ティオやユウナとの昼食を終え、真っ直ぐに道場へ帰らず街中をブラリと散策していた時のことだった。
「……〈暁の旅団〉に入りたい?」
「はい!」
「正気か?」
本気かではなく正気かと尋ねるリィン。
ヴァンダールと言えば、アルノール皇家の護衛を任させてきた由緒正しき一族だ。
その門弟も当然のように皇家への忠誠心が厚く、ヴァンダール流は数多くの優秀な軍人を輩出してきた流派で知られている。
それが猟兵になりたいなどと、リィンが正気を疑うのも無理はなかった。
「昨日から何度も言っているが、俺にとって都合が良いから挑戦を受けたに過ぎない。決して、お前のためなんかじゃ……」
好意を向けられて嫌なわけではないが、それが誤解から来る気持ちだとすれば話は別だ。
一時の気の迷いでやっていけるほど、猟兵の世界は甘くない。確実に後悔をすることになる。
そのことがよくわかっているだけに、リィンはレイフォンの言葉を真に受けるつもりはなかったのだ。
しかし、
「リィンさんがどういうつもりだったにせよ、私が感謝していることに変わりはありませんから」
「……強情だな」
「ヴァンダールの剣士ですから」
微妙に納得の行く返しをされて、リィンは複雑な顔を見せる。
「それに嬉しかったんです」
「嬉しかった?」
「理由はどうあれ突き放すことだって出来たはずなのに、リィンさんは真っ直ぐ私やクルト坊ちゃんの剣を受け止めてくれましたから」
剣士にとって剣≠ニは、ただの道具ではない。自分の半身、命を預ける大切な相棒だ。
そこには、剣士の心や想いが宿っている。だからこそ剣を交えれば、分かることもある。
リィンが本気だったなら、一瞬で決着を付けることも出来たはずだ。でも、そうはしなかった。
他に目的があったにせよ、リィンが全力を受け止めてくれた事実に変わりはない。
あの戦いがあったから、自分やクルトは一つ大きな壁を越えることが出来たのだと、レイフォンはリィンに感謝していた。
だから――
「強くなりたいって思ったんです。リィンさんみたいに、強く――」
「……俺は剣士じゃない。今回はお前たちの流儀に合わせたが、目的のためだったらなんだって利用する汚い猟兵だぞ?」
「知ってます。私も子供じゃありませんから、猟兵がどういうものかは理解しているつもりです」
「団に入れば、戦場へでることもある。敵は魔獣だけじゃない。人を殺すことにもなるだろう」
「軍に志願しても、それは同じですよ。それに私を仲間に引き入れるのは、他にもメリットがあります。クルト坊ちゃんの話じゃないですけど、姫殿下にも護衛を付けるべきだという話は前からあったんです。姫殿下には必要ないと拒まれたそうですが、いまも機会を窺っているはずです。ですが、これでも私はヴァンダールの末席に名を連ねる剣士ですから、そうした声も少しは抑えられるかと」
レイフォンの話にも一理あることをリィンは認める。
ただの感情論なら反対することも出来たが、レイフォンの言い分は一本筋が通っていた。
クルトの話を聞いた時、確かにアルフィンのことについても少し考えさせられたのだ。
エリゼがどれだけ剣の腕を磨こうと、彼女は軍人ではない。身分などからも、周囲を納得させられるかは別の問題となる。
その点で言えば、まだまだ腕は未熟ではあるもののレイフォンはヴァンダール流の剣士だ。しかも都合の良いことに女性だ。
アルフィンの護衛を任せるのであれば、確かに最善ではないものの悪い人選ではなかった。
(一考の余地はあるか)
団に入れるかどうかは、まだはっきりと答えはだせない。しばらく様子を見る必要があるだろう。
しかし、レイフォンの提案には一考の余地があるとリィンは判断する。
何かある度に、フィーを護衛につける訳にもいかないと考えていたからだ。
「条件が一つある。その条件をクリアできるなら、アルフィンの説得に協力してやる」
「なんでも言ってください!」
どんなチャンスでも逃してなるものかと言った勢いで、威勢の良い返事をするレイフォン。
しかし、
「半年待ってやる。その間に、皆伝へ至れ」
まさかの条件を突きつけられ、レイフォンは固まる。
中伝へと至ったのがクルトと同じ十六歳の時。それから三年余り、レイフォンはずっと中伝で足踏みをしていた。
それを、あと半年で皆伝へ至れと条件を付けられたのだから、戸惑うのも無理はない。
中伝ならまだしも皆伝に至れる剣士は極僅かで、生涯到達できない剣士も少なくないのだ。
