「はあ……」
肩を落としながら深々と溜め息を漏らすリィン。
そんな彼の視線の先には、近寄りがたい雰囲気を纏いながらデアフリンガー号の整備士たちに指示をだすアリサの姿があった。
作戦に間に合わせようと夜通しで整備した機甲兵を、一度の出撃で部品の交換が必要なほどのダメージを負わされたのだ。
しかも敵に壊されたのならまだ納得は行くが、味方の攻撃の巻き添えを食った結果となれば、彼女が機嫌を損ねるのも無理はなかった。
「兄上、すみません。私がもっと上手く操縦できていれば……」
アリサを怒らせた原因の一つは自分にあると考え、リィンに頭を下げるラウラ。
リィンから託された機体を壊してしまったという申し訳なさと、力不足を痛感してもいるのだろう。
しかし、
「ラウラが謝ることないわよ。事前になんの説明もなく、あんな範囲攻撃を使ったリィンが悪いんだから」
そもそもの原因はリィンにあると、アリサはラウラのフォローに回る。
リィンがラグナロクなんて危険な技を使わなければ、機甲兵がこんなダメージを負うこともなかったのだ。
リィンとラウラのどちらに責任があるかと言う話をすれば、それは勿論リィンの方が責任が重いとアリサは考えていた。
そのことに関して、リィンも異議を唱えるつもりはなかった。
あの時はあれが最善だと思って行動したことは確かだが、味方を巻き込んだことには違いないからだ。
「悪かった。いい加減、機嫌を直してくれないか?」
「……本当に反省してる?」
「ああ。今後は味方のいる場所で、ラグナロクを使わないと約束する」
渋々と言った様子ではあるが、今回だけよと怒りを静めるアリサ。
アリサが怒っているのは、何も調整したばかりの機体を壊されたからだけではない。
今回は機体の損傷だけで済んだが、一歩間違えればラウラたちの命を危険に晒していた可能性もあるのだ。
幾ら味方に当たらないように効果範囲を絞ったと言っても、絶対に間違いが起きないという保証は無い。
実際、味方の機甲兵に被害がでたのは、リィンの予想よりもラグナロクの威力が大きかったからだ。
セイレン島での経験を経て、更に力が増しているのが原因だとは思うが、それは言い訳にならない。
アリサに責められても仕方がないと、リィン自身も今回のことは反省していた。
「ラウラも悪かったな」
「い、いえ、兄上に謝って頂くほどのことでは……」
「今度、何か埋め合わせするから許してくれ」
本人は埋め合わせのつもりなのだろうが、期待に満ちた目をリィンに向けるラウラを見て、アリサの表情が更に険しくなる。
ラウラの好意に気付いていて素でやっているのだから、たちが悪いと言わざるを得なかったからだ。
とはいえ、この流れは自分にとってもチャンスだとアリサは考える。
リィンが自分から口にした約束を破ることは絶対にないと知っているからだ。
「私にも当然、埋め合わせをしてくれるのよね?」
ここぞとばかりに便乗し、当然その権利は自分にもあると主張するアリサ。
状況的に拒否権などあるはずもなく、仕方がないと肩を落としながらリィンはアリサの要求に頷くのであった。
◆
「でも、さすがにこれ≠回収して帰ってきたことには驚いたわ」
そう言って、アリサが視線を向ける先には、壊れて動かなくなった神機が横たわっていた。
アイオーンTYPE-β。シャーリィのテスタロッサに翼を撃ち抜かれ、森に墜落した機体だ。
「他の二機も回収しておきたかったが、さすがにそこまでの余裕はなかったからな」
リィンがラグナロクを放ったもう一つの理由。それは〈結社〉の神機を密かに回収することにあった。
神機はゴルディアス計画の集大成。結社が保有する兵器のなかでも最重要機密に位置する機体だ。
当然、技術の流出は警戒しているはず。素直に回収させてくれるほど甘くはないだろう。
