卒業旅行を兼ねた課外学習の一環で、聖アストライア女学院の生徒がクロスベルに滞在すること十日余り。
オルキスタワーの見学に始まり、教会でのエリオットとの共演を終え、残す滞在予定日数も三日に迫った夜。
導力式のランプで彩られたアルカンシェルの劇場に、続々と正装に身を包んだ招待客が集まってきていた。
クロスベルの劇場では今日と明日の二日間、劇団アルカンシェルの特別公演が開かれる予定になっているからだ。
この舞台ではイオも舞を披露する予定になっており、劇場のスポンサーでもあるリィンのもとにも当然、招待チケットが送られてきていた。
最初は余り乗り気ではなく、スカーレットにでも押しつけようと思っていたのだが、
『はあ……それ本気で言ってるの?』
と、呆れた顔で断られてしまったのだ。
挙げ句には、ちゃんと恋人を誘って行くようにと念を押され、最終的にどうなったかと言うと――
(……どうしてこうなった)
そう心の中で呟きながら溜め息を吐くタキシード姿のリィンの両隣には、煌びやかなドレスに身を包んだ二人≠フ女性が並んで歩いていた。
青いドレスに身を包んだアッシュブロンドの髪の女性はエリィ・マクダエル。嘗ては議長を務めたこともある経験豊富な政治家で、現在は政府の相談役を担っているヘンリー・マクダエルの孫娘。クロスベルで生まれ育った人なら、彼女のことを知らぬ者はいないとさえ言われる有名人だ。
祖父から受け継いだ政治基盤やアルフィンとの繋がりを最大限に利用し、現在はクロスベルの政務官として活躍していた。
そして、もう一人。胸もとが大きく開いた真紅のドレスに身を包み、艶やかな黄金の髪をなびかせる女性。
彼女の名は、アリサ・ラインフォルト。帝国最大の兵器メーカー〈ラインフォルト社〉の会長イリーナ・ラインフォルトの一人娘だ。
エリィが政治の世界を代表する女性の一人だとすれば、アリサは帝国やクロスベルの経済界を牽引する女性の一人と言っていい。
そんな二つの世界でトップに位置する女性を侍らせる男性に注目が集まるのは、当然の流れだった。
とはいえ、劇団アルカンシェルの初日公演に招かれるほどの招待客ともなれば、リィンの顔と名前を知らない者はいないと言ってもいい。ゼムリア大陸で最強と目される新進気鋭の猟兵団〈暁の旅団〉の団長にして〈猟兵王〉の名を継ぐとされるリィンの噂は、良くも悪くも政財界に身を置く者にとって無視できない存在となっているからだ。
クロスベルへと侵攻した共和国の空挺部隊を退けたばかりか、あの帝国でさえ対応に気を遣うほどの戦力を有する猟兵団だ。
しかも敵対した相手には一切の容赦がなく、帝国貴族からも恐れられていると言う噂だ。だからと言って懐柔しようにもアルフィンとの親密な関係が邪魔をして、生半可なカードでは引き抜くことは疎か、交渉すら難しいと言うのが各国の権力者たちの共通認識だった。
誰一人として声を掛けることが出来ず、様子を窺うように距離を置いて眺めているのは、そのためだ。
(予想通りの反応だが……まあ、楽でいいか)
しかし、リィンは気にも留めていなかった。
有名になると大抵は面倒事も一緒についてくるものだ。西風のメンバーと知っただけで態度を変える大人を、子供の頃からリィンは数え切れないほど目にしてきた。
それだけに擦り寄ってこられるよりは避けられている方が面倒がなくていい、とリィンは考える。
とはいえ、それでも近寄ってくるような連中は話の通じないバカか、腹に一物を抱えた面倒な相手と相場が決まっている。
例えば――
「あら? 今日も@シ手に花ですか。フフッ、隅には置けませんね」
偶然知り合いを見つけたとばかりに声を掛けてくる制服姿のミュゼに、リィンはうんざりとした表情で応える。
そして、
(ここにミュゼがいると言うことは、もしかして……)
以前にあったオルキスタワーでの出来事を思い出し、周囲を警戒するリィン。
ミュゼが制服を着ていることからも分かるように、今日の公演にはアストライア女学院の生徒も招かれている。
また、女生徒に囲まれたら面倒だと考えての警戒だったのだが、
「ご安心を。他の皆様は既に劇場内へ案内されて、ロビーにいるのは私一人です」
「……なら、なんでお前はここにいるんだ?」
