪い」
酷い言われようだった。いや、でもな。あの二人を俺が止められると思うか?
無理だ。『瀬戸の盾』や『鬼姫の金庫番』と恐れられる二人に対して、どうこう言えるような立場に俺はない。
正直、商会の運営だって俺一人の力ではどうしようもないしな。あの二人がいてくれるから、どうにかやれているようなものだ。
名目上は組織のトップでも、実務的には一番弱い。それが俺の置かれている立場だった。
まあ、それで特に不満があるわけでもないんだけど。実際、あの二人が凄いのはわかってることだしな。
出来ないことにあれこれと口を挟むよりは、出来る人間に任せた方が上手く行く。俺は俺に出来ることをやるだけだ。
「それでも感謝はしてるわ。少なくとも地球人に目を向けてくれたという点ではね」
その感謝の言葉を何度耳にしただろうか? 俺と顔を合わせる度に、ミロンが口にしていることだ。
以前の話だが彼女は、救える命がある。問題を解決できる力があるのに、それを為さないのは傲慢じゃないかと南田――西南に迫ったことがあるそうだ。
しかし西南の答えは、ミロンの望むようなものではなかった。
当然だ。地球出身とは言っても、西南はギャラクシーポリスに所属する組織の人間だ。法を犯すような答えを口に出来るはずもない。
それに例え宇宙のテクノロジーを与えたところで、根本的な解決にはならないという西南の主張も間違ったものではなかった。
何より、その技術が新たな火種となって争いを生む可能性は否定できない。実際、うちも幾度となく襲われているしな。
ただ、俺の考えは少し西南と違っていた。
「一足飛びで得られる技術が良いとは俺も思わないよ。ただ、どんな綺麗事を並べたって技術は技術だ。結局は使う者次第でしかない。勿論、無造作に危険なものを作って、なんでも野に放つのはどうかと思うけどな。自分が作った物には最後まで責任を持つ。それが哲学士の考えだ」
「……だから商会を作ったの?」
「ただ無責任に放り出すような真似だけはしたくなかった。それだけさ」
俺も別に銀河法を軽く見ているわけではない。西南の言っていることだって間違っているとは思わない。
ただ、地球の人たちだって知らなければ、妙な欲をかくことはなかった。希望を抱くこともなかった。
餌をちらつかせ、場を引っ掻き回すだけ引っ掻き回しておいて、何も教えない。何もしないのでは彼等も納得が行かないだろう。
地球人のためだ。初期文明の保護がどうのと綺麗事を並べていても、真実から遠ざけて蚊帳の外に置いている時点で、結局それは地球を下に見ているのと同じだ。
商会が窓口の役目を担うと同時に、銀河法にギリギリ抵触しない範囲で技術の発達を促す方針を示しているのは、そうした地球の人々の不満を抑える狙いがあってのことだ。
柾木家の家訓に『自分のケツは自分で拭け』と言うものがあるように、哲学士にも自分の発明には責任を持てという教えがある。
同じことが、地球をこんな風にした樹雷や連盟にも言えるんじゃないかというのが、俺の考えだった。
「立場の違い、かしらね。でも、改めて御礼を言うわ。ありがとう、太老」
そう言って、ミロンは少し寂しげな表情を浮かべながら微笑むのだった。
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