【Side:太老】
「ねえ、太老。前からずっと聞こうと思ってたんだけど、どうやって元の時代に帰るつもりなの?」
夕食後に温泉で寛いでいると、突然ドールがそんなことを尋ねてきた。
船の中に温泉があるのかって? 正確には船の中の亜空間に固定された人工惑星にある温泉だ。
宇宙は広い。一度航海に出れば長旅になることも少なくなく、狭い宇宙船での生活は閉塞感を伴う。
そのため、思いっきり身体を動かしたり、心身共にリラックス出来る空間が必要となる訳だ。
この温泉などは、皇家の船には必ずと言って良いほど存在する保養施設の一つと言っていい。
零式も様々な設備を用意するのに、どうやら〈皇家の船〉のデータを参考にしたらしかった。
建物の構造が樹雷の様式に似ているのも、その所為だろう。
で、その亜空間が銀河結界炉を取り込んだことで拡張され、出来ることが広がったと、零式は最近そっちの作業に夢中になっていた。
惑星一つ分もあれば十分だと思うんだけどな……。アイツが何を目指しているのか、時々わからなくなる。
まさか、新たに世界を創るつもりだとか? はは、まさかな。
第一世代の〈皇家の樹〉でも、惑星数個分の亜空間を固定するのがやっとと言う話だ。
始祖・津名魅であれば、それこそ宇宙そのものを内包することも出来るのだろうが――
(あ、でも銀河結界炉って宇宙の法則を書き換えるほどの力があるんだっけ……)
訪希深が胸を張って自慢するほどのものだ。
最低でも第一世代の〈皇家の樹〉に匹敵もしくは超えるほどの潜在能力を秘めていても不思議な話ではない。
実際この亜空間がどの程度の広さがあるのか、面倒で調べたことはないしな。
太陽系くらいは、すっぽりと入るくらいの広さはあると思うのだが、限界はよく分かっていない。
そんな広大な空間に今はポツンと、人工惑星が一つ浮かんでいる状態と言う訳だ。
まあ、確かに少し寂しい気もする。あれで零式の奴、誰に似たのか凝り性なところがあるからな。
「ちょっと、太老。話を聞いてるの?」
「ああ、悪い。どうやって、元の時代に帰るのかだっけ?」
「そうよ。あれから、もう十日。勢い込んで出発した割りには、こうしてダラダラと過してるだけじゃない」
「なんだ。いつもと特にやっていることは変わらないじゃないか。何が不満なんだ?」
「……太老?」
ドールにジロリと睨まれ、俺はそっと視線を逸らす。
いや、だって毎日ダラダラと過ごせる環境って、ドールにとっては理想の生活だと思うんだが……。
実際、文句を口にしている割りには、一番この生活を満喫しているのはドールだと俺は確信している。
いまも露天風呂にちゃっかりと、酒とつまみを持ち込んでるしな。
見た目が幼いだけに、どことなく犯罪的な香りがする。
「ほら、さっさと白状しなさいよ」
酔っているのか? そう言って俺の方へと近付き、身体を密着させてくるドール。
色仕掛けで話させるつもりなのだろうが、こうしたスキンシップは魎呼や美星で慣れている。
ドールのような幼児体型に反応したりなんかは――って、意外とこいつ胸があるな。
は? 胸?
「お前、湯着はどうした!?」
「え? お風呂は裸で入るものでしょ?」
「いやいや、混浴は百歩譲るとしても、湯着や水着くらいは着用するだろ!? 俺は男だぞ!」
「いいわよ。別に太老になら見られたって……」
頬を紅く染めて恥じらいながら、そう呟くドール。
どう言う意味だ? 俺に見られてもいいって?
普通に考えれば、告白とも取れるんだが……いや、早まるな正木太老。相手はあのドールだぞ。
そんな乙女チックな展開が待っているはずもない。これには、きっと何か裏があるに違いない。
大体、ドールの裸を見るのは別にこれが初めてと言う訳ではない。メザイアと分離させる時に、アストラルを入れる身体を用意したのは俺だしな。
あ、もしかして、そういうことか?
