「……兄様、お話しがあります」
――と、話を切り出すエリゼ。
リィンはアルフィンにあてがわれた船室でエリゼの詰問を受けていた。
「随分と改まった様子で何の話だ?」
「ロジーヌさんとのことです」
エリゼが何を勘違いしているのかを察したリィンは、そのことかと面倒臭そうな様子で溜め息を吐く。
笑いを堪えているアルフィンの様子を見るに、彼女はエリゼが誤解していることに気付いているのだろう。
「また誰に吹き込まれたか知らないが……いや、予想が付くな。とにかく、ロジーヌとはそういう関係じゃないから」
「本当ですか? ラクシャさんとの関係も噂されていますが……」
「俺とラクシャはそういう関係じゃないぞ? ……まだな」
「いま、何か最後に付け加えませんでしたか?」
「気の所為だ」
ロイドやエステルと違い、リィンは決して鈍くない。
まだアドルのことを気にしてはいるようだが、彼女がアドルに重ねているのは父親の面影だ。
なんでもないとリィンが否定しないのは、ラクシャの気持ちに気付いているからだった。
「エリゼ、程々にしないとリィンさんに嫌われてしまいますよ。ヤキモチを焼く気持ちは理解できますが……」
「ひ、姫様!?」
この辺りが潮時と考えたのか、丁度良いタイミングで二人の間に割って入るアルフィン。
フォローに入るならもう少し早くしてくれと思うリィンだが、それをアルフィンに言ったところで無駄だと理解していた。
こうしたところはオリヴァルトの妹と言ったところだろう。
いや、ミュゼの性格も考慮に入れるとアルノールの血筋と言えるのかもしれない。
「そう言えば、ラクシャのことを知ってるってことは、もう顔を合わせたんだな」
「はい。ミュゼに紹介してもらいました。からかい甲斐のある……いえ、可愛らしい方ですね」
サラリと本音を口にしそうになって何事もなかったかのように訂正するアルフィン。
その反応を見るに、ラクシャとの間に何があったかを想像するのは難しくなかった。
ミュゼがアルフィンにラクシャを紹介したのも同じような理由だろう。
とはいえ、頭に元が付くと言ってもラクシャは貴族の娘だ。
所作にも貴族然とした振る舞いが見て取れる。
(そう言う意味では、ラクシャを連れてきたのは正解だったか)
一応、クルトやレイフォンもミュゼやアルフィンの護衛に付く予定だが、経験の差は簡単に埋められるものではない。
その点、ラクシャならアルフィンやミュゼの話相手にもなるし、護衛役としても最適だと考えるリィン。
ラクシャの性格から言って、アルフィンたちの身に危険が及ぶなら迷わず助けるだろう。
剣の腕も立つし、彼女なら少々の相手でも後れを取ることはないはずだ。
「そういうことなら仲良くやってくれ」
「はい、勿論。いろいろとためになる話も聞けますしね……」
不穏なことを口にするアルフィンに不安を感じながらも、他に適任者もいないことからリィンは自分を納得させるのだった。
◆
リィンたちがレミフェリアへと向かっている頃、アリサたちもレンとキーアを救出するための作戦の最終準備に入っていた。
ガイウスたちの協力やローゼリア率いる魔女の里の助力もあって、既に〈黒の工房〉の拠点については目星が付いている。
そこに二人が捕らえられているという確証まではないが、可能性としては最も高いだろうとアリサたちは考えていた。
出来るだけの準備はした。何が待ち受けていようとも乗り越えられる自信はある。
なら、あとは時か来るのを静かに待ち、為すべきことを為すだけだ。
とはいえ――
「リィンたち、そろそろ着く頃かしら?」
リィンのことが心配なのか?
