「メンカタメヤサイダブルニンニクアブラマシマシ」
そうして呪文を唱えること十分。
カウンターに置かれた一杯のラーメンに視線が集まる中、俺はゆっくりと丼へ箸を伸ばす。
「お、こいつはなかなか」
麺やスープが見えないほど山積みされたモヤシの山。
食の細い人であれば見るだけで胸焼けを起こしそうなラーメンだが、濃いめに味付けされたモヤシと野菜が後を引く感じで、なかなか美味い。
薄味が好みの人には合わないかもしれないが、若者を中心に支持を集めているというのも頷ける味とボリュームだった。
(オススメと言うだけのことはあるな)
隣をチラリと覗くと、俺と同じ山盛りラーメンを黙々と食す銀髪美女の姿があった。
――四条貴音。『銀色の王女』の二つ名で知られる765プロのアイドルだ。
実はここ、彼女のお気に入りの店の一つらしい。番組のグルメコーナーで訪れた時に知って、何度も通っているのだとか。
以前約束していたこともあって『なんでも好きなだけ食わせてやる』と言ったところ連れて来られたのが、この店だったと言う訳だ。
「美味しゅうございました」
それから数分。あっさりと完食し、手を合わせる貴音の姿に注目が集まる。
さすが貴音ちゃん! その食いっぷりに惚れる! 俺たちの大食いアイドル!
というギャラリーの声が聞こえてくる辺り、どれだけこの店に通っているかが窺えるというものだ。
いや、デカ盛りメニューを平らげていく謎の銀髪美女が全国に出没するという噂を耳にしたことがあるので、その界隈では有名なのだろう。
以前、大食い企画の番組に出演した時、顔色一つ変えずに用意された料理を食べ尽くし、他の選手を圧倒したという話も聞いてるしな……。
ギャップ萌えと言う奴だろうか?
美少女とデカ盛りラーメン。これほどイメージの合わない絵柄は他にないだろうしな。
ちなみに俺の方も完食済みだ。余り目立ってないけど……。
とはいえ、さすがの俺もちょっと胃が重い。
腹の方はまだ余裕はあるが、このボリュームでこの味付けだとな。
さすがの貴音も、もう――
「では、次の店へ参りましょう」
「……え?」
どうやら俺の認識は甘かったらしい。
◆
確かに好きなだけ食わせてやるとは言ったが、まさかあの後、店を六軒も梯子することになるとは思ってもいなかった。
ラーメンに始まり、寿司にパスタに鉄板焼き……油物と炭水化物の取り過ぎで思い出すだけで胸焼けする。
俺自身よく食べる方だという自覚はあったが、貴音のそれは度を超えていた。
まさにブラックホール。この細い身体のどこに入るのか、不思議なくらいだ。
「次は、どこへ参りましょうか?」
「まだ食う気か!?」
耳を疑うような言葉を貴音の口から聞き、思わずツッコミが飛び出す。
幾らなんでも食い過ぎだ。
アイドルとしてどうなんだと問い質す前に、腹を壊さないかと心配になる。
まあ、この様子を見る限りでは大丈夫なんだろうけど……本当にどうなってるんだ?
というか、これ以上付き合ったら、俺の方が先に体調を崩す。正直もう何も食い物は見たくない。
「また付き合ってやるから、今日はこのくらいにしとけ」
「そうですか……少し残念ではありますが、腹は八分目くらいが丁度良いとも言いますしね」
あれで腹八分目って……。普段どんな食生活を送ってるのか不思議になる。
アイドルの給料の大半は、食費に消えてるんじゃないだろうか?
