「アルフィンがいなくなった?」

 城の兵から上がってきた報告に眉をひそめるオリヴァルト。とはいえ、特に驚いた様子を見せない。
 兄としてはすべてが終わるまで妹には安全な場所で大人しくしていて欲しいと願っていたが、アルフィンの性格を考えればこのままじっと静観していられるとは思っていなかったからだ。
 むしろ、彼女にしては我慢をした方で行動にでるのが遅すぎるくらいだとさえ考えていた。

「目下捜索中ですが、行方は知れず……離宮の警護に当たっていた者の話では、忽然と姿を消したと」

 周囲を深い谷に囲まれたカレル離宮を行き来するには、街道から続く石橋を通るしかない。
 当然、離宮へと通じる街道や橋には監視を兼ねた兵を配備しており、その道をアルフィンたちが通ったのであれば見逃すとは思えない。
 しかし現実として、アルフィンたちは兵士たちに見つかることなく離宮から姿を消した。
 アルフィンの知り合いで、そんな非常識≠ネ真似が出来る人物と言えば限られる。
 となれば――

「城からも捜索の兵を回しますか? 第一に応援を求めると言う手も……」
「いや、その必要はない。僕の想像が正しければ、被害を大きくするだけだろうからね」

 そんなオリヴァルトの答えに首を傾げそうになるも、兵士は一礼をして立ち去る。
 離宮から姿を消したとはいえ、そもそもアルフィンは虜囚ではない。この国の皇女だ。
 兵士たちにしても、自分たちの国の皇女に剣を向けるというのは複雑な葛藤があるのだろう。
 内心ほっとしている様子は、その反応からも容易に察することが出来た。

「……やはり、アルフィンは皆に慕われているみたいだね」

 それもアルフィンの人徳があってこそだとオリヴァルトは考える。
 先の粛清の一件から、アルフィンを恐れる貴族たちは多い。だが、その一方で彼女を慕う国民も多いのだ。
 帝国の至宝とまで呼ばれたアルフィンの人気は、クロスベルの総督となった後も衰えを見せない。それどころか、リィンを陣営に引き込んだアルフィンこそが内戦を終結へと導いた真の立役者だとする噂が何処からか市井に広がり、彼女のことを『聖女』と称える人々まで現れ始めていた。
 そのため、皇家の求心力が低下する中、アルフィンの存在は皇家にとっても無視できない存在となっている。
 アルフィンを下手に扱えば、皇家は更に国民の支持を失うことになるだろう。
 帝国の歴史において初となる女皇の誕生を求める声があったことは事実だからだ。

 だが、仮にそんな真似をすれば、貴族たちが反発することは必定だ。
 セドリックを支持する者たちとアルフィンを擁立する者たちに分かれ、獅子戦役の再来となりかねない。
 本人たちがそれを望む望まないに拘わらず、周囲の思惑によって帝国は再び内乱の時代を迎えることとなる。
 そんなことになれば、虎視眈々と機会を窺っている共和国が黙って静観しているとは思えない。
 ノルド高原の一件を振り返っても、帝国に対して何かしらの干渉を行なってくることは明白であった。
 そうなったら、より多くの国民の命が奪われることになる。
 だからこそ、セドリックに帝位を継がせる以外に選択肢はなかったのだ。
 しかし――

「それがセドリックの重荷≠ノなると分かっていながら無理を強いてしまった。本当に情けない兄だよ」

 すべての責は自分にあると、オリヴァルトは自嘲する。
 国の安定のために仕方のないことと自分を偽り、その重責をセドリックに背負わせてしまっている。その結果が現在のこの状況なのだから笑えない。
 帝国の抱える闇≠ェ、よもやこれほど大きく深いものだとは想像もしていなかったからだ。
 いま思えば、先代の皇帝ユーゲント三世がギリアス・オズボーンの話に乗ったのは、代々皇帝となるものが受け継いできた使命と役割を自分の代で終わらせるつもりだったからかもしれないとオリヴァルトは考える。
 心優しいセドリックでは、きっと耐えられない。父親として子供たちの行く末を案じたのであろう。

「リィンくんと話をすれば、少しは良い方向へ進むかと期待したんだけどね……」

 離宮で夜会を催し、そこにリィンを招いたのは最初から思惑があってのことだった。
 心優しかったアルフィンがあそこまで強くなれたのは、間違いなくリィンの影響が大きいと考えていた。
 だからこそ、リィンとの会談の席を設けることで、セドリックにも良い影響があればとオリヴァルトは期待したのだ。
 結論から言えば、何も影響がなかった訳ではない。リィンと話すことで、セドリックは『皇帝としてどうあるべきか?』自分なりの考えを得た様子だった。
 しかし、その答えが――先の政府からだされた声明に現れている。
 貴族たちが先の内戦の失態を埋めるためにノーザンブリアとの開戦を望んだように、セドリックも父より受け継いだ皇帝の権威を盤石なものとするために更なる戦いを望んだと言うことだ。
 口で言って従わない者たちに言うことを聞かせるには、力を示すしかない。
 リィンのように――誰もが英雄と讃える圧倒的な力を示す場を、彼は戦場≠ノ求めたのだろう。
 しかし、