オルディスの領主館にあてがわれた客室の窓から夜空を見上げ、ふとそんなことを呟くアリサ。
いや、違う。リィンがいなくて不安なのはきっと、自分の方だとアリサは思う。
これからリィン抜きで敵の本拠地へと乗り込むことになるのだ。
入念に準備をしたと言ってもアリサが不安になるのは無理もない。
「ダメね。こんなことじゃ……」
リィンがいればなんとかなる。リィンなら、きっとなんとかしてくる。
そう言って、これまでリィンにばかり頼ってきたツケが今ここで不安というカタチで襲って来ているのだろうと思う。
でも、それではダメなのだと気付いた。いや、気付かされたのだ。
たぶんリィンなら一人でも〈黒の工房〉を潰し、アルベリヒの野望を阻止することが出来る。
それだけの圧倒的な力がリィンにはあると、アリサは考えていた。しかし、そうしないのは守るべきものがあるからだ。
クロスベルが、ノーザンブリアが、帝国の現状がリィンの足枷となっている。
いまや世界中が〈暁の旅団〉の――リィンの動向を気にしている。いまのクロスベルには自分たちの力だけで大国の侵攻を食い止める力はない。仮にカレイジャスがクロスベルから動けば、共和国がどういう動きにでるか分からない。それは帝国にも言えるだろう。
迂闊に主要戦力を動かせない状況。そして、思うように動きが取れないのはリィンも同じであった。
いまのリィンの立場は微妙だ。英雄と噂される一方で、彼が猟兵であることから危険視する声もある。
仮にリィン一人の力で〈黒の工房〉を潰し、戦争を食い止めたとしても――
今度は世界がリィン・クラウゼルを嘗てのギリアス・オズボーン以上の脅威と見なすだろう。
最悪の場合、人々の不安を煽ることで〈暁の旅団〉を解散させ、騎神やカレイジャスを奪おうと画策するかもしれない。
それが帝国や共和国のような大国には出来る。だが、リィンの性格から言って大人しく従うはずもなく、どういう結果になるかは想像が付く。
だからこそ、世界からリィンが孤立≠キると言った最悪の未来は絶対に回避しなくてはならないとアリサは考えていた。
「また難しい顔をしてる。何を考えてるかは大体想像が付くけどね」
「フィー……あなたはリィンの妹なのでしょ? 心配じゃないの?」
「うん。仮に世界が敵に回ったとしても、私だけは……ううん、暁の旅団だけはリィンの味方だから。シャーリィなら思いっきり暴れられるって喜びそうだしね」
確かにシャーリィなら言いそうだと微妙な顔をするアリサ。
「そもそも忘れてない? 私たちは猟兵だよ。むしろ敵の方が多いし、怖がられることには慣れてるからね」
そもそもリィンのことを英雄だなんだと勘違いしている人々の方が間違いだとフィーは話す。
偶々救われた人たちがいたというだけの話で、それと同じかそれ以上に多くの人々から恐れられ、恨まれる存在だ。
実際、共和国の人々から見れば、リィンは悪魔の化身のように見えているはずだ。
いや、それは帝国の貴族たちも同じだろう。
実際、リィンはアルフィンの依頼で内戦に関わり、反乱を企てていた数多くの貴族を殺害している。
法に縛られず、権威を恐れず、敵には容赦がない。
権力者にとってこれほど扱いが難しく、不安を覚える要注意人物はいないだろう。
「……やっぱり兄妹ね」
「どういうこと?」
「リィンも同じようなことを言ってたのよ」
猟兵は決して正義の味方などではない。むしろ、世間的に見れば悪と呼ばれる側の存在だ。
確かにリィンはアリサに自分の団に入って欲しいと考えていたが、それを強制することはなかった。
猟兵と関わること。自分たちに協力することのデメリットを彼自身が一番よく理解していたからだ。
だが、アリサは決断した。これからもずっとリィンと同じ道を歩んで行くことを――
「リィンは自分たちは悪人だって言うけど、私はそう思わない。第一そんなことを言ったら、私はラインフォルトの人間よ。私たちが造ってきた武器は、あなたたちが命を奪ってきた人々よりも多くの人々の命を奪ってきた。嫌われている。恨まれていると言うのであれば、ずっと深い業を背負っていることになる。でもね――」
母親のやり方に反発していても、アリサはラインフォルトの名に誇りを持っていた。
確かにラインフォルトの生み出した兵器は多くの人たちの命を奪ってきた。
