『謎の発光現象に関する続報が入りました。NASAの発表によると――』

 テレビで流れるニュースを見ながら、林檎は溜め息を一つ溢す。
 アルテミスが行使した光鷹翼の影響は、地球にも思わぬ影響を与えていた。
 天を覆い尽くす巨大な羽のようにも見える真っ白な光が、世界中で確認されたからだ。
 テレビやネットでは、この謎の発光現象の正体を巡って様々な論争が交わされていた。
 オーロラの一種ではないかと言った常識的な意見もあれば、世界の終末を囁く者まで現れる始末。
 なかには実験都市の秘密兵器ではないかと、ある意味で的を射たコメントまでネット上の掲示板には寄せられていた。

「感謝します。ミス・ミロン」
『いいわよ。あなたたちには借りがあるし――』

 そんな騒ぎを抑えるために林檎が取った方法。
 それは通信の向こうの人物、ミロン・ファムに協力を仰ぐことだった。
 盤上島の一件でミロン自身にもそうだが、彼女の祖国には大きな貸し≠ェある。
 彼の国にしても実験都市の研究に加わるためにも、正木商会との関係は修復しておきたい。
 それぞれの思惑が一致した結果でもあった。

『大統領だって、あの国≠フ二の舞にはなりたくはないでしょうしね』

 世界中が注目する発光現象の裏で、アルテミスと双蛇の戦いの余波で幾つもの衛星が破壊され、地球へと落下した隕石の一部がとある国≠フ施設に的を絞ったかのようにピンポイントで落下するという事件が起きていた。しかもそれがアランに協力し、実験都市を襲った工作員の背後にいる国となれば、正木商会の関与をミロンが疑うのも無理はない。
 とはいえ存在しないはずの研究施設≠セ。軍事衛星が破壊された件も含め、表沙汰にすることは出来ないだろう。
 だが、そんなミロンの言葉に、林檎は曖昧な笑みを浮かべて返す。
 実際、報復を考えていたことは確かだが、この件に彼女は関わっていなかった。
 となれば――

(善意には善意を、悪意には悪意を――)

 太老が関わっていると、林檎は確信する。
 太老に敵意を向け、無事だった者はこれまでに一人としていない。
 ましてや正木商会の人間だけでなく、891や346に所属するアイドルを狙ったのは致命的だった。

 ――鬼の寵児。

 この名を聞けば、震え上がる者も少なくない。
 太老は義理堅く情に熱い男ではあるが、敵と認識した相手には一切の容赦がない。
 その容赦のなさや苛烈さは海賊たちに恐れられるほどで、鬼姫に通じるところがあると林檎は考えていた。

(地球の方は、これでどうにか……でも、問題は……)

 まだもう一つ大きな問題が残っていると、林檎はまた一つ大きな溜め息を溢す。
 アルテミスと双蛇の戦いは地球だけでなく銀河全域に中継されていた。
 表向きは891プロの名を売るのが目的だが、実際には地球に十分な防衛戦力があることを銀河中の勢力に示すのが目的だったのだ。
 Dr.クレーや海賊たちは、そのために行動を黙認され、利用されたと言っていい。
 この計画には正木商会も一枚噛んではいるが、実際の筋書きを描いたのは瀬戸であることに林檎も気付いていた。
 互いの思惑に気付きながらも、それが太老のためになるならと、それぞれが黙認したのだ。
 効果は覿面だったと言っていい。いや、それ以上の結果をもたらしてしまった。

 地球を守るように展開された五枚の光鷹翼。
 あの光景を見て真っ先に頭を過ぎるのは、太老が『神子』や『鬼の寵児』と呼ばれるようになったあの事件≠セろう。
 それに光鷹翼を纏う巨人の存在は、簾座にとって特別な意味を持つ。
 それでなくとも神武のマスターである山田西南が生まれ育った星として地球は有名なのだ。
 簾座の人々が地球を特別視し、アイライのように聖地≠ニ崇める動きがあることを林檎は掴んでいた。
 今回の件は、その動きに拍車を掛けることは間違いない。
 余計なちょっかいを地球に掛けてくる者は減るかもしれないが、それ以外の問題が増えることは確実と言えた。

