「……始原の回廊?」
ラクシャの口から困惑と疑問の声が漏れる。
これまでの回廊は、すべて自然界に関係した名前から連想の出来る世界が広がっていた。
しかし最後の回廊だけは違う。
雲一つ見えない灰色の空。草木一本生えない枯れた大地。
ダーナの想念が生み出した世界とは思えないくらい、この世界には何もなかった。
「何もないのは当然だよ」
そんなラクシャの考えを読むかのように、この世界のことを語るクイナ。
「女神が摂理を築くことで、私たちの世界は生まれた。〈ラクリモサ〉とは、女神の築いた摂理そのもの。それを否定すると言うことは――」
「〈緋色の予知〉……そうか、これは未来の光景。滅びた世界の……」
ここは〈緋色の予知〉の景色が反映された世界なのだと、アドルは察する。
二人が見たというリィンによって滅ぼされた世界。それが目の前に広がる光景と言うことだ。
アドルたちの背中に重い現実がのし掛かる。
世界が滅びると言われても、なかなか実感が湧かないものだ。
だが、こうして実際の光景を見せられれば、嫌でも思い知らされる。
ダーナがどれほどの絶望を抱いたのか? クイナがどんな覚悟でここにいるのか?
ここでクイナを連れて帰れば、世界は滅びる。それでは結局、クイナも死んでしまう。
自分たちのやろうとしていることが矛盾していると言うことは、アドルたちにもわかっていた。
それでも――
「クイナ。キミは世界をこうしないために、犠牲になるつもりなのか?」
聞かないわけにはいかなかった。
どんな理由があろうとクイナ一人にすべてを背負わせて、見て見ぬ振りをすることが正しいとは思えなかったからだ。
「優しいね。でも……アドルたちは一つだけ大きな誤解をしてる」
アドルたちが、どんな思いでここまでやってきたのか?
すべてを理解した上で、クイナは首を左右に振る。
「私はね。世界のために犠牲になろうと覚悟を決めたんじゃない」
確かに世界が滅びてしまえば、大切な人たちも消えてしまう。
それは、とても悲しいことだと思う。
でも、クイナにはもっと嫌なことがあった。
「リィンの優しさに甘えて、すべてを忘れて生きるのは嫌だったから」
この島での生活を、リィンとの思い出を忘れたくない。
例え、世界が滅びてしまったとしても、リィンがそのままで終わらせるとは思えない。
新たな摂理を築き、世界を再構築するであろうということは察することが出来た。
でも、それでは〈はじまりの大樹〉が関わった事象は、すべての人たちの記憶の中から消えてしまう。
歴史が修正され、なかったことにされてしまう。そんなのは耐えられなかった。
だから、絶対になかった≠アとになんてさせないと心に決めたのだ。
そのためなら――
「アドルたちでも、邪魔をするなら許さない」
クイナの両目が青白い光を放つと霧が現れ、無数の人影が浮かび上がる。
カタカタと音を立てながら起き上がる、それは――
「ガ、ガイコツ!?」
ラクシャの悲鳴にも似た声が響く。
霧の向こうから現れたのは、剣や槍と言った様々な武器を手にした人骨のアンデットたちだった。
「彼等は、この島で死んでいった人たち。この世に未練を残し、成仏できずに彷徨っている魂たち」
想念とは、人々の生きたいと願う意志がカタチとなったものだ。
島から脱出することも叶わないまま、孤独に死んでいった人々。
はじまりの大樹は、そんな人々の想念をも島に縛り付ける。
この骸骨たちは、そうした人々の想念がアンデットと化したものだった。
「このまま立ち去るなら追わないよ。でも、向かってくるなら」
――容赦はしない。
クイナのその言葉を合図に、死者の軍勢とアドルたちの戦いが幕を開けるのだった。
◆
