セルセタに向かっていたロムンの艦隊が赤い悪魔≠ノ殲滅されたという噂が、近隣諸国に広まっていた。
 その噂を裏付けるかのように、いまから三日前――ロムンとグリークの連合艦隊がセイレン島へと押し寄せてきたのだ。
 しかし、

「もう、終わり? 消化不良なんだけど……」

 先手必勝とばかりに放った〈緋の騎神〉の攻撃が、千隻近くからなる敵艦隊の半数を壊滅させ――
 陣形が崩れてからはシャーリィがでるまでもなく、ヴァルカンとキャプテン・リードの率いる部隊があっと言う間に敵を追い払ってしまったのだ。
 余りに呆気ない勝利だった。それだけに戦いが終わってからずっと、シャーリィは不満を漏らしていた。

「何を期待してたかは知らねえが、そもそも〈騎神〉が必要な相手でもないしな……」
「海賊の俺が海軍の連中に同情する日が来るとは思ってなかったぜ……」

 当然の結果だと、ヴァルカンとキャプテン・リードは話す。
 アーティファクトなどの遺物があるとはいえ、この世界の技術力は高いとは言えない。
 軍艦と言っても木製の船が大半で、空を自由に飛び回る兵器など当然存在しない。
 兵士の装備も剣や槍、弓と言った装備が基本で、ようやく銃の存在が知られ始めたばかりという技術レベルだった。

 これだけ技術レベルに差があると、数の差など大きな問題ではない。
 本来であれば、ヴァルカンたちだけでも十分に対応が可能な程度の相手でしかなかった。
 なのに騎神を持ちだせば、結果は分かりきっている。
 いや、仮に騎神を用いなかったとしても、シャーリィなら一人でも千や二千の敵は軽く屠れるだろう。
 圧倒的な勝利を収めることでエタニアの力を世界に示す狙いがあったとはいえ、さすがに今回のはやり過ぎと言って良かった。

「また、くるかな?」
「当分は攻めて来られないでしょうね」

 期待を込めて口にするも、あっさりとベルに否定されてシャーリィは不満げな表情を見せる。
 しかし、どうにか無事に逃げ帰ることが出来た船は僅か百隻ほど。グリーク海軍が三百隻。ロムンに至っては、六百隻近い軍艦を失ったのだ。
 いまの彼等に、セイレン島へ再び攻め込む余裕がないことは明らかだった。
 しかも、緋の騎神に潰されたセルセタへの派遣艦隊と合わせると、ロムンは既に八百隻もの船を失っている計算となる。
 そして現在、ロムンはアルタゴ公国と戦争中だ。今回の敗北は、その戦争にすら影響を及ぼしかねないほどの損害だった。

「これまで唯々諾々と従うだけだった近隣諸国にも、反ロムンの気運が高まっているそうですし」

 連戦連勝で勝ち続けている間はどうにか抑え込めていた不満が、大敗北を喫したことで噴出したのだとベルは話す。
 グリゼルダから聞いた話では貴族たちによる責任の押し付け合いで議会が荒れ、ロムン本国は混乱に陥っていると言う話だった。
 恐らくはアルタゴ公国との戦争も、近いうちに継続不可能となる可能性が高いとの目算をグリゼルダは立てていた。
 そんな状況で、セイレン島へ更に追加の艦隊を送る余裕があるとは到底思えない。

「じゃあ、こっちから攻めるってのは?」

 敵が混乱しているのなら、徹底的に潰すチャンスだとシャーリィは主張する。
 確かに一方的に喧嘩を売られた以上、シャーリィの主張には考慮の余地があるように思える。
 しかし、それには問題があった。

「人手が足りませんわ」

 攻めるのは容易いが、むしろ厄介なのは攻め滅ぼした後のことだ。
 島の開発だけで手一杯なのだ。面倒なことは極力避けたいと言うのがベルの本音だった。

「まあ、相手の出方次第ではその必要も出て来るでしょうけど、騎神の出番はありませんわね」

 戦力差を考えれば、騎神の出番はない。飛空艇や機甲兵があれば、ヴァルカンたちだけでも十分に対処が可能だ。
 実際にそうした戦力を背景に、水面下ではロムンとの交渉が進められていた。
 休戦を条件に、セイレン島及びセルセタの領有権を認めさせることは恐らく可能だろうとベルは見ていた。
 アルタゴ公国との戦争も継続が難しくなっていることを考えれば、本国から遠く離れた植民地を今後も維持していけるほどの余裕がロムンにはないからだ。
 ロムンが取れる選択は少ない。しばらくは国力の回復に努める他ないだろう。
 とはいえ、

