「ロンバルディア号の船長、バルバロスと申します。まずは危ないところを救って頂いたことに、皆を代表して感謝を――」
そう言って胸に手を当て、丁寧に頭を下げる人物。歳の頃はサハドより少し上、四十半ばと言ったところだろう。年齢を感じさせない鍛え抜かれた身体の上から白いコートを羽織り、手入れの行き届いた立派な顎髭を生やしている。彼が半月ほど前に沈んだロンバルディア号の船長だった。
現在は集落の代表として漂流者を率いる立場にあるらしく、情報交換と今後のことを相談するためにリィンたちは彼のもとへ案内されたのだ。
「集落にある設備のほとんどは、バルバロス船長が設計なさったものなんです。皆、本当に感謝しています」
「いえ、当然のことをしているまでです。むしろ沈没事故の責任者として、皆様には不自由をお掛けして大変申し訳なく思っております」
話の中、いま村にある設備の多くはバルバロス船長が設計したものが大半だとラクシャから話を聞き、リィンは感心した様子を見せる。ドギも手伝ってはいるそうだが、船長には知識や経験の面で及ばないと本人は話す。そんなラクシャとドギの高評価に、本職にはとても及ばないと謙遜するバルバロス船長だったが、確かに彼はよくやっていた。
生活に必要なものは多岐に渡る。料理を作る釜戸に資材や食糧などを保管しておく倉庫。獣の襲撃に備えた防護柵に見張り台。更には小さな畑の他、武器を鍛えたり鍋や包丁を作るための鍛冶場まで、船長とドギの二人が設計したとの話だった。この洞窟に置かれている家具やテーブルも、バルバロス船長が用意したものだ。
知識だけがあっても技術が伴わなければ難しい作業だ。同じことが出来るかと問われれば、リィンは『出来なくはない』と答えるだろう。戦闘力だけに目が行きがちだが、猟兵に必要なスキルは戦いに関するものだけではない。専門の技師ほどではないが、導力地雷などの簡単なトラップの作製や装備のメンテナンス程度ならリィンにも出来る。大工仕事の方も、その気になれば小屋くらいなら建てられる自信がリィンにはあった。
しかしそれだけに一ヶ月にも満たない期間で、これだけの集落を造り上げたドギとバルバロス船長の手際にリィンは感心していた。
素材集めや組み立て作業など、他の漂流者の手を借りたとは言っても、行き当たりばったりではこうは行かない。現実を見据えた計画の立案と、その計画をカタチに出来るだけの実行力が伴わなければ実現できることではないからだ。あれほどの数の獣に襲われても動じることなく冷静に対応できたのも、この二人の功績が大きいと見ていいだろう。
(なるほど、確かに人格者のようだ。事故の責任者でありながら、これだけ漂流者の信頼を得られているのは彼の人望だな)
集落の発展はバルバロス船長の手腕なくしてはありえない。
そのことを誇っても良いはずなのに、驕ることなく謙虚に住民と接していることが分かる。
彼のそうした真摯な対応と誠意が、この集落で生活を共にする皆にも伝わっているのだろうとリィンは考えた。
互いに自己紹介を終え、これまでどうしていたかなど多少の情報を交換したところで、バルバロス船長は何かに気付いた様子でリィンに尋ねる。
「失礼ですが、あなた方はロンバルディア号の乗客では……」
「違うな。アンタたちとは別口≠ナ、この島へは偶然流れ着いた――ただの傭兵≠ウ」
バルバロス船長に驚きはなかった。リィンたちがロンバルディア号の乗客でないことは、何となく察しての質問だったからだ。
何か事情があるのだろうと考えるが、彼等がいなければ怪我人だけでなく犠牲者も出ていたかも知れない。そう考えると、不躾な質問をすることで心象を悪くするのは愚策だとバルバロス船長は考えた。踏み込んだ質問をする前に、もうしばらく彼等と接して信頼を築くのが先だと思ったのだ。
こうしたところが彼が沈没事故を引き起こした船の船長でありながら、皆からの信頼を得ている最大の理由なのだろう。
だがその一方で、
「……傭兵だと?」
傭兵という言葉に強い反応を示す一人の男がいた。
遅れてやってきたその男はリィンとシャーリィの持つ武器を一瞥すると、鋭い視線を二人に向ける。