「俺みたいに強くなるんだろ? なら、このくらいはクリアして見せろ」
これが最低限の条件だと、リィンはレイフォンに厳しい言葉を突きつける。
しかし、アルフィンの護衛を任せるなら、最低でも近衛騎士と同格以上の実力を身に付けてもらわなければ話にならない。
フィーやエリゼの代わりを務めるのなら、そのくらいの腕は必要だとリィンは本気で考えていた。
そもそも、そうでなければ実力が足りないという理由で、候補から外されたクルトも納得が行かないだろう。
「……わかりました。絶対に皆伝へ至って見せます!」
諦めるかと思いきや、むしろ火がついた様子で気合いを入れるレイフォン。
あれだけの啖呵を切って向かってきたのだ。
根性があるのはわかっていたが、これはもしかするかもしれないとリィンは考える。
だが、
「そうと決まったら早速、練習しないと!」
「あ、おい――」
思い立ったら吉日と言った様子で走り去っていくレイフォンの背中を、リィンは呆然と見送る。
案内はともかく、監視役が監視対象を置いて行ってどうするんだと呆れたからだ。
「どうしたもんかな……」
自分から監視役を撒いたのならともかく、一人取り残されたリィンはどうしたものかと考える。
さすがにリィンも手を結んだ翌日から問題を起こして、オリエに迷惑を掛けるつもりはなかった。
となると、真っ直ぐに道場へ戻るべきかと考えるが、ふと何気なく目にした看板で視線が止まる。
「……リーヴェルト?」
よく知っている名前と同じ名の看板が、視線の先の店には掲げられていた。
帝国を代表する楽器メーカー〈リーヴェルト社〉。それが、リィンの目の前にある店だ。
「……少し、中を覗いてみるか」
クレアの過去について、リィンも詳しく知っている訳では無い。
しかし、あの様子から察するに、過去に家族と何かあったことくらいはリィンも察していた。
恐らくはそこに、クレアがギリアスに恩を感じる理由があるのだろう。
深く詮索するつもりはないが、少し気になってリィンは店内へと足を踏み入れる。
(へえ……良い雰囲気の店だな)
木の香りが漂う店内には、様々な種類の楽器が陳列されていた。
見たことのあるような楽器から初めて見るような楽器まで、本当にいろいろな種類が揃っている。
そして綺麗に陳列された楽器には、素人目に見ても一級品と分かる確かな本物の輝きがあった。
工場で作られた大量生産品ではなく、この店が扱っているのはマエストロが作った一品物なのだと分かる。
(……意外と安いな)
値札にも、それと分かるくらいの価格が記されていた。
しかし、平民でも買えないほどの金額ではない。品質から見ると、随分と安い価格設定と言えるだろう。
そんな風にリィンが落ち着いた雰囲気の店内を物色していると、
「おや、あなたは……」
カウンターの奥から声を掛けられてリィンが振り向くと、そこには見知らぬ初老の男性が立っていた。
上品な物腰や仕立ての良い服装からも、ただの店員には見えない。
身に纏う雰囲気などから、この店の責任者だろうとリィンは当たりを付けて尋ねる。
「初対面のはずだが、俺のことを知っているのか?」
「ええ、有名人ですからよく存じています。〈暁の旅団〉団長、リィン・クラウゼル様ですね」
派手な記者会見も行なっているのだ。新聞にもリィンの顔写真は掲載されている。
余り街中で声を掛けられることはないが、男性がリィンのことを知っていても不思議ではなかった。
そうリィンも解釈して、今度は別のことを尋ねる。
「そういうアンタは、ここの店長か?」
「これは失礼しました。私はモーガン――このリーヴェルト社で代表取締役を務めさせて頂いています」
てっきり店長くらいかと思っていたら、会社の代表と聞いてリィンは驚く。
何気なくリィンが足を踏み入れた店だが、ここは各地に支店を構える〈リーヴェルト社〉の本店だった。
しかし、それでも会社のトップが店番をしていることにリィンは疑問を抱く。
「……いつも、こんなことを?」
「よく言われます。ですが性分でして、時間の空いている時は出来るだけ店に顔をだすようにしているのですよ」
そう、苦笑しながら話すモーガン。そんなモーガンの話にリィンは納得した様子で頷く。
ただのビジネスと言うだけでなく、この仕事が本当に好きで彼は続けているのだろう。
良心的な価格設定も然ることながら、この店の雰囲気が良いのは彼の人柄も滲み出ているからだと察したからだ。