(……計画の修正が必要ですね)

 地球の科学力では銀河連盟に参加するための条件を満たすには、まだ数百年は掛かると思われていたが、その動きが加速する可能性が高くなったと林檎は考える。
 銀河法にも抜け道や例外はある。
 アイライだけでなく簾座に地球との接触の許可を求められれば、銀河連盟も譲歩をせざるは得なくなるだろう。
 その流れの中心にいるのが太老だ。そして、この動きはもう誰にも止められない。
 これから起きるであろう問題に備えるため、林檎は奔走することになるのだった。


  ◆


「濡れ衣だ! 儂はやってない! これは全部あの男の陰謀だ――」

 捕縛用のジェルで全身を拘束され、メイドに連れて行かれるクレーを水穂はなんとも言えない表情で見送る。
 クレーが実行犯の一人であることは間違いないのだが、真の黒幕が誰であるかを水穂は知っている。
 しかし状況証拠と双蛇に残されていた物的証拠は、すべてクレーが犯人であることを示していた。
 恒星間移動技術を持たない初期段階の惑星への攻撃は重罪だ。
 双蛇が地球を狙って主砲を放ったことは、ネット中継で銀河中の人々が目にしているし、言い逃れは難しい。
 クレーに双蛇を与え、手引きした軍の関係者は、今回の騒ぎに連動して全員が拘束されている。
 もはや罰金を払えば済むという話ではない。刑期を終えるまでは、クレーがでてくることはないだろう。

「水穂様が気にされる必要はないかと。すべて因果応報ですし」
「わかってはいるのだけどね……」

 舞貴妃の言うように、クレーがこれまでにやってきたことを考えれば自業自得だ。
 そのことは水穂も理解しているのだが、

(悩みは、それだけじゃないのよね……)

 アランは西南に引き渡すことで、GPでの再教育と罪を償わせることが決まっている。捕縛した海賊たちも同様の対応でいいだろう。残りは自首してきたパルティーの母親のことだが、彼女には遺伝子使用法違反、人権保護法違反、殺人の三つの容疑が掛けられている。しかし今回の事件で捜査に一番協力的なのは彼女だった。
 一度は復讐に心を囚われた彼女だが、アルテミスの絶大な力を目の当たりにして完全に心が折れたのだろう。双蛇から見つかったデータと同様、彼女の証言も重要な証拠として扱われる。そうなれば完全に罪をなかったことには出来ないが減刑は期待できる。盤上島の一件の後もずっと母親のことを気に掛けていた娘のパルティーも、これで少しは安心できるだろう。
 しかし、ここまでは予想できたことだ。
 零式の暴走というイレギュラーはあったが、この際そのことには目を瞑るつもりで水穂はいた。
 アルテミスが目立つことで地球の戦力を誇示しつつ、天地たちのことを隠せたのは不幸中の幸いだったと言えるのだから――
 正木の村が持つ役割は、これから少しずつ変わっていくだろう。
 だが、しかし――

(あの子たちのなかに皇家の樹≠フマスターが生まれるなんて……)

 もしかしたらという予感はあった。しかし志希から送られてきたレポートに水穂は頭を抱える。
 フレデリカが〈皇家の樹〉のマスターになったという事実は重い意味を持つ。
 地球人から〈皇家の樹〉のマスターが誕生するのは樹雷第一皇妃の船穂、山田西南、駆駒将に続き四人目だ。
 しかもフレデリカの他にも、適性を持つ者が数人いると志希のレポートには記されていた。
 フレデリカは891への移籍が決まっているが、その適性を持つという人物のなかには346のアイドルもいる。
 この先もフレデリカのような例が現れないとは限らない。いや、太老が絡んでいる以上、同じようなことは間違いなく起きるだろう。

(……まさか、最初からそのつもりで太老くんに〈皇家の樹〉を預けた?)

 表向きは実験ということになっているが、瀬戸の思惑は他にあるのではないかと水穂は以前から考えていた。
 駆駒将が〈皇家の樹〉のマスターとなったのも、瀬戸の企みが原因を担っていると言っていい。
 最初は彼等を目立たせることで、地球から目を逸らさせるのが狙いだと思っていたが、それなら太老の行動を黙認している理由に説明が付かない。
 本人の意思に関係無く、世間の注目を集めるのが正木太老だ。
 だとすれば――

(地球を――第二の樹雷にするのが狙い?)

