「お、お帰りなさいませ。ご……ご主人様」
店先に立ち、引き攣った笑みで通行人にチラシを配るシュリの姿があった。
シュリがメイド服≠ナ客引きをしている店は、ルーバーチェ商会が経営するメイド喫茶≠セ。
暁の旅団の後ろ盾を得たルバーチェ商会は完全に息を吹き返し、飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長していた。
現在は〈ノイエ・ブラン〉の他にも市内に複数の店を構えており、このメイド喫茶もそのうちの一つだ。
地元の通信社〈クロスベルタイムズ〉が発行している観光雑誌でも紹介されていて、オープンから僅か一ヶ月ほどでクロスベルを代表する人気スポットの一つとなっていた。
「随分と流行っているみたいね」
「この手の店は、一部のマニアには受けがいいからな」
客で賑わう店内を見渡しながら感心した様子で頷くアリサに、リィンは当然の結果だと答える。
西通りで空き家となっていた洋館を買い取り、本格的なアンティーク喫茶に改装したのだ。
しかも、メイド服のデザインから接客のマニュアルに至るまで、すべて本職のメイド≠フ監修付きという拘りだ。
これで流行らないはずがない。
「でも、なんでメイド≠ネの?」
「メイドやナースはコスプレの定番だからな。甲斐甲斐しく世話をされて喜ばない男はいないってことだ」
男の願望とも言える俗な理由を聞かされ、アリサは「これだから男は……」と呆れた様子で溜め息を吐く。
だが、実際に〈暁の旅団〉におけるシャロンの人気は高い。密かにファンクラブまであるほどだ。
リィンの言っていることは、満更間違いとも言えなかった。
「リィンも……ご主人様≠チて呼ばれたいの?」
なんとも答えにくい質問をされて、少し困った顔を見せるリィン。
嬉しいか嬉しくないかと聞かれれば、嬉しくないと答える男はいないだろう。
だが、リィンの知るメイドと言えば、真っ先に頭に浮かぶのはシャロン≠セ。
「……相手によるな」
故に無難な答えを返す。
正直な話、シャロンに『ご主人様』と呼ばれても素直に喜ぶ気にはなれない。厄介事の臭いしかしないからだ。
「じゃあ、私が……」
だが、相手によると言うことは、少なくとも嫌ではないと言うことだ。
思い切って、アリサがリィンに何かを言おうとした、その時だった。
店の外が騒々しいことに気付き、リィンは何かを察した様子で席を立つ。
「リィン?」
「悪いな。ちょっと席を外す」
そうアリサに一言断りを入れると、リィンは店の外へと足を向ける。
そして店先で目にしたのは、シュリを取り囲む三人の男たちの姿だった。
どこかチンピラ風の男たちに言い寄られ、いまにも暴発しそうなシュリを見て、リィンは割って入る。
「何か、トラブルか?」
「リィン! 聞いてくれよ、こいつらが――」
「はあ!? お客様に向かって、なんだその態度は! 俺たちは客だぞ。客」
口は悪いが、確かに男の言っていることにも一理あるとリィンは認める。
だが、
「ちょっと俺等に付き合えって言ってるだけだろ?」
「そうそう、腕を掴んだくらいで大袈裟に反応しやがって」
やはりそういうことかと、リィンは溜め息を吐く。
こうした店をやる以上、この手のトラブルが起きることは想定済みだ。
ノイエ・ブランにも月に何度か、この手の客がやってくる。
それだけに、店の経営に直接関わっている訳では無いが、リィンもこの手の輩の対処には慣れていた。
「は? お前なんだよ、さっきから。そこを退け――」
間に割って入ったリィンを男の一人は押し退けようとするが、腕を伸ばした瞬間、白眼を剥いてその場に倒れてしまう。
何が起きたのか分からず目を瞠り、困惑する残りの男たち。
「お前、サイクスに何を……!」
「面倒なことになる前に、少し眠ってもらっただけだ。こんな風に……」
リィンに睨まれた瞬間、帽子の男はその場に尻をついて小さな悲鳴を上げた。
顔を青ざめ、ガチガチと歯を震わせる。自分でも何が起きているのかわかっていないのだろう。
その表情には、恐れと困惑が垣間見えた。
そんな仲間の姿を見て、どこか焦りを隠せない様子で声を荒げる三人目の男。
「貴様、俺たちが誰か知って――」
「ただのチンピラだろ?」
「がッ!」
リィンに胸倉を掴まれ、男は片手で宙に持ち上げられる。
身形や三人の立ち位置から、目の前の男がこのなかのリーダー格だとリィンは当たりを付けて尋ねる。
「お前、名前は?」
「……誰が教えるもんか」
「嫌なら無理に話さなくてもいい。その時は――」
冷たい視線を感じ取った瞬間、ずっと忘れようとしても忘れられずにいた光景が男の脳裏を過ぎる。
赤い髪の少女に首を絞められ、仲間の前で見世物にされた記憶。
あの時と違うのは、誰も止める人間がいないと言うことだ。
「ユ、ユーリだ!」
