オクトゥスの最奥〈選択の間〉でマイアと向かい合いながら、難しい顔で唸るリィンの姿があった。
ガイアは世界の防衛機能と呼べるものだ。世界を滅ぼしかねない力に対する抑止力でもある。
そして、リィンの〈王者の法〉は創造ではなく破壊に傾倒した力だ。
そのことから力を多用すれば、他の世界でもガイアを呼び起こす可能性があることをマイアに指摘されたのだった。
だが、だからと言って〈王者の法〉の使用を控えると簡単には約束できない事情がリィンにはあった。
ただでさえ、この異能が原因で導力魔法や戦技と言ったものが、満足に使えないのだ。
並の敵ならば異能を使わずとも戦えるだろうが、これからも〈空の女神〉を捜索する旅を続けるのであれば話は別だ。
今回のようなことがないとは言えない。むしろ厄介事に遭遇する可能性の方が高いとリィンは見ていた。
しかも、女神のことを差し置いても〈黒の工房〉や〈結社〉と言った厄介な連中がいる。
精霊化しなければ恐らくは大丈夫だろうという話ではあるが、それでも能力の使用に制限を掛けられると言うのはリィンにとって頭の痛い話だった。
「……もしかして、オウムに姿を変えているのも、そのためか?」
「ええ、二つある理由の一つです。神が直接地上に干渉しないのは、ガイアを刺激しないためですから」
力を抑えるために姿を変えていると聞き、リィンは納得した様子で頷く。
あっさりと降参したり、戦いは不得手と言っているが、仮にも神の一柱だ。
相性の問題があるとはいえ、マイアが本気で神の力を行使すれば、どうなっていたかは分からない。
少なくともマイアが巨神をも凌駕する力を隠していることを、リィンは見抜いていた。
「もう一つの理由っていうのは?」
「あの姿が気に入っているので」
それだけにもう一つ≠フ理由を聞き、リィンはなんとも言えない顔になる。
マイアの表情を見るに冗談を言っているようには見えない。それどころかベルとのやり取りを思い出すに、そちらが本命のようにさえ思えた。
実際、力を抑えるためと言うのであれば、別にオウムの姿でなくとも良いはずだからだ。
だが、それはともかく、ガイアの件はリィンも他人事ではなかった。
アルス・マグナとは、人の身で神へと至る錬金術の奥義だ。
精霊化している時のリィンは、人ではなく限りなく神に近い存在となる。
神の力がガイアを刺激すると言うのなら、精霊化したリィンに反応するのも当然だった。
「助言はありがたく受け取って置く……それより、本当にエイドスの行き先に心当たりはないのか?」
「はい。会ったこともない女神のことを聞かれても、答えようがありませんから」
そう言われては、リィンもそれ以上尋ねることは出来なかった。
実際マイアは地上に降臨してからずっと眠っていたという話だ。
同じ女神とはいえ、他の世界の女神のことを眠っていた彼女が知っているはずもない。
それでも、もしかしたらという期待があっただけに、リィンは満足の行く答えが得られずに肩を落とす。
「ですが、助言は出来ます。恐らく、その女神は外なる神≠ネのでしょう」
「……外なる神?」
「世界の法則に縛られない神。我々のように寄る辺の世界を持たず、旅をする神のことです」
そういうことかと、マイアの説明を聞いてリィンは理解の色を示す。
他の世界から移住者を募ったり、至宝を人々に与えたりと――
地上に直接干渉しないという神のイメージとは程遠いことを、エイドスは幾つも実践している。
確かに他の神とは違うと言われれば、納得の行く話だった。
「それに一つの世界に守護聖獣が七体も存在すると言うのは、はっきり言って異常です」
この世界がそうであったように、本来はガイアの化身たる守護聖獣は一つの世界に一体しか存在しないとマイアは語る。
だが、リィンたちの世界にはエイドスが残した〈七つの至宝〉と、その至宝を見守る役目を負った守護聖獣が七体存在している。
これは神々の常識から考えれば、ありえない話だった。
そのことから考えられるのは――
「恐らくは、他の世界から守護聖獣を集めたのでしょう」
「……そんなことが可能なのか?」
「世界が滅びれば、守護聖獣は星の楔から解き放たれます。本来は世界と運命を共にするところですが、盟約で縛ることで眷属としたのでしょう」