「うわあ……これだけの死霊を召喚するとか、巫女としての能力はダーナやアタシ以上だね」
「感心している場合ですか!?」
クイナの巫女としての資質と能力に感心した様子で頷くイオに、ラクシャは抗議の声を上げる。
無理もない。というのも――
「こいつら倒しても倒してもキリが無いぞ!?」
「ん……たいして強くはないけど、面倒」
強さ自体はフィーが言うようにたいしたことはないが、不死の特性を持つアンデットに苦戦を強いられていた。
斬っても叩いても起き上がってくるアンデットの動きを止めるには、原形を留めないほど粉々に破壊するか、霊的なダメージを与えるしかない。
となれば、最も有効なのは『火』や上位属性のアーツで攻撃を加えることなのだが、
「火のアーツは使えませんし、上位属性のアーツなんて……」
適性の問題からラクシャが使えるアーツは風と水に偏っている。
他は土属性のアーツが辛うじて使えると言った程度だった。
上位属性の攻撃アーツなど、当然使えるはずもない。
「イオ。キミの〈精霊の力〉を使えば、どうにかなるんじゃないのか?」
「そうです! それがありました!」
アドルの言葉に希望を見出し、イオに期待の目を向けるラクシャ。
精霊を身に宿し、光の矢を放っているところは何度も目にしている。
あの力なら、確かにアンデットにも通用するだろう。
しかし、
「ルミナスの力は確かに効果抜群だろうけど、これだけの数を相手にするのは……」
ちょっと厳しいかな、とイオは話す。
ここまでにも、かなり力を使って消耗しているのだ。イオ一人では厳しいというのも理解できる。
そう考えたラクシャはふと何かを思いだし、腰のポーチから小さな瓶を取り出す。
それはフィーから預かった精神力を回復させる薬。EPチャージだった。
「これを!」
「……ガブ飲みしながら理術で応戦しろと?」
ラクシャに薬を押しつけられ、うんざりとした顔を浮かべるイオ。
人使いが荒すぎると思う一方で、精霊の力で一掃するのが一番効率が良い。いや、他に方法がないことはわかっていた。
少なくともアドルたちでは負けはしないまでも、これだけの数のアンデットを倒しきるのは難しい。
死者の魂を鎮める効果を持った『浄魂の鈴』と呼ばれる理法具があれば別だが、そんな物が都合よく手元にあるはずもなかった。
となれば、仕方がないかとイオは溜め息を吐く。
そして、
「雑魚は引き受けるけど、こいつらのボスがいるはずだから、アドルたちはそいつを捜して」
「クイナが操っているのではないのですか?」
「一体や二体ならともかく、これだけの数を指揮するのは無理だよ。なら指揮個体がいるはず」
幾ら雑魚を倒してもキリがないと、イオは指揮個体の捜索をアドルたちに託す。
「ですが、見つけたところで倒せないのでは……」
「見つけてくれたらトドメはアタシが刺すから、本当は疲れるから余りやりたくないんだけど……」
心の底から面倒臭そうな顔を見せるイオに、なんとも言えない感情を覚えるも「お願いします」とラクシャは頭を下げる。
他に手がない以上、ここでイオの機嫌を損ねるのは悪手だと考えてのことだった。
そうしてアドルとラクシャの背を見送ると、
「アドルたちの肩を持つわけじゃないけど、アタシも〈大樹の巫女〉だからね」
先輩として後輩に舐められるわけにはいかない、とイオは空を見上げ、双眸に赤い光を灯すのだった。
◆
クイナは宙に浮かび、逃げずにアンデットたちに立ち向かうアドルたちの戦いを眺めていた。
すべてはベルの計画通り。順調に事は進んでいる。
アドルたちが何をしたところで、もう止まらない。止めることは出来ない。
クイナ自身、既に覚悟を決めている以上、説得に応じるつもりもなかった。
なのに、
(どうして、こんなに胸が痛いの?)
