「へえ、ここがリィンとフィーの生まれ育った世界なんだ」
感心した様子で頷きながら、街の景色を眺める赤い髪の少女。
そう、彼女は初代・大樹の巫女にしてリィンの眷属となったイオ・クラウゼルだ。
キョロキョロと興味深そうに周囲を見渡すイオを見て、リィンは肩をすくめる。
中世に近い文明の世界からやってきたのだ。仮にここにラクシャやグリゼルダがいても、似たような反応をするだろう。
とはいえ、イオに付き合って観光をしているような時間はなかった。
「見学は後にしろ。大人しくしてれば、美味い物を食わせてやる」
「ほんと!? じゃあ、アイスクリームがいい! シャーリィから話を聞いて、ずっと食べてみたかったのよね」
いまは十二月だ。冬の真っ只中に冷たいデザートを要求されて、リィンは微妙な顔を見せる。
だが、それを言えば、イオの格好はどう見ても冬の装いではなかった。風邪を引かないかと少し心配になる格好だ。
とはいえ、イオは普通の人間ではない。古代種から進化したエタニア人だけあって、頑強な身体をしている。極端に体温が下がると細菌に対する免疫力が低下するという弱点をエタニア人は持つが、イオは理術によって生み出された思念体だ。人間と比べて寒さに強いのは、そのあたりのことも理由にあるのだろう。しかし、あとで服くらいは買ってやるべきかとリィンは考える。
エタニアの民族衣装は、この世界では目立つ。
この寒空の下、踊り子のような格好を少女にさせて連れ歩けば、どんな噂をされるか分かったものではなかった。
「……分かった。好きなだけ食わせてやるから、大人しくついて来い。あと、これを服の上から羽織っとけ」
自分の着ていたジャケットをイオに手渡しながら、食べ物で言うことを聞かせられるなら安い物かとリィンは溜め息を吐く。
それに多少の我儘は聞いてやってもいいかと思うほどに、いまのリィンは機嫌が良かった。
エイドスは見つからなかったが、今回の探索は得るものが多かったと旅の成果に満足しているからだ。
セルセタの件を解決してからになるが、バルバロス船長も家族と共にこちらの世界へ移住することが決まっている。
そこに加え、ヒイロカネと言った未知の鉱物や生活に必要な多くの資源が眠る島を、移住先として確保できたのは成果として大きかった。
何より、アドルから得た情報やエタニアに伝わる理法具は、今後の助けになるとリィンは期待を寄せていた。
隠者の腕輪。それと同じものがエタニアにあったと言うことは、この世界のアーティファクトと理法具は、技術的な共通点があると言うことだ。
最初はエイドスが関係しているのかと考えたが、マイアの話からその可能性は低いことが分かった。だが、ベルは一つの推論を立てていた。
ゼムリア大陸に移住した魔女や地精の他にも、滅び行く世界を捨てて旅立った者たちがいる。
そうした新天地を求めて旅に出た者たちが、あちらの世界にも流れ着いていたのではないかとベルは推察したのだ。
アドルの冒険日誌から〈闇の一族〉や〈有翼人〉と呼ばれている者たちがいることを知り、ベルは関連性を疑っているようだった。
セルセタに興味を持ったのも、それが理由だ。ベルが大人しくあちらの世界に残ったのも、そのあたりの事情が関係していた。
「団長さん」
頭上から何者かに声を掛けられて、足を止めるリィンたち一行。
建物の屋根から飛び降り、軽やかに宙を舞うと、ふわりとスカートをなびかせながら一人の少女が地面に降り立つ。
黒を基調としたドレス。頭の上で結ばれたカチューシャ風のリボン。
どことなく放し飼いの猫をイメージさせる少女のことを、リィンはよく見知っていた。
「レン。まさか、お前が出迎えにきてくれるとはな」
「フフッ、驚いたでしょ? それともアリサやエリィの方がよかったかしら?」
悪戯が成功したと言った感じの笑みを浮かべ、からかうような声音でリィンに尋ねるレン。