だからリィンはラグナロクで森ごと神機を消滅させたのだ。その内の一機をどさくさに紛れて鹵獲するために――
風魔の壺と呼ばれる理法具を元に作られたユグドラシルの空間倉庫は、直接手で触れていなくとも一定の範囲にあるものであれば亜空間に取り込むことが出来る。そのため、騎神や機甲兵のような大きなものすら収納できる自身の空間倉庫なら、神機も回収できるのではないかとリィンは考えたのだ。そして、その目論見は上手く行った。とはいえ、一度に複数の対象物を指定して収納したりは出来ないし、手で直接触れなくても良いと言っても効果範囲は狭い。一番近いところに墜落して動けなくなっていたTYPE-βを回収するので精一杯だったと言う訳だ。
「それで、どうにかなりそうか?」
「材質は〈アルターエゴ〉に使われているものとよく似ているけど……正直やってみないと分からないわね。でも、出来るだけのことはやってみるわ」
リィンから神機の解析をアリサは頼まれていた。
神機を回収したのは新たな技術を得るためというのもあるが、結社の目的が何か分かるのではないかと考えたからだ。
それに〈アルターエゴ〉で得たデータの蓄積もある。解析に時間は掛かるが、可能性がない訳ではないというのがアリサの見立てだった。
「それよりもいいの?」
「ああ、その方が仕事も早く済むだろ?」
「まあ、それはそうだけど……」
神機の傍で何やら作業をしているシュミット博士を見て、リィンに尋ねるアリサ。
協力が得られるのは確かに助かるが、シュミット博士は団の部外者だ。
どこまで協力を求め、どこまで情報を開示すべきか、アリサは悩んでいた。だからリィンに判断を委ねることにしたのだ。
団の部外者である博士に協力を求めるのは、情報の漏洩という面でリスクがある。
だが、人手が足りないのも事実だ。時間が惜しい現状を考えると、多少のリスクには目を瞑るしかない。
それに――
「注意したところで、素直にこっちの指示に従ってくれるような人物じゃないだろ?」
この手の科学者にありがちな話だが、自身の欲求に忠実な人間が多い。
特にシュミット博士は立場や命よりも、知識欲や好奇心を優先するタイプの人間であることは見て取れる。そうでなければ危険を冒してまで、デアフリンガー号に同乗したりはしないだろう。
そういう人間は上から抑えつけようとしたところで、上手く行かないことの方が多い。
だが、互いにメリットがあると臭わせることで、利害関係を結ぶことは難しくないとリィンは考えていた。
それに、そういう相手の方が信用できる。
逆に言えば相手の要求さえ満たしてやれば、裏切られる可能性は低いからだ。
「博士をこっち≠ノ引き込む気?」
「可能ならな。飼い慣らせるような相手じゃないとは分かっているが……」
最低でも協力関係は維持したい、とリィンはアリサの問いに答える。それに、このままではアリサの負担が重すぎるともリィンは考えていた。
団の技術顧問をリィンから任され、更には会社の経営にも携わっているアリサの仕事は多岐に渡る。いまの状態が長く続けば、シャロンの助けがあるとはいえ、アリサ一人では仕事を回しきれなくなることは確実だ。最悪、アリサが倒れでもしたらユグドラシルの開発を含め、いま進めている計画の大半が中断を余儀なくされる。だからリィンはアリサの負担を減らすと言う意味でも、彼女の代わりを務められる技術者を欲していた。
話の流れからシュミット博士をその候補の一人として考えているのだと、アリサは察する。
「博士の興味を惹くことが出来たとしても、帝国が絶対に博士を手放さないと思うわよ?」
「だろうな。まあ、そこは考えがある。何も団≠ノ引き抜こうって話じゃないからな」
リィンには何か考えがあるのだと察して、そういうことならとアリサもそれ以上の追求を止める。
何をしようとしているのか、正直に言えば気になる。しかし、話を聞いてどうにかなる問題でもない。