そもそも、なんでこんなことになってるんだっけ……。
丁度、昼時だったので食事を奢ってやると言ったのは確かだけど、そもそも尋ねてきたのは貴音が先で――
「……俺になんか用があったんじゃないのか?」
「あ、忘れておりました」
「おい」
既に日は傾き、時刻は夕方の五時を回っている。
軽く昼食を取りながら話を聞くつもりが、いつの間にか胃袋の限界に挑む大食いツアーに目的が変わっていた。
食欲に釣られて忘れるくらいだから、たいした用事ではないのだろうと思っていたら、
「ライブのチケットを融通して頂けないかと」
「それって年越しライブの?」
「はい」
ライブのチケットが欲しいと言われて、俺は首を傾げる。
既に市場に出回っているチケットはすべて完売済みだ。
そう言う意味では確かに稀少だが、まったく手に入らないと言う訳じゃない。
俺も関係者用のチケットは何枚か所持しているしな。それを貴音もわかっていて頼んでいるのだろう。
正直、俺が持っていても使い道のないものだし、譲ること自体は問題がない。だが気になることがあった。
「別に構わないけど、急にどうしたんだ? 確か年末年始は帰省するとか言ってただろ?」
「そのつもりだったのですが、こちらへ姉様が来るそうなので……」
「アオイさんが?」
アオイ・シジョウ。正確には姉ではなく、貴音の叔母に当たる人物だ。
とある国に仕える軍人で、以前は俺の護衛をしてもらっていたことがある。
腕の立つ優秀な人物なのだが、同じ隊に所属する幼馴染みの隊長が性格に難があり、苦労性なんだよな。
分かり易く例えるなら、鬼姫に対する水穂や林檎みたいなものか。その所為で婚期を逃しているという話でもあるし……。
しかし、彼女が来るのか。だとしたら、もしかして――
「ご安心を……こちらへいらっしゃるのは、アオイ姉様だけです」
俺の不安を察して、そう答える貴音。ほっと安堵の息が漏れる。
あの戦闘狂≠ヘ一緒じゃないらしい。
さすがにタコの件だけでも頭が痛いのに、これ以上トラブルの種が増えるのは勘弁願いたい。
「となると、必要なチケットは二枚か。それなら俺のをやるよ」
「助かります。ですが、お願いしておいてこう言うのなんですが、よろしいのですか?」
「チケットを渡すような相手もいないしな。周りは関係者ばっかりだし……」
俺が個人的に声を掛ける相手なんて限られている。ましてやアイドルのライブに興味がありそうな人物となると、更に対象は少なくなる。
母さんは実験都市に本店を構えるオーガニック洋菓子店のオーナーだし、マッドに至っては俺と同様に都市の設計に深く関わってるしな。態々チケットを渡さずとも自由に都市への出入りが可能だ。
あとは柾木家の人たちだが、毎年この時期は村で開かれる行事に参加しているので、年末年始にこっちへ出て来るのは難しい。神社もあるしな。祭と言うほどのものではないが、祭事の後には宴会の席が設けられている村一番のイベントだ。俺も子供の頃は毎年参加していた。小さな村だけにイベントと言うと、そのくらいしかないから村の人たちも楽しみにしている。
マリアやラシャラも立場上、国の催しに参加しないわけにはいかないし、他の面子も似たようなものだ。
他に暇をしているとすれば――
(そういや、ドールの奴……最近、連絡がないな)
貴音を見ながら、もう一人の腹ペコ姫を思い浮かべる。
剣士やフローラの手伝いをしているとの話は聞いているが、今頃どうしているのやら……。
この前、あっちの世界へ行った時にはタイミングが合わず、会えず終いだったしな。
「……何か?」
「いや、ドールの奴、今頃どうしてるのかなと思ってな」
「ドールさんですか? 彼女なら……」
――そこに。
と、呟く貴音の指先を視線で追うと、黒を基調としたシックな装いの少女が噴水前のベンチに腰掛けてきた。
透き通るようなサラサラとしたエメラルドグリーンの髪に、少女と見紛う小柄な体型。他人を寄せ付けない刺々しくもミステリアスな雰囲気。
遠目であっても見間違えるはずもない、ドールだ。
あいつ、こんなところで何してるんだ……。
いや、両手に持ったクレープと、ベンチの傍らに置かれたタコ焼きの空箱を見れば聞くまでもないか。
「……?」
ようやく気付いた様子で、こちらに視線を向けるドール。
鳩が豆鉄砲を食ったような表情を見ればわかる。
こんなところで顔を合わせるとは、あちらも思ってはいなかったのだろう。
気付かれたのであれば仕方がない。やれやれと言った様子で首に手を当てながら、俺はドールに近づくと声を掛ける。
「……久し振りだな」
「あ、うん」
そして、なんとも言えない空気が俺たちの間に漂うのだった。
◆
「いつ、こっちにきたんだ?」
「今朝早く?」
「なら、なんで連絡の一つも寄越さない……」
と尋ねるが、口元についたクリームを見れば、その答えは一目瞭然だ。
恐らく真っ直ぐ商会へは向かわず、食べ歩きに夢中になっていたのだろう。
口元を拭うように言ってハンカチを差し出すと、俺はふと嫌な予感を覚え、ドールに尋ねる。
「まさか、マリアたちもきてたりとかは……」
「きてないわよ。こっちへ来られないと知って悔しがってたけどね」
よかった来てないのか……。マリアたちを嫌っているわけではないが、出来るだけトラブルの種は避けたい。
最近、あっちに余り行ってないから、顔を合わせづらいというのもあるのだが……。
実験都市のこともあって地球に生活の拠点を置いていることから、あっちには数ヶ月に一度、様子を見に帰るくらいだ。
そのため、領地のことや連合の件とか任せきりの状態だから、負い目を感じてはいるんだよな。
そのうち、まとめて借りを返さないといけなくなりそうだが、いまはこちらに意識を集中したい。
まあ、マリアが来られないというのは、やはりそれだけ忙しいのだろう。
まてよ? なら、なんでドールはこっちに?