(へえ……)
男が身に纏う空気は、猟兵や軍人と言った戦場に身を置く者のそれに近い。
シャーリィもそのことに気付いたのだろう。興味深そうな視線を男へと向ける。
そんなシャーリィの視線に気付き、睨み返すように双眸を細める男。
不穏な気配を察したリィンは、二人の間に割って入るカタチで男に名前を尋ねた。
「傭兵≠フリィン・クラウゼルだ。アンタは?」
「俺はロムン帝国軍の憲兵団に所属するエアランだ。聞き覚えのない名前だな。どこの傭兵だ?」
ロムン帝国の軍人と聞いて、そういうことかとリィンは納得する。
どこのと尋ねられても、まさか正直に『異世界からきた』とは言えないだろう。
バカにしているのか、と余計に険悪になることが想像できる。
どう説明したものかと考え、グリゼルダに視線を向けるリィン。
「ん? アンタどこかで……」
リィンの視線の先を追って、グリゼルダを見るなり何かに気付いた様子を見せるエアラン。
ロムン帝国の憲兵団と言えば、皇帝への反逆者を厳しく取り締まる集団というイメージが強い。
当然そうした部隊も存在するが、エアランはどちらかと言えば犯罪者を取り締まる治安部隊に所属していた。
そうした仕事をしていることから顔と名前を覚えることに関しては、彼はそれなりに自信があった。
記憶を頼りにグリゼルダのことを思い出そうとするエアラン。そんな彼に対して、グリゼルダは先手を打つように身分を名乗る。
「セルセタ総督のグリゼルダだ」
目を瞠るエアラン。グリゼルダの顔に覚えはあった。
しかし、まさかこんな場所に彼女がいるとは思わず、顔と名前が結び付かなかったのだろう。
「彼等は私が個人的≠ノ頼りにしている傭兵だ。そういうことで納得はしてくれないだろうか?」
さすがに困惑を隠せない様子のエアランに、グリゼルダは念を押すようにリィンたちとの関係を説明する。
余りこうした強権は使いたくないが、この場合は自分が矢面に立つのがトラブルが少ないと考えたのだろう。
そんなグリゼルダの意志を感じ取ってか、エアランは逡巡するように瞼を閉じると静かに頷く。
まだ完全に納得したわけではないが、立場上リィンたちを詰問するのは後々問題となると考えたのだろう。
エアランの方は一先ずこれで大丈夫だろうと考えたリィンは、バルバロス船長に先程から気になっていたことを尋ねた。
「その怪我、獣につけられたものじゃないな。どうしたんだ?」
リィンに怪我のことを指摘され、驚いた様子で目を瞠るバルバロス船長。
上手く服で隠しているつもりだったのだろうが、よく観察すれば怪我を庇っていることは見て取れる。
それに獣に傷を負わされたにしては、怪我を負っている箇所が妙だと感じたのだ。
少なくとも手足に数カ所。もしかすると身体にも複数の裂傷を帯びている可能性がある。
最悪、死に至る傷だ。それほどの傷を獣に負わされたのだとすれば、こうして立っていることも厳しいはずだ。
だが痛みに耐えられると言うことは、出血が少なく傷の深さ自体は浅いと考えるのが自然だった。
獣の鋭い牙や爪で負わされた傷とは思えない。軽く攻撃が掠ったと言う程度なら、それほど広範囲に渡って複数の傷を負うのも変だ。
それにエアランの反応もそうだが、どうもこの村へ案内されてからの漂流者たちの視線がリィンは気になっていた。
「……お伝えしておいた方がよさそうですね」
隠し通すことは出来ない――いや、隠すべきではないとバルバロス船長は考えたのだろう。
一枚の羊皮紙を差し出し、リィンたちにそれを見せる。
そこには『オマエタチヲ全員切リ刻ンデ皆殺シニスル』と言った脅迫めいた文書が記されていた。
そして差出人には――
「NEMO≠セと?」
グリゼルダは顔をしかめる。
そんなグリゼルダの反応を見て、リィンは「何か知っているのか?」と尋ねた。
「NEMOはロムンの言葉で『名無し』を意味する。近年、ロムン帝国を騒がせている犯罪者の名前が確か――」
通称『名無しの切り裂き魔』――それは近年、ロムン帝国を騒がせている殺人鬼の名前だった。
鋭利な刃物で通り魔的な殺人を行うことから、そう呼ばれている狂気の死神。
ロムン帝国の人間なら誰もが知っているような犯罪者だ。