むしろ、いまは余計なことにリソースを割きたくないというのがアリサの本音でもあった。
(あれもこれもと欲張っても、いまは人手が足りない。私も出来ることには限界があるし……)
シュミット博士のことはリィンがどうにかしてくれると言うのなら、少なくとも心配事の一つは減る。
実際、博士の協力が得られるのであれば、かなり労力を減らすことは可能なのだ。それにティオやヨナだっている。
リィンなりに気を遣ってくれているのだろうとアリサは考え、いまは目の前のことに集中しようと自分を納得させるのであった。
◆
「ううっ……眠い……疲れた。炭酸が足りない」
「口を動かさないで、手を動かしてください。お昼を抜きにしますよ?」
「鬼か!? というか、幾らなんでも人使いが荒すぎるだろ!?」
それから二日が経ち、デアフリンガー号の格納庫でノート型の導力端末を広げ、一緒に作業をするヨナとティオの姿があった。
ここ数日まともに睡眠を取っていないのだろう。二人とも表情に疲れが見える。
そんななか、ぐちぐちと不満を漏らすヨナに容赦のないツッコミを入れるティオ。
「何処かの誰かさんが弱味を握られたりしなければ、こんなことになっていないのですけどね」
「う、くっ……大体、アンタはいいのかよ?」
分が悪いと悟ってか、話を逸らすようにティオに質問を返すヨナ。
本当に納得してリィンに協力しているのかと問われれば、ティオは素直に頷くことは出来ない。
全面的に信用して良い相手かと言うと、そうとは言い切れないからだ。
だが、
「信用は半々と言ったところでしょうか? ですが、実力の方は信頼してます」
少なくとも実力≠フ面において、リィン以上に頼れる相手はいない。
黒の工房と本気で事を構えるのであれば、少なくともリィンの協力が不可欠だとティオは考えていた。
ましてや、この件に〈結社〉も関与しているとなると、尚更リィンの力は必要だ。
正直に言えば、リィンのやり方に納得していない部分はある。しかし、理想と現実は別だ。
想いだけでは成し遂げられないことがあると、ティオはクロスベルの事件を通して学んだ。
だから、こう考えることにしたのだ。
「私たちの力が必要なのは、あちらも同じ。なら、こちらも彼等を利用するだけです。それに情報を集めるのであれば、彼等と共に行動をするのが一番ですから」
リィンが自分たちを利用するのであれば、自分たちもリィンの力を利用してやろうと――
そんなティオの考えを理解して、少し驚いた様子を見せるヨナ。
昔から犯罪すれすれなことをやってきた自分と違って、ティオがそんなことを口にするとは思ってもいなかったからだ。
「……なんですか?」
「いや、人間変わるもんだなと思って。僕のことを犯罪者予備軍≠ニ言ってた奴の言葉とは思えないからさ」
微妙に痛いところをヨナに指摘され、複雑な感情を表情に滲ませるティオ。
昔の自分がヨナの言うように、少しばかり融通の利かない性格をしていたことは自覚があるからだ。
とはいえ――
「私は引き籠もり≠ナはないので一緒にしないでください」
「そ、それは昔の話だろ!? こうして付き合ってやってる訳だし!」
「そう言って、いまも引き籠もってるじゃないですか」
ヨナと一緒にされるのだけは納得が行かなかった。
実のところ帝都を発ってから、ヨナはデアフリンガー号を一度も降りていない。
ルーレでその機会はあったと言うのに、ずっと車内に引き籠もっていたのだ。
そもそも外の空気を吸いに出掛けるくらいはしてもいいものだが、ヨナは一歩も外へでる気配がない。
これでは引き籠もりと言われても仕方がなかった。
「そ、それは仕事がまだ残ってるから……」
「仕事ですか……」
確かにリィンが鹵獲してきた神機の解析の手伝いを二人は頼まれていた。
とはいえ、急ぎの仕事かと言えば、実際のところ特に期限を切られている訳ではない。