「ドール。父親と風呂に入っていいのは、小学生までだ」
「……はい?」
ドールは世間知らずなところがある。
しっかりと教育しなければと、娘を持つ親の難しさを俺はこの歳で実感するのだった。
異世界の伝道師 第330話『正しい知識』
作者 193
「太老と」
「零式の」
『なぜなに講座〜!』
このノリも久し振りだ。零式のこういうノリの良さは嫌いではない。
白衣に身を包んだ俺と零式は、日本の教室を再現したAR空間で教壇に立っていた。
生徒側の席には、ドール、メザイア、ネイザイの三人プラス――
「こんなところに連れてきて、一体なにをするつもりなのよ?」
調整を終えて出て来たばかりのアウン(幼女)の姿があった。
ちなみにユライトは現在、俺が昔使っていたベビーベッド(白眉鷲羽謹製の睡眠学習装置)でお休み中だ。
「どうやって元の時代。アウンから見れば、数千年未来の世界になるが、戻るかを説明しておこうと思ってな」
皆、気にはなっていたのだろう。俺がそう話すと、少し真剣な顔付きになる。
これまで説明しなかったのは忘れていたと言うよりは、俺や零式にとっては当たり前≠フことだからだ。
この世界。地球から異世界人を召喚するような技術がある割りには、その辺の知識が不十分なんだよな。
俺からすれば、よくわからないものをわからないまま使用するなど、バカとしか思えない。
どんなに優れた技術にも、デメリットは必ず存在する。それを知らずに使っていれば、取り返しのつかない事態を招くこともある。だからこそ、正しい知識が必要なのだ。
このメリットとデメリットを正確に認識し、適切に管理することが、哲学士に最も必要なことだと俺は鷲羽に教わった。
だから良い機会なので、彼女たちにも知ってもらおうと思ったのだ。
当たり前のように行っている異世界人の召喚儀式。これが如何に危険なものかと言うことを――
「まずは、これを見てくれ」
俺が指し棒を黒板に向けると、二つの惑星の立体映像が浮かび上がる。
片方は、地球。もう一方の惑星は、ドールたちが『ジェミナー』と呼称する彼女たちの生まれ育った世界だ。
こうして比べて見ると、地球とジェミナーはよく似ている。鏡合わせの世界と言っても良いくらいだ。
だが、そんな美しい惑星に一枚の地図を重ねると――
「黒い点のようなものが一杯。太老、これってまさか……」
ドールは気付いたみたいだな。
これこそ、俺が異世界人の召喚を問題視する最大の理由だった。
「そう、次元ホールだ。すべて異世界人の召喚によって生まれたな」
基本的に次元ホールと言うのは、放って置けば勝手に閉じるものだ。
神隠しなども、この次元ホールが原因と言われていて、自然発生することが稀にある。
だから余り気にするほどのものではないのだが、これを人為的に開くとなると話は別だった。
短い期間に何度も空間に穴を開けば、当然そこには歪みが生じる。
穴が完全に塞がる前に新たな穴を開けることで、空間が不安定になるのだ。
そうした俺の説明を聞いたメザイアが、何かに気付いた様子で尋ねてくるのを――
「それじゃあ――」
「質問は手を挙げてからお願いします」
零式が制止する。
少し呆れた顔を見せながらも零式の言うように手を挙げてから、質問をするメザイア。
「召喚の儀式に星の並びが関係していると言うのは?」
「まったく無関係とは言わないが、次元の穴が自然修復するための期間を設けるために、そんなルールを作ったんだろう。それでも十分とは言えないがな」
そう、十分とは言えない。言えないから、こんな状態になっているのだ。
最大の原因は召喚の儀式に使われている技術が、不完全なものだからと俺は考えていた。
その不完全な技術を十分な知識のない人々が、よくわからないまま使用しているのだ。
問題が生じるのも、当然と言えば当然だった。
「ちなみにこの穴を放置すると最悪の場合、空間の裂け目に呑まれて二つの世界は消滅する」
次元断層と呼ばれる現象だ。訪希深があれこれと忙しそうにしているのは、これを引き起こさせないためだったりする。
管理する世界を飛び回って、時空間の調整を行っている訳だ。
まあ、半分は自業自得のようなものなのだが……ジェミナーの件だって、訪希深がそもそもの原因だしな。
俺の話が余程ショックだったのか、暗く重苦しい雰囲気が教室の中に漂う。召喚の儀式がそんなに危険なものだという認識はなかったのだろう。
