「わ、私がカルティアさんと同じ新プロジェクトに!?」
顔を紅潮させ、珍しく動揺を隠せない様子で驚きの声を上げる奏。
ここは346プロダクションの会議室。奏の向かいの席には、白いスーツに身を包んだカルティア・ゾケルの姿があった。
憧れのアイドルを前に緊張した様子を見せる奏の手元に差し出されたのは、一枚の企画書。それは先の実験都市でのイベント成功を糧に発足された新プロジェクトの企画書だった。
事務所の枠に囚われないアイドル活動を応援するというプロジェクト。既に346プロ、765プロ、そして891プロの他、十を超えるプロダクションが参加を表明しており、実績を問わずプロジェクトへの参加は実行委員による選出(スカウト)と春と秋に開かれる年二回のオーディションで決められるというものだ。
アイドルランク制度の導入。定期的な実験都市での公演。
これまで891プロの寡占状態にあったARステージの技術提供や、講習会なども予定されている。
上を目指すつもりなら、これ以上ないと思えるほどの環境。
――アイドルマスタープロジェクト。
それが、この企画の総称だった。
「あなたのプロデューサーには、既に話を通しているわ。それにこの企画に参加すれば、ソロ活動だけでなく今まで通り〈LiPPS〉としても活動することが出来る」
美嘉、フレデリカ、志希の移籍が正式に発表されたことで、年越しライブ以降ユニットとしての活動は半ば休止していた。
現在はソロ活動を中心に頑張っていた奏ではあったが、ユニットで共に頑張ってきた仲間のことを彼女なりに気に掛けてはいたのだ。
「そのことを他の皆は……?」
「塩見周子さんとはこれからの交渉だけど、他の三人からは既に了承を貰っているわ。悪くない話だと思うのだけど、どうする?」
確かに、カルティアの言うように奏に取って悪くない話だった。
移籍に関してはプロデューサーとのこともあって断ったが、同じユニットで頑張ってきたメンバーのことが嫌になったわけではない。
それどころか、実験都市のステージに五人で立った時の感触。あの時の手応えを奏は忘れられずにいた。
もっと上へ、更なる高みへ――
この仲間と一緒なら、自分一人では想像も出来ない場所へ辿り着けるのではないか?
そんな予感を与えてくれる素晴らしいライブだった。
だから本音で言えば、ユニットの休止は決まっていたこととはいえ、少し残念に思っていたのだ。
それに――
(カルティア・ゾケルと同じステージに立てる。いまは無理でも、いつかは……)
菜々とアルテミスに注目が集まったイベントではあったが、カルティアも決して負けてはいなかった。
息を呑むような歌唱力。見る人すべてを惹きつける存在感。
一時、舞貴妃から直接指導を受けていたカルティアのダンスは、一挙一動が美しく洗練されたものだった。
だから――
「よろしくお願いします」
奏は決断する。
奏がアイドルを目指す切っ掛けとなった人物。それが彼女――カルティア・ゾケルだ。
でも、もう憧れるだけで終わるのは嫌だ。
いつか、きっと私もあの日見た場所へ――
それは奏の中に芽生えた小さな炎だった。
◆
「え? 会長さん、いまなんて?」
「聞こえなかったのか? (いま企画しているプロジェクトに)お前が欲しいって言ったんだ」
「――ッ!???」
雪のように白い肌を赤くし、言葉にならない声を上げる周子。
突然、太老に『大切な話がある』と言って呼び出されたかと思えば、告白紛いの話をされて戸惑うのも無理はない。
更に――
「な、なんで……そ、そんなこと急に言われても……」
「急じゃないさ。親御さんからも『娘のことをよろしくお願いします』って頼まれたからな。ずっと考えてたんだ」
真剣な表情でそんなことを言われては、周子もいつものように話をはぐらかすことは出来なかった。
しかし、いままで太老のことは気心の知れた親戚のお兄さんのように思っていたのだ。
友人以上、恋人未満。好意があったのは確かだが、そんなことを真剣に考えたことはない。