「レディに対して、そういうことは尋ねないのがマナーですよ」
はぐらかすようにリィンを窘めるミュゼ。
怪しい、とリィンはそんなミュゼの行動を訝しむ。
だが、
「パートナーをほったらかして、他の女性の相手をするのはマナー違反よ」
「そうよ。それに今日も≠チて、どういうこと? そのあたり、詳しく聞かせて欲しいんだけど」
エリィとアリサの二人に両側から腕を取られ、強い口調で説明を求められてリィンは唸る。
二人に挟まれながら原因を作った張本人を睨み付けるも、
「フフッ、安心してください。姫様やエリゼ先輩には黙っていますから」
悪戯が成功したと言った笑みを浮かべるミュゼを見て、観念するようにリィンは肩を落とすのだった。
◆
(アルフィンとエリゼがいなくて助かった……)
ミュゼの言葉を信用したわけではないが、二人がいないのは不幸中の幸いだったとリィンは思う。
どうしても外せない重要な会談があり、エリゼもアルフィンの付き添いで今はミシュラムの迎賓館にいた。
この場にアルフィンとエリゼがいれば、もっと面倒なことになっていただろう。
(しかし、アルカンシェルの特別公演を諦めるほど重要な会談≠ヒ)
アルフィンやエリゼが、密かに劇団アルカンシェルのファンだと言うことはリィンも知っていた。
イリアやリーシャのサインが入った色紙を額縁に入れ、執務室に飾っているのを目にしているからだ。
なのに突然入った予定を優先したと言うことは、帝国でなんらかの動きがあったと見るべきだろうと、リィンは考えを巡らせる。
「さっきも注意したけど、パートナーが隣にいるのに他の女性のことを考えるのはマナー違反よ」
アルフィンやエリゼのことを考えているのを察せられたのだろう。
そう言って窘めてくるエリィに、リィンは誤魔化すように疑問を返す。
「それでよくアリサとの関係を許したな」
「それとこれは話が別よ。一緒にいる時くらいは、誰だって自分のことを一番に見て欲しいものよ」
独占するつもりはないが、だからと言って嫉妬しない訳では無いとエリィは答える。
そんな二人のやり取りを見て、
「二人の仲が良いのは知ってるけど……私だってリィンの……こ、恋人なんだから」
キュッとリィンの左手に自分の右手を重ね、寄りかかるようにリィンの肩に体重を預けるアリサ。
そして、アリサに対抗するように身体を預けてくるエリィ。
そんな二人に挟まれながら、リィンはやれやれと言った様子で小さな溜め息を溢す。
ここが上階に設けられた特別席ではなく一般席なら、今頃は好奇と嫉妬の視線に晒されているところだろう。
男であれば誰もが羨むような立場にいると言うことは、リィンも自覚していた。
(ゼノには言えないな……)
いつかはバレることだろうが、ゼノに知られると面倒なことにしかならないとリィンは思う。
罠使いのゼノ。〈西風〉の部隊長のなかでも面倒見が良い性格をしていることは確かなのだが、それだけに良い人≠ナ終わることが多く、惚れた女性にアプローチを仕掛けて上手く行った試しがない。最近はラインフォルトからの依頼で知り合ったセイランドの令嬢ルーシーに懸想をしていたみたいだが、これも上手くは行かず失恋に終わったという話をとある情報筋≠ゥらリィンは入手していた。
まあ、とある情報筋というのはガルシアのことなのだが……。リィンがクロスベルへ帰還する一週間ほど前に相棒のレオニダスと共に〈ノイエ・ブラン〉へやってきて、酔っ払いの愚痴に付き合わされたとガルシアが言っていたのだ。いまはイリーナに依頼の成果を報告するため、ルーレに滞在しているという話だった。
「へえ……」
幕が開き、定刻通りに始まったアルカンシェルの舞台を鑑賞しながら、リィンは感嘆の声を漏らす。
そんなリィンを挟んで、エリィとアリサの二人も熱心に舞台を見入っていた。
劇団アルカンシェルと言えば、アクロバティックなパフォーマンスと凝った舞台装置が売りの劇団だ。
イリアやリーシャにばかり注目が集まっているように思えるが、他の劇団員たちのレベルも高い。
大陸でも屈指の演技力を有する劇団と言って間違いではないだろう。
実際、国外にもアルカンシェルのファンは多く、今日の公演にも外国のファンが数多く招待されていた。
そして、
(イオの出番か……)