「ちょっと脅すようなことを言ったが、これに関しては気にしなくていい。時空間の調整に関しては当てあるし、これからのことについても考えてある」
ようするに不完全な状態で使っているから悪いのだ。正しい知識で運用すれば、便利な技術であることに変わりは無い。
それに地球に何かあって困るのは、訪希深も同じだ。
鷲羽や津名魅にも怒られるだろうし、必死に時空間の調整を頑張ってくれるだろう。
丸投げじゃないかだって? そもそも訪希深の管理する世界で起きたことだしな。自業自得って奴だ。
「で、元の世界に戻る方法についてだが、この次元ホールを利用するつもりだ」
最初は真面目に元の時代の座標を特定しようと思ったのだが、余りに次元ホールの数が多すぎて匙を投げた。
一つ一つ虱潰しに調査をしていたのでは、時間が幾らあっても足りないし手間が掛かりすぎる。
だから、こうして揺り戻し≠ェ起きるのを次元の狭間≠ナ待つことにしたのだと説明する。
「揺り戻し?」
「無理矢理こじ開けられた穴が、もう一度開く現象のことだ」
ポツリと口から漏れたネイザイの疑問に、俺はそう言って答える。
正確には一度とは限らないのだが、次元ホールを発生させたエネルギーの大きさによって、揺り戻しの規模は変化する。
今回、俺たちを過去の世界へ跳ばすために使用された力は、下手をすれば次元断層を引き起こしてもおかしくはない規模のものだった。
(皇歌ちゃんは、下位次元に直接干渉することは出来ないと言っていた。なら――)
あれは本当に皇歌がやったことなのだろうかと俺は考える。
あの時点では、零式にそれほどの力がなかったことも分かっている。
となれば、あの現象を引き起こした本当の原因は別にあるでは? と考えたのだ。
(……最後の鍵≠ゥ)
皇歌が最後に残した言葉が頭を過ぎる。
マスターキーのことかと思ったが、実際に手にしてみて、それも違うような気がするんだよな。
物質的なものではなく、もっと抽象的な例えなのかもしれないと俺は考える。
とはいえ、なんの手掛かりもなしに鍵を探せと言われても、かなり難しい。
そもそも、その鍵を見つけると何が起きるのかも分かっていない。
「とにかく、その揺り戻し≠ェ起きるのを待っていると言う訳だ」
「はい! それって、いつ起きるの?」
メザイアのように手を挙げ、当然の疑問を返してくるドール。
そう言う質問が返ってくることは予想していたが、具体的に「いつ?」と聞かれても答えようがないんだよな。
「さあ?」
「さあって……」
「まあ、近いうちに起きることは間違いない」
たぶん十日かそこらくらいだと思うのだが、はっきりとしたことは言えない。
まあ、物は考えようだ。その分、休暇が延びたと考えればいいだろう。
帰ったら仕事も溜まってるだろうしな……。
皆にも心配を掛けたし、小言の一つや二つは覚悟をしておいた方がいいかもしれない。
領地や屋敷のことなんてメイドたちに投げっぱなしだし、そっちも帰ったら労ってやらないと。特にマリエルには感謝してもしきれないほどだ。
ああ、そうだ。ドールもそうだが、アウンも世間知らずなところがあるしな。
時間もあることだし、一般常識を学ばせるには良い機会だ。
「そうだな。たっぷり時間もあることだし、勉強でもするか」
「ええ!?」
勉強と聞いて、真っ先に不満の声を上げたのはアウンだった。
余程、嫌なのか逃げだそうとしたところで、メザイアとネイザイに両脇を拘束される。
「勉強と言っても、一般常識の勉強だ。アウンも現代知識とかまったくないだろ?」
「うっ……それは……」
自覚はあるのだろう。
俺に痛いところを指摘されてアウンが困った顔を浮かべていると、
「言っていることはわかるけど、太老くんがそれを言う?」
メザイアがそう話に割り込んできて、ドールたちもウンウンと一斉に頷く。
おい、零式。なんで、お前も隣で頷いてるんだ? 一番、非常識なのは、お前だろう。
そんな俺の心の中のツッコミを察してか――
「お父様が常識の枠に収まるはずもありませんから!」
意味の分からない答えが返ってくるのだった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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