マイアの話を聞き、リィンは驚きを隠せない様子で目を瞠る。
それはツァイトやレグナートが生まれた世界は、既に滅びていると言っているも同じだったからだ。
「それに守護聖獣が一つの世界に一体しかいないように、一柱の神が創り出せる至宝は一つだけなのです」
「ちょっと待て、まさか……」
「どういうつもりなのかはわかりません。ですが――」
七体の守護聖獣を従えていたと言うことは、少なくとも七つの世界の滅亡にエイドスが関わっていたと考えられる。
エイドス自身が滅びの引き金を引いたのかどうかは分からない。
だが、七体の守護聖獣と七つの至宝をエイドスが手にしていたことは紛れもない事実だ。
リィンたちが考えているよりも、エイドスはずっと危険な存在である可能性が高いとマイアは注意する。
それに――
「他人事ではありませんよ?」
「……なんのことだ?」
「あなたの魂には、至宝が宿っています。恐らくは世界が滅びる前にガイアが託した八番目≠フ至宝が――」
◆
前世の世界が滅びていたと言うだけでも驚きなのに、ガイアに至宝を託されていたというのはリィンの想像を大きく超える出来事だった。
それが人の身でありながら虚無の力≠持って生まれてきた秘密だと、マイアに聞かされたのだ。
毒をもって毒を制す、という言葉がリィンの頭を過ぎる。
至宝によって生じた歪みを正すために、至宝の力を用いるというのは、ある意味で理に適った方法だと思えたからだ。
しかし、どうして他の誰かではなく自分≠セったのかという疑問については、マイアの説明で晴れることはなかった。
マイアが知るのは、あくまでリィンの記憶から得た情報を元に語った推論に過ぎないからだ。
だが、まったく心当たりが無い訳では無かった。一つだけ思い当たることがあったからだ。
(記憶に残る銀髪の少女。もしかして、あれが……)
空の女神――エイドスだったのではないかとリィンは考える。
だとすれば、前世でエイドスと面識があったと言うことになる。
とはいえ、簡単に思い出せるようなことなら苦労はない。
今回の一件がなければ、少女のことを思い出すこともなかっただろうからだ。
『ふむ……それで我の話を聞きたいと、そういうことか?』
「ああ、何か覚えてないのか?」
マイアの言葉を疑っている訳では無いが、何か手掛かりになるものがないかと考え、リィンはツァイトに過去のことを尋ねた。
しかし、エイドスの眷属となる前のことを尋ねられても、ツァイトは首を横に振るしかなかった。
『残念ながら記憶には残っていない。恐らくは、白竜の子と同じだ』
アルバと同じくガイアであった時の記憶は残っていないとツァイトは答える。
エイドスがどういう女神かと尋ねられても答えられることは少ない。
マイアの話自体、初耳なのだ。
ツァイトにとってエイドスとは、自分を生み出した創造主。生みの親という認識だった。
「手掛かりはなし、か」
残念そうに肩を落としながら、リィンは溜め息を吐く。
そう簡単にいくとは思っていなかったが、それでも落胆は隠せなかった。
だが、まったく進展がなかった訳では無い。少なくとも、ずっと謎だったエイドスの過去に迫ることは出来たからだ。
目的までははっきりとしていないが、複数の世界から至宝と守護聖獣を集めていたことは間違いない。
エイドスのことを甘く見ていたつもりは無いが、決して油断の出来る相手ではないと分かっただけでも十分な収穫はあった。
「だから言いましたでしょ? 女神なんて、碌でもない存在だと」
エイドスに対する嫌悪感を隠さず、吐き捨てるようにベルはそう口にする。
言っていることは分からなくもないが、個人的な感情が入っているのは明らかだった。
とはいえ、女神に対する認識や態度を改めろとベルに言うつもりはなかった。
リィンが直接マイアの聞き取りを行ったのも、ベルに任せるのは面倒なことになると判断したからだ。
「人のことは言えないと思うんだがな……」
ぼそりと呟くとベルに睨み返され、リィンは肩をすくめる。
女神を人に例えるのはどうかと思うが、秘密主義で身勝手なところはベルもそう変わらないとリィンは考えていた。
そもそも神様なんて身勝手なものだ。人の都合を考えてくれる神がいるのなら会ってみたいというのがリィンの本音だった。