(このままだと、シャーリィの方が暴発≠オそうですわね)

 シャーリィは生粋の猟兵だ。
 それも闘争を好むオルランド一族の血を色濃く受け継いでいる。
 楽しみにしていただけに、思っていた以上に張り合いがなく落胆も大きかったのだろう。
 島での生活でストレスも少なからず溜まっていることから、このまま放置すればシャーリィが暴走する可能性が高いとベルは見る。

「仕方がありませんわね。このことは黙っていようかと思いましたけど……」
「ん? なんの話?」
「やっとクロスベルとの通信が繋がったのですが、あちらもいろいろ≠ニあるみたいで」

 戦力が足りていないみたいです、とベルは話す。
 ユグドラシルを使った中継システムで、クロスベルとの通信が開通したのが二日前のことだった。
 とはいえ、いまのところ連絡を取れるのはカレイジャスとだけで〈ARCUSU〉に直接通信を繋ぐことは出来ない。
 それでもリィンとノルンに頼ることなく、カレイジャスと通信のやり取りが出来るようになったのは大きな進歩と言えた。

「……戦力が足りてない?」

 面白い話を聞いたとばかりにシャーリィは笑みを浮かべる。
 ヴァルカンはこっちにいるが、暁の旅団の主力メンバーは大半があちらの世界に残っている。
 少々の相手に後れを取るとは思えない。ましてやリィンとヴァリマールがいれば、大抵の敵はどうとでもなる。
 なのに戦力が足りていないと言うことは、それほどの状況に置かれているという証明でもあった。

「なんでも闘神≠ェ蘇ったそうですわ。それに北の大佐≠ウんも」

 俄には信じがたい話を聞かされるも、益々興味をそそられた様子でシャーリィは目を輝かせる。

「バルデル伯父さんがね。面白そうなことになってるじゃん。そういう話をするってことは行っても良いんだよね?」
「ええ、ついでにノルンさんの護衛≠お願いしますわ」
「ああ、そういうこと」

 通信手段が確保できたと言うことは、ノルンをこの島に縛り付ける理由はない。
 クイナが少し寂しい思いをするかもしれないが、この件に関しては彼女も納得していた。
 通常の護衛であればツァイトだけでも十分だが、それだけでは不十分≠セとベルは考えているのだろう。
 もし、ベルの考えが正しいのだとすれば――

「いいね。思いっきり暴れられるってことでしょ?」

 聖獣でさえ、どうしようもない。全力で暴れても問題のない相手がいると言うことだ。
 それこそ、騎神を必要とするほどの戦いが迫っているのだと、シャーリィはベルの言葉を受け取るのだった。


  ◆


「てっきり止めるかと思いましたけど……意外ですわね」
「俺は別にシャーリィの保護者じゃないからな」

 好きにさせるさ、とヴァルカンはベルに答える。
 シャーリィのお守りをリィンに任されたとはいえ、納得して引き受けた訳ではない。
 少しはリィンも苦労をすればいいと言うのが、ヴァルカンの本音だった。
 それに――

「力を持て余しているみたいだし、無理に抑え込むよりかは思いっきり吐き出させた方がいいだろ?」
「あら? 気付いていたのですわね」
「あれだけ派手にやらかせばな……」

 加減をしろと事前に言っておいたのに、一撃で敵艦隊の半数近く――五百隻を吹き飛ばしたのだ。
 紅き終焉の魔王の力を取り込んだという話だったが、シャーリィが力を制御しきれていない証拠だとヴァルカンは考えていた。

「まさしく狂戦士≠フ血だな」

 中世より続く狂戦士の一族。一騎当千の猛者たちを率いるのがオルランドだ。
 どうにか自制しているようだが、頻繁にシャーリィが狩り≠ノ出掛けていたのは、衝動を抑えるためだとヴァルカンは見抜いていた。
 リィンも薄々とではあるが、シャーリィの変化に気付いていたのだろう。
 だからロムンとの戦争を任せることで、鬱憤を吐き出させるつもりだったのだと考えられる。
 しかし、それでもシャーリィは満足しなかった。いや、出来なかったのだ。

「フフッ、気付いていたのなら相手をしてあげればよかったのでは?」
「……俺を殺す気か?」

 シャーリィの相手が務まらないことは、ヴァルカン自身が一番よく分かっていた。
 戦闘力だけで言えば、間違いなくシャーリィはリィンに次ぐ強者だ。
 それこそ、いまのシャーリィなら〈赤の戦鬼〉とも互角以上に戦えるだろう。
 いや、それどころか――