このままでは殺されると感じ取ったのだろう。あっさりと名前を白状する男――ユーリ。
彼等は自分たちのことを『高貴なる血』と名乗り、嘗てクロスベルの街を荒らし回っていた不良集団だった。
三人とも共和国の出身でクロスベルが独立宣言をした際、他の外国人と同じように街を離れていたのだが、つい最近クロスベルが解放されたことを知り、街に戻ってきたのだ。
クロスベルが帝国領に併合されたことは知っていたが、この街には滞在時に使っていた彼等の屋敷がある。しかも夜逃げ同然に街から逃げ出したこともあって、ほとんど荷物を置いてきてしまったのだ。その荷物を取りに街へと戻ってきたのだが、彼等は虫の居所が悪かった。以前この街で騒ぎを起こした件について、それぞれ両親から叱責を受け、罰として小遣いの送金を止められてしまったからだ。
元々、親の金をあてにして続けていた旅だ。金が尽きれば、共和国に戻るしかない。だから仕方なく旅費の足しにしようと金になりそうなものを回収しに戻ってきたのだが、油断があったのだろう。
帝国に併合されたと言っても、そこに住むのはクロスベルの人々だ。共和国人である自分たちが少し脅せば、素直に言うことを聞くに違いない。
ちょっとした憂さ晴らしといつもの@Vびのつもりで、シュリに声を掛けたのだ。
だが、今回ばかりは相手が悪かった。運がなかったと言っても良いだろう。
「一着十万ミラはくだらないブランド物のジャケットに高級腕時計。随分と羽振りが良いみたいだな?」
「な、何を……」
そう言ってリィンが手を放すと、そのままユーリは地面に尻から落ちて、ゲホゲホと肺から息を吐く。
リィンが殺気を解くと、タイミングを見計らっていたかのように物陰から黒服の男たちが姿を見せる。
彼等はルバーチェ商会の構成員だった。
「たっぷり絞ってやれ。二度と悪さが出来ない程度にな」
そんな彼等にリィンは、ユーリたちにとって半ば死刑宣告とも取れる無慈悲な命令を下すのだった。
◆
「……あいつら、どうなるんだ?」
「ちょっとした勉強代を払ってもらうだけだ。命までは取らないさ」
サラリと恐ろしいことを口にするリィンに、シュリは頬をひくつかせる。
だが、あの手の輩は甘い対応をすれば、つけあがらせるだけだ。
徹底的に痛い目に遭わせた方が早いというのが、リィンの考えだった。
「余り脅さないの。思いっきり引いてるじゃない」
そんな相変わらずのリィンの態度に呆れた様子で、話に割って入るアリサ。
とはいえ、少しやり過ぎだとは思っているが、灸を据えた方が良いという考えはアリサも同感だった。
「でも、いいのか? アイツ等、共和国のお偉いさんの子供なんだろ?」
「……あの連中のことを知ってるのか?」
「ハイブラッズとか名乗って、街を荒らし回ってた連中だからな」
シュリから三人組の男たちの話を聞き、リィンはようやく腑に落ちたと言った様子で納得する。
共和国出身の三人組。そして『ハイブラッズ』という名には、心当たりがあったからだ。
となれば、シュリが何を心配しているかは理解できる。
しかしリィンからすれば、相手が共和国の議員と繋がっていようと関係はない。
仮に帝国の貴族が相手であっても、同じ対応をしただろう。
「今更だな」
「そうね。恨みなら、もう一杯買ってるものね」
リィンの言葉にアリサも同意する。
今更、恨まれる理由が一つや二つ増えたところで、大差はないと考えたからだ。
「それに、そんな連中なら遅かれ早かれ問題を起こしていたでしょうし」
結局は誰かが貧乏くじを引かなければ解決しない。それならリィンが適任だとアリサは話す。
エリィが問題解決に動いたのでは角が立つし、アルフィンでは帝国と共和国の間で面倒なことが起きかねない。
だからと言って、以前と比べれば遥かにマシな状況とは言っても、まだ総督府が立ち上がったばかりで法整備も万全とは言えない状態だ。この先、規制が強化されていくのは確実だが、いまのクロスベルの法律では警察や警備隊が外国人を取り締まるのは限界がある。しかし、こんなことで帝国に弱味を見せるわけにもいかない。帝国に併合されたとは言っても、隷属しているわけではないのだ。
クロスベルがこの先も自治を保ち続けるには、こうした問題に自分たちだけで対処できる力を示す必要があった。
とはいえ、それはまだ先の話だ。
そのための時間稼ぎとして、クロスベル政府に〈暁の旅団〉は雇われている。
急速に改革が進んでいるとはいえ、もう一年か二年はこの状態が続くだろうとアリサは見ていた。
リィンもそれは織り込み済みで、敢えて悪役を演じているという側面があった。
「そんなことより、あなたがシュリちゃんね。舞台を見せてもらったわ。凄く良い演技だった」
「……ありがと」
まさか、リィンの恋人の一人に演技を褒められるとは思ってなかったのか?