 現在、銀河連盟は世二我と樹雷が勢力を二分している。
 ここにもし両陣営と渡り合える戦力と影響力を持つ組織が加われば、勢力図は大きく変わることになるだろう。
 その先に待ち受けているのは――

「嵐が来るわね」

 嘗て無い嵐の訪れを、水穂は感じ取っていた。


  ◆


 実験都市で初めて開かれた891と346の合同ステージは、多少のハプニングはあったものの盛況のまま幕を閉じた。
 イベントの最後を飾ったカルティアのステージは前評判通りの注目の高さだったが、やはり観客の心を最も多く掴んだのは菜々とアルテミスだったと言えるだろう。
 確かな手応えを感じ――

「え? 銀河連盟から招待状が届いてる? ナナにですか?」
「ああ……嘘からでた誠というか、ウサミン星……実在したみたいでな」
「……へ?」

 戦いを終えて実験都市に戻ってみれば、格納庫で待っていた太老にそんな話を聞かされて、菜々は戸惑いを隠せない表情を見せる。
 正確には、ウサミン星という名前の惑星は存在しない。しかし犬の姿をした宇宙人がいるように、この宇宙にはウサギの耳と尻尾を有したヒューマン型宇宙人が存在する。
 そして、いまから四千年ほど前に彼等の住んでいた星が、巨大隕石の衝突によって消滅していたことがわかったのだ。
 イベントで楓が語った菜々の経歴は、地球だけでなく銀河全域に中継されていた。
 そこから惑星消滅の原因が再び調査されることになり、現在その犯人としてクレーが疑われているのだった。

「惑星は消滅したが、難を逃れた人たちの子孫がいるみたいでな。王女が生きていたと聞いて、是非お目通り願いたいと……」
「な、なななな……!?」

 驚きの余り、壊れた機械のようにぎこちない動きを見せる菜々。
 今回の件は、太老もまったく予想していなかったことで困った顔を浮かべながら話す。

「ど、どうしてくれるんですか!?」
「いや、どうするも何も……」

 今更、嘘でしたとは言えない。
 相手は王女が生きていたことを、心の底から喜んでいるのだ。
 GPも菜々との間を取り持つことで美談を強調し、軍の不正や海賊たちを逃がした信頼を取り戻そうと必死だ。
 となれば、取れる選択肢は少ない。

「頑張れ、王女様」

 そう言って太老に肩を叩かれ、菜々は顔を青く染めるのだった。


  ◆


 そして――

「ううっ……元気だしてください」

 涙ぐみながら、菜々を慰める少女――佐々木千枝。
 どうしようと頭を抱えながら打ち上げ会場に足を運んだ菜々は、嘗て無いピンチを迎えていた。
 イベント会場で流された菜々の過去のエピソードを完全に信じ切った純真無垢な少女たちが、菜々を元気づけようと集まってきたからだ。

「そんな悲しい過去があったなんて知らずに、千枝は……」
「む、昔の話ですから……」
「……強いんですね」
(会長さん、恨みますよ! ナナ、罪悪感で死んじゃいます!?)

 半ば自業自得と言えば自業自得なのだが、少女たちの夢を壊すわけにもいかず菜々は葛藤する。
 そんななか菜々だけでなく、別の場所で危機的状況を迎えている人物がもう一人いた。
 そう、太老だ。

「私たちをこんな身体≠ノした責任≠取ってください!」

 大勢の前で頬を赤くした涙目のありすに迫られ、注目を浴びる太老。
 そんなありすの後ろで、あたふたと困った顔を浮かべる文香。
 身体!? 責任!? と妄想を拗らせ、太老に説明を求める美嘉。
 状況は混沌の一途を辿っていく。

「平和だねぇ」
「周子は混ざらなくていいの?」
「……なんで、そんなことを聞くの?」
「だって、ついさっき周子のご両親が『うちの娘をよろしくお願いします』と会長さんに挨拶してたから」
「うちのおらん間に、なにしとるん!?」

 知りたくもなかった両親の話を奏から聞かされ、我を忘れて声を上げる周子。
 だが、太老がどう答えたのかが気になったのか?