痛みに耐えるように、クイナは胸倉をキュッと掴む。
緋色の予知を回避するために、クイナは〈大樹の巫女〉となる道を選んだ。
――世界を救うために犠牲となる。
結果だけを見れば、確かにそう言えなくもない。でも、違う。
リィンのことを、フィーのことを、シャーリィのことを、ベルのことを――皆のことを忘れたくない。
世界のためなんかじゃない。これは、ただの我儘だとクイナは思っていた。
だから、本当ならアドルたちが悲しんだり、思い悩むようなことではない。
出来ることなら放って置いて欲しかった。
でも、きっとアドルたちは、ここにくるとわかっていた。
そして、
「そんなアドルたちの優しさも、私は利用しようとしている」
だから、こんなにも胸が苦しいのだとクイナは悟る。
オベリスクを解放するのに、どうしてもアドルたちの協力が必要だった。
ここで待っていれば、アドルたちがやってくる。
彼等がオベリスクに囚われた想念を解放してくれるとわかっていて、クイナはここで待ち続けていたのだ。
そして、最後のオベリスクもアドルたちなら――
「――ッ!?」
危険を察知して、咄嗟に身を翻すクイナ。
目の前を横切る光は無数のアンデットを呑み込みながら、灰色の空へと消えていく。
何が起きたのかと、光の放たれた先を見詰めるクイナ。
すると、そこには――
「……竜?」
黄金のオーラを纏う赤い竜の姿があった。
二枚の大きな翼を広げ、空高く飛び上がると、竜はクイナの正面で動きを止める。
『はじめてまして、と言うべきかな? アタシの名前はイオ。初代、大樹の巫女さ』
頭の中に直接響く声に驚き、目を瞠るクイナ。目の前にいるのは、竜へと姿を変えたイオだった。
古代エタニア人だけが使えたとされる能力。現在では、イオ以外には使い手のいない秘術。
それが、この変異術だった。
『死霊を操る力……いや、心を繋ぐ力ってところかな?』
ベルがクイナを選んだ理由。クイナでなければならなかった理由。
ダーナが〈進化の護り人〉となってしまったから――
イオはリィンの眷属で、思念体だから――
最初はそんなところだろうと考えていた。
でも、クイナの力を見て、他にも理由があるとイオはベルの考えに気付いたのだ。
大樹の巫女に選ばれる女性は皆、特異な能力を持つ。
緋色の予知を見たという話を聞いた時から、クイナの能力はダーナと同じ未来視なのだとイオは考えていた。
しかし違った。ダーナは勿論のことイオでさえ、これだけの数の死霊を召喚することは出来ない。
そもそも想念の力は、摂理や理法とは相反するもの。対極に位置する力だ。
幾ら〈大樹の巫女〉に選ばれるほどの資質があるとはいえ、ただの理術では不可能なことだった。
ましてや、クイナは〈セレンの園〉に集められた想念を取り込み、完全に制御している。
そんなことが可能なのは――
「よく気付いたね。そう、私はただ〈想念の樹〉と心を通わせて、力を貸してもらっているだけ」
――他者の想念に干渉し、心を繋ぐ力。
死霊を呼び起こすことが、クイナの能力の本質ではない。
心を繋いだ相手の能力を、一時的に借り受けることが出来る。
そうしてダーナの想念と心を通わせ、同じ〈緋色の予知〉を見たのだろうとイオは推察する。
だとするなら、
『アタシがフィーと繋がったことや、アドルとダーナの心が時を隔てて引かれ合ったのも……』
「うん。私のチカラの影響を受けたんだと思う」
すべての切っ掛け、原因がクイナにあったと言うことだ。
クイナと一緒だったミラルダが獣に襲われず無事だったのも、その能力の影響下にあったからだ。
潜在意識に働き掛けることで、無意識に獣たちを遠ざけていたのだろう。
『ずっと不思議だったけど、これで謎が解けたよ。なら、もうとっくに気付いているんだよね? 自分が何者≠ゥ――』
イオが何を言っているのか、すべてクイナにはわかっていた。
イオの精霊を従える力や、ダーナの未来視と比較しても、クイナの持つチカラは異常だ。人の身には余る。
これほどの力を持っている子供が、ただの人間≠ナあるはずもない。
「うん。私は、リィンと同じ――」
世界の歪みが生んだ存在、とクイナは答えるのだった。
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