「よくこっちへ来られたな?」
「聞いてないの? 水穂から実働部隊に召集が掛かってるって」
「……召集?」
「海賊の件よ。狙われてるんでしょ?」
そのことかと、納得する。
こちらに連れてきている人員だけでは、確かに人手が足りていないのは事実だ。
水穂があちらの世界に連絡を取り、実働部隊に召集を掛けたのも頷ける話だった。
「……もしかして、アオイさんがこっちへ来るのも?」
「想像通りよ。かなり警戒しているみたいだけど、そんなに厄介な相手なの?」
「厄介と言うか、面倒な相手だな。海賊だけなら問題はないんだが、今回の相手には哲学士がいる。アカデミーの歴史で数本の指に入る天才が……」
目を瞠り、驚きを顕にするドール。正直、タコを褒めるようなことは言いたくないが、下手なことを言って油断されても困る。
性格はともかく能力だけなら、アカデミーの歴史のなかでも屈指の頭脳を持つ天才だからな。あのタコは……。
鷲羽が飛び抜けているだけで、最高峰の哲学士の一人だ。同じ哲学士とは言っても、もぐりの俺と違って実績や能力も上と考えていい。
尋ねられて改めて振り返ると、以前はどうにかなったが正面切って争うなら、これほど面倒な相手はいないことに気付く。
鷲羽ほどではないとは言っても、アイリクラスの哲学士を相手にするようなものだ。いや、経験という面で老猾さではタコの方が上だろう。
水穂が警戒するのも頷ける。万全を期したとしても油断の出来ない相手だ。しかし、それでも――
(あのタコの好きにさせてたまるか)
負けるつもりはなかった。何を企んでいようが、タコの思い通りにさせるつもりもない。
そうして考え込んでいると妙に静かなことに気付き、視線を向けると先程までいた場所にドールの姿がなかった。
どこに行ったのかと気配を探りながら、周囲を見渡す。すると、
「お前等なにして――」
「冬の幸と言えば、定番はカニ。こちらの店ではカニの食べ放題が味わえるそうです」
「カニ!? 食べ放題!」
「一緒に参りますか? わたくしも小腹が空いてきた頃ですし」
「いいわね。私たちでその店のカニを食べ尽くしてやりましょ!」
ガイドブックを片手に食べ物の話題で盛り上がるドールと貴音の姿があった。
食べ放題の店でカニを食べ尽くすとか……不穏なことを口走っている。
店を潰す気か。この二人なら実際に出来かねないだけに洒落になってない。
こりゃ、ダメだな。意識が完全に食い物の方に向いている。
巻き込まれる前に退散するのが吉か。さすがに俺もこれ以上は――
ガシリ! ガシ? え、両脇から腕を掴まれて、ちょっ!
「ちょっと待て、俺は行くなんて一言も!?」
「では、参りましょうか」
「デザートはこのパンケーキの店ね。さすが異世界人の国よね。魅惑的な食べ物が一杯」
「お前等、人の話を聞けええええッ!」
この日、大食いの歴史に新たな伝説が刻まれることになるのだが、俺はそんなことを知る由もなかった。
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