それだけにセルセタで総督をしているグリゼルダの耳にも、噂程度の話は伝わってきていた。
「〈名無し〉ね。じゃあ、船長はそいつに?」
「油断もあったのだろうが、何者かに声を掛けられて振り向き様に一瞬で手足を切り裂かれてね……」
「顔は見ていないのか?」
「情けない話だが、男の声だったと言うことしか……」
バルバロス船長の話に、微かな違和感を覚えるリィン。
だが、そういことなら、ここにロムン帝国の憲兵隊がいるのも納得が行く。
「それだけじゃない。既に犠牲者が一人でてる」
「……犠牲者?」
話に割って入ったドギの言葉に眉をひそめ、リィンは尋ね返す。
「ロムンの貴族で『カーラン卿』って言うんだが、ちょっと性格に難のあるおっさんでな」
言葉を選んではいるが、頭を掻きながら話し難そうにするドギを見て、リィンは察する。
身分を鼻に掛けたある意味≠ナ貴族らしい性格の人物だったのだろう。
そんな人間が島での集団生活に馴染めるはずもない。恐らくは何かトラブルを起こしたのだと想像が付く。
一方でグリゼルダはロムン帝国の貴族と聞いて、少し複雑な表情を浮かべていた。
「その貴族が〈名無し〉にやられたと?」
「いや、漁や資材の運搬に使う小舟を作ってあったんだが、その船で沖にでちまいやがってな」
どんな船かは知らないが、素人の作った船だ。
船に詳しいバルバロス船長がいるとはいえ、専門とする職人には到底及ばないだろう。
小さな船と言う話だし、そんな舟で沖へでるなど自殺行為としか思えない。
だとすれば沖合で遭難したか、波に呑まれて船が転覆したかのどちらかだとリィンは考えたのだが、
「触手に沈められたそうだ」
想像の斜め上を行く話をドギに聞かされ、目を丸くする。
「なんだ、そりゃ……」
「ロンバルディア号を沈めた触手だ。ラクシャの話では古代種≠フ一種じゃないかって話だが――」
次々にでてくる新しい情報に、リィンは思った以上に面倒なことになっているなと溜め息を吐く。
古代種というのは、恐らく異形の獣のことだろう。
触手と言うことは、イカやタコのような巨大生物が島の近海には生息しているのかもしれないとリィンは考えた。
とはいえ、だ。沖合にでなければ、そんな目に遭わなかったことを考えると――
「自業自得だろ」
「それはそうなんだが……〈名無し〉の件がなければ、カーラン卿も無謀な行動にはでなかったかと思うとな」
「なるほど。さっきの脅迫文は不安を煽り、疑心暗鬼にさせるのが狙いだったってことか」
ばっさりと切り捨てるリィンに対して、ドギはカーラン卿のフォローに回る。
思うところがないわけではないが、そうなるように〈名無し〉に仕向けられたことは否めなかったからだ。
リィンからすれば見知らぬ貴族が一人死んだところで、特に思うところはない。
しかし、そういう事情なら――
「随分と警戒されていると思ったが、それが理由か」
集落の人々の視線がおかしかったことにも頷けるとリィンは納得した。
ラクシャが警戒していたのはシャーリィが原因かと思っていたが〈名無し〉の件も関係していたのだろう。
ようするに容疑者として疑われていたと言うことだ。そして、恐らくその容疑は今も晴れていない。
それはエアランの反応を見れば、分かることだった。
だが、
(身に覚えのないことで疑われるのは面白くないな)
人に恨まれることに慣れてはいるが、それでも身に覚えのないことで警戒されるのは面白くない。
それに、ただの口約束であろうとグリゼルダから『漂流者の保護』を頼まれ、引き受けたからには契約を守るのが猟兵だ。
折角、保護した漂流者を犯罪者なんかに傷つけられるのは、プロとして我慢ならなかった。
(問題は、どうやって犯人を特定するかだな)
仕事の邪魔になると考え、排除の方向で思案するリィン。
話を聞くに捜査が上手く行っていないことは確実だ。当然、犯行現場の調査や聞き込みは行っているだろう。
それでも犯人の特定に至っていないということは、かなり用心深く犯行を重ねていることが分かる。
だが、その一方で脅迫めいた文書を残していると言うことは、
(……犯人は集落の人間か?)