「呪い≠ゥ。厄介なものだな」

 そんな風にセドリックが変わってしまったのには、別の外的要因。
 彼の心の隙を突いた悪しき存在がいることを察している人物がいた。
 レグラムの領主にして〈光の剣匠〉の名で知られるアルゼイド流の剣士――ヴィクター・S・アルゼイドだ。

「子爵閣下……このようなことに付き合わせてしまい、申し訳ない」
「それは違う。元より国のため、皇家のために剣を振うのが、我等アルゼイドの本懐」

 後の世に不名誉な名を遺すことになろうとも、皇家への忠誠が揺らぐことはない。
 アルゼイドの名を継ぐ者として、為すべきことを為すために自分はここにいる。
 それがヴィクターのだした答えであった。
 それに――

「意志なら既に託してきた」

 そう話すヴィクターの曇りのない表情を見て、オリヴァルトは何があったのかを察する。
 こうなることを予見して、ヴィクターを呼び寄せたのはオリヴァルト自身だからだ。
 恐らくはラウラに自らが持つアルゼイドの技をすべて、継承させたのであろう。
 ヴィクターも何かしらの予感を覚えていたのかもしれない。

「オリヴァルト殿下……いや、宰相閣下の望むようにされよ。我がヴィクター・S・アルゼイドの名に懸けて、閣下の進む道を切り拓く剣となろう」

 胸元に手を当てながら頭を垂れ、騎士の礼を取るヴィクター。
 そんなヴィクターの忠誠に、オリヴァルトは心からの感謝をする。
 だからこそ、その決意を無駄にすることは出来ない。
 皮肉にもギリアスと同じ道を自身が歩もうとしていることに、オリヴァルトは苦笑を漏らすのだった。


  ◆


「帝都の地下水路に、こんな道があったなんて……」

 教会に隠された隠し通路から水路に入ったかと思えば、皇城へと続く隠し通路へと案内されてアルフィンは呆れと驚きに満ちた声を漏らす。
 皇女である彼女ですら、こんな道の存在は聞かされたことが一度もなかったからだ。
 長く人が通った形跡はないが、恐らくは古い時代に作られた避難経路の一つだろうと推測できる。

「獅子戦役よりも前の時代に作られた隠し通路らしいな。最後の決戦の時、ドライケルス帝と聖女が城へ潜入する時に使用したそうだ」
「……まるで見てきたように仰いますが、その話を一体誰から?」
「ロゼに決まってるだろ。あいつこそ、歴史の生き証人だしな」

 リィンの説明に、なるほどとアルフィンは納得する。
 恐らくは戦乱のどさくさで忘れ去られたのであろう。いや、ドライケルス帝が知っていたとなれば、敢えて後世に伝えずに残したという見方の方が自然だ。
 戦乱が再び起きることを予見して、必要とする者が現れることを見越して通路を塞がずにそのままのカタチで残したのだろうとアルフィンは考える。
 しかし、仮にそうだとすれば――

「エマさんのお祖母様は、ドライケルス帝と面識があるのですか?」
「言ってなかったか? ドライケルスのもとには聖女の他に善き魔女≠ェいたらしいぞ」
「……え?」
「そもそも〈灰の騎神〉の前の乗り手はドライケルスだ。で、ドライケルスが灰の起動者となるために導いた魔女というのが――」

 ローゼリアだと、歴史に記されなかった真実をサラリと口にするリィン。
 ある程度は話の流れから予想はしていたとはいえ、目を丸くして固まるアルフィン。
 驚くのも無理はない。自身の祖先もローゼリアの世話になっていたとは思ってもいなかったからだ。

「どうして、それを最初に仰ってくださらなかったのですか!?」
「必要な情報か?」
「一番、大切なところを端折ってるじゃないですか! リィンさんにとっては不要でも、わたくしたち皇家の人間にとっては重要な話ですよ。それ!」

 情報を得るためにローゼリアの昔話に付き合いはしたが、彼女が過去に何を為そうとリィンにとっては然程重要な話でもなかったのだろう。
 しかしリィンの話が確かなら、アルノール皇家にとってローゼリアとは大恩人と言うことになる。
 彼女がいなければドライケルス陣営が勝利することはなく、いまの皇家はなかったという見方も出来るからだ。

「その辺りになさい。そろそろ、出口みたいよ」

 ヴィータが間に割って入ったことで、渋々と言った様子ではあるがリィンへの追及の手を止めるアルフィン。
 まだ納得した訳ではないが、そんなことをしている場合ではないと自覚はあるのだろう。
 あとでちゃんと説明してもらいますからね、と言った目でアルフィンに睨まれながら、やれやれと肩をすくめるリィン。