そして、リィンの隣に並び立つフィーに気付くと、
「フィーも、お帰りなさい。また強く≠ネったみたいね」
「ん……ただいま。レンも少し変わった?」
「フフッ、お互い得る≠烽フがあったみたいね」
レンとフィーは、互いの成長を確かめるように言葉を交わす。
出会いこそ険悪だった二人だが、いまはそれなりに良好な関係を築いていた。
実際、猫のような性格をしていると言えば、似た者同士と言えなくもない二人だ。
歳も近いことから、なんだかんだと馬が合うのだろう。
「そちらの子は初めて見る顔ね。はじめまして、レン・ブライトよ」
「アタシはイオ・クラウゼル。よろしくね、レン」
「クラウゼル?」
どういうことかと探るような視線をレンに向けられ、リィンは誤魔化すように視線を逸らす。
そんなリィンを見て、答える気が無いと悟ったレンは、あっさりと引き下がった。
ここで無理に追及せずとも、アリサたちが黙っているとは思えない。
イオの正体が知れるのは時間の問題だと思ったからだった。
「団長さん。そう言えば、ヴァリマールは?」
「市外の森に隠してある。俺の留守は公にしてないんだろ?」
そう確認を取るように尋ねてくるリィンに、レンは頷いて応える。
リィンがクロスベルを離れていることは、表向き秘密となっていた。
いまのクロスベルを取り巻く状況を快く思っていない者たちが、よからぬ行動にでないようにするためだ。
実際それを裏付けるかのように帝国では今、よくない企てが進行しつつあった。
リィンが戻ってきたのも、そのことを伝えるアルフィンからの手紙を受け取ったからだ。
「ヴァリマールの回収を頼みたいんだが、アリサは?」
「いまはオルキスタワーに行っているわ」
「……もしかして、ノーザンブリアの件か?」
「違うわ。開発中のアプリのことでティオに相談があるそうよ」
開発中のアプリと言うのがなんなのか分からないが、アリサが最近いろいろとやっていることはリィンも知っていた。
エプスタイン財団の研究者であるティオの協力を仰ぐというのは、恐らくはオーブメントに関することだろうと察しを付ける。
リィンが使っている〈ARCUSU〉も、ラインフォルトとエプスタイン財団が共同で開発したものだからだ。
「じゃあ、先に聞いておくか。ノーザンブリアの件、お前はどこまで知ってるんだ?」
「ある程度のことは把握しているわ。なかなか面白そうなことになっているみたいね。それで、団長さんはどうするつもりなのかしら?」
「さてな。詳しい話を聞いてみないことにはなんとも言えないが……何か掴んでるだろ? 情報は渡して貰えるのか?」
「報酬次第ね」
当然だな、とリィンは頷く。
情報の重要性は、猟兵をやっている者なら誰でも知っていることだ。
作戦の成否や命に直結するだけに、情報に相応の対価を求めるのは当前のことだとリィンは理解していた。
「出来るだけ詳細な情報が欲しい。明日までに、まとめておいてくれるか?」
「あら? 報酬の内容を確認しなくていいの?」
「信用しているからな」
少なくとも偽の情報を掴ませたり、報酬を吹っ掛けたりはしないと思うくらいには、リィンはレンのことを信用していた。
話を終えると空港とは逆の方向へ足を向けるリィンを見て、レンは尋ねる。
「船には戻らないの?」
「先にオルキスタワーへ顔を見せてくる。後回しにすると面倒なことになりそうだしな」
リィンの話を聞き、「それもそうね」とレンは納得した様子で頷く。
アリサたちがどれだけリィンの帰りを心待ちにしていたかを、レンはよく知っているからだ。
リィンたちが帰ってきたことが、彼女たちの耳に伝わるのは時間の問題だ。
そう考えれば、先に顔を見せておくのが無難だろう。
しかし、
(今日は確か、アストライア女学院の社会科見学の予定が入ってたと思うけど)
だとすれば、噂の彼女≠烽サこにいるはずだ。
果たして、リィンはどういう選択をするのか?