複雑な心境を滲ませながら、少し照れた様子を見せるシュリ。
「でも、どうしてこの店で働いているの? 劇団からお給料はでてるのよね?」
「それは、こいつが……身体で払え≠チて言うから」
思わぬ情報をシュリから聞き、ピクリと眉間にしわ寄せて固まるアリサ。
そして、ぎこちない動きで振り返ると、確認を取るようにリィンの名前を呼ぶ。
「リィン?」
「待て、話せば分かる」
アリサの迫力に気圧され、たじろぐリィン。
そんなリィンを見て、してやったりと言った顔で逃げるように仕事に戻るシュリ。
そして、
「ちゃんと、詳しく、説明してもらうわよ?」
アリサに凄まれ、「うっ……」と身体を引くリィン。
浮気がバレて言い訳をするかのように、リィンは事の経緯を丁寧に説明するのだった。
◆
「シュリちゃんに女らしさ≠身に付けさせるためにね」
「ああ、カタチからでもと思ってな」
リィンの説明を聞き、まだ少し疑いながらも、取り敢えずと言った様子で納得するアリサ。だが、嘘を言っている訳では無かった。
基本的にシュリは言葉遣いがなっていない。更に言うと、人付き合いが余り得意とは言えない。
ここは、そうしたことを学ぶには打って付けの環境だと考えたのだ。
それに、こうした店は時給が良い。練習の合間に数時間働くだけでも、それなりの金になる。
結局のところ、シュリがリィンの提案を呑んだのも、それがあってのことだった。
アルカンシェルに所属するアーティストと言っても、現在のシュリの立場は見習いだ。一応、劇団から給料はでているがそれは最低限のもので、ひとり暮らしをするには少し厳しい金額だった。そのため、現在シュリはイリアのアパートで世話になっている。だが、そのイリアもようやく活動を再開したばかりで、生活に余裕があると言う訳ではない。それに先日のイオの件もある。だからこそ、少しでも家計の足しになればと考えたのだろう。
「それより、何か俺に用事があったんだろ?」
「微妙に誤魔化されてる気がするけど……いいわ。余り時間もないことだし」
傍らに置いたポシェットから端末を取りだし、それをリィンに手渡すアリサ。
それはリィンがクロスベルへ帰還した日に、データを回収するからとアリサに預けていた戦術オーブメントだった。
元々は試験運用の名目で、リィンはアリサから〈ARCUSU〉を借り受けていたのだ。
「明日発つのに、それがないと困るでしょ? それと理法具の技術を取り入れた新機能もあるから、あとで確認しておいて頂戴」
「もう解析が済んだのか? 随分と早いな」
「イオの協力もあったしね。まあ、その分、欠陥もあるんだけど」
「……欠陥?」
「アーツが使えないわ」
戦術オーブメントとして見れば、致命的とも言える欠陥を聞かされて、リィンは眉をひそめる。
しかし、
「どのみち、リィンはアーツを使わないでしょ?」
「まあ、そりゃそうだが……」
使わないではなく上手く使えないのだが、この際は同じことだ。
そう言う意味では、確かにアーツが使えないことはリィンにとって欠点とはならない。
「身体能力の強化や戦術リンクはどうなんだ?」
「そっちは問題なく機能するわ。むしろ、単純な強化と言う面では、以前のものよりも優れているわね」
それを聞いて、リィンは安堵する。
オーブメントの補助がなくても戦えるが、やはりあるに越したことはない。
それに武器を多用した戦い方を好むことを考えれば、猟兵向きのオーブメントと言えるだろう。
「でも、そんなのはオマケよ。見てて」
アリサがオーブメントを手に持って何かのアプリを起動すると、テーブルの上にあった皿やカップが消える。
そして、もう一度アリサが端末に手をかざすと、再び目の前に現れた皿とカップを見て、リィンは目を瞠る。
「言ったでしょ? 理法具の技術を取り入れたって」
驚くリィンを見て、アリサは勝ち誇った笑みを浮かべるのだった。
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