マイアも改心したと言うよりは、リィンのことを自分と対等の存在と認めているからこそ、協力してくれているに過ぎない。
はじまりの大樹を創ったことや、ラクリモサの犠牲となった種族について心を痛めているかと言えば、そうではなかった。
そもそも、どうしてこんな世界にしたのかというリィンの問いに対して、退屈な世界だから進化の理≠広めたとマイアは明言したのだ。
世界のためなどではなく、ただ変化のない夢を見続けることが退屈だっただけ――そんな理由を聞かされれば、呆れるしかなかった。
ラクリモサによって滅ぼされた人々からすれば、到底納得の行くような話ではないだろう。
「……どうかしたのか?」
ニコニコと笑顔を浮かべるノルンと視線が合い、リィンは訝しげな表情で尋ねる。
楽しい話ではなかったと思うのだが、機嫌の良さそうなノルンを見て、不思議に思ったのだ。
「リィンも私たち≠ニ一緒なんだって思うと、なんだか嬉しくて」
「一緒?」
「うん。リィンのなかには、至宝の力があるんだよね?」
「まあ、マイアの話を信じるなら、そうなるな……」
マイアの話を鵜呑みにしている訳では無いが、ほぼ間違いないだろうという確信はリィンのなかにあった。
その理屈で言えば、同じように至宝の力を身に宿しているノルンやクイナと同じような存在と言えなくはないだろう。
「じゃあ、リィンは何を願った≠フ?」
「……は?」
「至宝は願いを叶えるものでしょ?」
クイナもそうだが、ノルンも最初から人間を辞めるつもりで巫女となったのではない。
叶えたい願いがあったから、至宝の力を求めたのだ。
至宝を手にすれば、無条件で強くなると言う訳ではない。
至宝は人の想いや願いに応えることで、その真価を発揮する。
ガイアから託されたとはいえ、リィンが力を手にしたということは何かを願ったと言うことだ。
(……俺は何を願ったんだ?)
そもそも自分に至宝の力が宿っているなどと、これまでに考えもしなかったのだ。
世界を滅ぼす力が欲しいなんて思ったことは一度もない。力を求めたことは確かだが、それは転生してからの話だ。
王者の法に覚醒したのはシーカーとの戦いの中でだが、力そのものは最初からリィンのなかに存在したのだ。
少なくとも、この世に生を受けた時から自分の中に何か大きな力が眠っていることをリィンは自覚していた。
だとすれば、転生する前に――前世で何かを願ったと考えるのが自然だ。
「悩むようなことではないと思いますけど」
「お前、どこまで知って……いや、何を知ってるんだ?」
「何も……ですが、覚えていないのであれば思い出して欲しくない誰か≠ェいると言うことですわ」
重要な部分だけ記憶が抜け落ちているということは、何かしらの意図を感じずにはいられない。
前世で何があったのか? リィンの記憶を封じたのが、誰なのかは分からない。
だが、
「なんとなく何を願ったのかは想像が付きますけど」
「……は? お前、さっきは何も知らないって……」
「あくまで予想ですわ。勿論、答えるつもりはありませんが」
――自分で思い出さなければ意味がない。
そんな風に言われれば、リィンもそれ以上は何も聞けなかった。
◆
「そう言えば、ノルン。クイナのことを妹とか、自分がお姉ちゃんだとか言ってたが、アレどういう意味だ?」
「ん? そのままの意味だよ?」
「はい?」
ノルンが何を言っているのか分からず、首を傾げるリィン。
「アルフィンがね。戦いに勝つには、他にはない属性≠ェ必要だって!」
「ちょっと待て。何を言って――」
「妹属性はフィーやエリゼがいるでしょ? だから――」
娘なら誰とも被らないよね、と胸を張って答えるノルンを見て、リィンは目尻を押さえる。
納得したつもりはないが、ノルンに余計なことを吹き込んだ元凶が誰かは、これではっきりとした。
アルフィンへの対応を考えてリィンが難しい顔で悩んでいると、ノルンは不安げな表情を浮かべ、
「……ダメ?」
そう尋ねてきた。
ノルンに上目遣いで迫られ、思わず仰け反るリィン。
そして――
「ダメと言う訳じゃ……ああ、もう好きにしろ」
パッと明るい表情を浮かべ目を輝かせるノルンとは対照的に、リィンは観念した様子で肩を落とすのだった。
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