犯人は集落の内情をよく知っている人物である可能性が高い。
漂流者を不安と恐怖に陥れ、ターゲットが一人になるように仕向けて、犯行を重ねていることが話からも分かるからだ。
それに僅か十人ほどしかいない集落に、外部の人間が近付けば嫌でも目立つ。ゆっくりと獲物を吟味するのであれば、遠くから観察するより近くにいるのが確実だ。エアランもその可能性を疑っているのだろう。
あっさりと引き下がったのも、そのためだとリィンは考える。
だが、外部犯の可能性を捨てきれない。だからリィンたちへの警戒を解いていない。
「言っておくが、余計な真似をするんじゃねえぞ。〈名無し〉は……俺の獲物だ」
リィンが何を考えているのか察した様子で釘を刺すと、エアランは背を向けて立ち去るのだった。
◆
その後、夕食に誘われたリィンはシャーリィを連れて集落のなかを見て回っていた。
どの程度の設備が揃っていて何が足りないのかを、ベルたちと合流する前に確認しておきたいと思ったためだ。
そんななか一通り見て回ったところで「いいの?」とシャーリィに尋ねられて、リィンは肩をすくめながら答える。
「俺たちは部外者だしな。まあ、邪魔になるようなら始末≠ヘつけるが……」
先程の会談で話題にでた〈名無し〉のことだ。
エアランは自分の手で片を付けるつもりのようだが、それならそれで別に構わないとリィンは思っていた。
しかし自分たちがいたのでは相談し難いこともあるだろうと考え、グリゼルダだけを会談の場に残してリィンはシャーリィを連れ出したのだった。
ただ、殺人鬼を放置するのは後々厄介なことになりかねない。彼等が手間取るようなら早めに始末することをリィンは考えていた。
それよりも問題は――
(こいつの方だよな……)
邪魔になるようなら始末をすると聞いて目を輝かせるシャーリィを見て、リィンは嘆息する。
放って置けば、犯人捜しに出掛けて一人で始末をつけかねない。
どんな凶悪犯罪者でもシャーリィの嗅覚から逃げられるとは思えなかった。
そこでリィンは、
「お前には別にやることがある。ベルたちをここへ連れてきてくれ」
「ええ……そんなの帝国のお姫様に任せればいいじゃん」
「一応、あれでも依頼人だぞ。行かせられるわけないだろ?」
シャーリィにベルたちを連れて来いと、別の仕事を与えることにした。
グリゼルダ以外にも漂流者を保護していることを伝えたところ、バルバロス船長がこれからどうするかを含めて会って話をしたいと申し出てきたためだ。リィンがその申し出を了承したのは、この先のことを考えれば漂流者は集落でまとめて保護してもらった方が動きやすいと考えてのことだった。
ごねるシャーリィを「団長命令だ」と説得するリィン。しかし諦めきれず「ちょっとだけ、味見だけでもいいから」と傍から聞くと卑猥に取れる言葉を重ねるシャーリィに、リィンは頭痛を覚える。
そんな時だった。集落の広場で問答を繰り返していると、一人の男が声を掛けてきたのだ。
「……アンタは?」
「キルゴールと言います。そちらの女性が手を少し擦っていらっしゃるようなので」
声を掛けさせて頂きました、と人当たりの良い顔を浮かべながら男――キルゴールは話す。
確かにシャーリィの手の甲には、赤く擦れた痕があった。恐らくは先の獣との戦いでついた傷だろう。
だが、怪我と言うほどのものでもない。
こんなの舐めてれば治るよ、と赤くなった場所を舐めるシャーリィを見て、キルゴールは苦笑を漏らしていた。
「医者か?」
「はい、開業医をしています。あなた方は集落を救ってくださった方々ですね。僕からも御礼を言わせてください」
そんな彼に興味を持ってリィンが尋ねると、キルゴールはそう答えた。
そして二、三言葉を交わすと、「それでは失礼します」と言ってキルゴールは去って行った。
「……リィン。気付いた?」
「ああ」
何も怪しいところはなかった。
開業医という話も、シャーリィの怪我を心配して声を掛けたというのも嘘≠ナはないだろう。
だが、肌に染みついた血の臭い≠セけは完全に隠すことが出来ない。
医者なら血の臭いがしてもおかしくはないと思うが、彼のそれは違うとリィンとシャーリィは察していた。
瞳の奥に隠された狂気。それを彼は微塵も隠そうとはしていなかったからだ。
あくまで自然に、その状態で日常生活を送っている。
だから同じ側≠フ人間しか、彼の異常性≠ノ気付くことは出来ない。
「奴が〈名無し〉だ」
確信を持って、リィンはそう告げるのだった。
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