楽しみね、とレンは蠱惑的な笑みを浮かべ、リィンたちとは逆の方向へ立ち去るのだった。
◆
――どうしてこうなった。
それが帰ってきたことをアルフィンたちに伝えるため、オルキスタワーを訪れたリィンの発した第一声だった。
ワイワイとリィンを取り囲む制服姿の少女たち。彼女たちは聖アストライア女学院に通う中等部三年の生徒だ。
卒業旅行を兼ねた課外学習の一環で、今日はオルキスタワーの見学に訪れていた。
そして偶然、アルフィンたちを訪ねてやってきたリィンと鉢合わせしたのだ。
普通は猟兵の顔など一般人には余り知られてないものだが、リィンの場合は少し他と事情が違う。
暁の旅団の結成をラジオや新聞を通して過去に宣言したことがあり、リィンの顔は広く他国にまで知れ渡っていた。
しかも、アルフィンが女学院を休学してクロスベルの総督の座に就いたのは、好きな人の傍にいるためだと女学院では噂になっていたのだ。
年頃の少女たちが恋の話に花を咲かせ、噂の人物に真実を確かめようとするのは無理からぬことだった。
「エリゼ先輩との関係を教えてください!」
「姫様と婚約されているというのは本当なのですか?」
「わたくしも『お兄様』と呼ばせて頂いていいですか!?」
女三人寄れば姦しいという諺があるが、女生徒たちの熱気に圧倒されるリィン。
好奇心を隠そうともせずに質問攻めしてくる姿は、まさにアルフィンやエリゼを彷彿とさせる行動力だ。
さすがにあの二人の後輩だけのことはある、とリィンは失礼なことを考えていた。
そんなリィンから距離を取り、そっと物陰から様子を窺う二つの人影があった。フィーとイオだ。
「うわあ……凄い人気だね」
「ん……リィンは有名人≠セから」
良くも悪くもが頭につくが、有名であることに違いはない。
とはいえ、こんなところをアルフィンやエリゼに見られたら、もっと面倒なことになるのではとフィーは心配する。
しかし、あのなかに割って入っていく勇気はなかった。
どうしたものかと、フィーが悩んでいた、その時。車の停車する音が、玄関口の方で響いた。
護衛を伴い、白いリムジンと思しき高級車の中から姿を見せるスーツ姿の女性。
それは、ミシュラムの視察を終えて帰ってきたばかりの政務官、エリィ・マクダエルだった。
「え? リィン?」
重なる視線。凍り付く空気。
エリィが呆けている隙に女生徒たちは、次の標的を見つけて距離を詰める。
「エリィ・マクダエル政務官ですよね!? リィン団長の愛人という噂の!」
「あ、愛人!?」
「是非、お二人の馴れ初めを聞かせてください!」
秘書や警護の黒服たちを押し退け、興奮した女生徒たちはエリィを取り囲む。
混沌としていく現場を眺め、フィーはそっと視線を逸らすと、
「……先にアリサのところへ行ってようか」
そう口にしたところで、イオがいなくなっていることに気付くのだった。
◆
「なんとか撒いたみたいだな」
「酷い目に遭ったわ……」
どうにか女生徒たちを撒き、近くの会議室へ逃げ込んだリィンとエリィは息を切らせながら壁に背を預ける。
そして、いつの間にか手を繋いでいたことに気付き、顔を見合わせる二人。
「……ただいま」
「……お帰りなさい」
他にも聞きたいこと話したいことはたくさんあるが、自然と出て来たのはその一言だった。
見つめ合う二人。胸がとくとくと脈打つの感じながら、エリィはリィンの顔を覗き込む。
離れ離れでいた時間を埋めるように、リィンとの距離を詰めるエリィ。
吐息が触れ合うほどに、互いの顔が近くに寄ったところで――
「覗きとは趣味が悪いな」
リィンはエリィの肩を掴み、入ってきたのと反対の扉に声を掛けた。
リィンの声に導かれるように、ゆっくりと開く扉。
そこから姿を覗かせたのは、アストライア女学院の制服に身を包んだ一人の女生徒だった。
ふわりと波打つ明るい髪。どことなく小悪魔染みた笑みを浮かべるその少女に、リィンは正体を尋ねる。
「何者だ? アストライア女学院の生徒みたいだが……」
何らかの思惑があって、少女が近付いてきたものだとリィンは警戒する。
先程まで女生徒の集団に交じって、何者かが探るような視線を向けてきていたことに気付いていたからだ。
その視線の正体が、目の前の少女ではないかとリィンは疑っていた。
しかし、
「お二人の邪魔をしてしまい申し訳ありません。このようなところを覗くつもりはなかったのですが……」
はぐらかすように溜め息交じえながら、少女はそう答える。
頬を紅く染めるエリィを見て、クスリと微笑みを浮かべると少女は――
「ミュゼ・イーグレットと申します。少し、お時間を頂いてもよろしいですか?」
優雅にスカートの裾を持ち上げながら、そう名乗るのだった。
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