舞台も中盤に差し掛かり、イオの出番がくると観客席に不思議な緊張感が漂う。
演技力ではイリアが飛び抜けているし、パフォーマンスではリーシャに並ぶ者はいない。
だが、こと舞≠ノ関しては、イオはそんな二人をも凌駕する技術を有していた。
(イリアの直感もバカに出来たものじゃないな。なりふりを構わずスカウトするわけだ)
それほど芸に詳しくないリィンの目から見ても、イオの舞は完成されたものだった。
生きていた頃の時間だけを換算しても二百年近くもの間、イオは巫女として大樹に舞と祈りを捧げてきたのだ。
幾らイリアが天才的な才能を持っているとは言っても、そもそも修練を積み重ねてきた時間の長さが違う。
イオの舞は、そんな歴史の重みを感じさせる荘厳な趣があった。
「普段の姿からは想像も付かないけど、あの子って凄い特技を持ってたのね」
音楽が鳴り止むとワッと湧き起こる歓声と拍手の中、アリサはそう呟く。
リィン自身、舞台のイオは別人ではないかと内心疑っているくらいなのだ。
普段のイオを知っていれば、そういう感想が漏れるのも無理はないだろう。
「いつも、あのくらいビシッと決めてくれれば言うことないんだがな……」
褒めているのか貶しているのか分からない感想を口にする二人を見て、エリィは頬を引き攣る。
「彼女って、迷子になってた子よね?」
「ええ。それで、しばらく私の研究の手伝いをすることになったんだけどね」
イオが行方不明になった時のことをエリィに尋ねられ、その時のことを簡単に説明するエリィ。
あの一件の責任を取らされ、昼は劇団の練習に参加し、夜はアリサの研究の手伝いすると言った二重生活をイオは強いられていた。期限は捜索に掛かった費用の半分を回収するまでと、リィンが決めたためだ。ちなみに残りの半分は原因を作ったイリアが支払うことになった。
だが、ここ一年近くは劇団を維持するためにイリア自身も私財を投じていたらしく、相当な痛手だったようだ。
その所為か、最近は街に出歩くことも少なくなり、大人しくしているとリーシャが口にしていた。少しは堪えたのだろう。
「あの時は、かなり焦ってたからな。放って置くと何をするか分からないだけに……」
「……そんなに危険な子なの?」
一瞬、シャーリィのことが頭を過ぎり、エリィは確認を取るようにリィンに尋ねる。
エリィがどういう意図で尋ねているのかを察して、どう答えたかものかと逡巡するリィン。
イオは別にシャーリィのように戦闘狂と言う訳ではないが、少しズレているところがある。
リィン自身、イオのことを量りかねているというのが正直なところだった。
ただ、一つだけはっきりと言えることは――
「危険というか、ただのバカだ。それだけに、たちが悪い」
基本的にイオは直感で動くタイプだ。
勉強が出来る出来ないではなく、単純に『バカ』と言っていい。それだけに行動の予測がしづらい。
リィンの辛辣な評価に大凡の性格を把握したエリィは、なんとも言えない表情を浮かべるのだった。
◆
『初日公演、お疲れ様でした!』
初日公演の成功を祝い、喜びを分かち合う劇団員たちの声が楽屋に響く。
結果から言えば、アルカンシェルの特別公演は無事成功に終わった。
いや、想定していた以上に観客の反応も良く、大成功だったと言って良いだろう。
しかし、皆が笑顔を浮かべる中、一人だけ複雑な表情を浮かべるイリアを心配して声を掛けるリーシャ。
「イリアさん、どうかしましたか?」
「正直、今回は彼女にほとんど持って行かれたと思ってね」
舞台は確かに大成功を収めた。しかし、その大部分をイオの活躍が占めていることにイリアは気付いていた。
公演までの日数が余りないことから、今回イオには一人で舞台に立ってもらうことになったのだ。
だが、それがかえってイオの個性を引き立て、一層の注目を集める結果へと繋がったのだろう。
舞台が終わった後も劇団には問い合わせが殺到し、いまも劇団長と支配人が揃って対応に当たるほどの反響を見せていた。
劇団アルカンシェルに新たなスター誕生。そんな見出しが翌日の新聞に掲載されるのは間違いない。
「でも、簡単にトップアーティストの座を譲るつもりはないわ」
新人の成功を妬んだりする者もいる中、イリアの反応は違っていた。