第一、美嘉のことがある。
彼女の気持ちを知っているだけに、周子は素直に太老の告白を受け取ることが出来ないでいた。
「でも、美嘉ちゃんに悪いし……」
「大丈夫、美嘉も一緒だ。既に了承を取ってある」
「美嘉ちゃんも一緒!? しかも公認!?」
しかし、まさか美嘉(本妻)の公認だったとは思わず、どうしていいかわからず周子は困惑する。
それでいいのかと迷うが、太老は正木商会の会長にして発明家。世界有数の富豪だ。
十分に家族を養える経済力があるのであれば、太老くらいの金持ちなら妾の一人や二人、囲っているのは普通なのかもしれないと周子は混乱する。
金持ちに対する間違った認識ではあるが、実際の太老の立場を考えると満更まちがった解釈ではない。
それに普段は余裕を見せて周囲をからかったりする周子ではあるが、実のところ恋愛経験はなく押しに弱いという弱点があった。
「あかん、あかんよ! ふ、二人一緒なんて、そんな……」
「二人? いや、五人一緒だろ?」
「五人!? 五人一緒にって!? 会長さん、本気なん!?」
「ああ、当然だろ? 五人一緒でないと意味がないからな」
妄想の追いつかない世界の話をされ、周子の頭の回路はオーバーヒートする。
目がグルグルと回り、正常な判断が出来ない周子に太老は気付いていない様子で、一枚の紙を鞄から取りだし差し出す。
「契約書だ。事務所には既に話を通してあるから、あとは周子のサインを貰うだけなんだが……」
「契約――こ、こ……」
熱で目の焦点が定まらず、契約書を婚姻届と勘違いした周子の精神は限界を超え――
「おい、大丈夫か? なんか顔が赤いけど、もしかして熱があるんじゃ……」
「か……」
「か?」
「会長さんの女誑し!?」
「ぐはッ!?」
心配して駆け寄った太老の顔に、拳を打ち付けるのだった。
◆
「……太老くん? どうしたの、それ?」
顔に痣を作って帰ってきた太老に、訝しげな視線を向けながら尋ねる水穂。
「これを貰いに行っただけなんだが……女心はわからん」
太老から受け取った書類の束を見て、「なるほど」と水穂は何があったかをなんとなく察する。
束となった書類のなかには塩見周子の他、橘ありす、鷺沢文香の契約書もあった。
太老からすれば移籍を理由にユニットを解散させ、完全に仕事を別々としてしまうのは可哀想だ。周子の両親にも相談をされたし、どうせならこれまで通り〈LiPPS〉のメンバーで活動させてやりたい。そう考えただけなのだろうが、志希のレポートにあった適性者を一纏めにしておきたい水穂にとっても都合の良い話だった。
結果、生まれたのが『アイドルマスタープロジェクト』と言う訳だ。
太老の意見を汲み上げ、水穂が用意した企画。
それだけに自分が言いだしたことだからと、周子たちの説得を太老が引き受けたのだが、
(……別の契約書も用意しておかないとダメかもしれないわね)
太老に好意を寄せる少女たちのことを考え、水穂は今から準備を進めておこうと心を決める。
しかし、そうした行動が『太老の大奥を取り仕切る御歳奇』と揶揄される原因となっていることに水穂は気付いていなかった。
◆
「新しいお仕事、いまから楽しみだにぃ!」
「うん、そだねー」
と返事をしながらも、どこかやる気のない少女の名は双葉杏。
そして、もう一人の語尾が独特の長身の少女の名は、諸星きらり。
HappyHappyTwinという名前のユニットを二人で組んでおり、『あんきら』の愛称で親しまれている346所属のアイドルだ。
シンデレラプロジェクトでデビューした頃から何かと二人で仕事をすることが多く、今回も二人を指名の仕事が入っていた。
そう、いまアイドル業界で話題となっている実験都市の企画。アイドルマスタープロジェクトへの参加依頼だ。
しかし先にも言ったように、杏は余り乗り気ではなかった。
元より、やる気に欠ける少女ではあるが、今回特に気乗りがしない理由として――
(このメンバーって、絶対にあれ♀ヨ係だよね?)