「リィンさん……気付いていますか?」

 城へと通じる隠し階段の前でレイフォンは足を止め、リィンに尋ねる。
 早く登って来いとばかりに、自分たちに向けられた殺気に気付いたからだ。
 だとすれば、この隠し通路の存在もバレていて、待ち伏せされていると考えるのが自然だった。

「やっぱり、アイツの話は話半分に聞いて置いた方が正解だな」

 ある意味で予想通りの展開に、リィンは溜め息を吐く。
 オリヴァルトであれば、このくらいの手は打っているはずだと思っていたからだ。
 さすがに一筋縄ではいかないかと腹を括るリィンを見て、アルフィンは不安そうな表情を浮かべる。

「リィンさん、まさか……お城を吹き飛ばしたりはしませんよね?」

 レイフォンのような心配を口にするアルフィンに反論しようとするも、前に異界化した城を崩壊させたことを思いだし、リィンはサッと視線を逸らす。
 少なくとも可能か不可能かで言えば、城どころか街を消し飛ばせるだけの力がリィンにはあった。
 もっとも、そんな真似をすればアルフィンたちも巻き込んでしまう可能性が高いので、余程のことがなければ使えない力なのだが――

「エステルから話は聞いていたけど、アンタこれまでにどんなことやってきたのよ……」

 アルフィンの問いに答えず誤魔化すリィンを見て、呆れた様子でツッコミを入れるシェラザード。
 リィンの噂については、俄には信じがたい非常識なものが多い。
 エステルの証言があるとはいえ、余りに個人的な感情が入りすぎていて情報としての精度は低く、余りアテにならないというのがシェラザードの感想だった。
 だからこそ、噂されている話がどこまで真実なのか測りかねていたのだろう。
 しかし、アルフィンの反応やリィンの態度を見ていると、少なくとも城を吹き飛ばすことくらいは可能なのだと察せられる。
 この様子では、下手をすると噂自体。誇張されているどころか、まだオブラートに包まれている可能性が出て来る。
 これまでに一体どんなことをしてきたのかと、シェラザードが気にするのも当然であった。

「ヴィータ。最悪の場合、アルフィンたちのことを頼めるか?」
「それは別に構わないけど……そうならないように努力しなさいよ」
「そのつもりだが、そこそこ本気をださないことには厳しそうな相手だからな」

 この先で待ち受けている相手に察しを付け、リィンは難しい表情を浮かべる。
 さすがに城を吹き飛ばすつもりはないが、そのくらいの覚悟でやらないことには勝てない相手だと感じてのことだった。
 そこに――

「なら、私に任せてもらえませんか?」

 レイフォンが手を挙げる。
 驚きに目を瞠るリィン。気配だけとはいえ、相手の実力が見抜けないほどレイフォンは間抜けではない。
 リィンですら本気をださなければ、厳しいと考えるような相手だ。
 とてもではないが、いまのレイフォンに敵うような相手でないことは明白だった。

「死ぬ気か?」
「いえ、そのつもりはありません。ですから……」

 レイフォンの視線が自分に向けられることを察して、リーシャは前へでる。
 レイフォンが名乗りでた理由。現状を考えると、それが最善の方法だと察したからであった。
 少なくともアルフィンとシェラザードの二人は、オリヴァルトのもとへ送り届ける必要がある。
 そして、その役目は自分たちではなく、リィンが負うべきだとレイフォンとリーシャは考えていた。
 戦争が始まってしまえばオリヴァルトと直接話をする機会は、もう二度と訪れないかもしれないからだ。

「リィンさんは、皆さんと先へ進んでください」
「いいのか? 俺の想像通りの相手なら、下手をすると〈聖女〉に匹敵するほどの相手だ」
「分かっています。ですが、守られてばかりで強敵から逃げていては強くはなれませんから」

 そう言って、じっと見詰め返してくるリーシャを見て、何か考えがあるのだとリィンは察する。
 レイフォンはともかくリーシャが勝算もなく、こんなことを口にするとは思えなかったからだ。
 ならば勝てないまでも、足止めをする策くらいは用意してあるのだろう。

「分かった。だが、引き際を誤るなよ? それとレイフォン――」
「はい」
「大口を叩いたからには結果を示せ。だが、無事に帰ってきたら例の約束≠ヘ真面目に考えてやる」

 リィンから思い掛けぬ報酬を提示され、興奮を隠せない様子で大きく目を瞠るレイフォン。

「やる気をだすのはいいが、リーシャの足を引っ張るなよ?」
「はい! 絶対にリィンさんが納得する結果をだして見せます!」

 本当に分かっているのか? と言った呆れた表情を見せるリィン。
 ぶら下げた人参が大きすぎたかと思うも、レイフォンの真価を確かめるには丁度良い機会だと考える。
 ここで倒れるようなら、この先の戦いについていくことは出来ない。
 その時はレイフォンに入団を諦めさせるべきだろう。
 しかし本人が言っているように結果≠示し、無事に生きて帰ることが出来たとすれば――

(もしかしたら至れる≠ゥもしれないな)

 皆伝へと至る剣士へと成長するかもしれない。
 そんな予感をリィンは覚えるのだった。



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