「ち、ちなみに会長さんはなんて?」
「『娘さんのことは任せてください』と返事をしてたわ」

 奏に尋ね、顔を赤くする。
 勿論アイドルとしてという意味なのだが、敢えて奏は補足するつもりはなかった。
 美嘉の恋は応援しているが、周子にも友達として幸せになって欲しい。
 それに――

(その方が面白そうだし)

 本音が少し漏れる。

「……ありすちゃん、なんか様子がおかしくないか?」
「誤魔化さないでください。私は至って冷静です」

 そう言いながらも頬を染め、どこか様子のおかしいありすを心配する太老。
 やっぱり体調が悪いんじゃ……と考え、ありすを部屋で休ませようと心に決めた、その時だった。

「あっ、先生! あたしのジュース£mらない?」
「ジュース?」

 志希に奇妙なことを尋ねられ、首を傾げながら尋ね返す太老。

「そそ。研究中の薬を神樹の実で割った特製ジュースなんだけど、テーブルの上においてあったのが見当たらなくて……」
「研究中の薬って……そんな怪しげなものを、そのあたりに放置するなよ」
「あ、それ――」

 テーブルの上に置かれた瓶を指さして、声を上げる志希。
 それは志希が探していたジュースの空き瓶だった。
 まさか……と何かに気付いた様子で、自分の手にある飲み干したグラスを一瞥して、太老は志希に尋ねる。

「正直に話せ。お前、ジュースに何≠入れた?」
「す、素直になれる薬?」
「具体的には?」
「……惚れ薬?」

 なんとも言えない沈黙が場を支配する。

「……責任を取ってくれるまで離れません」
「ア、アタシだって、太老さんが望むなら……」

 そして、うっとりとした表情で太老の腰に抱きつくありす。
 対抗するように太老の腕に自分の腕を絡ませ、胸を押し当てる美嘉。
 よく観察してみれば、もじもじと顔を赤らませ文香もどこか様子がおかしい。

「なんてもの作ってるんだ! お前は!?」
「大丈夫、大丈夫。好意がまったくない相手には効果がないから……って、なんか、あたしもドキドキしてきたかも」
「――!?」

 本能的な危機を察知して、ありすと美嘉を強引に剥がすと、太老は一目散に逃げる。
 だがそんな太老の動きを予測して、白衣の内ポケットから取り出した銃を発射する志希。

「きゃっ!? なによ、これ!?」
「うえー。べたべたします」
「べたべたなだけにべたべた≠ネ展開ですね」
「楓ちゃん……」

 散布された捕獲用ジェルを頭から被った早苗と裕子を見て、いつもの調子でダジャレを披露する楓。
 そんな楓に呆れた様子で、溜め息を漏らす瑞樹。その間も太老の逃走劇は続く。
 そして――会場の出入り口に立ち塞がる小さな影。

「……桃華ちゃん?」

 それは桃華だった。
 まさか、桃華を押し退けて扉を開くわけにはいかず、太老は恐る恐ると言った様子で声を掛ける。

「わたくしのことは『ママ』と呼んでください!」
「こっちもダメだった!?」

 収まりの付かない事態に、太老は必死に逃げ回る。
 しかし時間の経過と共に追手の数が増えて行き、段々と逃げ道を塞がれていく。

「ふ、振り切れない! な、なんで――」

 合同合宿や特製ドリンクで強化された彼女たちの体力が、既に常人の域を超えていることに太老は気付いていなかった。


  ◆


「あ、流れ星」

 宴会場となっているホテルのバルコニーから、マロと一緒に夜空を眺めるフレデリカ。

「綺麗だねー」

 そんなフレデリカの言葉に相槌を打つように、マロは手すりの上で身体を震わせる。
 ゆったりとした時間が流れて行く。
 そんななか――

「今日は皆を守ってくれて、ありがとうね。これは御礼」

 フレデリカはマロの頬に、優しく触れるような口付けをするのだった。



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