それに――
「ここのシステムでは、これ以上の時間をかけても難しいですね」
エプスタイン財団の秘蔵っ子と言われるティオやヨナでも、どうしようもないことはある。
そもそも神機のシステムには、アストラルコードが使用されているのだ。
デアフリンガー号には最新の機材が積んであるが、それでも結社の使うアストラルコードを解析できるほどではない。
五次元化された強度の霊子暗号を解くには、通常の機材では天文学的な時間を必要とするからだ。
いまのままなら、何週間。いや何ヶ月、何年かけたとしても神機に施されたプロテクトを解除することは出来ないだろう。
この暗号を解くには、同じアストラルコードで組まれたシステムが必要だとティオは考えていた。
「キーアがいれば、別のアプローチも考えられるのですが……」
零の巫女ではなくなったとはいえ、キーアには特殊な力≠ェある。
彼女の力を使えば、或いはこの暗号を解くことも可能かもしれない。
しかしカレイジャスが襲撃を受け、レンと共にキーアが誘拐された話はティオも耳にしていた。
「確か因果律の可視化≠セっけ? ちょっとしたチートだよな」
「え……」
どうして、そのことを知っているのかと言った目でヨナを見るティオ。
このことが知られるとキーアの身が危ういと考え、財団にも報告をしていなかったからだ。
「カレイジャスにハッキングを仕掛けた時に目にしたんだよ。まあ、他にたいした情報は手に入らなかったんだけど……」
「カレイジャスにキーアのデータが? どうして、そんなものが……」
カレイジャスにあるのかと考えるが、エリィもキーアの能力に気付いている可能性が高いことにティオは思い至る。
だとすれば、リィンがそのことを知っていても不思議ではないと考えたのだ。
それに――
「彼女に頼めば、もしかして……」
リィンのもとにいるキーアそっくりの少女のことを思い出すティオ。
リィンから運命≠フ名を与えられた少女。
彼女ならキーアと同じか、それ以上のことが出来る可能性が十分にあるとティオは考え、
『珍しいな。お前の方から連絡してくるなんて。どうしたんだ?』
「相談があります」
リィンの端末に通信を送り、相談を持ち掛けるのだった。
◆
「ティオのお手伝い?」
「悪いけど頼まれてくれるか?」
「それは別にいいけど……でも、一人で大丈夫?」
「ああ、問題ない。ノルンの力を借りるほどのことじゃないさ」
「そう言って、リィンは一人で無茶するから。この間の件だって私を呼べば、もっと上手くやれたよね?」
先日の件を言われているのだと察して、リィンは少しバツの悪い顔を浮かべる。
少なくともノルンを呼べば、ラグナロクを使わずともエル=プラドーを圧倒できたことは間違いないからだ。
それに、使えるものはなんでも使う。それが本来の猟兵のやり方だと言われれば、手を抜いたと言われてもリィンは否定できなかった。
「確かにリィンは強いよ。でも……人間≠甘く見ない方がいい」
「肝に銘じておくよ」
そう言ってリィンに注意を促すと、転位陣を発動して姿を消すノルン。
天狗になっていたつもりはないが、確かに甘く見ていたかもしれないとリィンは考える。
バレスタイン大佐にせよ、闘神バルデルにせよ、この世界で最強クラスの強者であることは間違いないのだ。
勝てない相手ではないとはいえ、甘く見て良い相手ではない。そこは反省すべき点だと気を引き締め直すリィン。
それにノルンの忠告≠ヘ良く当たる。
「……ガイウスに監視を頼んでおいて正解だったみたいだな」
店(ノイエブラン)の窓から空を見上げると、一羽の鷹が目に入る。ガイウスの相棒のゼオだ。
あれから二日。ようやく動きがあったのだと察して、リィンは薄い笑みを浮かべるのだった。
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