「リィン様は何か、楽器をお探しで?」
「いや……悪いが、俺はその手の芸術センスが余りないみたいでな」
まったく楽器を扱えないという訳では無いが、それは他人に自慢できるようなレベルではない。前世では友人から勧められたゲームに嵌まった影響でハーモニカを買って練習したことはあるが、それも精々が宴会芸レベルだとリィンは自分の腕を冷静に評価していた。
どこぞのハーモニカが得意な少年少女と比べれば、拙い技術だ。
とてもではないが、この店に置いてあるような一級品の楽器を扱いきれる自信はない。
「では、本日はどう言った御用向きで?」
「いや、特に用って訳じゃないんだが、少し気になることがあってな……」
モーガンに改めて尋ねられ、どう答えたものかとリィンは言葉を濁す。
ここに立ち寄ったのは、本当に偶然だったからだ。
敢えて言うなら、いま口にしたように看板の名前を目にして気になった≠ニいうのが正しい。
この会社の名前にもなっているリーヴェルトは、クレアの家名でもあるからだ。
無関係と言うことはないだろう。思い切って、クレアのことを尋ねて見るべきかとリィンが迷っていると、
「それは、もしかしてクレアお嬢様のことでしょうか?」
先にモーガンの方から尋ねられ、リィンは目を瞠る。
「……やっぱりアンタ、クレアの知り合いだったんだな」
「先々代の社長……クレアお嬢様のお父様には一社員だった頃から、随分と目を掛けて頂きましたので……」
予想はしていたとはいえ、やはりクレアはリーヴェルト社の創業一族の出身だったのかと、リィンはモーガンの話を聞いて納得する。
だが、話を聞く限りでは、モーガンはクレアの家族や親戚と言う訳ではないようだ。
クレアの実家は、現在は会社の経営に関わっていないのだろうかと、リィンは疑問に思う。
恐らく、その辺りにクレアが昔のことを話したがらない事情があるのだとリィンは察するが、
(余り深入りすべきではないか)
誰にだって詮索されたくない過去くらいはある。
クレアが自分の口から語るならまだしも、勝手に踏み込んで良い内容じゃないとリィンは判断する。
「邪魔をしたな。また、機会があれば寄らせてもらうよ」
面倒なことになる前にリィンが立ち去ろうとした、その時だった。
お待ちください、とモーガンに声を掛けられ、リィンは足を止める。
「これも何かの縁。一つ、仕事を受けては頂けないでしょうか?」
「……俺が猟兵と知っていて、頼んでいるのか?」
「はい。報酬が必要だと仰るのであれば、可能な限り用意させて頂きます」
あの一瞬でリィンがクレアに気を遣って、立ち去ろうとしているのをモーガンは察したのだろう。
ただの勘だとは思うが、このままリィンを帰らせてはいけない。そう感じたのかも知れない。
少し緊張した面持ちで返事を待つモーガンを見て、やはり面倒なことになったかとリィンは溜め息を吐く。
「言っておくが、俺とクレアはアンタが思っているような関係じゃないぞ」
「存じています。遂二ヶ月ほど前、こちらにクレアお嬢様がいらしたのですが、その時にあなたのことを仰っていたので」
噂程度にしか知らないようなことを臭わせておきながら、実はクレアから話を聞いていたと言われ、リィンは眉をひそめる。
只者では無いと思ってはいたが、やはり食えない人物だと感じたからだ。
恐らくは、最初からそのつもりで声を掛けてきたのだろうとリィンは察する。
しかし、クレアが軍の機密に触れるような内容を、知り合いだからと言って一般人に漏らすとは思えない。
なら、恐らくモーガンが聞いたという話は、それ以外のことだと推察できるが――
(……何を話したんだ?)
どんなことをクレアがモーガンに話したのか、リィンは興味を持つ。
だが、ここでモーガンの話を聞けば、依頼を受ける受けないに関係なく面倒事に巻き込まれるのは確実だ。
聞かなかったことにして立ち去るのが、この場合は一番の正解なのだろう。
しかし、双竜橋で目にしたクレアの憂いを帯びた表情が、リィンの脳裏を過ぎる。
「……分かった。だが、まずは話を聞いてからだ」
モーガンの言うように、これも何かの縁なのだろう。
こうなったら仕方がないと腹を括り、リィンはモーガンに依頼の内容を尋ねるのだった。
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