だが、それと同時にラインフォルトの生み出してきた技術は大勢の人たちの生活を支えてきたのだ。
「力は力。使い方次第だと思っているわ。そして、あなたたちなら間違った使い方をするとは思わないもの」
だから、これからもリィンと共に歩むと決めたのだ。
そもそもの話、皆を平等に救えというのは女神にも出来なかったことをやれと言っているようなものだ。
これからも確かにリィンたちは多くの人たちの命を奪うかもしれない。でも、それ以上に救われる人たちもいるはずだ。
「でもね。私はだからってリィンにだけ損な役回りを押しつけるつもりもないの。いえ、違うわね。彼が救われないのは納得が出来ないのよ」
リィンはよく自分のことを猟兵だからと口にする。
でも、それは嫌悪され、理不尽に貶められる理由にはならないはずだとアリサは考える。
自分の存在を軽視し、敢えて孤独な道を歩もうとする。正直それはリィンの短所だとも思っていた。
「リィンはそれを望んでないかもよ?」
「わかってるわ。これは私の我が儘だもの」
リィンがどう思っているかではない。自分が納得できないのだとアリサは答える。
なんとなくリィンがアリサを選んだ理由を察するフィー。
自分たちにはないものをアリサは持っている。
きっとエリィでは考えはしても、ここまではっきりと行動にでることは出来なかっただろう。
それは彼女がアリサ・ラインフォルト≠セからなのだと思う。
「どうするつもりなのか、具体的な案はあるの?」
「もしかして、協力してくれるの?」
「リィンが正当な評価をされないのは、私も納得が行かないからね」
嫌われることには慣れているが、それと正当な評価をされないことは別の話だ。
周りの声など本人は気にしないだろうが、もっとリィンは評価されるべきだとフィーは考えていた。
その点で言えば、アリサと考えが一致している。
「この際だから、他の皆も巻き込んでみる? どうせ、エリィには相談してるんでしょ?」
「え、ええ……」
「ん……なら尚更、他の皆にも話を通すべき」
仲間外れにすれば、あとで面倒臭そうな人物が数人いることをフィーは指摘する。
それだけ皆、リィンのことが好きなのだ。だからこそ、リィンにも幸せになって欲しいと考えている。
「なら、さっさと片付けて、乙女の作戦会議をしよっか。話を聞けば、レンも参加したがるだろうしね」
「また、そんな簡単に……。一応、これから敵の本拠地へ乗り込むのよ?」
「何か問題がある?」
アルベリヒはリィンに喧嘩を売ったのだ。
それは即ち、団に喧嘩を売ったも同じ。なら為すべきことは、はっきりとしている。
売られた喧嘩は買う。完膚なきまでに叩き潰すという方針に変更はない。
しかも、団長が買うと決めた喧嘩だ。尻込みする理由などないと言うことだ。
「ほんと……兄妹そっくりね。でも、とても頼もしいわ」
敵に回せば恐ろしいが、味方であればこれほど頼もしい味方はいない。
アルベリヒは喧嘩を売る相手を間違えた。だが、アリサはそのことに少しも同情する気はなかった。
父と同じ姿をしているとは言っても、アルベリヒは既に別人だと分かっているからだ。
だから、とっくに覚悟は決めていた。
「アリサこそ、無理をしてない?」
「大丈夫よ。どんな結果が待ち受けていようとも目を背けたりしない。そう、決めたのだから」
そんな心を見透かすかのように尋ねてくるフィーに、はっきりとアリサは答える。
これまでずっと避けてきた家族と、本気で向き合うと覚悟を決めたのだ。
だから母にも啖呵を切った。その決意は偽りではない。
「ん……じゃあ、アリサの分も頑張らないとね」
「どういうこと?」
「アリサの家族のことなら、私たちも無関係じゃないしね」
ポカンと呆気に取られるアリサだったが、フィーの言わんとしていることの意味を察して笑みを浮かべる。
家族として、暁の旅団のメンバーの一人として認めてくれているのだと――
しかし、
「それで、子供の名前はもう決めたの?」
「へ……なんのこと?」
「ん? リィンと最後までやったんだよね?」
「はい!?」
フィーが家族と認めてくれた理由の一端を知り、アリサは顔を真っ赤にして身悶えることになるのであった。
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