プロジェクトへの参加が決まっている346プロのアイドルのリストを見て、杏は溜め息を漏らす。
意図を隠すように上手く印象操作してはいるが、それが正木商会が隠している秘密に関わっていると杏は気付いていた。
誰かから聞いてわけではない。正木商会に関する記事や、太老のこれまでの行動や言動から志希のように自力でその秘密に辿り着いたのだ。
杏は面倒なこと、厄介ごとを嫌う。しかし関わってしまえば、なし崩し的に巻き込まれることは確実だ。
だから自分がそのことに気付いていることを、杏は誰にも相談せず、ずっと隠してきた。
だが、遂に恐れていた時が来てしまった。
一緒に参加しない? と、志希に声を掛けられたのだ。
明らかに杏に的を絞ってきた誘い。既に相方のきらりは丸め込まれており、杏に退路はなかった。
だから、どうせバレているならと『週休八日』を条件にだしてみたのだ。
そしたら、
――うん。プロジェクトに参加してくれたら叶えてあげてもいいよ。
参加の決め手となったのは、志希のその一言だ。
まさか本当に叶えられるとは思っていなかっただけに驚かされた杏だが、いまとなってはなんでもありだと達観している。
そもそも菜々が乗っていたロボット。世間では映画の宣伝のように言われているが、杏はあれが本物≠ナあると確信していた。
同じように気付いているアイドルは、他にも何人かいるだろう。そうした少女たちは例外なく今回のプロジェクトに誘いを受けている。
あんなものを造れるのだから、時間を操作することくらい訳ないのだろうというのが杏の認識だ。いや、考えるのを放棄したと言っていい。
(ああ……だるい)
週休八日の魅力にあらがえなかったのは事実だ。
しかし一時の欲に負け、悪魔との取り引きに応じ、迂闊にも契約書を交わしてしまった。
これが、どう言う結果をもたらすのか、それを考えるだけで憂鬱になる。
逃げたい。休みたい。何も考えずに、くらげのように海を漂って流れに身を任せたい。
でも――
「杏ちゃん、一緒に頑張ろうにぃ!」
心の底から楽しみにしている相方の姿を見ると、今更やめるとは言えない杏だった。
◆
アイドルマスタープロジェクトの参加要請は、島村卯月、渋谷凛、本田未央の三人にも来ていた。
しかし三人は『ニュージェネ』としてのエントリーを断り、それぞれが参加するユニットでの参加を望んだのだ。
そして、それを最初に他の二人へ相談したのが卯月だった。
「まさか、卯月からあんな相談を受けるなんてね」
「そうそう、まあ……私たちが言えたことじゃないけど」
二年前、ちょっとしたすれ違いからユニット解散の危機を招いた原因は自分たちにあると、凛と未央は考えていた。
既に解決したこととはいえ、卯月に対して若干の負い目はまだあったのだ。
今回の話を貰った時、真っ先に頭を過ぎったのは、その当時のこと。
そのこともあって凛と未央は三人で参加するつもりでいたところに卯月から相談を受けたのだった。
最初は困惑した。しかし、
「もう、その話はやめてください……あれは私が子供だったんです」
凛と未央が自分たちの責任だと感じているように、卯月も原因は自分にあると思い悩んでいた。
そして皆が同じように責任を感じていることに気付いていたのだ。
だからこそ、
「良い機会だと思ったんです。もっと上を目指すためにも……」
ずっと一緒に頑張ってきた三人。
掛け替えの無い親友だと思っているからこそ、この関係を大切にしたい。
でも、それだけではダメなのだと気付かされたのが、二年前の事件だった。
まだ子供だったのだ。でも、あれから成長した。あの時はダメだったが、いまならきっと――
「これからはライバルだね」
「ふふん、手加減はしないから」
だから、ちゃんと伝えよう。
この関係を今のままで終わらせないために――
それは、
「島村卯月、頑張ります!」
二年越しの決意表明だった。
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