この結果は当然と受け入れつつも、このまま負けたままでいるつもりはないと意気込みを見せる。
彼女の辞書に挫折という言葉はない。壁が高ければ高いほどに燃えるのが、イリア・プラティエというアーティストだった。
「イリアさんらしいです」
落ち込むどころか、むしろやる気を漲らせるイリアを見て、リーシャは苦笑する。
それに今回は初舞台ということでイオに注目が集まったが、イリアも負けてはいないとリーシャは思っていた。
舞の技術では、確かにイオに分がある。しかし演技力や全体を通して見れば、イリアの方が優れている面も多いからだ。
そこは歌や舞を嗜んでいるとはいえ巫女であるイオと、純粋なアーティストの違いだろう。
「そう言えば明日の公演が終わったら、リーシャは猟兵団の仕事があるのよね?」
「あ、はい。その申し訳ないのですが……」
年明けにも舞台公演を予定しているが、そちらにはリーシャは出演しない予定となっていた。
正確には団の作戦に参加するため、出演できないと言った方が正しい。
劇団を優先してもリィンはきっと怒らないだろうが、それはやってはいけない甘えだとリーシャは考えていた。
「私は〈暁の旅団〉のリーシャ・マオですから」
自ら望んで〈暁の旅団〉に入った以上、また舞台に立てるようになったからと言って恩知らずな真似は出来ない。
両立が出来ないのであれば、どちらを優先すべきかは、はっきりとしている。
それがリーシャなりのケジメの付け方だった。
「リーシャが気にすることはないわ。あの男が全部悪いんだから……」
本当なら劇団を優先して欲しい。
しかし、そんなことを言えば、リーシャは二度と舞台に立たないだろう。
リーシャの気持ちがリィンに向いていることくらいは、イリアも察していた。
それだけに愚痴が溢れる。
だが、イリアが本心で言っている訳ではないと言うことに、リーシャは気付いていた。
口にはださないが、内心ではリィンに感謝していると言うことを察していたからだ。
こうしてアルカンシェルが以前と同じように公演を開けるのはリィンのお陰だ。
そのことを、これまでアルカンシェルを支えてきたイリアが理解していないはずがない。
しかし、
「私がいないからと言って、二度とあんな真似はしないでくださいね」
「わ、わかってるわよ……」
理解していても考えるより先に行動を起こしてしまうのが、イリア・プラティエという女性だ。
この件に関しては、まったくと言って良いほど信用がなかった。
「イリアさんのことは俺がしっかりと見張ってるから、リーシャ姉は安心してくれ」
フォローのつもりか? そんな二人のやり取りを見て、会話に割って入る短髪の少女。
彼女の名は、シュリ・アトレイド。嘗て、イリアが借りているアパートの部屋へ盗みに入り、特務支援課に捕まった経験を持つ元スラム出身の少女だ。だが、そのまま警察に突き出されることなく、アーティストの才能を見出したイリアに拾われ、現在はアルカンシェルで下働きをしながら演技の指導を受けていた。
今回の公演でも端役ではあるが舞台に立ち、小柄ながらもリーシャに劣らない軽やかな身のこなしで注目を集めていた。
イオのような例外は別として、期待の新人と言ったところだろう。
「シュリちゃん、口調……」
「あ……えっと、アタシ?」
リーシャに注意され、一人称を改めるシュリ。
もう少し女の子らしくして欲しいとリーシャは思っているのだが、なかなか慣れ親しんだ癖は抜けないらしかった。
出会った時も、男性に扮していたくらいだ。やはり生まれ育った環境に原因があるのだろうとリーシャは考える。
シュリはノーザンブリアから流れてきた移民の子供だ。
そして〈暁の旅団〉が受ける今回の仕事について、リーシャは大まかな概要をリィンから聞いていた。
だからこそ、少しばかり思うところがあるのだろう。
「そうだ。リーシャ姉に、お願いがあるんだけど……」
雰囲気から真面目な話だと感じ取り、黙ってシュリの言葉を待つリーシャ。
どことなく覚悟を臭わせる表情で、シュリはリーシャと目を合わせる。
そして、
「一度でいい。〈暁の旅団〉の団長と二人きりで話をさせてくれ」
そんなお願い≠口にするのだった。
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