「いまのシャーリィさんなら、かの聖女に匹敵するかもしれませんわね」

 人の域を超えた強者。怪物と言える領域にシャーリィは踏み込んでいるとベルは見ていた。
 同じ領域に届きつつあるフィーや、リーシャにエマと言ったメンバーに加え――
 騎神という戦力も加味すれば、既に〈暁の旅団〉の脅威は〈結社〉を凌駕している。
 本当に興味が尽きないと言うのが、ベルの正直な感想だった。
 それこそ、盟主の誘いを蹴ってリィンにつくことを決めたのは間違いではなかったと思えるほどに――

「まあ、怪物の相手は同じ怪物に任せて、俺は出来ることをするだけだ」
「懸命な判断ですわね。そういうところをリィンさんも頼りにしているのでしょうけど」

 それはどうも、とヴァルカンは肩をすくめる。
 強さと言う意味では、ヴァルカンはリィンやシャーリィどころか、フィーやリーシャにも劣る。
 しかし、リィンが敢えてヴァルカンに副団長の地位を与えているのは、猟兵としての経験の豊富さも理由にあるが、自分の役割をしっかりと理解しているからだ。
 暁の旅団のメンバーは若い。若さに任せて突っ走るメンバーが多いだけに、ヴァルカンのような大人が必要だと考えてのことだった。

「自覚があるのかは知らないが、シャーリィの心配をしている時点でお前さんも同じ≠セろ?」

 まさか、そう返されるとは思ってもいなかったのだろう。
 ベルは目を丸くする。そして――

「違いありませんわね」

 少なくともリィンの影響を受けているのは自分も例外ではない、と認めるのだった。


  ◆


 世界と世界を繋ぐ次元の狭間。
 精霊の道とも呼ばれる空間に、悲鳴にも似たラクシャの声が響く。

「どうして、わたくしまで!?」

 騎神の腕に捕まりながら、説明を求めるラクシャ。それも無理はなかった。
 なんの説明もないままノルンと一緒にいるところをシャーリィに捕まって、半ば強引に連れて来られたのだ。

「……なんとなく?」
「ちゃんとした理由はないのですか!?」

 騎神の操縦席で首を傾げながら答えるシャーリィに、あんまりだとラクシャは抗議する。
 説明をしている時間が惜しくて、そのままノルンと一緒にラクシャもさらってきたのだ。
 理由などあるはずもなかった。

「ラクシャもこっちに乗る?」
「いえ、乗り心地が悪くて怒っている訳ではないのですが……もう、いいです」

 蒼き巨狼――幻の聖獣ツァイトの背には、ノルンの姿があった。
 相変わらずマイペースなシャーリィとノルンを見て、これ以上は何を言っても無駄とラクシャは諦める。
 どのみち連れて来られた以上は、一人で勝手に帰ることも出来ないのだ。
 なら、大人しく状況を受け入れるしかない。
 それに――

「ゼムリア大陸……それにクロスベルでしたか」

 リィンたちが生まれ育った世界に興味があったのは確かだった。
 まさか、こんな風に訪れることになるとは思ってもいなかったが、丁度よい機会だとラクシャは前向きに考える。
 自分に何が出来るのか? これから、どう生きるべきなのか?
 以前、リィンに尋ねられた答えをだすためにも、彼等の世界を一度見ておきたいと思っていたからだ。

「良いところだよ。凄く大きな街だから、ラクシャも驚くと思う」
「話には聞いていますが、今一つイメージが湧かないと言うか……」

 クロスベルの話は、ベルやシャーリィからも聞いている。
 しかし話を聞いてもロムンの帝都やガルマンの王都よりも大きな街と言うのが、想像できないというのがラクシャの本音だった。
 そもそも、人口五十万という数字を聞いてもピンと来ない。
 もはやそれは街と言うよりも、ラクシャたちの世界の常識から言えば国≠ニ呼んでも差し支えがないからだ。

「あっちに着いたらお詫び≠ノシャーリィが観光案内してあげるよ。クロスベルの街なら、それなりに詳しいしね」
「それは嬉しい申し出ですが……何か用事があったのでは?」

 急いでいた様子からも、あちらの世界で何かが起きたのだとラクシャは察していた。
 シャーリィがこれほど慌てる理由。一番に考えられるのは、リィンの身に何かあったと言うことだ。
 リィンもアドルと同様、運命に愛されていると言うか――トラブル体質と言っていい。
 また面倒なことに首を突っ込んでいるのではないかと、ラクシャは考えていた。

「用があると言えばあるけど、ちょっと確かめておきたいことがあってね。案内はそのついでだと思ってくれていいよ」
「そういうことなら……」

 嫌な予感を覚えつつも、どのみち拒否権はないと悟ってラクシャは頷くのだった。



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